Vamos!

Orita1ある日、砂漠の民ベドウィンの人が折田魏朗先生のところへやってきた。羊3000頭が伝染病にかかって、死にそうなのだという。即座に身体を洗う必要があると診断を下した先生。けれども、こんな砂漠の真ん中で、水なんかあるはずがない。でも、それを聞いたベドウィンたちは、砂を掘り、老人達が現れ、砂漠に耳を当てた。砂漠の下に流れる地下水脈を探るということらしい。しばらく耳を当てて、ここだ、というところを掘ってみると、水が、出た。折田先生は、3000頭の羊をその水で洗った。羊は回復し、3000頭の命は助かった。それから、折田先生は「ベドウィンの神」となった。3000頭の羊は、彼らにとっては命と同じくらい大事な財産だ。それを救ってくれたのだから、神とあがめても無理はない。

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5 Responses to Vamos!

  1. shinichi says:

    折田先生

    つゆのひと声

    http://d.hatena.ne.jp/vengavale/20061130/p1

     獣医であり、考古学者でもある、折田G先生が、英語もアラビア語も話せなかった頃、シリアに来たことがあった。言葉ができないから、周りから総スカン。でも、幸運は突然やってきた。

     ある偉い秘密警察のトップ(?)の馬が、お産の難産で苦しんでいたそうだ。でも、誰も助けない。何故って、もし手をだして、失敗して馬を死なせてしまったら、死刑にされるかもしれない、という恐れがあったからだ。

     そんな時、折田先生は、いきなり服をぬぎはじめ、ふんどし一丁になった。回りはもうびっくり。アラビア人は、男であっても、人前で肌をさらすことはしないからだ。ふんどし一丁の日本男児、折田先生は、苦しむ馬のお腹に手を入れ、血まみれになりながら、子馬をひっぱりだした。その様子に、周りはまた唖然。無事、子馬も産まれ、母体も大事にいたらなかった。それを聞いて、持ち主の隊長様は、大喜び。さっそく、この折田先生をかわいがり、軍隊、政府、ありとあらゆるところへお達しをして、折田先生は、どこへ行っても顔パスになったそうだ。

     バカにしていた人たちも、この一件で、言葉のできない東洋の男を尊敬しはじめた。それなりの稼ぎもでき、これでうまくいくと思っていた矢先、突然なぜか、シリア政府から、あなたはもういいです、と冷たい宣告を受けたそうだ。

  2. shinichi says:

    ベドウィンの神様

    つゆのひと声

    http://d.hatena.ne.jp/vengavale/20061202/p1

    折田先生の逸話は、まだある。あの、秘密警察の親玉のような人の馬の出産を助けて以来、折田先生は、シリアでは誰もが一目置く人となった。でも、完全に自由に活動できるわけではない。F財団からの仕事以外、受けてはいけないという制限があった。もし他の仕事を請けたら、即、国外退去だったという。

     しかし、ある日、砂漠の民ベドウィンの人が折田先生のところへやってきた。羊3000頭が伝染病にかかって、死にそうなのだという。土下座して、折田先生の足に接吻してまで頼むベドウィンの姿に、「まあ、みつかっても仕方ない。引き受けるか」と折田先生は禁を破り、羊を見に行った。

     3000頭の羊を診て、即座に身体を洗う必要がある、と診断を下した先生。けれども、こんな砂漠の真ん中で、水なんかあるはずがない。

     でも、それを聞いたベドウィンたちは、砂を掘り、老人達が現れ、砂漠に耳を当てた。砂漠の下に流れる地下水脈を探るということらしい。しばらく耳を当てて、ここだ、というところを掘ってみると、水が、出た。

     折田先生は、3000頭の羊をその水で洗った。羊は回復し、3000頭の命は助かった。

     それから、折田先生は「ベドウィンの神」となった。3000頭の羊は、彼らにとっては命と同じくらい大事な財産だ。それを救ってくれたのだから、神とあがめても無理はない。折田先生の業績を讃え、砂漠の真ん中にドラム缶を丸く並べ、入った油で火をたき、大宴会が始まった。ベドウィンにとっては、大事なお客様を歓待するときにしかやらない、貴重な儀式らしいのである。そこで、羊を一頭殺し、客人へ振舞われる。一等の扱いなのだ。

  3. shinichi says:

    シリアで愛された日本人獣医 - 折田魏朗をもっと知りたい! 1

    by ねずみ男

    勝手に言ってろ!的妄想論

    http://blogs.yahoo.co.jp/ueda9162/66448999.html

     話は、今日の朝日新聞の「ひと」欄に載っていたシリア出身で日本に帰化し、東京で眼科のクリニックを開いた女性に始まります。

     言葉の壁を乗り越え、日本で医者になるというのもすごいと思って読んでおりましたら、この方の育ての親(※ 彼女を連れて母親が再婚)というのが、シリアで獣医(家畜衛生)として40年も働き、5年前にその地に骨を埋めたという方でした。

     名前を折田魏朗といい、鹿児島大学で獣医となり、日本獣医師会からの要請もあって、海外技術協力事業団(OTCA)の一員として奥さん(※前妻)とシリアに渡る。

     今や内戦の混乱状態にある国ですが、日本の経済援助や日本製品の品質の高さもあってか、きわめて親日的な国だそうです。

     然るに、この折田先生(※ 先生ですよ!)の業績もまた高く評価されているようです。
     
     何というか・・・、あっし的には聖書の世界ですねえ。

     彼らの生活は全て羊で成り立っていると言っても過言ではない?
     折田先生は、そんな彼らの貴重な財産である羊のために日夜駆けずり回った。

     その深い知識と熱心さは広く伝わり、隣国からも遊牧民がバスで大挙して教えを請いに来た(!)、とか。

     しかるに、シリアに関して言えば長く続く紛争のニュースは時々目や耳にしておりましたが、こんな方がいたとはつゆ知らなかった!

