片平幸

1920年代に入ると、日本国内で影響力を持つ位置にある研究者や専門家たちが、西欧諸国における日本庭園への関心の高まりや理解を意識し始めるようになっていく。「わび」「さび」「幽玄」が実際に論じられ、日本と外部との境界線とともに「日本らしさ」がより具体的に論じられるようになるには、1930年代を待たなければいけないのだが、1920年代半ばとは、そうした議論がわき起こる土壌が整った時期ともいえる。
**
1930年代とは、現存する京都の諸庭園を上限する概念として「幽玄」が成立していった時期といえるが、それはまた「枯山水」という語が定着し始めたといわれるじきとも重なっている。
**
江戸時代の庭園に対する評価の形成と「幽玄」をめぐる日本庭園の独自性の模索、あるいは芸術性の規定が同時多発的に高揚をみせる1930年代の庭をめぐる言説には、現在にも通ずる日本庭園に固有とされる呼称の生成や定着のプロセスを知る手がかりが示されているといってもいいだろう。

One thought on “片平幸

  1. shinichi Post author

    わび・さび・幽玄―「日本的なるもの」への道程

    第8章

    庭園をめぐる「わび」「さび」「幽玄」

    1930年代における「幽玄」を中心に

    by 片平幸

    Reply

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *