中村明一

無意識のなかで、聞こえている音、そして脳に届いている音がある。「倍音」である。「倍音」とは、ある音が鳴った時にその音に共鳴、付随して生成する音のことである。日常私たちが、「ひとつの音」と思って聞いている中に、様々な音が含まれているのだ。この「倍音」により音色は作られる。同じ「ド」の音でも、ピアノと三味線では音色が全く違うのは、この「倍音」の構成が異なるためである。
人間は元々「倍音」に溢れた自然の中に住んでいた。雨、風、波、川の流れ、動物、鳥、虫、などの鳴き声。これらの音につつまれ、癒されていたのである。

4 thoughts on “中村明一

  1. shinichi Post author

    『倍音』中村明一(春秋社)
    by 阿部公彦
    書評空間::紀伊國屋書店
    http://booklog.kinokuniya.co.jp/abe/archives/2011/06/post_87.html

    。。。この説明については、「そいつはあやしいなあ~」というのが筆者の正直な感想だが、この本の魅力はこうした推論の過程でつまらぬ学者っぽい逡巡などせず、おおらかに大胆に問題をとらえていく著者の想像力の飛躍ぶりにある。そうしたいわば「三振を恐れぬ想像力のフルスイング」によってしかとらえられない事柄はきっとあると筆者も思う。

    本書の中で、著者の持ち味がとりわけ出ているのは日本文化の特性を考察した「第4章 日本という環境・身体・言語」「第5章 日本文化の構造」のあたりだろう。ここでは中村氏は果敢に「日本とは何か?」という問に立ち向かっていく。その過程では、たしかに飛躍もある。たとえば、日本では湿気が多く地面が柔らかい落ち葉に覆われているので「日本中が響かない空間になっていたのです」(78)とか、「[日本は]足場が非常に悪いのです」(82)とか、「日本には、低い声の人があまり多くみられません」(102)といった部分だけ読むと、「そいつはあやしいなあ~」と言いたくなるかもしれない(筆者の経験で言うと、イギリスではあちこちに牛の糞が落ちていて非常に足場が悪かったし、ニューヨークではみんなきんきん声で話しているような気がした)。しかし、中村氏自身、「基音」を軸に考えるのではなく、「倍音」で思考する人なのではないかと思う。その発想法は連想の詩学に根ざしている。ならば読者としても、その飛躍の妙味をこそ味わうべきなのかもしれない。

    経歴からして不思議な人である。中学生の頃はエレキギターに凝って、ビートルズやベンチャーズからスタート。それがジミ・ヘンドリックスに出会って衝撃を受けたかと思うと、後に尺八に目覚め、いきなり尺八の達人に弟子入り。しかも、大学は工学部応用化学科卒(量子化学専攻)。本書の文献リストを見ても、哲学、文学、心理学から音響工学に至るまで幅広い資料がとりあげられている。そして中村氏は行動する人でもあるのだ。尺八の音を別の素材で出そうと実験を重ねついにそれが鋼であることを発見するもあまりに重くて楽器化を断念したとか、理想のスタジオづくりを目指して試行錯誤を重ね、ついに部屋中に大理石をしきつめたといったエピソードを読んでも、科学的なデータ主義と奔放な思考とが混在していて、ちょっとしたカリスマ性さえ感じられる。後半で展開されるシンクロと、リズムと、人間社会をめぐる議論もなかなかおもしろく――そしてどこかあやしい。肩書きは尺八奏者とのことだが、単なる「芸術家」ではなさそうだ。

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  2. shinichi Post author

    中村明一さん、ふざけるのもいい加減にしてほしい!
    by ろめい
    http://nabitsuma.cocolog-nifty.com/shaku8/2009/07/post-ca02.html

    投稿: ムーミンパパ
    「整数次倍音云々」とまことしやかに言っていますが、クラシックなんかでも、「モーツァルトの音楽は8000ヘルツ以上の高周波の音が含まれているから耳に心地よく、これを聴くと頭が良くなる」と言う迷信が、巷間言い伝えられているようです。
    周波数云々とか倍音とか、いかにも科学的と思われるもっともらしい数値を並べられると、その気になりやすいのが人の常のようですね。それが騙しのテクニックかも知れません。気を付けないと…………

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  3. shinichi Post author

    (sk)

    中村明一の文章は素晴らしいが、内容はまやかしである。音を構成しているのは「倍音」だけではない。「倍音」だけに囲まれていたら、私たちは癒されるどころか、きっと狂ってしまう。

    困ったことに中村明一は素晴らしい文章を書く。おまけに、芸術の名のもとに、明らかに素人に大受けする尺八を吹く。そんなこともあって、中村明一の書いたことが感動を呼んだりする。

    それはそれでいい。でも事実か事実でないかと問われれば、それは事実ではないと言わざるをえないのだ。

    春秋社のサイト

    http://www.shunjusha.co.jp/baion/

    には、もっともらしい文章が並ぶ。

    「音」と言った時、たいてい「ひとつの音」があるとイメージしてしまいますが、ドならドでもそれが音として響く時は複数の音から成り立っているということ。この複数の音がどのように含まれているかによって音色がつくられ、その音色をつくっているのが「倍音」なのです。

    音色をつくっているのは「倍音」だけではない。音色のなんたるかを知って書いているのだとしたら、この文章は騙しでしかない。

    日本人と外国人では、音の種類により、反応する脳の部位が異なることがわかったのです。まず、西欧人は言語を聞いたときは左脳で反応する。一方、西洋楽器の音、泣き声、自然音、雑音はすべて右脳で反応しています。対して日本人は、西洋楽器の音、機械音、雑音が右脳で、それ以外はすべて左脳で反応している。

    ふざけるなである。ハーフナー・マイクはどうなのか。George Soros と結婚した Tamiko Bolton は日本人に入るのか。日本人だけが特別だというプロパガンダは戦前で終わったはずではなかったのか。

    人間の耳では聞こえない音・高周波(高次の倍音)は皮膚から脳に伝達されます。そして脳を活性化させる。そうした高周波を聴いているとストレスや不愉快な気分がなくなり、リラックスし、免疫力が高まり病気になりにくくなります。ちなみにCDでは高周波がカットされてしまうので効果はでにくくなります。ですから、生の音に触れることが大切なのです。

    シンセサイザーで高周波を出せば、それが癒しになるというのか。中村明一の尺八の演奏を、高周波を含めてコンピュータで再現すれば、それが素晴らしいというのか。

    素晴らしい尺八の演奏といえども、それを芸術と呼ぼうが呼ぶまいが、所詮は人間のすること。自然に敵うわけがない。

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