紫式部, 土佐光吉, 千野香織

「朧月夜に似るものぞなき」と、うち誦じて、こなたざまには来るものか。いとうれしくて、ふと袖をとらへ給ふ。女、「あな、むくつけ。こは誰そ」とのたまへど、「何かうとましき」とて、

深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろげならぬ契りとぞ思ふ

hananoen


以上のように見てくると、「花宴」を表す一枚のこの絵は、複数の時点、複数の場面からモチーフを寄せ集め、それらをバランスよく一つの構図のうちにまとめて、創り上げられたものだということがわかるであろう。この絵は、確かに一見すると、二人が恋に落ちる直前の瞬間をあざやかに切り取ってみせたかのような印象を与える。しかし、そのように見えてしまうのは、絵師の創意工夫がまさしく成功しているためであって、一つ一つのモチーフの意味を詳しく検討していくと、この小さな画面のなかに、時間の相が複雑に入り組んでいることが理解されるのである。

2 thoughts on “紫式部, 土佐光吉, 千野香織

  1. shinichi Post author

    源氏物語 花宴

    by 紫式部

    **

    源氏物語画帖

    花宴

    by 土佐光吉

    京都国立博物館蔵

    **

    日本の絵を読む ― 単一固定視点をめぐって

    by 千野香織

    Reply
  2. shinichi Post author

    (sk)

    「二人が恋に落ちる直前の瞬間」にはあるはずのない扇。外に咲く桜。

    現代人が写真を撮るかのように、瞬間を切り取るのが絵の役割だと思ってはいけない。

    物語の全部を、一枚の絵のなかに描き込む。それが一流の絵師の仕事だったのだ。

    映画の全編を一枚の絵で表わすという不可能な作業。それをやってのける絵師たちがいた。

    そう思ってもう一度この絵を見ると、前に見たのとはまったくと言っていいほど違って見える。

    時間の観念は、きっと、びっくりするほど違ったのだろう。

    Reply

Leave a Reply to shinichi Cancel reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *