茨木のり子

車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない
   そんなに情報集めてどうするの
   そんなに急いで何をするの
   頭はからっぽのまま
すぐに古びるがらくたは
我が山門に入るを許さず
    (山門だって 木戸しかないのに)
はたから見れば嘲笑の時代おくれ
けれど進んで選び取った時代おくれ
         もっともっと遅れたい
電話ひとつだって
おそるべき文明の利器で
ありがたがっているうちに
盗聴も自由とか
便利なものはたいてい不快な副作用をともなう
川のまんなかに小舟を浮かべ
江戸時代のように密談しなければならない日がくるのかも
旧式の黒いダイヤルを
ゆっくり廻していると
相手は出ない
むなしく呼び出し音の鳴るあいだ
ふっと
行ったこともない
シッキムやブータンの子らの
襟足の匂いが風に乗って漂ってくる
どてらのような民族衣装
陽なたくさい枯草の匂い
何が起ころうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとうに生きているひとびとよ

6 thoughts on “茨木のり子

  1. shinichi Post author

    わたしが一番きれいだったとき 

    by 茨木のり子

    **

    わたしが一番きれいだったとき
    街々はがらがら崩れていって
    とんでもないところから
    青空なんかが見えたりした

    わたしが一番きれいだったとき
    まわりの人達がたくさん死んだ
    工場で 海で 名もない島で
    わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

    わたしが一番きれいだったとき
    だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
    男たちは挙手の礼しか知らなくて
    きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしの頭はからっぽで
    わたしの心はかたくなで
    手足ばかりが栗色に光った

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしの国は戦争で負けた
    そんな馬鹿なことってあるものか
    ブラウスの腕をまくり
    卑屈な町をのし歩いた

    わたしが一番きれいだったとき
    ラジオからはジャズが溢れた
    禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
    わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしはとてもふしあわせ
    わたしはとてもとんちんかん
    わたしはめっぽうさびしかった

    だから決めた できれば長生きすることに
    年とってから凄く美しい絵を描いた
    フランスのルオー爺さんのように
                  ね

    Reply
  2. shinichi Post author

    倚りかからず

    by 茨木のり子

    **

    もはや
    できあいの思想には倚りかかりたくない
    もはや
    できあいの宗教には倚りかかりたくない
    もはや
    できあいの学問には倚りかかりたくない
    もはや
    いかなる権威にも倚りかかりたくはない
    ながく生きて
    心底学んだのはそれぐらい
    じぶんの耳目
    じぶんの二本足のみで立っていて
    なに不都合のことやある
    倚りかかるとすれば
    それは
    椅子の背もたれだけ

    Reply
  3. shinichi Post author

    自分の感受性くらい

    by 茨木のり子

    **

    ぱさぱさに乾いてゆく心を
    ひとのせいにはするな
    みずから水やりを怠っておいて

    気難しくなってきたのを
    友人のせいにはするな
    しなやかさを失ったのはどちらなのか

    苛立つのを
    近親のせいにはするな
    なにもかも下手だったのはわたくし

    初心消えかかるのを
    暮しのせいにはするな
    そもそもが ひよわな志にすぎなかった

    駄目なことの一切を
    時代のせいにはするな
    わずかに光る尊厳の放棄

    自分の感受性くらい
    自分で守れ
    ばかものよ

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  4. shinichi Post author

    汲む

    by 茨木のり子

    **

             ――Y・Yに――

    大人になるというのは
    すれっからしになるということだと
    思い込んでいた少女の頃
    立居振舞の美しい
    発音の正確な
    素敵な女の人と会いました
    そのひとは私の背のびを見すかしたように
    なにげない話に言いました

    初々しさが大切なの
    人に対しても世の中に対しても
    人を人とも思わなくなったとき
    堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
    隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

    私はどきんとし
    そして深く悟りました

    大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
    ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
    失語症 なめらかでないしぐさ
    子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
    頼りない生牡蠣のような感受性
    それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
    年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
    外にむかってひらかれるのこそ難しい
    あらゆる仕事
    すべてのいい仕事の核には
    震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・・・
    わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
    たちかえり
    今もときどきその意味を
    ひっそり汲むことがあるのです

    Reply
  5. shinichi Post author

    十二月のうた

    by 茨木のり子

    **

    熊はもう眠りました
    栗鼠(リス)もうつらうつら
    土も樹木も
    大きな休息に入りました

    ふっと
    思い出したように
    声のない 子守唄
    それは粉雪 ぼたん雪

    師も走る
    などと言って
    人間だけが息つくひまなく
    動きまわり

    忙しさとひきかえに
    大切なものを
    ぽとぽとと 落としてゆきます

    Reply

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