3 thoughts on “堀内洋助

  1. shinichi Post author

    【再生の原風景 渡良瀬】

    <冬のラムサール湿地>広がる悲しみの光景

    川霧が漂う谷中村跡の水辺から雪化粧した足尾の山並み(後方中央)を望む。その奥の高い頂が日光白根山=栃木県栃木市で

    写真と文・堀内洋助 東京新聞

    http://www.tokyo-np.co.jp/feature/ramsar/list/CK2013021602000247.html

     旧正月の10日朝、ラムサール湿地の谷中村跡から雪化粧した足尾の山並みを望んだ。かなたに関東以北の最高峰、日光白根山(2578メートル)も鎮座する。水辺に定置網の漁具が並び、川霧がわき上がった。獲物を狙うチュウヒが上空を飛んだ。

     明治時代に鉱毒事件が発生し、魚は死に稲は枯れた。五穀豊穣(ごこくほうじょう)の地として栄えた谷中村は滅亡。村から足尾銅山まで約50キロ。銅山は山の陰だが、村人には製錬所から立ち上る煙が見えたのであろう。村跡から見る悲しみの光景に心打たれた。

     昨年10月に掲載した「谷中村の遺跡を守る会」が延命院跡に設置した連絡ノートが16冊目に。「谷中村と福島は似ている。村人の声を無視して追い出した」「過去の歴史が想像され涙が出た」「次の世代に伝えたい史跡だ」「来て楽しかった」。記入者は3100人を超えた。

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  2. shinichi Post author

    【再生の原風景 渡良瀬】

    <冬のラムサール湿地>絶景の川霧に出会う

    夜明け前、冷え込んだ思川周辺のヨシ原に漂う川霧。冬の絶景に魅了される=栃木県野木町で

    写真と文・堀内洋助 東京新聞

    http://www.tokyo-np.co.jp/feature/ramsar/list/CK2013011202000228.html

     渡良瀬遊水地でこの冬、絶景の川霧に出会った。夜明け前、氷点下に冷え込んだヨシ原に漂う。冬の川霧の発生は少なく、水墨画のような光景に心癒やされた。川霧は一年中見られるが、冬は湯気のようにわき立ってはすぐ消えることが多い。空っ風が吹いて乾燥しているからだろう。

     川霧に魅せられて24年間、渡良瀬の風景を撮る地元の写真作家中田友一さん(59)は「近年、いい霧の発生が少なくなった」と話す。原因は不明だが、「温暖化の影響では」と心配する。中田さんによると、冬の川霧は天気が崩れる日の方が出やすいという。晴れる日は西高東低の冬型の気圧配置になり風の影響を受ける。

     今はラムサール登録地として有名となったが、中田さんが撮影を始めた24年前は無名だった。ある写真コンテストで有名な写真家は奥日光・小田代原と勘違いして寸評したという。その後、遊水地の風景はコンテストに数多く入選し、絶景の撮影地になった。

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  3. shinichi Post author

    【再生の原風景 渡良瀬】

    <冬のラムサール湿地>屋敷林に生活の面影

    冷え込んだ冬の朝、屋敷林の後方から日が昇った。川霧が色を染めて水辺に漂っていた=栃木県栃木市で

    写真と文・堀内洋助 東京新聞

    http://www.tokyo-np.co.jp/feature/ramsar/list/CK2013020902000231.html

     冬の朝、谷中村跡の水辺から川霧が漂っていた。周辺には小高い丘の上に冬木立が点在する。「屋敷林」と呼ばれる住居跡でケヤキやエノキを中心にクワの木が多い。明治時代は養蚕が盛んで、蚕を飼うためにクワを植えていた。足尾銅山鉱毒事件が発生し、廃村となり村人は全国に離散。残った屋敷林は当時の暮らしを少しだが、今に伝えてくれる。

     ヨシ焼きの炎から屋敷林を保護しようと先月20日、一部の林で防火帯作りが行われた。NPO「わたらせ未来基金」が10年前から毎年主催し、今年は27人が参加。林の端から約10メートル幅のヨシを刈り倒した。青木章彦代表世話人は「刈ることで直射日光を浴びて植物の絶滅危惧種が増えてきた」と予期せぬ効果を話した。

     東京電力福島第一原発事故などの影響で中止されていたヨシ焼きが3年ぶりに再開されることが今月1日、決まった。面積を約40%に縮小し3月中旬の実施を目指す。真っ赤な炎と黒煙が春の訪れを告げる。

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