柴田久美子

Kanameishi地震と要石が結び付けられたのは、江戸時代の安政の大地震以降という。要石と武甕槌大神が地中で暴れる大ナマズの頭を押さえる「鯰絵」が出回り、鹿島地方には大地震がないと伝えられていった。
東日本大震災で石造りの鳥居が崩れる二日前。春の祭事が開かれ、午後二時四十六分には約五千人がその鳥居の周囲に集まった。地震と要石の関係性は定かでなくとも「神様がタイミングをずらしてくれたのではと思わずにいられない」。震災後は地震よけを祈願する人が増えたという。

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  1. shinichi Post author

    大ナマズ押さえ地震よけ 鹿島神宮の要石(茨城県鹿嶋市)

    2013年8月9日

    http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2013/kaidan/list/CK2013080902000256.html

    掘り続けるも「神さまのものだった」

     三百年ほど昔、水戸黄門さんが領内の鹿島神宮をお参りしての帰り道、要石を見に立ちよった。(本当にナマズを押さえつけているのか、調べてみたいものだ)と思った黄門さんは、名主を呼んで「要石を、すぐに掘り起こせ」と言いつけた。名主は、嫌とは言えず、急いで村のものを十人集め、石の周りを掘り出した。

     掘れば掘るほど、石は大きくなるばかりで、きりがない。黄門さんは「人を増やして、明日も続けるように」と言って引き上げた。次の朝、村の人がやってきて、びっくり。一日がかりで掘った穴が埋まっているのだ。

     「だれだ、埋めたのは」。怒った黄門さんは「もっと人を増やして、掘りあげろ」と言いつけた。二十人がかりで、暗くなるまで掘ったが、やはり、その日も掘りきれない。そして七日目。七十人に増やした黄門さんは、要石のそばに立ち「なんとしても、掘りあげるのだ」と声をかけたが、夜も深くなって、腰を下ろして休んでいるうちに眠りかけた。すると、目の前に、ひげをはやした老人が出てきて「要石を掘り続けるなら、神のたたりがあるぞ」と言ったかと思うと、すうっと消えてしまった。

     「要石は神さまのものだった」。黄門さんは掘り起こすことを、やめさせた。

    (日本児童文学者協会編『茨城県の民話』より抜粋要約)

         ◇

     朱塗りの楼門をくぐってすぐ右手の拝殿に参拝し、茨城県天然記念物の森が囲む参道を歩く。約四百五十メートル、鹿園や奥宮をすぎて境内の最奥。柵に囲われたご神木のたもとに表面がくぼんだ石が顔を出し、さい銭が投げ込まれている。鳥居の脇には、小林一茶の俳句「大地震(おおなゑ)に びくともせぬや 松の花」が書かれた木札がある。

     「光圀公(水戸黄門)の逸話は、漫遊記のようなもので、本当の出来事かわかりません」と権禰宜(ごんねぎ)の中嶋勇人さん(33)。要石は、古くは神が降臨した神宮の中心地を示していたといわれている。起源ははっきりせず、石の大きさも「ばちが当たってはいけないので掘ったことがない」。

     地震と要石が結び付けられたのは、江戸時代の安政の大地震以降という。要石と武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)が地中で暴れる大ナマズの頭を押さえる「鯰(なまず)絵」が出回り、鹿島地方には大地震がないと伝えられていった。

     東日本大震災で石造りの鳥居や灯籠が崩れる二日前。春の祭事が開かれ、午後二時四十六分には約五千人がその鳥居の周囲に集まった。地震と要石の関係性は定かでなくとも「神様がタイミングをずらしてくれたのではと思わずにいられない」。震災後は地震よけを祈願する人が増えたという。 (柴田久美子)

    <メモ> 鹿島神宮は、JR鹿島神宮駅から徒歩10分。車の場合は東関東自動車道潮来ICから15分。神武天皇の時代の創建とされる。武神、雷神の武甕槌大神を主神としてまつり、勝負運や仕事運などに御利益があるとされる。武甕槌大神は、江戸時代に出版された鯰絵で、日本に地震を起こす大ナマズを要石で押さえ付ける存在として描かれた。

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