9 thoughts on “川口和秀

  1. shinichi Post author

    ヤクザと憲法

    by 東海テレビ放送

    http://www.893-kenpou.com/

    監督 圡方宏史
    撮影 中根芳樹
    音響効果 久保田吉根

    プロデューサー 阿武野勝彦

    編集 山本哲二
    音楽 村井秀清
    音楽プロデューサー 岡田こずえ

    東組二代目清勇会会長 川口和秀

    Reply
  2. shinichi Post author

    指定暴力団に完全密着したドキュメンタリー

    『ヤクザと憲法』の衝撃 vol.1

    Interview & Text by 浅原裕久

    http://jp.vice.com/lifestyle/yakuza-constitution-1/1

    東海テレビの取材班が大阪の二代目東組二代目清勇会に密着。40分テープ500本におよぶ映像素材から72分に編集されたドキュメンタリー『ヤクザと憲法』が、2015年3月30日夜に放映された。そこに描かれていたのは、生活者としてのヤクザたちのあまりにリアルな日常だった。

    中京エリアのローカル放送ながら、さまざまな手段を使って視聴した人々の評判が全国規模に拡大、噂が噂を呼び劇場公開が待望されていた。

    今回、96分に再編集した劇場公開版の上映に先立ち、プロデューサーの阿武野勝彦氏にインタビュー。企画の立ち上げから公開に至るまでの秘話を語るその言葉には、これまで数多くの問題作を世に送り出してきた制作者としての矜持がにじんでいる。

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    テレビ・ドキュメンタリーのプロデューサーとはどういう仕事ですか?

    社内での交渉もすれば、外でトラブルが発生したら当事者とも話し合います。番組を上手に産むための助産師のような存在と考えてもらうとわかりやすいかもしれません。20代後半からドキュメンタリーをつくってきました。当時、僕はディレクターでしたが、プロデューサーはいませんでした。予算はつけるけど、あとは勝手にやってくれという状態で、誰も何もしてくれません。ドキュメンタリーの作法を教えてくれる人もいなかった。そのくせ何か問題が起こるとディレクターのせいにされるという嫌なムードでした。そんななかで何作かつくるうちに、誰か柱のような人がいてくれたらと思うようになりました。こういう取材をしたほうがいいとサジェスチョンしてくれたり、題材に合ったスタッフを提案し交渉してくれたり──そんな人が社内にいてくれたら取材に身が入るだろうなぁと。そんな思いが自分にとってのプロデューサー像となり、ここ10年ぐらいそんな気持ちでやっています。

    『ヤクザと憲法』の企画はどのように始まりましたか?

    僕はディレクターが企画をあげてきたら「いいね!」と言うことにしているんですが、でもこの企画だけは嫌だなと思いました。圡方(宏史)が僕の席の横に立って、なぜヤクザの番組をやりたいかをいきなり大声で語りはじめたんです。「報道局で“ヤクザ”なんて大きな声で言わないでよ」と注意すると声を小さくするんですが、すぐにまた大きな声になってワーワー言う。仕方がないから「じゃあ調べてみたら?」と言いました。次の日から圡方はヤクザのことを物凄い勢いで調べだし、僕はどうしたらやめさせられるかを考えました。「殺されるよ」とか「嫌がらせを受けて、とんでもないことになるよ」とか言ってくれそうな人たちのところへ圡方を連れていくことにしました。ところが番組の主旨を説明すると、「ぜひ見たいねぇ」とか言われちゃって……。それどころかヤクザを紹介しようと言う人まで現れて、内心やめさせようとしていた企画がどんどん転がりはじめ、気がついたらやることになってしまった。それで圡方と一緒にヤクザの事務所に行って、取材の交渉をしました。2014年8月21日に圡方たちが取材に入ってからは、ずっと放置です。アドバイスをしたとすれば、弁護士も取材しろと言ったことぐらいです。「ヤクザだけだとツッキレないよ」と言いました。放送に至るまで突破できないと思ったんです。ところが圡方は「ハイ!」って返事はいいけど、ずっと弁護士の取材していませんでしたね。

    弁護士の取材に動いていないんですか?

    目を見てりゃわかります。スタッフの様子を観察するのもプロデューサーの仕事のうちですから。「お前、弁護士の取材できているのか」と聞くと「ハイ!」っていつもの返事をするので、「してねぇな、お前。ダメだよ。しろよ」と念を押してやらせましたが。

    今回の劇場公開版(96分)をつくるとき、ヤクザだけで構築しようとして、弁護士の山之内幸夫さんが出てこないバージョンも編集してみましたけど、これがなんだかよくわからないものでした。ヤクザだけだと社会とのつなぎ目が見えないんです。山之内さんは、いわばヤクザの栄枯盛衰なんですね。それみたことか、と思いましたね。そのときやっと圡方やスタッフは僕のことを、「あぁ、やっぱりプロデューサーなんだな」と思ったんじゃないかな。

    阿武野さんは、うまくいっているときは存在感が薄いんでしょうか。

    まったくないかもしれないですね。そういう意味では凄く消極的なプロデューサーなんです。ディレクターたちが取材で摑みとってきたものを世の中に出すべきだと感じたときに、ぽっと出すだけ。強い正義感や激しい使命感で仕事をしているわけではないんです。ただ、みんなが生きやすい気持ちになったり、もっと寛容にものが見えるようになったり、そんなところに番組が繋がっていったらいいなぁとは思いますね。息苦しい世の中になっているような気がしますから。

    社内で企画を通すときは苦労しましたか?

    苦労はまったくなかったです。企画書はあとから書く、そして何回でも書き直す──というやり方でいつもやっています。取材対象となるヤクザが見つかる前から、やりたいことを僕が報道局内でささやいてまわるんですよ。そうすると圡方が動きやすくなりますから。その後、取材対象を決め込んだ段階でカメラ、音声、編集などのスタッフを固定します。ニュースの夜勤デスクの仕事とかはあるんですけど、ほかのルーティーンからはディレクターを外してくれますから。局全体の協力が得られるので自由度が増すんですね。ほかのスタッフについても同様です。そのころはまだタイトルが決まっていませんから、「893プロジェクト」と呼んでいました。あんまり社内でヤクザ、ヤクザって言うのも物騒なんで。予算を決めなきゃならないころに編成局や役員会に企画を通しますが、そのときのタイトルは「ヤクザと人権」だったと思います。考えようによってはおっかないタイトルですが、問題ありませんでした。ずいぶん懐の深い会社になったねぇと思いました。

    そんなに懐の深い会社になったのは最近のことですか?

    光市母子殺害事件の番組、セシウムさん事件、東海テレビはそのふたつの大きなヤマを経験しました。世間から多くの批判を受け、個人的にも経営トップともずいぶんやりあいました。でも、いま社内で報道局はとても信用されていると思います。困難を乗り越えるとやりやすくなることもあるんですよ。ただ、放送の直前になって、暴力団に人権はないんじゃないか? 暴力団を擁護していると批判されたらどうする? これまで積みあげた東海テレビのドキュメンタリーを台無しにしていいのか? という意見が報道局のなかから出ました。それで最後の最後まで話し合ったんです。

    タイトルを「ヤクザと人権」から「ヤクザと憲法」に変更したのはどうしてですか?

    放送日は2015年3月30日なんですが、その10日ぐらい前にタイトルが決まりました。集団的自衛権の憲法解釈をめぐって意見が戦わされている折でしたので、憲法についてのイメージもあって、「ヤクザと憲法」に決めました。あらためて憲法を考えるとき、集団的自衛権と9条という直球ではなく、ヤクザと14条という変化球で行く。そういう提示の仕方は、なかなか粋じゃないのって思うんですけど……。

    ただ、ヤクザとはなんなのか? いまどういう状況にあるのか? ということをまず見せたかった。ある意味、社会の秘境ですよね。チョモランマみたいなもので秘境を撮りに行って、そこから眺めた下界がどういうものかを見せられたらいいと思うんです。さりげなく人権問題も入れ込んで。それで見てくれた人が、ヤクザも人間で、生きていかなきゃならないんだよなぁと思ってくれるかどうか。

    企画の段階から完成形のイメージはありましたか?

    まったくないです。憲法14条を出すのだって放送の10日前に浮かんできたわけですから。それ以前の問題として、弁護士をちゃんと取材していないんじゃないかという心配もありましたし、主人公は誰なのか、どういう群像劇なのかさえ、まるでわからなかった。というのも、3時間ぐらいの長さに編集した第1稿があがるまで僕はスタッフを放置しているので。たまに圡方が取材先から電話してくると、「あっ、生きてるね。大丈夫?」「大丈夫で〜す」みたいな感じです。

    ヤクザを取材に行っているのに、密に連絡をとりあうわけではないんですか?

    全然そんなことはないですねぇ。

    やきもきしないですか?

    しないですね。冷淡なんで(笑)。

    第1校があがるのはどのくらいの時期ですか。

    ほぼ撮り終えたところで編集に入るので、3月30日の放送だったら、2月の終わりぐらいには、ディレクターと編集マンのふたりで第1稿をあげてきます。撮影した40分テープは500本ほどありましたが、編集マンはテープに録られたすべてのコメントを文字に起こします。今回の編集マンは『死刑弁護人』もやってくれた山本哲二君ですが、素材に食らいついて、映像のなかに撮れている世界はスタッフの誰よりも知っています。仕事がハードすぎて飛蚊症になってしまうぐらい、映像にこだわります。編集室はディレクターとの勝負の場所です。「お前が言うてることは映像化できん」とか言って、しょっちゅう喧嘩している。最後には焼肉食べて、マッコリをしこたま呑んで、意見を闘わせて、「明日から頑張ろう」ってなるんですけど。そういうスタッフです。

    取材の際、二代目東組二代目清勇会の川口和秀会長に提示された3つの取り決めについてお聞きします。1つ、取材謝礼金は支払わない。2つ、取材テープ等を事前に見せない。3つ、モザイクは原則かけない。

    取材の謝礼金を支払わないというのは、『ヤクザと憲法』に限らずどの作品でもそうです。払ってもいいんですが、その場合は取材対象者ではなく出演者になりますから、「こうやって動いてね」と演出できちゃうわけですよね。もしドキュメンタリーで謝礼金を払った場合は、謝礼金を払った事実を作品に明示すべきだと思います。ただ今回の場合は、ヤクザは暴排条例で出演させてはならないことになっている。ですから、あくまで取材対象者であって出演者でないので、謝礼金は支払わない。そういうことです。

    取材テープを事前に見せないというのは、ほかの作品でもそうです。

    モザイクはかけないのは、ヤクザとは何者なのかを伝えたくて、そのためには、どういう顔つきなのか、どんな眼をしているのか、というディテールが凄く大事だと思っているからです。

    これらは、ほぼ通常の取材でも同じことですが、いつもは取材対象にわざわざ言ったりしません。今回はこういう内容ですから、あらかじめ明示しました。

    それに対して川口会長の反応はどうでしたか?

    「なんでも自由にしてもらっていい」ということでした。当初は、取材は事務所のなかだけだったと思いますが、川口会長は「これも取材してみたらどうや?」「祭行く?」「本家に行く?」「本家の葬式も来たらどうや?」と言って、取材の範囲を広げてくれました。足掛け23年懲役に行っていた方です。こういう腹の据わった人になるんだなぁと感慨深かったですね。男気を感じました。大野若頭も、わかりあえることとわかりあえないことはありますけど、大した男だなと思いました。

    ほかの組員の人たちもチャーミングでした。

    チャーミングですよね。組員の河野さんは典型的なヤクザに見えますけど、出会う人がひとり違っていたらヤクザになってなかったかもしれない。「(困ったときに)誰も助けてくれないじゃないですか。誰か助けてくれます?」と河野さんは言いました。河野さんはそうだったかもしれないけど、僕にはたまたま助けてくれる人がいた。河野さんは誰も助けてくれなくて自暴自棄になったと話されますけど、僕も自分がヤクザに落ちることもなかったとは言いきれないなと思いました。ちょっとしたことで人生は変わっていくものです。誰だって安全圏にいるとはかぎらないですよね。

    ヤクザのことを近所のおじさんのように感じました。

    川口会長は言いました。「ヤクザ認めんて言うことやろ、暴力団や言うて。本当に認めんねやったら全部なくしたらええ。選挙権もみんな剥奪したらええ。まともな仕事までしたらあかんちゅうねん。生業も持つなて言うてんねん。(ヤクザをやめたら)どこで受け入れてくれる?」と。足を洗っても受け皿のないまま暴排条例の規制対象となる3年から5年のあいだ、どうやって生きていくのか。どうにもならない現実がある。ヤクザをなくしていくためのプロセスは間違ったんじゃないかなと思います。人づてに聞いたんですが、民事介入暴力担当の弁護士さんたちが集まる飲み会があって、放送直後だったこともあり、『ヤクザと憲法』が話題の中心だったそうです。これまで暴力団を追いつめてきたけど、やり方が違ったかもしれないという意見もあったと聞きました。そういう見方をしてくれたんだと、少し嬉しくなりました。けっしてヤクザを肯定するためにつくった番組ではないんですが。

    でも、なくしてしまえと考えていないのはあきらかじゃないですか。

    ヤクザがいない社会のほうがいいけど、現実にはいる。いなくする方法は、もう少し知恵を出さないといけないんじゃないの? というスタンスです。どういう時代でもドロップアウトする人間はいるので、 それこそ“半グレ”になって地下に潜らせるよりも、きちんと社会に収容していく方法を編み出さないといけない。一方的にこの人たちを叩くというやり方だと、社会は上手にまわっていかないんじゃないかという気がします。いまのままでいいとは思っていません。

    暴排条例のこともありますし、今回はとくに取材対象者との距離感のとり方が難しかったんじゃないかと思うんですが。

    ケースバイケースでしょうね。やっぱりヤクザとテレビ局員は、お店でご飯を食べたら割り勘です。何かをあげたり貰ったりすることもできません。暴排条例上、利益供与に該当するとそれだけで捕まる可能性があるからです。祝い事があったからとヤクザが一升瓶のお酒を用意して、「みんな持って帰ってくれ」と言ったとしても、「ありがとうございます」と言いながらわざと忘れてきます。申し訳ないけど、気持ちだけいただいて物は貰ってこない。暴排条例は、一般人が罰則を食らう法なんです。反社会的勢力に寄与するようなことをした場合には、公表及び罰則を与えることになっている。だから、そう簡単には交流できない。仲良く酒を酌み交わしてワイワイやりたいようなことがあっても、それは叶わないことなんです。彼らは「なんでもっと腹を割ってくれへんねん」と寂しがっている。「冷たいでぇ」と。喫茶店ぐらいは一緒に行ってもいいんですが、誘われたときたまたま用事があって断ると、彼らは、「暴排条例があるからやな」と思うようです。心の齟齬が生じてしまうんですね。

    テレビ放映版と比べて劇場公開版は二代目清勇会舎弟の大石さんと部屋住みの子の関係が強調されている気がしました。例えば、大晦日の夜のシーン。

    あれはテレビで放送したのには入ってないですね。大石さんが若い部屋住みの子に接しているのを見ていて、ヤクザはこういう疑似家族みたいなものを必要とする人たちなんだと実感しました。大石さんが部屋住みの子に、「お前がしっかりならんかったらな、面白ないんや」と言います。あのたった一言で、不思議とあったまるというか。あの部屋住みの子は、これまでヤンチャをやってきた河野さんのようなヤクザらしいヤクザとはあきらかに違うタイプですよね。この子はヤクザを続けていけるのかなと観ている誰もが思うでしょう。一般社会からのこぼれ方が以前より多様になってきています。こういう人たちがヤクザの世界に受け入れられて、身を寄せあって生活をしている。悪いことをしたら徹底して取り締まるべきだと思うんです。だけども、そうじゃない者まで、根絶やしにするようなやり方をしていると、あんまり住みよい社会にはならないかもしれないって感じますよね。大石さんと部屋住みの子の話は、テレビ用に72分に収めようとしたときにはカットしましたが、映画館で観てもらう96分のバージョンに入れると、ひとつのテーマを持って立ちあがってくると思いました。

    ふたりのシーンも含め、試写室で何度も笑いが起こっていました。

    やっぱりユーモアは必要です。昔、RKB毎日放送に木村栄文さんという方がいらっしゃいました。栄文さんはディレクターとして、水俣病から炭鉱の問題、日韓関係、日米戦争、知的障害のある自分の娘さんとか、いろんなドキュメンタリーを撮られていました。作家の吉岡忍さんが、晩年の栄文さんをご自宅に訪ねられたとき、「あなたが撮っていたもの、それはなんですか?」と質問されました。栄文さんはパーキンソン病で言葉があまり出なかったので、柔らかい筆ペンを使って「コメディ」と書かれたんですって。そのエピソードは僕の心に、すっと入ってきました。厳しかったり、冷たかったり、あたたかかったり、やさしかったり──人間のいろんな諸相を見せようっていうのがドキュメンタリーの仕事なんだろうと思います。『ヤクザと憲法』にも、そうした人間の諸相を感じてもらえると思います。

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  3. shinichi Post author

    指定暴力団に完全密着したドキュメンタリー

    『ヤクザと憲法』の衝撃 vol. 2

    Interview & Text by 浅原裕久

    http://jp.vice.com/lifestyle/yakuza-constitution-2

    先日、ある出版社から筆者(御取引先様)のもとに「暴力団等排除に関する誓約書」という紙が送られてきた。暴力団員、準構成員その他これらに準ずる者に該当しないこと、これらの者と密接な関わりを有していないことを表明し保証せよ、とのこと。ほかにもあるが、違反すると契約の全部または一部を解除するそうだ。親兄弟、親戚、友人などにヤクザがいたら、その会社とは仕事ができない。いつの間にか出版社が警察の手先のようなことを、さもそれが当然のように言う時代になってしまった。暴力団排除条例施行後のがんじがらめな現在を、ヤクザだけの問題とせず、自らのこととして考えるきっかけとしたい。

    『ヤクザと憲法』──。東海テレビの取材班が大阪の二代目東組二代目清勇会に密着。40分テープ500本におよぶ映像素材から72分に編集された本作は2015年3月30日夜に放映された。そこに描かれていたのは、生活者としてのヤクザたちのあまりにリアルな日常だった。

    今回、96分に再編集した劇場公開版の上映に先立ち、ディレクターの圡方宏史氏にインタビューした。

    圡方さんの肩書きは「報道局報道部記者」となっていますが、ドキュメンタリーをつくる部署にいるわけじゃないんですか?

    そういう部署はないんです。ふだんは記者の仕事をやっています。僕らの場合はドキュメンタリーを撮らなきゃならないのではなく、撮りたいものができたとき、プロデューサーの阿武野に「やりたいです」と企画をもち込みます。

    今回は取材対象がヤクザですが、「やりたいです」と言ったときの阿武野さんの反応はどうでしたか?

    スタッフに身体的な危害が加わる可能性がある取材をプロデューサーとしては容認するわけにはいかない。これはできないと一度は断られました。僕に諦めさせるためだったと阿武野があとで言っていましたが、いろんな人のところに連れていかれました。それで県警のOBや弁護士の先生から話を聞くうちに、少しずつ阿武野が変わっていって、気がついたら彼のほうが前のめりになっていました。まぁ、最初からそうなる予感はしていましたが。

    前作の『ホームレス理事長』とは阿武野さんの反応が違いましたか?

    『ホームレス理事長』のときは「相談をするな」と言われていました。現場で考えて、スタッフのなかで一番いいと思ったものを俺にぶつけてこいという考えです。しかし今回は、取材対象がいわゆる反社会的勢力ということもあり、最終的にこれが放送できるかどうかの一線が非常に微妙になってくるだろうと彼は予測していたようです。初期の段階で、「弁護士を取材してくれ」と言われました。「これはマストで入れろ」と。僕らは非常に苦しみました。「わかりました。弁護士は取材します」と言いつつ、阿武野に黙って山之内幸夫弁護士を取材しました。山口組の顧問弁護士ですね。

    阿武野さんは、圡方さんたちが山之内弁護士を取材していることを知らなかった?

    最初は伝えていません。引き返せなくなったタイミングで、なんとなくは伝えた気がしますけど……。弁護士をなんで取材するかというと、世間から見て黒い人たち(ヤクザ)のなかに白い人(弁護士)をひとり混ぜて放送しようという狙いがあったからです。ところが山之内さんはヤクザの弁護士ですから、黒い人たちのなかにもうひとり黒い人がいるように見えてしまう。取材しながらスタッフは山之内さんで大丈夫と確信していましたが、阿武野に対して、「約束は守ったじゃないですか」とは言えません。怒られるのかな〜と思いました。

    本作のなかの山之内さんには、ヤクザとともに衰退していく哀愁のようなものが漂っています。

    その通りです。それが今回の作品のなかで山之内さんに担っていただいた役割といえるでしょう。実際、ヤクザとの接点をもった人たちは、ヤクザと一緒に追いやられていく。ヤクザを取材している僕らも同じです。メディアも排除されつつある。世の中全体がそうなってきていますよね。そんな現状を山之内さんは表していると思います。

    山之内弁護士がカメラの前で著作や映画化作品、法律監修した作品について語るシーンはなんとも得意げで、かわいい人だなと思いましたが。

    なんだ、この人は!? と思いましたよ(笑)。僕らは常々、取材対象は愛すべき存在でなくてならないと考えています。少々間が抜けて見えてもいい、おっちょこちょいでもいい、どこか愛すべき存在であれば。この人、かわいいなぁと思えないと取材対象として成立しません。例えば、『ホームレス理事長』の山田理事長はそういう存在ですね。でも正直に言うと、山之内さんには最初それを感じなかった。もう、先生困りますよって思いながら取材に入った記憶があります。

    山之内法律事務所の事務員のおばちゃんは素敵な方ですね。ふたりのやりとりを見ているとあたたかい気持ちになります。

    そうなんです。山之内さんの人間性や愛すべき部分を表現する際、あの事務員さんの存在は欠かせませんでした。昔、山之内さんのご実家が魚屋さんだったことは『ヤクザと憲法』でも語られていますが、実はあの事務員さんはそこで女中さんとして働いていたんです。本筋から外れるので出しませんでしたが、魚屋さんがつぶれたとき、山之内さんが彼女を引きとったそうです。ふたりは50年ぐらいのつき合いで、家族みたいな関係なんです。ほかの事務員さんが辞めていっても彼女だけは残っている。山之内さんに対する話し方も事務員さんにしてはずいぶん親しげですよね。そんなところから山之内幸夫という人物像が見えてくる。山之内さんの人の良さも出ていると思います。

    山之内弁護士ご自身が語ったり、過去のニュース映像を使って彼の活動を説明するよりも、あのおばちゃんの存在のほうが山之内さんという人間を雄弁に語っている気がします。

    そこが山之内さんのラッキーなところなんです。あのおばちゃんがいなかったら、取材対象を別の弁護士さんに変えようとしたかもしれない。あのおばちゃんが山之内さんの人柄に気づかせてくれたんです。だから僕らもラッキーでした。

    撮影中の2015年1月、山之内弁護士は裁判で有罪になります。そのことを計算して撮影に臨んだのでしょうか。

    偶然です。東海テレビでは、「想像するな。想像することは起こらない」というのをドキュメンタリーのルールのひとつに定めています。これはドキュメンタリーの神様がいるという設定で。……というのは想像上の話ですけど(笑)。ドキュメンタリーの神様は想像したことは起こさない。だから目の前で起きていることを受けとめる。それを肝に銘じてやってきたつもりです。

    話はさかのぼりますが、ヤクザを撮ろうと思ったきっかけはなんですか?

