與那覇潤

中世の昔から日本は「グローバル・スタンダードに合わせるのか、日本独自の道をゆくのか」で揺れてきて。。。ただし、その「グローバル・スタンダード」は「中国標準」のことだった。
実際、。。。宋朝以降の中国の国内秩序と、現在賛否両論の「グローバリズム」の国際秩序は、すごく似ていて。よく言えば徹底的な競争社会、悪く言うと弱肉強食の格差社会で、形式的には「平等」な条件で自由競争していることになってるにもかかわらず、実態としては猛烈な権力の「一極化」や富の偏在が起きている。そういう中国=グローバル社会のあり方を受け入れるか否か、で国論が二分されたから、日本は中世のあいだはものすごい内戦状態だったんだけど、結局、「受け入れない」という結論を出したおかげで、近世にはピタリと平和になって。。。
今日のグローバリゼーションの核にあるとされる「西洋文明」というのは、新参者として後から日中に割り込んできたわけ。しかもコイツが曲者で、ある面では中華文明に似てるのだけど、他の面では日本文明に近い。その結果として、20世紀の半ばまでは日本文明のほうが相対的にうまく適応していたのですが、冷戦が終わる頃から、「停滞する日本」と「台頭する中国」という構図が出てきちゃった。

4 thoughts on “與那覇潤

  1. shinichi

    中世の昔から日本は「グローバル・スタンダードに合わせるのか、日本独自の道をゆくのか」で揺れてきて、源平合戦も南北朝の動乱もある意味、全部それをめぐる争い。ただし、当時はヨーロッパなんて後進地域だったので、その「グローバル・スタンダード」は「中国標準」のことだった。

    実際、日本史でいうと中世の年代に当たる宋朝以降の中国の国内秩序と、現在賛否両論の「グローバリズム」の国際秩序は、すごく似ていて。よく言えば徹底的な競争社会、悪く言うと弱肉強食の格差社会で、形式的には「平等」な条件で自由競争していることになってるにもかかわらず、実態としては猛烈な権力の「一極化」や富の偏在が起きている。そういう中国=グローバル社会のあり方を受け入れるか否か、で国論が二分されたから、日本は中世のあいだはものすごい内戦状態だったんだけど、結局、「受け入れない」という結論を出したおかげで、近世にはピタリと平和になって…。

    明治維新で産業革命をやってガバッと競争社会にしたけど、「昭和維新」では農本主義で農村を救えとか、ブロック経済で雇用を守れとかで、ガチガチの国家統制に戻しちゃう。戦後も高度成長でガンガン人口が都市に出てきて根無し草になると、田中角栄の国土の均衡ある発展とか、竹下登のふるさと創生事業とかで、やっぱり『古き良き地方社会』のイメージを守ろうとする。小泉改革であれだけ規制緩和だ自由競争だと言ってたのに、彼が首相を辞めたらあれよあれよという間に昭和ブームが起きちゃって、「やっぱり、ちょっとくらい不自由でも我慢しあって生きてくのが日本人だよ」みたいな。これは結局、中世の頃に「中華文明」を取り入れかけたんだけど、結局それについていけなくて別の道を選んだ、日本文明というものの体質の表れなんです、よくも悪くも。

    今日のグローバリゼーションの核にあるとされる「西洋文明」というのは、新参者として後から日中に割り込んできたわけ。しかもコイツが曲者で、ある面では中華文明に似てるのだけど、他の面では日本文明に近い。その結果として、20世紀の半ばまでは日本文明のほうが相対的にうまく適応していたのですが、冷戦が終わる頃から、昨今かまびすしい「停滞する日本」と「台頭する中国」という構図が出てきちゃった。江戸時代って基本的には農耕文明で、そのムラ社会を護送船団方式や日本的経営に改装することで、工業化にも適合させて「延長」してたのが昭和期の「再江戸時代化」だったんですけど、資本主義が金融化・情報化・サービス産業化していくと遂についていけなくなった。最初は「COOL JAPANで世界市場を席巻だ!」とか言ってたはずが、今や「韓流やK-POPに国内市場を盗られる」とかいう話になってるでしょう。西洋文明のうち中華文明に近い方の側面がグローバル化で前面に出てきたから、中国・韓国の方がうまく乗っかっちゃってるわけですね。

    これまで長いこと、「西洋化」とか「グローバル化」とか言われると、あたかも自明に「いいもの」だとか、「欧米先進国に並ぶためにやらなくちゃいけないこと」みたいに見えちゃってたわけじゃないですか。でも、「それ、実は中国化かもよ」って言われたら、ちょっとギョッとなるというか、少なくとも、「いったいその内実が何で、どんなメリットとデメリットがあるのか、きちんと判断してから考えよう」とは思いますよね。それこそが今の日本で必要な態度だと思うし、実際、近代以降「西洋化」してきたと言われてる日本だって、実のところは「中国化」しかして来なかったんじゃないかとも言えるので…。

    ダブル選挙で大阪維新の会が勝ちましたけど、これってもう政党どうしの争いではなくて、橋下徹さんというカリスマ個人への期待ですよね。複数の国政政党が、全国レベルで日本をどうしたいかというマニフェストを出し合って、その一環で地方の首長選挙があるわけじゃなくて、まずは橋下さんという「トップ」一人だけを地域の住民みんなで担いで、後はその人気や権勢にぶら下がりたい人たちが議員としてついてくればOKと。もちろんそれを見て「民主主義の危機だ」って騒ぐ人たちもいるけど、ある意味これって中国的な「民主主義」なんですよ。皇帝一人を推戴して、その人が既得権益者をバッサバッサとなぎ倒すのをみんなで応援しようと。だから伝統中国で「選挙」といえば、一人一票で議会の議員を選ぶ投票じゃなくて、皇帝の手足になるスタッフを試験で選抜する科挙のことなわけです。

    国政レベルだってそうですよね、盛り上がるのは「誰を次の総理に」でトップのクビをすげ替えるときだけで、替える理由もよく分からない。政策を転換するために交替させるっていうよりも、支持率が落ちてきて「人徳がないから」とかなんかそんな感じ。国会の審議や政治報道だって、与野党間で政策を競うよりもスキャンダルをつつきあう方が注目が集まるから、ゴシップ記事みたいな話ばっかりじゃないですか。要するに「政策的にとるべき選択肢は何か」の議論と、「道徳的に優れた統治者は誰か」の議論を区別できてないわけで、近代西洋型の合理主義というよりも、儒教の道徳原理に支えられた伝統中国の徳治主義のほうに近い。

    マスメディアに載る歴史のニュースや一般向けの歴史の本に、「右の歴史と左の歴史、さぁ正しいのはどっち?」的な煽り方のものが多いせいで、学生さんも含めて勘違いしてしまう人が多いんですけど、それって今や学問的な歴史の議論とは、完全な別物なんですよ。そもそもこれまでの右翼/左翼って、大雑把にいえば人類がみんな「西洋化」していくというウソの物語に乗っかった上で、「日本も『もう十分に西洋化した』と威張っていいのか?」とか、ちまちましたことを争ってきただけで。あるいは、「西洋化の結果として、われわれ日本固有の伝統を失っていいのか?」みたいな議論もあったけど、でも、現に西洋化うんぬん以前に中国化しかしてないんだったら、決定的にピントがズレてるわけですね。本当に面白い歴史はそっちじゃないよ、と伝えたいから、アカデミックな歴史の専門研究の紹介と、ベタな左右の論説の全否定とを、どっちも一冊でやっています。

