秦郁彦

ヘーゲルは歴史を「異なるイデオロギーがくり広げる闘争の場」と定義したが、たしかに民主主義、マルクス主義、反ユダヤ、八紘一宇思想、イスラム原理主義のように強烈なイデオロギーの眼鏡を通すと、それぞれ違う歴史の風景が見えてくるはずだ。
実証主義を掲げるプロの歴史家も例外ではない。その結果、大東亜戦争を日本の「侵略戦争」と規定するプロの左派歴史家と、それを「自衛」ないし「聖戦」と見なすアマの右派歴史家が同じ土俵で対峙するのを、不毛なイデオロギー論争に割りこむのをためらい沈黙するか見守るだけの中間派という構図ができあがる。
**
仕掛人が歴史の分野に集中するのも、黒白がつきやすい自然科学分野の争点とちがい、解釈の余地が広く、極端な場合には通説を裏返した陰謀史観の叙述さえ可能だからであろう。

This entry was posted in perception. Bookmark the permalink.

2 Responses to 秦郁彦

  1. shinichi says:

    InbouShikan陰謀史観

    by 秦郁彦

    誰が史実を曲解し、歴史を歪めるのか? そのトリックは? 動機は? 明治維新から日露戦争、田中義一上奏文、張作霖爆殺、第二次世界大戦、東京裁判や占領政策、9・11テロまで、あらゆる場面で顔を出す「陰謀史観」を徹底検証。またナチス、コミンテルン、CIAの諜報や、ユダヤなどの秘密結社、フリーメーソンと日本の関係も解明する。日本史に潜む「からくり」の謎に、現代史研究の第一人者が迫る渾身の論考。


  2. shinichi says:

    (sk)

    ヘーゲルなどという江戸時代の哲学者の言ったことを持ち出し、明治時代の国家主義について論争をするのが、それほど大事なことなのだろうか。

    21世紀にこういった論争は無駄なだけ。そんなところにエネルギーを費やさなければならない社会は、悲しい。

    歴史の本質が自分たちの正当化にあるとすれば、この一見無駄に見える論争も、その裏にある作業も、歴史を仕事にする人たちにとっては重大事なのだろう。が、無駄は無駄だ。

    このグローバルな世界の中で、日本人だけで論争していても、なんのインパクトもないし、なにも変わらない。もう日本人だけで議論するのはやめて、アメリカや中国に行って、そこで議論したらどうなのか。そんな勇気のある人は、そもそもこんな論争に加わっていたりはしないだろうけれど。

Leave a Reply

Your email address will not be published.