千野香織

なぜギリシア・ローマの、なぜルネサンスの、なぜ近代フランスの絵画だけが、特権的に語られてきたのか。これまで「傑作」だと呼ばれてきたものは、誰が、いつ、何のために、「傑作」と決めたのか。また「美」や「質(クオリティ)」と呼ばれるものは「普遍的」な存在などではなく、近代西洋の価値基準に基づいた、時代的にも地域的にも限定されたものにすぎないのに、これまでの美術史は、なぜそれを不問に付してきたのか――。「ニュー・アート・ヒストリーズ」とも呼ばれるこうした新しい美術史からの問いかけは、価値の多様化・文化の複数化の傾向と連動しながら、多くの支持を集めるようになっていた。そしてあらためて気づいてみれば、西欧の白人でも男性でもない東洋の有色人種の女性とは、まさしく私自身、あるいは日本美術の置かれた立場そのものだったのだ。

6 thoughts on “千野香織

  1. shinichi Post author

    支配的、権力的な「視線」の意味を問い、美術史のパラダイム・チェンジをはかる

    by 千野香織

    米国で直面した新しい美術史研究の潮流

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  2. shinichi Post author

    KaoriNakamura『千野香織著作集』

    千野香織著作集編集委員会編 

    (2010)

    神護寺蔵「山水屏風」の構成と絵画史的位置
    「西行物語絵巻」の復原
    新名所絵歌合
    名所絵の成立と展開
    鎌倉時代の山水表現
    絵巻の時間表現―瞬間と連続
    一二、一三世紀を中心とする日本絵画にみる風俗表現
    江戸城障壁画の下絵
    日本の絵を読む―単一固定視点をめぐって
    狩野派と粉本
    熱狂を創造する工房―徳川美術館蔵・豊国祭礼図屏風の虚実
    滋賀県立近代美術館蔵・近江名所図屏風の景観年代論について
    東京国立博物館の日々
    言葉とイメージ―物語絵画研究の現在
    鎌倉時代の美術における写実主義とは何か
    春日野の名所絵
    建築の内部空間と障壁画―清涼殿の障壁画に関する考察
    絵画作品を解釈する三つの立場
    南北朝・室町時代の絵巻物―新しい光のなかで
    神護寺「山水屏風」にみる庭園―視覚化された幻影
    障屏画の意味と機能―南北朝・室町時代のやまと絵を中心に
    日本美術を考え直すために
    やまと絵の形成とその意味
    ジェンダー、国家、セクシュアリティ―大学院生とのセミナー報告
    日本美術のジェンダー
    シンポジウム「戦争と美術」―概要および討議報告
    戦争のイメージ
    日本美術史とフェミニズム
    絵や写真やテレビを見る時 あなたに思い出してほしいこと
    美術館・博物館にみるポリティクス
    私の五点
    鳥居清長「女湯」
    台北の故宮博物院を訪ねて―「美術」と「政治」の関係、鮮明に
    女を装う男―森村泰昌「女優」論
    嘲笑する絵画―「男衾三郎絵巻」にみるジェンダーとクラス
    日本の障壁画にみるジェンダーの構造―前近代における中国文化圏の中で
    見る者・見せる者の立場を問う展覧会―「インサイド・ストーリー 同時代のアフリカ美術」展に寄せて
    支配的、権力的な「視線」の意味を問い、美術史のパラダイム・チェンジをはかる
    天皇の母のための絵画―南禅寺大方丈の障壁画をめぐって
    美術館・美術史学の領域にみるジェンダー論争 一九九七―九八
    美術とジェンダー
    日本の美術史言説におけるジェンダー研究の重要性
    土地が描かれることの意味―滋賀県立近代美術館蔵「近江名所図屏風」再考
    醜い女はなぜ描かれたか―中世の絵巻を読み解く「行為体」とジェンダー
    絵巻の新しい「読み」へ
    新しい雑誌『イメージ&ジェンダー』を創刊する
    アジアの現代美術―ユン・ソクナム作《光の美しさ、生命の尊さ》
    「平治物語絵巻」が語る、もう一つの物語―名古屋ボストン美術館の「三条殿夜討巻」展示を機に
    復原と絵画史料―料理部屋を例に
    絵巻と性差
    戦争と植民地の展示―ミュージアムの中の「日本」
    イメージ&ジェンダー研究会―「美術」の枠組みを越えて
    「日本美術」の男と女(十選)
    美術作品を読み解く―ジェンダー批評の立場から
    『伊勢物語』の絵画―「伝統」と「文化」を呼び寄せる装置
    あなたへのプレゼント―出光真子さんの作品
    海外研修報告
    フェミニズムと日本美術史―その方法と実践の具体例
    希望を身体化する―韓国のミュージアムにみる植民地の記憶と現代美術
    視覚的に歴史の隠蔽をはかる
    「ナヌムの家」歴史館から、あなたへ
    「近代」再考―「美術」と「感性」の近代
    “New Approaches to 12th Century Narrative Painting in Japan” 
      (一二世紀の物語絵画(「信貴山縁起絵巻」)研究の新しい試み)

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  3. shinichi Post author

    『千野香織著作集』
    by 稲本万里子
    2010年07月19日
    http://blog.livedoor.jp/mariko1961/archives/51687331.html

    ChinoKaori1千野香織著作集千野香織さんの著作集が刊行されました。
    代表的な論考66編が年代順に並べられ、
    オーソドックスな作品研究から出発した千野さんが、
    アメリカでニュー・アート・ヒストリーと出会い、
    過去に生み出された美術作品が
    現代に生きる私たちに及ぼす力を解き明かし、
    それをプラスの方向に読み替える可能性を唱えるに至った
    思考の軌跡をたどることができます。
    千野さんが亡くなられて9年。
    彼女はもうここにはいませんが、
    彼女のことばが、この本のなかに息づいています。
     
    芸大の帰りに東博に寄って、一緒に帰った上野公園。
    修論を見てもらって、学会発表の相談をしたカレーハウス。
    学生時代はコピーをとって、
    知り合ってからはいただいた抜刷を夢中で読んだあの頃。
    近現代の美術や教科書問題を取りあげるようになってからは、
    千野さんはどこに行ってしまうのだろうと思っていましたが、
    ここにこうして帰ってきて、語りかけてくれているのですね。
     
    千野さんが亡くなられたのと同じ年になったというのに、
    論文が28本、コラムを入れても31本。66本にはほど遠い。
    29本目を書かなくては。

    **

    千野香織著作集編集委員会(池田忍・亀井若菜・馬渕明子)編
    『千野香織著作集』ブリュッケ、2010年6月。

     千野さんは、いつかは滅びてしまう「肉体」とも呼ぶべき物質性を備えた美術作品、その表現の圧倒的な実在に打たれ、魅了される「眼の人」でもあった。

     きめ細やかで、瑞々しいディスクリプションの随所に、千野さんの感性は息づいている。彼女にとって、美術とそれを求める人間、その双方がかけがえのない実体であった。

     だからこそ、個々の作品や展示の場、美術を取り上げるメディアや言説が、排除する人々の存在に敏感にならざるを得なかったのであろう。

     過去に生み出された作品が持つさまざまな意味(その偏見、眼差しの歪みや暴力をも含めて)を、作品が制作・享受された社会の文脈に位置づけて歴史的に考察するにとどまらず、「美術の解釈は「事実確認的」constative なものではなく、「行為遂行的」performative なのだ」「私たちの読みは、作品の制作者や注文主たちの意図を超えて、現在の社会に働きかけることができる」と発言し続けた。

     私たちの時代の「思想の言葉」として受け取りたい。

    (「編集後記」より)

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