田坂広志

「知性」と「知能」は、何が違うのか? 実は、この二つは、全く逆の意味の言葉なのです。端的に、この二つの言葉の定義を述べましょう。
まず、「知能」とは、「答えの有る問い」に対して、早く正しい答えを見出す能力のことです。例えば、世の中には「知能検査」というものがありますが、この検査は、正解の有る問題を数多く解かせ、いかに迅速に、正解に到達できるかを測るものです。すなわち、「知能」とは、まさに、「答えの有る問い」に対して、速く、正しい答えを見出す能力に他ならないのです。
そして、言うまでもありませんが、現在の中学、高校、大学などの入学試験で測られるのは、この意味における「知能」であり、現在の「学歴社会」において受験競争を勝ち抜いてきた「高学歴」の人間とは、この意味での「知能」が高い人間のことに他なりません。
これに対して、「知性」とは、この「知能」とは全く逆の言葉です。二つ並べて述べましょう。
「知能」とは、「答えの有る問い」に対して、早く正しい答えを見出す能力。
「知性」とは、「答えの無い問い」に対して、その問いを、問い続ける能力。
すなわち、「知性」とは、容易に答えの見つからぬ問いに対して、決して諦めず、その問いを問い続ける能力のことです。ときに、生涯を賭けて問うても、答えなど得られぬと分かっていて、それでも、その問いを問い続ける能力のことです。

2 thoughts on “田坂広志

  1. shinichi Post author

    なぜ、高学歴の人物が、深い知性を感じさせないのか?

    by 田坂 広志

    日経ビジネス

    http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140611/266701/?P=2&ST=smart

    1977年に「散逸構造論」の業績でノーベル化学賞を受賞したイリア・プリゴジン博士は、若き日に、「なぜ、時間は、過去から未来へと一方向にしか流れないのか?」との問いを抱き、その問いを数十年の歳月を超えて問い続け、この「散逸構造論」という理論を生み出すに至ったわけです。

     これは、見事な「知性」の営みと呼べるものでしょう。

     同様に、

    「なぜ、この宇宙は生まれたのか?」
    「なぜ、生命は進化していくのか?」
    「心とは何か?」
    「人類は、どこに向かっていくのか?」
    「私とは何か?」

     といった問いは、いずれも「答えの無い問い」です。

     一人の人間が生涯を賭けて問うても、その答えを得ることができない問い。
     人類がこれから百年の歳月を賭けて問うても、容易に答えの得られぬ問い。

     そうした問いを問い続ける力が、「知性」と呼ばれるものです。

    (なるほど、そういった深遠な哲学的思索をする力が、「知性」なのですね?)

    いえ、そうではありません。「答えの無い問い」は、決して、深遠な哲学的領域の中にだけあるわけではない。我々の日々の生活の中にも、日々の仕事の中にも、無数に、この「答えの無い問い」があるのです。

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  2. shinichi Post author

    (田坂教授は、5月に、新著『知性を磨く「スーパージェネラリスト」の時代』(光文社新書)を上梓されました。この連載『知性を磨く スーパージェネラリストへの成長戦略』では、ビジネスパーソンは、いかにして、日々の仕事を通じて「知性」を磨いていくべきか、そして、「七つのレベルの知性」を垂直統合した「スーパージェネラリスト」へと成長していくことができるかについて、伺いたいと思います。

     まず、この連載第1回のテーマは、「なぜ、高学歴の人物が、深い知性を感じさせないのか?」です。

     最初から、随分、刺激的なテーマですね?)

     そうですね。正確に言えば、「なぜ、高学歴の人物が、必ずしも、深い知性を感じさせないのか?」と言うべきですが、実際、高学歴を誇る人物を見ていて、たしかに「頭は良い」とは思うのですが、あまり「賢い」とは思えない人物がいるのではないでしょうか? 「頭は良い」が、「思考に深みが無い」人物です。

    (例えば、どのような人物でしょうか?)

     例えば、ビジネスの現場で、次のような場面を見かけたことがないでしょうか?

     ある若手社員が、社内会議で、新事業企画について見事なプレゼンテーションをする。弁舌は爽やか。立て板に水。頭の回転は速い。話も論理的。プレゼンのスライドも見やすく、選び抜いた言葉を使う。さすが、偏差値の高い大学を、優秀な成績で卒業しただけある。本人も、このプレゼンで、自分の提案する新事業企画が、十分な説得力をもって説明できたと思っている。

     しかし、なぜか、その会議に出席した中堅のマネジャー諸氏からコメントが出ない。皆、悩ましく思いながら、言葉を選んでいる。そして、ようやく、一人のマネジャーが、全員の気持ちを代弁するように言う。

    「理屈では、たしかに、そうなのだけれど……」

     経験豊かなマネジャーは、誰もが感じている。新事業開発というものは、この若手社員が語るほど、簡単に理屈で割り切れるものではない。市場規模の数字や事業戦略の論理の向こうに、顧客の生の声や思いというものがある。そのことは、一度でも新事業開発に真剣に取り組んだ人間ならば、誰もが分かっていること。ただ、そのことを説明しても、まだ経験の浅いこの若手社員には、おそらく理解できないだろう。熟練のマネジャーは、皆、そう思っている。

     思わず、この若手社員が聞く。「何が、問題なのでしょうか?」

     その質問に対して、マネジャーの一人が、言葉を選びながら答える。

    「何と言うか、この企画は、少し深みが足りないんだね……。
     新事業企画には、数字などのデータには現れない要素が沢山ある。
     もう少し、そうした『目に見えないもの』を
     考えてみたらどうかな……」

     ビジネスの現場で、こうした場面を見たことがないでしょうか?

    (思い当たるシーンが、心に浮かびますね……(笑)。)

     この連載の読者の中にも、こうしたシーンに遭遇した方は、少なくないのではないでしょうか? そして、職場に、このような若手社員がいるのではないでしょうか?

     学歴は一流。偏差値の高い有名大学の卒業。頭脳明晰で、論理思考に優れている。頭の回転は速く、弁も立つ。データにも強く、本もよく読む。

     しかし、残念ながら、思考に、深みが無い。

     いや、それは若手社員だけではありません。実は、こうした「頭は良いが、思考に深みが無い」と評すべき人物は、年齢に関係なく存在します。

     そして、「思考に深みが無い」ため、これらの人物からは、「知性的」な雰囲気が伝わってこない。端的に言えば、「高学歴」であるにもかかわらず、深い「知性」を感じさせない人物。そうした不思議な人物が、職場にいるのではないでしょうか?

    (そうした人物は、たしかにいますね……(笑)。では、なぜ、そうした人物がいるのでしょうか?)

     もし、その理由を知りたければ、「知性」という言葉と似て非なる、もう一つの言葉の意味を理解する必要があります。

     それは、「知能」という言葉です。

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