     車に大きく「ドクトル・ヤパーニ」(日本人医師)と書いて、紛争地域一帯にも家畜の治療に出かけ、この時は、彼の乗った車が通る時だけ銃撃戦が起こらなかったというエピソードまである。

     大臣から八百屋のおじさん、遊牧民にも愛された

     言ってみれば、よそ者、外国人でありながら、彼のシリアの人々のための努力と、情熱はもはや、思想や宗教、民族や国境まで越えて高く評価されたらしい。

     後継者となる獣医も育て、その数は着任当時50人程度しかいなかったのが、今は80倍の4,000人(!)に。羊は三倍の1,400万頭に増えたとか。(※ こちらは、日本獣医師会誌に投稿された記事)

     特攻隊で死のうと思っていた
     拾った命。他人のために何かしたかった

     この言葉には頭が下がりました。

     その努力の甲斐があって、シリアの羊肉は中東でも抜群に旨い、とか。

     遊牧民(ベドウィン)から、「神様」とさえ呼ばれていたという折田先生。

     その遺言どおり、今はその生涯をかけたシリアの地に眠っているそうです。
     
     いろんな生き方、人生がありますが、そしてその苦労も並大抵のことではなかったと思いますが、あっしが深く敬意を表したい方の一人であります。

  4. shinichi says:

    砂漠の羊を護る 折田魏朗獣医師

    by 西川 誠 (神奈川県獣医師会会員)

    http://nichiju.lin.gr.jp/mag/05905/06_12.htm

     平成17年6月22日の深夜NHK-BS2「遠くにありて日本人」というドキュメンタリー番組で,シリアの地で活躍している折田魏朗獣医師の姿が放送された.

     折田氏は,大正13年生まれの82歳,現在も羊の診療に従事しているとのことであった.

     私と折田氏との出会いは,41年前に遡る.

     昭和38年当時,シリア政府では獣医師の不足から,同国駐在のFAOの杉村克冶博士を通じ,技術水準の高い日本人獣医師を同国家畜衛生局に採用したいとの意向があり,これを受けて農林水産省衛生課では,日本獣医師会を窓口として,国内に広く呼びかけを行った.

     その内容は,採用予定者は10名で,獣医学に関する学業課程修了後,5年の経験を有する者を条件とし,仕事は,国内10の地方政庁に駐在し,家畜衛生の実務を行うとともに獣医師の助手にその技術を指導する(開業者は皆無のため,家畜保健衛生所と家畜診療所の兼業となる)というものであった.

     これと併行して,日本獣医師会では,日本人獣医師の海外派遣の積極的協力と適任者派遣を目的に会長の諮問機関として,「海外獣医技術協力促進委員会」を設置(委員長 荒井 研副会長他7名),2回の委員会を開催し,応募13名の中から,7名を選抜した.

     この7名の中に当時,長崎県農業共済組合連合会から応募された折田氏が選ばれたのである(実際,派遣されたのは6名).

     昭和39年10月4日,私は日本獣医師会の職員として,荒井副会長らとともに,シリアへ出発する第1陣の折田氏他4名を羽田空港で見送ったことが思い出される.

     その後,他の派遣者からの手紙で,折田氏は妻子同伴で多忙ながら,堪能な語学を生かし,率先して同行の派遣者の世話にあたられていると感謝が述べられていたが,折田氏の奥方は土地に合わず早々に帰国(子息は氏とともに滞在し,現地人と結婚,娘2人に恵まれたが14年前に逝去),1年後には,他の5名も次々と帰国し,折田氏が唯一,シリアに残ることとなった.

     番組によると,折田氏は,その後の40年間をアレッポ(シリア第2の都市,人口154万人)のイカルダ地区に設けられた動物研究所(研究員500名)家畜診療センターを拠点として活躍された.その結果,着任当時と比べると獣医師は80倍の4,000人,羊は3倍の1,400万等に及ぶこととなり,シリアの発展に貢献された彼は遊牧民のベドウィン族では神様のように尊敬されているとのことであった.

     また,氏の研究所内での診療姿はいまだ年齢を感じさせない矍鑠としたもので,言葉,気候,風土,文化の異なる地で,40年もの間,屈強な体力と強靭な精神力,そして,日本人獣医師としての使命感によって,歩みつづけた一人の人間の姿に強く心を打たれた.

     折田氏には,国外からの指導依頼も多いようであり,今後ともご壮健で活躍いただくことを願ってやまない.

     日本獣医師会が積極的に取り組んだ,「海外獣医技術協力促進」という一つの種が40年を経て,世界に大木を育てた例であり,今後も,国際交流の輪を広げていただければ幸甚である.

  5. shinichi says:

    折田先生と最後の宴

    by chacosuke

    (2005年04月24日)

    http://chacosuke.livedoor.biz/archives/cat_423026.html

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    折田先生には本当にお世話になりました。アレッポについてすぐに3週間同居させてもらいました。初めてのシリア生活に戸惑うところを先生のおかげで助かりました。折田魏郎シリア伝説を数々語り聞かせてもらって、かなり面白かったです。在シリア41年、艱難辛苦を知り尽くした男の中の男でありました!薩摩男児です。心配な体調ですが、大分ましです。いい悪いの波があります。俺がアレッポに来た当初も悪かったのですが、俺の絶品料理で食欲を盛り返し、かなり良くなり、パルミラ取材で再び最悪になって帰ってきて、再び俺の絶品カレーライス差し入れで復調の兆しです。カレーでうんこも出てるようです。これからの体調が心配です。次は7月に新しいICARDA隊員が着任するらしいので、後を託すしかありません。

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