2 thoughts on “涅槃経

  1. shinichi Post author

    釈迦は過去世の時に雪山でバラモンの童子でありながら菩薩の行を修していた。ある時どこからか「諸行無常、是生滅法」と聞こえた。それを羅刹が唱えているのを知り、その後を教えてくれと頼んだ。だが羅刹は「長い間、食事せず疲れて出任せを言った」という。「ではどうするば良いのか」と童子が聞くと、「人間の生身と生血がほしい」といった。雪山童子はこれを了解したと言い、その後の「生滅滅已、寂滅為楽」を羅刹から聞き、後世の者のために聞いた偈を木々や岩に書き写してから、羅刹の餌食になるため高台に登りそこから飛び降りた。すると羅刹は帝釈天に姿を変え、落下する雪山童子を両手を広げて受け止めた。帝釈天は当時雪山童子だった釈迦の修行の真剣さをためし、後に仏となった暁には自身を救ってくれるかどうか確かめたのだった。

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  2. shinichi Post author

    (sk)

    なぜ日本語にすると、こんなに難しくなるのだろう。

    この「やさしいことをわざと難しくする」やり方は、江戸時代までの中国文化の取り入れ方にも、明治時代からの西欧文化の取り入れ方にも共通している。

    有難がるために、やさしいことを難しく言い、欠けた器を芸術的と感じ、三流を一流と信じてやってきた。それが私たちの文化だとすれば、仕方がない。

    中国語を学び、英語を学ぶことでしか、この閉じた社会での歪んだ考え方から自由にはなれない。そして、自由になった者は、もうこの国で暮らすことはできない。

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