ひろさちや

“般若”という言葉は、「知恵」という意味の仏教語です。サンスクリット語の俗語形(ブラ—クリット語)の「パンニャ—」を音訳して、こんな漢字を宛てたといいます。では、なぜ知恵という言葉を使わずに、般若というのでしようか・・・・・・?
それは、わたしたち凡夫の知恵が、あまりにも自分本位だからです。自分の利益ばかりを考えて、相手のことを思い遣るゆとりがありません。ときには、相手をだますために、悪知恵を働かすことさえします。それが、いわゆる「知恵」というものなのです。
けれども、仏教が求めている知恵は、それとは違っています。仏教では、「俺が・・・・・・」「わたしが・・・・・・」といった気持ちをなくすことが大事なのです。そんな自分勝手な気持ちがなくなったとき、はじめてわたしたちは他人の立場がよくわかり、同情することもできるのです。また、そのときはじめてわたしたちは、物事を正しく、公平に見ることができます。
仏教が求めている知恵は、そのような正しい真理を知ることのできる知恵であります。だから、凡夫の「知恵」と区別して、それをわざわざ「般若」という言葉で呼んだのでしよう。
なお、般若というと、角を生やした鬼女の能面、「般若の面」を思い浮かべる人も多いと思います。女性の激しい嫉妬や怒り、そして悲しみ表現した能面です。室町時代に活躍した面打ちである般若坊が、この能面を創作したことから名がついたといわれていますが、詳しいことはわからないそうです。

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