pancho_de_ohsei

現代の我々は、主に認識によって得られた成果を知識(knowledge)と呼んでいる。だが、奈良・平安の昔は、知識を別の意味で用いていた。仏教を信仰し、財物や労力の寄進して寺や仏像を造ることに協力した仏教信者のことを知識と言った。そして、これらの知識によって建立された寺を知識寺または智識寺と呼んだ。
我々は、1300年の昔、大和川の流れに近い生駒山の西麓に古代寺院「智識寺」が存在したことを知っている。7世紀後半に茨田宿禰を中心とした知識によって創建されたと伝えられ、塑像の盧舎那仏を本尊として祀っていたいう。天平12年(740)2月、聖武天皇は難波宮への行幸の途中で、智識寺に祀られていた巨大な盧舎那仏を礼拝した。そのとき、盧舎那仏の立派さに感動し、また寺を支える人々に魅了されて、自分もいつかはこのような仏像を造ることを思い立った。「世の中の富は私の物であり、世の中の勢いも私の物である。この富と勢いを持って尊い仏像を造りたい。世の人々は私の知識(自発的な協力者)として、一枝の草や一掴みの土を持ち寄ってでも造立に力を貸して欲しい」と言い、大仏建立を決めた。

2 thoughts on “pancho_de_ohsei

  1. shinichi Post author

    智識寺

    千曲市観光協会

    http://chikuma-kanko.com/modules/knavi/?cid=&lid=28

    身の丈3メートルの十一面観音像は、全国に数体しかない一木作りのひとつ。聖武天皇の時代の行基の作と伝えられており、カヤぶきの大御堂とともに国の重要文化財となっています。いろとりどりの葉隠れに見える秋の大御堂は、時を超えた情緒を感じさせる素晴らしさです。
    アジサイ寺としてアジサイでも有名ですが、最近は紅葉でも有名に。

    千曲市 大字上山田 1197
    清源山花蔵院 智識寺

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