藤原和彦

私が最近憤慨した表記が「統一と聖戦」です。日本の多くのマスメディアが、イラクでテロの猛威を振るうイスラム・テロ組織「タウヒード・ワ・ジハード」にあてた邦訳です。この組織は、ヨルダン人アブムスアブ・ザルカウィが率いる「イラクの聖戦アルカーイダ機構」の前身ですが、「統一と聖戦」という訳は甚だしい誤訳です。「タウヒード・ワ・ジハード」の正しい訳は「神の唯一性と聖戦」です。「神の唯一性」を「統一」と間違えたわけです。この誤訳は何に由来するのでしょうか。
「タウヒード・ワ・ジハード」のタウヒードについて、英米通信社は通常ユニティー(unity)と英訳しています。ユニティーを英和辞典で引けば、まず「統一」の訳語が目につきます。そこで、日本マスメディアの記者や編集者は、「統一と聖戦――イスラム過激派が統一して聖戦を行うという意味だな。これでいこう」となったのではないでしょうか。私の記者時代とデスク時代の経験に基づく推測です。実は、米英通信社がユニティーという英訳に持たせた意味は「統一」ではありません。「唯一性」、つまりトリニティー(trinity)(神の三位一体)に対する「神の唯一性」という意味を持たせたのです。
タウヒード・ワ・ジハードの誤訳の根は、米英通信社電に依存している日本マスメディアの現状にあると言ってよいでしょう。

2 thoughts on “藤原和彦

  1. shinichi Post author

    イスラム過激原理主義――なぜテロに走るのか

    by 藤原和彦

    2001年10月25日

    イスラム過激派が話題になるのは戦争やテロの際に限られているため、彼らは無謀な狂信者集団だと思われている。しかし現実には、彼らは独自の革命思想のもとに組織化され、各々の論理と目的のため冷静に手段を選択している。スポンサーとなっている国家さえある。敬虔な若者たちが、暴力的な原理主義運動に身を投じるのはなぜか。その誕生から世界を震撼させる現在まで、イスラム原理主義の思想と歴史を解明する。

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    現代のイスラム原理主義は、イギリスの支配からの脱却を目指す民族運動が高まった1928年、エジプト・イスマイリヤの中学教師ハサン・アル・バンナーが結成した『ムスリム同胞団』に遡る。同胞団は、『イスラムこそが解決の道』をスローガンに西欧文明に対するイスラム社会の徹底を旨とするがテロは否定。非合法ながら現在でも実質的にはエジプト最大の勢力といわれる。49年のバンナー暗殺後に頭角を現した南部アシュート生まれの思想家サイイド・クトゥブがエジプトの原理主義に戦闘性を与えた。70年代半ばからクトゥブの影響を受け、同胞団の穏健路線に反発して組織作りを始めたのが『イスラム集団』『ジハード団』だ。クトゥブの革命思想は現代過激原理主義運動の中核思想として、社会の矛盾に敏感な、敬虔なイスラム教徒の若者たちを魅了した。エジプトばかりではない。『アメリカ中枢同時多発テロ』の首謀者とされるサウジアラビア生まれのビンラーディンも、生前のクトゥブを垣間見たことすらなかったであろうにもかかわらず、『二人の師』の1人として彼の名前を挙げている

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    ジャーヒリーヤ論とは次のような理論である。クトゥブはまず、真正なイスラム社会を「教義、儀礼、法において純粋にウブーディーヤ(唯一神アッラーのみへの隷従)の状態にある社会」と定義し、それ以外をジャーヒリーヤ社会として、共産主義社会や異教社会、ユダヤとキリスト教社会、自らはイスラム教社会を名乗る世俗的な堕落した社会等がここに含まれるとした。そして、ナセル政権を主な対象とするこれらジャーヒリーヤ社会の変革が必要だと主張し、そのために武装的ジハードを行うことを提唱した。
    それまで、精神面における鍛錬を意味することが多かった「ジハード」が、クトゥブによって武装闘争の側面を強調する形で歴史的に再定義されたということである。

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