    いま「大きな物語」っていうのは色んなところで評判が悪くて、たとえば歴史学者だったら「実証性がなく大雑把すぎる。細かい事例の具体的な分析に基づいていない」という批判は当然あると思うし、評論の世界でも「これだけ『個人』が分裂し多様化した時代に、いまさら『国家』や『文明』みたいな単位で物語なんか語れるのか」って言われても仕方がない。あるいは3.11の原発事故や震災復興とか、もしくはそれ以前から格差問題や反貧困とかの現場にいる人なら「まさにいま目の前にこんな問題があるのに、1000年分振り返ってみましょうだなんて悠長なことを言ってる場合なのか」という印象を持たれるかもしれない。ただ、自分は日本社会が大きな曲がり角にあるいまだからこそ、これまでのもの(西洋化)とは全く違う「大きな物語」(中国化)を立てて、いっぺん考えてみる必要があると思ってる。大げさに言うと、それを通じて日本の針路を示せるかどうかに、「歴史」というものに今もまだ意味があるのかどうかが、懸かってると思うんです。

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  2. shinichi

    先日の記事に、池田信夫さんからレスポンスをいただきました。「高齢者の高福祉と若者の高負担…をどこまで容認するかという世代間闘争」が、今後の政治の争点になるべきだというのは、私も同意見なのですが、しかし池田氏自身がしばしば嘆かれているように、現在の日本では当の若者たちが、(脱原発や反TPPでは盛り上がっても)そのような方向には立ち上がらない。実は、これは理念的に真逆の立場の論者から見ても同様のようで、「新自由主義的な格差社会で一番苦労するはずの不安定雇用の若年層に限って、小泉改革を支持して自分で自分の首を絞めている」式の言説が、数年前まで論壇を席巻していたことは記憶に新しいでしょう。あらゆる陣営から首尾一貫性のなさを叩かれてばかりの「若者」は、果たして思慮が足りないのでしょうか。どうして日本では、理念的な整合性を伴った構図での「改革」が貫徹されないのかを、歴史的に考えてみます。
    拙著でも論じたとおり、現在の日本が直面している最大の問題は、池田氏の指摘する「肥大化した中間集団の求めるままにアドホックに積み上げてきた社会保障」=江戸時代の封建制的な生活福祉システムの機能不全です。実際、今日の日本政治の停滞の要因は、かつて江戸時代を行き詰まらせた諸要素と、ことごとく一致しています。

    1. 増税の不可能性(⇒ 財政の不健全化): 江戸時代の年貢の課税ベースとなる石高は、1700年前後に固定され、以降は(農家の実収入が増えても)改訂されなかった地域が多い。
    2. 地域代表制の強靭さ(⇒ 国家戦略の欠如): 地方官が中央から派遣された近世中国の郡県制と異なり、徳川日本は諸藩の大名が擬似主権国家的な領地を世襲する封建制を基本としたため、それぞれの地元ごとの利害関係のみによって政治が完結。
    3. 統治者への依存性(⇒ 代案なき反対論): 一般民衆の政治行動である百姓一揆は、強訴以外のかなりの部分が合法化された結果、「春闘」に近いと揶揄されるほどに体制内化されていたため、統治者からの増税要求を拒否することはあっても、武士身分自体に取って代わるという発想や意欲は欠如。
    4. 特定若年層への負担の偏重(⇒ 非正規雇用者の貧窮化): 江戸システムの破綻を防いだのは18世紀の100年間にわたる総人口の安定だったが、これは農村部の過剰人口(多くは家業を継げない次三男)を、死亡率の高い都市部が底辺労働力として吸収していたため。
    5. 年長者の被害幻想(⇒ 真の問題の所在の曖昧化): 拙著では著名な『楢山節考』を引きましたが、各地の姥捨て伝説(史実ではないとされる)の系譜が示すように、若者ではなく「老人」の方を弱者/被害者とするイメージが存在。

