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物理学上の法則というものが、それが即、自然自体の法則そのものだと信じられることも多いが、物理法則というのは、自然法則の不正確な写しや近似に過ぎないとする考え方もある。
また、物理法則が全て“永久で普遍の原理”だなどと信じられていた時代も長かったが、これも現在では疑問視されることも多い。ビッグバン仮説が見出され、科学者らがその理論に基づいて分析した結果、この宇宙の初期の段階では物理法則自体が定まっていない時期があり、あるきっかけで物理法則自体がある方向性で決まってゆく、空間自体の性質がある方向性で決まってゆくというプロセスを経て、現在我々が知っている「物理」自体ができあがってきた、とされているのである。また、現在の物理法則が将来も有効であるという保証は無い、それはそう信じたがっているタイプの物理学者の心に存在しているだけであって宇宙自体のどこにもそのような証拠はない、と指摘されることがある。
ある時点で物理学の領域で記述されている法則が、果たして本当に自然に存在している法則を充分に記述しているかどうか、ということは疑問視されることがある。
ニュートン力学は、20世紀初頭まで絶対的なもののように堅く信じられていた。その後、ニュートン力学というのは、絶対的ではないと理解されるようになってきている。
本物の自然というのは、人間の知的営為のかなたにあって、はるかに複雑であったり不可思議なことが実際には起きているのだ、それなのに理論体系や人工物に囲まれるとそうした基本的なことが分からなくなる、といったことも指摘されている。

2 thoughts on “ウィキペディア

  1. shinichi Post author

    物理法則

    http://ja.wikipedia.org/wiki/物理法則

    物理法則に対して「自然法則」(law of nature)というのは、(人間の知的営為とは離れて)自然の法則そのもの、という概念であって、基本的には物理法則とは別の概念を指し得る。

    自然哲学(あるいは自然学 physika)から、様々な経緯を経て、現在の物理学は生み出されてきた。

    科学というのは、かつて自然法則だと見なされた原理を多く含んでいる。例えば万有引力の法則、ニュートンの運動の3法則、理想気体の法則、メンデルの法則、需要と供給の法則……等々である(つまり、時代の推移とともに、かつて自然法則と見なされていたものが、そうではないと見なされるようになってしまうことが多々ある)。

    物理学上の法則というものが、それが即、自然自体の法則そのものだと信じられることも多いが、物理法則というのは、自然法則の不正確な写しや近似に過ぎないとする考え方もある。

    また、物理法則が全て“永久で普遍の原理”だなどと信じられていた時代も長かったが、これも現在では疑問視されることも多い。ビッグバン仮説が見出され、科学者らがその理論に基づいて分析した結果、この宇宙の初期の段階では物理法則自体が定まっていない時期があり、あるきっかけで物理法則自体がある方向性で決まってゆく、空間自体の性質がある方向性で決まってゆくというプロセスを経て、現在我々が知っている「物理」自体ができあがってきた、とされているのである。また、現在の物理法則が将来も有効であるという保証は無い、それはそう信じたがっているタイプの物理学者の心に存在しているだけであって宇宙自体のどこにもそのような証拠はない、と指摘されることがある。

    ガリレオ・ガリレイが考えた法則とニュートンがニュートン力学で想定した運動の法則の組み合わせは、記述内容も適用範囲も異なっている。また、ニュートン力学で想定されている法則の数と、その後の古典力学に含まれている法則では後者の方が多い。

    ある時点で(当然、現在も含めて)物理学の領域で記述されている法則が、果たして本当に自然に存在している法則を充分に記述しているかどうか、ということは疑問視されることがある。

    ニュートン力学は、20世紀初頭まで絶対的なもののように堅く信じられていた(あるいは現在でも信じられてられていることがある)。

    その後、ニュートン力学というのは、絶対的ではないと理解されるようになってきている。湯川秀樹も「ニュートン力学はドグマである」と断言している。“物理法則だけで、世界で起きることが全て記述できている”と信じてしまうような信仰は「物理主義」と呼ばれることがあるが、この物理主義というのは原理主義の一種であるとも指摘されることがある。

    湯川秀樹は、ニュートン力学は適用範囲が広かったことに言及しつつ、だからドグマになっても不思議ではなかったのだ、と述べている。つまり、適用範囲が広くて、かつそれ自体で閉じているような理論体系を学習・習得すると、学習者は思考がその理論体系に沿ってしか動かなくなり、世界を見ても世界自体を見ることなく、自己完結した理論体系や用語へと変換するだけなので、理論のほころびがわからなくなり、あたかも世界が理論に沿って全てが動いているようにしか感じられなくなってしまう、ということである。

    本物の自然というのは、人間の知的営為のかなたにあって、はるかに複雑であったり不可思議なことが実際には起きているのだ、それなのに理論体系や人工物に囲まれるとそうした基本的なことが分からなくなる、といったことも指摘されている。

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  2. shinichi Post author

    情報

    http://ja.wikipedia.org/wiki/情報

    物理と情報

    マクスウェルの悪魔という1867年ごろに考案され、20世紀にも議論が行われた思考実験に、情報が関わっている。この実験では、情報とエントロピーの直接的関係が示されている。この思考実験は長らく難問として議論の的となっていたが、1980年代に、系のエントロピーを増大させずに情報を破壊することはできない、との見解に達した。エントロピーの増大とは、一般的には熱の発生を意味する。この考え方を論理回路に適用すると、ANDゲートが発生する熱エネルギーの理論的最小値はNOTゲートのそれよりも大きいということになる(ANDゲートは2ビットを入力として1ビットを出力するため、情報が破壊されているが、NOTゲートでは単に反転させるだけで情報が破壊されていないため)。物理的情報は、特に量子コンピュータの理論において重要である。

    量子もつれ現象において、2つの粒子が分離して参照されていない状態で光速を超えて相互作用する。2つの粒子が離れ、一方の粒子が観測されて量子状態が決定されたとすると、自動的に他方の粒子の量子状態も決定される。

    2003年、ヤコブ・ベッケンシュタインは物理学で大きくなりつつある傾向として、物理世界が情報自体で構成されているという見方があるとした(デジタル物理学)。

    西洋の近代科学では、“実体”や“物質”という西洋的な概念を(よくよく検討することもないままに)当然視して信じてしまい、この概念に依拠する方向で長らく突き進んでしまったが、20世紀に原子を発見したと信じた後に科学者たちがさらに発見したことや、さらに量子力学によって明らかになった様々な(素朴な常識を覆す)様々な奇妙なことは、西洋の科学や物理学において確かなものだと信じられていた“物質”という概念に大きな疑問符をつきつけるものであり、「実はこの宇宙も我々もすべて(情報的な存在で)シミュレーターの中の架空の存在なのかも知れない」とも考えられるようになってきている。

    2010年には東京大学で情報をエネルギーに変換する実験に成功している。物質がエネルギーと等価であるようにエネルギーと情報も等価であると考える学説も存在する。

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