島田裕巳

中国では、日本とは逆で、天台宗の後に法相宗が生まれている。そのため、法相宗は天台宗を批判し、衆生にはもともと能力の違いがあり、誰もが悟りに到達できるわけではないとした。正しく修行した者は悟れるが、そうでないものは悟れないとしたのである。
天台宗の立場は、徹底した平等主義であり、その点は高く評価することができるが、そうなると、一切の修行は必要ないということになる。さらに、誰もが究極的に悟りに達することができるのであれば、悪をなそうと、善をなそうと、どちらでも構わないということになってしまう。
 
最澄は、あらゆる衆生が救われる、仏性を備えていると主張しながら、比叡山の僧侶に対しては、厳しい修行の実践を求めた。それは、全体として考えれば、極めて矛盾した試みでもあった。後に道元は、その問題にぶちあたり、それが比叡山を降りることに結びついた。道元以外の宗祖たちも、やはり同じ問題に直面したはずであり、それぞれが独自の道を確立することで、間接的な形でその問いに答えようとしたと言える。
比叡山から、各宗派の宗祖が生まれたのは、たんにそこが仏法の総合大学だったからではない。最澄の思想と実践に根本的な矛盾があり、その矛盾が新たな試みを求めることで、新宗派が生まれていったのである。

This entry was posted in belief. Bookmark the permalink.

2 Responses to 島田裕巳

  1. shinichi says:

    比叡山延暦寺はなぜ6大宗派の開祖を生んだのか

    by 島田裕巳

    法然(浄土宗)、栄西(臨済宗)、
    親鸞(浄土真宗)、道元(曹洞宗)、
    日蓮(日蓮宗)、一遍(時宗)

    比叡山で修行した開祖は、仏教への果敢な挑戦者だった。

    日本の仏教6大宗派誕生の謎を解く

    日本仏教史を語る上で比叡山延暦寺の存在は欠かせない。鎌倉新仏教の宗祖たちも、一遍を除けば、全員が一度は比叡山で修行し仏教研鑽の日々を送っている。浄土宗も臨済宗も日蓮宗も時宗も、そのルーツは天台宗にある。しかし、一方で、同時代に成立した真言宗の高野山からは新宗派が生まれることはなかった。なぜ、比叡山なのか。それは単に比叡山が仏法を学ぶための総合大学であったからではない。

  2. shinichi says:

    (sk)

    東本願寺も西本願寺も、臨済宗も曹洞宗も、浄土宗も時宗も、霊友会も立正佼成会も、創価学会も公明党も、元をただせばみんな最澄にたどりつく。「絶対的平等」は多くの日本人の中に生きている。

    日本ではいつまでたっても、

    あらゆる衆生は仏の悟りを開くことができる

    という最澄側のほうが、

    衆生には元々能力の違いがあり、誰もが悟りに到達できるわけではない

    という徳一側より、分がいい。

Leave a Reply

Your email address will not be published.