    愛知県警の4課担当をやっていたときに警察関係者が言いました。「ヤクザはもう追い詰められて、絶滅寸前だよ」と。強い者の代表みたいに見ていたヤクザが、一番底辺にいる弱者なんじゃないかと思いました。いま、テレビのドキュメンタリーは思考停止になりつつあって、誰からもお墨付きの弱者しか扱いません。それはそれで、とんでもない差別だと思います。僕はまず、ヤクザが強者か弱者かを確かめに行ってみようと思いました。そういうモチベーションで始めた企画なんです。少々ひねくれてますけどね。

    取材中、スタッフは圡方さんを入れて何人ですか?

    3人。私とカメラマンと音声です。

    3人という人数は、受け入れる側にとっては多いですね。ヤクザの人たちが、カメラに慣れるまでに時間がかかりましたか?

    ヤクザの特徴のひとつだと思うんですが、カメラの前でさらけ出してくれるまで、まったく時間がかかりませんでした。ふつうは2カ月ぐらいかかるんです。人間関係ができるまで2カ月は無駄にまわせ(撮影しろ)と僕らは教わってきました。人というのはなかなか内面を吐露しないし、距離感を保とうとするものなんです。でもヤクザは違いました。ヤクザは、親分が黒と言ったものは黒、白と言ったらそれがカラスであっても白なんです。だから親分が客人と認めた瞬間に、距離感がグググッと近くなるんですね。

    取材者の3人は、みんな同じように取材対象に近くなりましたか?

    基本的には同じでした。僕はディレクターなので前に出て、視聴者の代表のつもりでアホな質問をたくさんします。みんなが知りたいようなことを。するとヤクザの人たちはだんだん怒りはじめるんです。「そんなの当たり前だろう」と。そうやって僕を怒ったあとでカメラマンに「こんなアホと一緒で大変だなぁ」と言ったりする。「お前なら話わかるやろ」と。そうやって僕がダメだと思われても、3人いるのでずいぶん助かりました。

    冒頭でいきなり圡方さんが言うところの“アホな質問”が出ますが、作品中の時系列は撮った順になっていますか?

    ほぼ順番通りだと思います。年長のほうの部屋住みの人に事務所を案内してもらったのが、取材に入って2、3日したころでした。阿武野から、「気持ちが新鮮なうちにわからないことは全部聞いたほうがいいよ」とアドバイスされていましたから早めに聞きました。

    「マシンガンとかでは?」「拳銃はないんですか?」「覚せい剤ですか?」とか質問していましたが、聞かれたヤクザが「そうですよ」と答えたらどうしたと思いますか?

    わからないです。その場でどうしたか、撮影したテープをどうするか、オンエアはどうするか、僕らがとるべき行動は何か──正直わかりません。ただ、ひとつ言えるのは、彼らはギリギリまでしか見せない。おそらく警察官とよく会話しているからだと思うのですが、尻尾を摑ませないということに非常に長けています。法的にアウトになることは何も撮っていません。たとえ全テープを警察に没収されたとしても、犯罪を立証できる証拠は出ません。映していないというより、映らなかったんです。

    ヤクザに怒られた話をひとつ聞かせてください。

    僕らは取材する側として暴排条例を凄く気にしていました。「たこ焼き買ってきたから、お前らも食え!」と言って、ヤクザがおごってくれようとしたことがあるんです。「半分食べろ」と。僕は神経質になっていましたから、たこ焼きを食べることが、どういう影響を及ぼすかわからなくて怖かったんです。暴排条例違反だと言われたらそんな気もするし、一線を越えちゃう恐怖がありました。それで「お金を払います」と言ったんですよ。「400円の半分だから200円払います」と。そしたら「お前らアホか、いい加減にしろ!」と怒られました。当たり前ですよね。同じ人間同士でおごってやるって言うのにカネを出すなんて失礼だって話で……。「俺がやったものが食えんのか」と怒って、しまいには「それは差別だ」と言う。きっと差別なんでしょう。だって同じ人間なのに極端なところしか見ていないわけですから。暴排条例というものの恐ろしさが身に沁みました。メディアに属している僕がそうなんですから、一般の人たちはもっと怖いだろうなと容易に想像できますね。

    生きていけないほどヤクザを追いつめるのは差別なんじゃないかと考えさせられる作品ですが、その取材者がヤクザから「差別だ」という言葉を突きつけられていた。

    たこ焼きの話には取材者も状況に入り込んでしまうことの恐ろしさがあります。『ホームレス理事長』で、カメラの前で取材対象にお金を貸してくれと食いさがられ、狼狽しているところを撮られたことがありますが、それに似ています。ヤクザが絶滅するかどうか、高みの見物をしていられるうちはよくても、自分たちが引きずり込まれそうになると急に腰が引けてしまう。面白いシーンになるかもしれませんが、今回のように相手がヤクザだと、取材行為自体が彼らの代弁=利益供与ととられる可能性もあります。「お前らは暴排条例に違反しているよ」と言われたら、少なくとも僕は「なるほど〜」と言っちゃいますね。暴排条例は法律ではなくて条例です。法律のような明確な物差しがなく、警察がダメと言ったらダメなんです。その恐ろしさは、暴対法よりももう一歩進んでいます。

    たこ焼きのことで怒られたとき、撮影してましたか。

    撮りました。使っちゃいけないわけでもなかったし、編集の段階でも使いたいと思ってましたが、最終的には残せませんでした。取材者が暴排条例にビビっているのを面白く描くことの優先順位が、さほど高くなかったんです。それよりも例えば、暴排条例が及ぼす直接的な影響、そして貧困や差別といった彼らの背景──そういうヤクザをやる人たちの多くに共通している何かを、まずは出したかったんです。

    大石さんと部屋住みの子の疑似親子関係がとても印象深く描かれていました。

    そうですね。部屋住みの子を描くことは、テレビ放映版では優先順位が高くなかったので落としましたが、今回はどうしてもやりたくて。劇場公開版をつくるにあたって、「部屋住みの子を入れたい。映画とテレビの違いはそこにしたい」と編集マンに伝えました。大晦日の晩に居場所のないふたりが、事務所でテレビを観ながら馬鹿話をしているという幸せ。彼らにとっての幸せと寂しさを描きたいと思ったんです。

    ヤクザ関係の本などを読むと“疑似家族”という言葉をよく目にするのでわかったつもりになっていましたが、あのシーンで実感しました。

    僕もてっきり肩書き程度に思ったんですよね。“部長”の代わりに“叔父貴”みたいな。ところが、もっともっと濃かった。なんらかの不幸な生い立ちや家庭環境を経験している人が多くて、帰属するものに飢えている。だから、互いに本当の家族のように思っている。その結びつきの強さに驚かされました。

    二代目東組二代目清勇会を取材することに決めたのはどうしてですか?

    コネクションから二代目清勇会たどり着きました。結果的によかったと思っています。古いタイプのヤクザですから。彼らの言葉でいうと“任侠”、僕らの言葉でいうと“ヤクザ”。とても人間関係を重んじています。疑似家族を母体として、経済活動は優先順位の下にある。そんな団体です。指定暴力団のなかでも希有な存在じゃないでしょうか。おそらく、大きな組織なればなるほど、もっと経済的な結びつきが強く、サラリーマン化しているでしょう。ヤクザ全体が絶滅危惧種のようなものですが、なかでも極めて減少している絶滅寸前種といえるかもしれません。

    映像として残してくれてよかったと思います。ドライな言い方ですが民俗学的にも。

    記録映画としての意味合いもあるかもしれません。もしかしたら50年後には存在しないかもしれない共同体ですから、彼らの日常を記録として残しておきたいという思いがありました。それこそ民俗学的、社会人類学的にも。ここには日本的な価値観や文化が凝縮されていると思います。家父長制で、曖昧を良しとする文化。あの部屋住みの子なんて、引き受けるメリットが組にはないのに、それでも置いておく。メリットがあるかどうかで判断しない。日本から失われようとしているある部分が、彼らのなかに色濃く残っています。まぁ、就活生に言わせれば、ブラック企業みたいなものですが。挨拶しなきゃいけないし、逆らえないし。

    給料もない。

    ブラック企業って何かというと、昔の日本なのかもしれないですね。

    ホワイトボードがあるのが会社みたいで面白かったです。磁石に名前が書いてある人たちはなんですか?

    責任者、その日の当番ですね。責任者が曜日ごとに決められていて、日曜日はいないので、6人です。担当する日に事務所に行って、何かあったら責任者として対応する。でも、いまは携帯電話があるんで、組事務所の役割は形骸化しているようです。

    取材を終えるタイミングはどうやって決めますか?

    タイミングはないんですよね。ある日終わるんです。

    作品のなかの川口和秀会長の言葉で思わず唸ったことがあるんです。

    なんだろう、ヒントをください。

    タイトルの「ヤクザと憲法」に関わることです。

    ああ、「人権を盾にとって──」と言うところですか。なるほど。

    あえて迷いがあるような聞き方をしているじゃないですか。

    あれは僕がビビってるんですよ。「ヤクザと人権って不思議な組み合わせのような……」とか言ってないで、しっかり質問しないといけないのに。いまでもあそこは聞くたびに物凄く恥ずかしいです。編集マンにもドヤされました。取材者として僕の生ぬるいところなんです。長く取材しているうちにどんどん取材対象に近くなって、聞きづらくなってしまう。「ヤクザが人権なんて、ちゃんちゃらおかしくありませんか? だって、あなたたち法を破っているんでしょう?」とか、本当はバシッとぶつけるべきでした。

    でも、その人らしさを感じさせる自然な言葉を引き出していると思います。「実際に被害受けてるからね、人権を盾にとって、ヤクザに人権ないんかって言ってるだけであって」という。ヤクザも生活者ですから。

    あらためて考えたことはありませんでしたが、僕らのなかに、取材対象者を自分たちの枠に収めたいという思いがあったんでしょう。それはテレビマンの悪い癖なんです。もっと心から人権のこと考えてくださいよって、現場でやきもきした記憶があります。テレビ的に都合良く考えていたんです。「盾にとって」と言われて「もうちょっとなんか言いようないのかねぇ〜、親分」とか心で思っていました。でも、それは制作者のエゴなんです。彼らにとっては、この現実を変えたいという思いが先で、人権云々からスタートしていない。
    個人的な話ですが、本当は人権という言葉が好きじゃないんです。人権という言葉を出した瞬間に、観るほうが思考停止になりますから。「人権! なるほど、こういう映画ね」みたいにレッテルを貼られてひと括りにされるのも好きじゃない。そもそも人権なんて僕自身がまだわかってない。僕もある意味、人権を盾に、憲法を盾にとっているだけだったのかもしれません。この作品をオンエアするために。でも本当は、実際の人間の日常を覗いて、ヤクザも人間なんだなぁと感じてほしい。そこからスタートしたいですね。

    テレビで放映後、本作に出ているヤクザの人たちから何か反応はありましたか?

    関西で放送していないからかもしれませんが、とくに何もなかったですね。彼らにとっては日常が映っているだけなので、さほど面白くないんじゃないかなと思います。当たり前のものを流してるの? という感じでしょうか。

    取材対象から影響を受けたことはありますか?

