竹村彰通

データという用語には価値判断が入る余地が少ないため、意味がわかりやすい。データとは観察や実験をすることによって記録された数字や文字というように考えればよい。例えば毎日の気温や株価の動きの記録がデータである。また、アンケート調査をおこなって回収された調査票に書かれた記録もデータである。一方で情報という用語には有用性が含意されていることもあり、使われる局面によって意味あいが異なる。「諜報機関が情報収集をおこなう」というような表現では、収集しようとしている情報は特定の目的に対する有用性がその本質である。一方で「毎日の気温や株価の動きを記録した情報」という表現では、情報はデータと同義である。以下では「情報=データ+特定の目的に対する有用性」と理解することとし、情報はその有用性や使われ方をこめた概念であるとしよう。

2 thoughts on “竹村彰通

  1. shinichi Post author

    統計学にとって情報とは何か

    by 竹村彰通

    現代思想 2014年6月号
    特集=ポスト・ビッグデータと統計学の時代

    Reply
  2. shinichi Post author

    (sk)

    言葉の定義も、論理の組み立ても、そして結論までもが、今まで収集してきたものと全くといっていいほど違う。

    「日本というところは、こんなにも違うのか」という感じを持ってしまったが、もしかしたら、ただただ単語の違いなのかもしれないと、思い直した。

    Data とデータは、そして Information と情報は、もしかしたら Baseball と野球ほどに違うのかもしれない。そう考えれば、いろいろ納得ができる。

    そもそも日本には、曖昧さがある。言葉の定義にしても、ひとりひとりに別のものが有る。不思議といえば不思議だが、それが日本ということなのだろう。

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