村松友視

2022年4月10日、隅田川で作業中だった新木場の職人が、水中を流れる老人男性の死体を発見して引き揚げたが、本所警察署の調査によって作家の村松友視さん(82)と判明した。
村松さんはかつて『私、プロレスの味方です』『時代屋の女房』『アブサン物語』『鎌倉のおばさん』『俵屋の不思議』などを次々と発表し、多作家の作家として知られていた。しかし、60歳を越えたあたりから不意に作品が途絶え、その後にボケも加わって、家から出かけて何日かたったあとふらりと帰ることを繰り返していた。夫人によれば、何年か前から「俺には外に女がいる」と誕生日のたびに口走るのが習慣になっていたというが、82回目の誕生日を迎えた四月十日、やはり同じセリフを口走って、早朝に三つ揃いにネクタイ姿で吉祥寺の自宅を出ている。
向島「言問団子」の従業員によれば、老人が午前六時ごろ姿を見せ「言問団子」を買いたいというから、開店にはまだ二時間あると断ると、「隅田土手でしばらく時間をやりすごして戻ってくる」と言って引き返したという。
村松さんは、そのあと隅田堤で川面をながめているうち、突然の脳内出血におそわれ、そのまま川に落ちたが、突起物に当たって体に傷がついたり、水中で苦しむこともなく、水面に落下する前すでに脳内出血により即死していたと思われる。
「体裁を気にする主人らしい死に方」とは夫人の感想。しかし、本当に女性がいたのか、なぜ三つ揃いにネクタイを締めて隅田堤へ行ったかなど、いくつかの疑問も残された。長年の友人であるピアニストの山下洋輔氏は、「虚実に遊ぶのは村松さんの芸風だったが、作品が書けなくなったので、作品を書く代わりに身をもって謎を残したのだろう。それにしても、彼が筆を断って二十年も経ったとは……」と、感無量の面持ちで村松さんの死について語り、「外に女がいる、は村松さんらしい虚勢でしょう」とつけ加えた。
なお、村松さんは生前、自分の葬儀は盛大にやってほしいと夫人に伝えていたようだが、そんな余裕はないという理由で、ごく少数の限られた近親者によって、密葬が行われる模様で、通夜・葬儀の日程は未定。

2 thoughts on “村松友視

  1. shinichi Post author

    私の死亡記事

    文春文庫

    文藝春秋編

    著名人が自ら書いた自分の“死亡記事”。

    2000年の単行本刊行時に102人が執筆し、文庫化にあたり12人が追加された。最初の執筆者のうちの何人かはすでに死亡している。

    科学者を志し、理系の進路を考えていた。その痕跡は作品の随所に窺い知れる(阿刀田高)

    生涯にわたり幸運に恵まれつづけた人といってよい。手がけた仕事のテーマが、忘れ去られたものであったため、つねに先駆者でいることができたからである。(荒俣宏)

    胡麻をすって出世するとか、一夜漬けの試験勉強するとか、顕示欲を剥き出しにする、田舎者はそれが出来るから羨ましいよ(池部良)

    女性問題をはじめ、社会構造的に声の小さい側の声を軸に活動していた(落合恵子)

    「ガッツ新党」より参議院選に出馬し、一九三万票を獲得し、見事、当選。(ガッツ石松)

    その主張にはつねに旗幟不鮮明なわかりにくさがつきまとい(加藤典洋)

    全生涯捜し物の人生でしたが、最後まで見つからなかったのでしょうか。(金田一春彦)

    建築家である前に、思想家であると語っていた。(黒川紀章)

    ものごとを成し遂げる人の気が知れない。そんな下品な(坂崎重盛)

    クイズなど外れても笑っているがよしというメッセージを映像で全国に伝える(篠沢秀夫)

    かつては希代の人物批評家、絶妙な皮肉の使い手と恐れられた。しかし、それも、人の悪口が好きな、たんなる根性悪といいかえることができた。(関川夏央)

    興業に創造の精神を取り入れ、芸術映画の母と呼ばれるようになった。(高野悦子)

    高峰節といわれた達意の文章で随筆集を重ねてファンに応えた。(高峰秀子)

    それまでの人格者風をかなぐり捨ててから、作風が変わり、人間の悲しみを飄逸な文章で描く作品が多くなった。(立松和平)

    見落しのない博捜を足場として売名志向による論文の群れを片端から叩き続けた(谷沢永一)

    二つの相反する人生を生きたというのは、よほど鈍感だったからか、詐欺師の素養があったのか、内心が矛盾の火の車だったことだけは間違いないのではないか。(辻井喬)

    俳優としても数々の舞台・映画・テレビドラマに出演、名優とされた。(筒井康隆)

    漱石肖像の商業的利用に極めて鷹揚で、国民作家漱石イメージの伝承に功績(夏目房之介)

    経済人の間に極めて厚い支持層を獲得。根強い人気は死去まで衰えなかった(長谷川慶太郎)

    議員宿舎入口でヒットマンによるライフル銃で頭部を狙撃され、即死した。(平野貞夫)

    不条理を書こうとして不条理を書いたんじゃなく、条理を書こうとしていながら、結果的に不条理を書いてしまったんじゃないかな(別役実)

    数寄の作陶で知られ、首相を務めたこともある(細川護熙)

    サラリーマン化した出版界にあって、彼の真価が認められたことはなかった。(安原顕)

    農耕民族の定住思想から発したであろう「この道一筋」信仰は野暮に見えた(山藤章二)

    死亡年齢は執筆者に任されており、半数以上が年齢を特定したのだが、個性が窺える。

    135歳 土屋賢二
    129歳 辺見じゅん
    120歳 尾辻克彦・高橋睦郎
    118歳 玄侑宗久
    100歳 林望
    99歳 小沢昭一・細川護熙
    97歳 小林カツ代
    96歳 阿川佐和子・筒井康隆
    95歳 夏石番矢
    94歳 渡邉恒雄
    92歳 加藤尚武
    90歳 中村敦夫・森まゆみ
    89歳 寺澤芳男
    88歳 泉麻人・金田一春彦児玉清・残間絵里子・堀田力
    86歳 ガッツ石松
    85歳 平田俊子
    82歳 大宅映子・加藤典洋・村松友視
    80歳 馬場あき子
    78歳 梁石日・佐木隆三
    77歳 坂崎重盛
    76歳 黒川紀章・早坂茂三
    75歳 嵐山光三郎・荻野アンナ・鈴木健二米原万里
    74歳 岩見隆夫・桐野夏生
    72歳 長部日出雄・呉智英・別役実
    70歳 屋山太郎
    68歳 みうらじゅん
    65歳 落合恵子・平野貞夫
    64歳 荒俣宏
    63歳 安部譲二
    53歳 南伸坊
    51歳 渡辺えり子
    41歳 野村万之丞 (44歳で逝去)

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