    なんだろう、取材対象から影響を受けたこと……。いいか悪いかはさておき、いまを生きるという感覚でしょうか。取材で出会ったヤクザたちは、先を計算しすぎないようにして生きているようでした。いまの日本人にしては珍しいですね。あとは、鬱陶しい人間関係の面白さに気づいたことでしょうか。何をするにしても、誰かの約束をとりつけたり、凄く人が関わってくる。面倒くさいんだけど、ありがたい部分もある。いいのか悪いのかはわからないので、積極的にとり入れようとは思いませんが。

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  4. shinichi Post author

    東組

    ウィキペディア

    https://ja.wikipedia.org/wiki/東組

    東組(あずまぐみ)は、日本の大阪・西成に本部を置く暴力団。指定暴力団。構成員の総数は2011年の警察庁の報告で約180。2014年の報告で約150。

    暴力団の群雄割拠地帯と言われてきた西成地区にありながら、山口組などの大団体の傘下に収まることもなく、その創立からというもの常に独立状態を貫き、さらには他団体との縁戚関係の樹立も行わずに来た組織で、そうしたことから“孤高の少数精鋭”などと謳われてきた。

    “武闘派一門”や“喧嘩の東組”などの異称をもっても知られ、1973年のミナミにおける些細なトラブルに発した山健組との銃撃戦を皮切りに、山口組とは暴力的な対立抗争事件を数次にわたって引き起こしてきた。

    組長: 滝本博司

    副組長: 川口和秀(二代目清勇会会長) ― 22年余の長期服役を2010年12月に満了

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  5. shinichi Post author

    冤罪・キャッツアイ事件 ヤクザであることが罪だったのか

    by 山平重樹

    筑摩書房

    (2012年12月)

    無視されるアリバイ、恫喝と懐柔、虚偽の供述、恐るべき権力犯罪の実態がここにある。罰されるべきは警察だったのではないのか!獄中22年、無実を訴え続けた極道人生とは!事件の真相と川口の人生を描き出す。

    第1章 キャッツアイ事件

    第2章 冤罪の構図

    第3章 川口和秀の極道人生

    第4章 喧嘩の東組

    第5章 不当裁判

    第6章 支援者たち

    第7章 獄中での闘い

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  6. shinichi Post author

    キャッツアイ事件

    目森窟 Memorix

    by 蜘蛛業 kumowaza Spider Job

    http://blog.livedoor.jp/kozymemory/archives/50840465.html

     この元の事件は、キャッツアイ事件と呼ばれている事件である。これについては取材し、関係者にも会っているので一言言わねばならないと考える。

     事件は、山口組との抗争に絡んで、小野とFという二人の東組系二代目清勇会組員が山口組組織員を狙って銃撃を行い、堀江まやさんを巻き添えにして殺害してしまったというものである。

     問題は、事件が小野とFの勇み足であって、二代目清勇会川口和秀会長は何も知らなかったという点にある。しかし、警察はFと小野に嘘の調書を書かせ、川口さんを罪に陥れた。

     嘘の調書を書かせるために、暴行、拷問、裏取引と、警察はあらゆる手を使ったとFは取材に答えた。

     また、最初に逮捕された小野は、破門されたため親分の川口さんを恨み、偽証をした旨を裁判所への手紙に書いている。偽証によって司法を利用し、私怨を晴らそうとしたのである。

     小野は自分の仕掛けた罠だから、自分で外せると軽く考え、偽証した事実を手紙にしたが、裁判所は無視した。川口さんを狙った罠は、権力が仕掛けたものであり、小野も罠にかかっただけだったのだ。

     記事にもある通り、権力は、この事件を「暴対法創設のきっかけ」のひとつとした。日本どころか、アメリカとの外交関係に始まるレベルの、大きな動きの中で、事件が利用されたのである。

     その動きが、今、共謀罪につながっている。次の国会に向けて、絶妙なタイミングで、また、小野が事件を起こした。舌打ちをしたい気持だ。

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  7. shinichi Post author

    『ヤクザと憲法』の基礎知識

    ~異様な時代・山之内幸夫・川口和秀・東海テレビ~

    http://urbansea.hatenablog.com/entry/2016/01/09/215550

    川口和秀も、川口に絶縁処分された者が自分の刑を軽くするための供述によって、共謀共同正犯をでっち上げられ、22年にわたる監獄生活を強いられる。

    川口和秀

     「ヤクザと憲法」のいま一人の中心人物・川口和秀は、前述のとおり、東組清勇会の二代目会長であり、本家の副組長である。(東組は全国指定暴力団21団体の一つである)

     その川口和秀や東組がドキュメンタリーに登場するのは「ヤクザと憲法」以前にもある。NHK「ドキュメント 決断」の「暴力団“離脱” その先に何が」(2014年8月14日放送)である。この番組では、東組幹部によって暴排による苦境(銀行口座や保険)など語られる。

     川口和秀がこのように取材をうけるのはなぜか。ひとつにキャッツアイ事件による長期刑の影響があろうと察する。

     キャッツアイ事件とは、1985年、東組清勇会と山口組の倉本組との抗争で、東組の組員が殺害された報復として、東組清勇会の組員が尼崎市のラウンジ「キャッツアイ」で銃撃事件を起こす。その際に流れ弾で一般女性が死亡する事件である。捜査の過程で、警察は実行犯を逮捕するのだが、その組員は別のトラブルで川口和秀に絶縁処分をうけていた。ヤクザは、警察にどつかれようが何されようが唄わない(自白しない)根性が求められる。(これを竹中正久は警察根性と呼んだ) しかし、実行犯はすで絶縁されている。警察は川口和秀の指示による組織的な犯行との絵を書き、組織のトップまで累を及ばすことを狙う。実行犯は実行犯で銃撃事件が川口の指示によるものとすることで、自分の刑を軽くできる。かくして虚偽の証言により、川口和秀は逮捕される。この事件の顛末は山平重樹「冤罪キャッツアイ事件 ヤクザであることが罪だったのか」に詳しい。(他に柳川組出身の作家・矢嶋慎一「キャッツアイ冤罪事件」もある)