    昨今の日本でも「開国」や「維新」のメタファーに停滞からの解放幻想を託す声が高まっていますが、その元祖である明治維新とは、かように近い将来の行き詰まりが見えてきた「若者」(特に下級武士層)たちの叛乱が、既成のシステム全体を崩壊させた稀有な事例です。しかし、それは体系的な統一ビジョンに基づいていたというよりも、将来世代に十分な政治的ポストや経済的パイが与えられる見込みがない場合、若年層が憤懣をぶつけるための直接行動に走り、「後から自己正当化のために過激思想を見出す」ユース・バルジ現象に近い。そしてこの場合、現代の世界ではイスラーム原理主義が典型であるように、いかなるロジックやシンボルが後づけの正当化に利用されるかは、それぞれの地域の伝統思想に強く規定されます。端的には、明治維新の場合は「尊王」(天皇制)が前面に出てくることになったゆえんです。

    そしておそらくここに、当の明治維新も含めて、日本史上の改革が首尾一貫しないままに終わる原因が潜んでいるように思います。池田氏の指摘にもあるとおり、米国の政治哲学の構図はリバタリアン(市場競争中心、個人の自由の徹底)とコミュニタリアン(個人の共同体への包摂)を両極に置く形で整理されますが、東アジアの伝統思想では同種の問題を「郡県」と「封建」の対で考える系譜があります。専制君主としての皇帝が政治権力を独占しつつ、臣下の序列や民間の生業に関しては自由競争に任せる郡県制=近世中国のシステムが、どちらかといえばリバタリアンに漸近するのに対し、家職・家産の世襲(=既得権化)を積み重ねて「藩」や「村」といった地縁結合を作り出した江戸時代の封建制は、まさしく日本版コミュニタリアニズムの原点です。

    リバタリアニズムのマニフェストであるノージックの書名にもあるとおり、あらゆる規制や中間集団の束縛を排するリバタリアンの最大の魅力とは、アナーキズム(無政府主義)とすれすれの自由の横溢感覚にあるといえましょう。ところが日本人の場合は、文字通りの弱肉強食だった戦国時代からの避難所として江戸の村社会を選んでしまったという経緯もあって、むしろ「中央政府による介入すら不要にするほど、地域単位で人々の自然な情緒が互いに交流し、自生的に営まれてゆく共同体」の方を、アナーキーでも「自ずから治まる」秩序(自治、という言葉の語源)=ユートピアだと観念する癖がついています。明治維新が達成した産業革命を「行き過ぎた市場原理主義」と見て、昭和維新を呼号した農本主義のスペクトルが、「右翼」の権藤成卿から元「左翼」の橘孝三郎までを網羅したゆえんであり、自民党の最右派と共産党が連携した昨今のTPP政局は、まさしくその「二度目はみじめな笑劇として」であったといえるでしょう。

    この、近世期に「郡県」ではなく「封建」の道を選んだところから来る、コミュニタリアニズムの方に「自由」を感じてしまう身体性をどうにかしない限り、なかなか日本人の政治感覚は、欧米圏の理論の構図には乗ってきてくれないもののようです。そもそも明治維新の当初に頻発した世直し一揆が、しばしば王政復古に班田収受=土地均分への回帰願望を重ねていたように、日本人が考えるユートピアのイメージは――晩年の網野善彦の指摘によれば――天皇制を通じて唐代の中国から律令制を導入した、古代儒教の段階で止まってしまっている疑いさえある。拙著でも論じたとおり、当の中国の場合は続く宋代に政治制度(郡県制の徹底)も儒教思想(朱子学の誕生)も抜本的な一大刷新を遂げたのですが、日本は未だその段階にすら到達していないのでしょう。日本の近代化を、西洋近代のプロセスが「短期間に圧縮された」ものとして捉えるのは、柄谷行人氏の著名なフレーズですが、ひょっとすると私たちは西洋近代を云々する以前に、中国で千年超をかけて進行した「近世化」の過程を、これから「短期間に圧縮」されて体験することになるのかもしれません。

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