朴裕河

なにものかを名指しして責任を問うことはたやすい。しかし、「なぜ」を問わない責任の追及は、時間と空間と主体を変えた反復をまぬがれないだろう。その意味では、責任の主体をはっきりさせることに劣らず、ことがらの複雑性と重層性をみること、「なぜ」を問うことこそ重要である。
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事実を知ることが、加害者イメージを薄めるためであるか、あるいは反対にことさら被害を強調し憎悪を育てるためだというなら、知ることの意味はない。「事実」認識は倫理的判断とは独立におこなわれなければならない。過去の「事実」を知ることは、あくまでも過ちの反復を防ぐためのものでなければならないが、そのような自覚を欠いた「事実」の究明は、また別の暴力を招くのに力を貸すのみである。
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いまは自慢すべきことのように思われ、「誇り」のための資料として記される事項であっても、視点を変えれば反対の解釈が可能になる場合はいくらでもある。戦争の勝利について書くとしたら、その勝利が他者への差別と支配を前提とするものであり、暴力によって女性らを辱めるものであり、なによりも男性自身の身体を「公」の優先という名目で毀損することであったという事実が、まず書かれなければならない。

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2 Responses to 朴裕河

  1. shinichi says:

    和解のために

    教科書・慰安婦・靖国・独島

    by 朴 裕河(パク ユハ)

    translated by 佐藤 久

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