     こうして身に覚えのない罪で下獄した川口和秀は、「実話時代」に書いたエッセイが評判を呼び、それがきっかけとなり、支援者とともに獄内パンフ通信「獄同塾通信」を創刊。100部からはじまった「獄同塾通信」、6年後に27号をむかえ、部数は2500に達したという。「投稿者は一般人からヤクザ、右翼、左翼の闘志等多士済済、獄同人ばかりか獄外にも及んで、身辺雑記から心境報告、抱腹絶倒のユーモアたっぷりのものからホロリとくる人情話、人生観や武勇伝の披瀝まで、中身の濃い原稿で埋まり、活気ある紙面となった。」(山平重樹・前掲書・221頁)ともある。

     出所後は「実話時報」で稲川会や住吉会、親和会など代紋違いの親分衆や元刑務官・坂本敏夫らと刑務所での暴行や医療の質の低さなどを訴える座談会をおこなうなどする。

     冤罪という不条理に直面し、また刑務所の中にあっても情報を発信し続けた体験が、ドキュメンタリーのカメラの受け入れにつながっていようか。

     

     「獄同塾通信」の寄稿者のひとりに正延哲士がいる。正延哲士はもともと高知の放送局に勤めていたのだが、後年作家となり、菅谷政雄や矢嶋長次などのヤクザ評伝などを書く。その著書のひとつに「最後の博徒」がある。これは広島ヤクザから後に菅谷政雄の舎弟となる波谷守之のヤクザ人生と冤罪事件を書いたものである。

     「最後の博徒」の書影が「ヤクザと憲法」にも出てくる。東組清勇会の組事務所の本棚に、本書がズラッと並んでいて、これらは刑務所内で読んだものを宅下げしたものである。

      

     正延哲士は山平重樹の前掲書にも出てくる。波谷の盃上の甥にあたる池澤望に頼まれ、弁護士・原田香留夫を紹介する。原田は、再審により無期懲役から無罪へと判決をひっくり返した八海事件の弁護人である。その原田は川口和秀の再審請求の最中に死去。「うちの主人は最後の最後まで、夜、川口さんの写真を抱いて、これをきれいにせんことには僕は死にきれんのや—と言ってました」(山平・前掲書・213頁)と、獄中の川口和秀のもとに原田夫人から手紙が来たという。八海事件の冤罪被害者・阿藤周平もまた、川口和秀の裁判を支援している。

     冤罪ついでの余談だが、「冤罪キャッツアイ事件」は「週刊実話」に連載されたものを元にしているが、この連載の少し前に、山平重樹は同じく実話誌「週刊大衆」で、袴田事件についての連載をしている。一審で無罪を確信しながら有罪判決を書いた(三人の合議制のため)熊本典道を書いたものである。

     週刊大衆で袴田事件が連載されることについて、袴田巌の姉・秀子に「あんな裸の多い雑誌に事件のことを取り上げられて」と眉をひそめながら言う者がいた。すると秀子さんは「そういう雑誌だからこそ、今まで袴田事件を知らなかった人が関心を持ってくれるんだ」と一喝したという。(尾形誠規「美談の男」鉄人社・231頁)

     上述のNHK「ドキュメント 決断」の「暴力団“離脱” その先に何が」では、東組のほか、ヤクザをやめた者の再就職の厳しさとその支援を扱っている。ここで香川県の再就職支援の団体が出てくるのだが、その団体を運営するのが西山俊一郎である。

     西山俊一郎はもともと菅谷政雄ひきいる菅谷組系列の組員で、組の解散により、ヤクザから足をあらい、土建業を興し、成功。そのかたわらで、NPO法人「日本青少年更生社」を設立し、不良や前科者の更生にあたっている。

     この西山俊一郎もまた、「獄同塾通信」の寄稿者である。

     暴排により、暴力団を追い込み、組員を脱退させるまではいいが、その後も排除されるのであれば、その者はどうするのか。カタギで食えず、ヤクザには戻れずとなれば、いよいよ窮鼠猫を噛むである。この番組は、西山俊一郎の活動を通じて、社会に受け皿が必要であることを訴求してくる。

     「指を欠き、刺青を入れ、前科のある者を雇うところがあるのか」60年代の第一次頂上作戦の時代から言われることだが、この暴力団側からの問いに、「ない」と答える限り、暴力団は必要悪であると社会の側が妥協することになる。

     「ヤクザと憲法」でも、川口和秀はまったく同じことを問うてくるのであるから。

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  8. shinichi Post author

    (sk)

    ポレポレ東中野での上映は1月2日に始まったので、もうすでに2か月以上が経つ。

    そろそろガラガラだろうとタカをくくっていったらば、なんとほぼ満員。

    「ここは笑うところだろ」というところでも笑わず、終わったら泣いている人もいた。

    外に出て肩をまるめて歩く人たちは、みんな孤独に見えた。

    なんなんだ。

    **

    22年ものあいだ無実の罪で服役していた川口和秀の顔は、他のやくざの顔と、まったくといっていいほど違っている。

    弁護士の山之内幸夫の顔は、どこか元国連事務次長の明石康に似ている。

    大阪のおばちゃんの顔は大阪のおばちゃんの顔。

    顔ってなんなんだ。

    なにもかもが不思議だ。

    **

    こんなにせつない気分になったのは、ほんとうに久しぶりだ。

    Reply
  9. 履歴書の証明写真

    就職の際にできることならいっかいで採用を決めたいと思いますよね?それなら、面接のテクニックが必要なのです。事前の準備で結果が変わります。就職後の給与の金額が変わるかも。面接では印象を上げることが大事です。とどのつまり、人事も人間なのです。マナーが悪い人は合格させません。最低限のマナーを守って印象を良くすることが必要です。そうすることでともに採用したいと感じてもらえます。実務経験などの数字も重要なのですが、こんな印象を高める努力も並行してこなすようにしましょう。そうすることで合格をもぎ取れるのです。面接のテクニックをを解説してますので一読いかがですか?

    Reply

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