孔子

民可使由之,不可使知之。

非禮勿視,非禮勿聽,非禮勿言,非禮勿動。

為政以徳。

One thought on “孔子

  1. shinichi Post author

    (sk)

    日本だけではなく東アジア全般に、「民可使由之、不可使知之」というような儒教の影響が色濃く残っていて、事実を知らせるよりも信じさせたほうがいいと思っている指導者は数多い。政治家や官僚が、「国民は自己中心的で、目先のことにしか興味を示さないから、情報の本当の意味を理解させることは不可能だ」とか、「考えさせても無駄だから、信じさせればいい」などと考えているようなところには、情報ビジネスの出る幕はない。そういったメンタリティーは幸か不幸か、東アジア全体に浸透していて、それが変わる兆しはない。

    アメリカや西欧で情報ビジネスが成熟していて、東アジアでは未熟なのを見ると、このメンタリティーが果たす役割を考えないわけにはいかない。「為政以徳」という考え方と、民主主義の考え方とが、共存するわけはない。共存すれば矛盾が出てくる。

    民主主義を善と捉えて肯定し、「為政以徳」を馬鹿げたこととして否定するには、東アジアの三千年以上に亘る考えの積み上げは、あまりにも重すぎる。IT (Information Technology) ビジネスとデータ・ビジネスだけが発展し、情報ビジネスや知識ビジネスが発展しないのは、ある意味、必然的なことなのかもしれない。

    中国でも、韓国でも、日本でも、ビジネスのための情報は街に溢れかえっている。ビジネス情報が溢れ出し、情報ビジネスが発展しないというのは、なんとも皮肉なことだ。そこにあるのは、カネのことばかり。「経済効果は」などと、馬鹿げたことを言う。「為政以徳」というのは建前で、実態は「為政以金」なのだが、それでもその建前が、情報ビジネスの発展を阻む。

    日本が先の大戦に敗れた原因として、情報 (information) と兵站 (logistics) の軽視を挙げる人が多いが、中国が来るべき大戦に敗れると予測する人たちがその原因として挙げるのが、同じく情報と兵站の軽視なのは、なんとも興味深い。

    キリスト教やユダヤ教の社会での情報の位置づけと、東アジアでの情報の位置づけは、大きく異なる。メンタリティーを変えない限り、グローバル社会で生き残っていくのは難しい。情報をもっと重要なこととするには、変えなくてはならないことが、あまりにも多すぎる。

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