相思社

初期の水俣病患者の多くは漁師でした。漁師は少数派です。少数者の漁師に対する偏見は各地に見られますが、水俣でもあったようです。水俣やその近くの漁師は明治の中期以降に天草地方から渡ってきた人が多く、そういった「よそ者」に対する偏見もありました(「天草流れ」と呼んでいました)。水俣病患者=漁師=よそ者=貧乏人といったイメージがあったと思われます。そういう意味では水俣病によって差別が生まれたというより、もともとあった偏見差別に水俣病の差別が重なったと考えるべきでしょう。

水俣病の原因がチッソであることは昭和32年頃にはチッソ工場の人だけではなく、水俣市民も気がついていたようです。チッソ工場は水俣で一番大きく重要な工場です。チッソがあったから水俣は村から町、そして市への大きくなっていきました。チッソがあやしいとわかったときからチッソ工場の人たちだけではなく、市役所の人もそれ以外の市民も水俣病のことを言わなくなっていきました。市民の多くはチッソを守りたいと思っていました。水俣にはチッソ工場で働いている人やその家族も多かったからです。だから、チッソ工場に漁民が押しかけたときも、かん者が座り込んだときも、漁民やかん者を応援する人はほとんどいませんでした。

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  1. shinichi Post author

    水俣病のしつもんばこ

    相思社

    http://www.soshisha.org/jp/about_md/for_child/水俣病のしつもんばこ

    1 水俣病の歴史について

    1-1 水俣病の年表について

    Q1-1-1 水俣病について教えてください。

    A1-1-1 まずは、「水俣病について知っておいてほしいこと」や「水俣病10の知識」を見てください。

    Q1-1-2 水俣病の歴史について教えてください。

    A1-1-2 長い歴史があるので、ひとことで言うことはできません。ちょっとむずかしいかもしれませんが、「水俣病略年表」や水俣市のホームページにも年表がありますので、参考にしてください。

    1-2 水俣病の歴史について

    Q1-2-1 水俣病はいつごろ、どこで発生したのですか?

    A1-2-1 1942(昭和17)年に、水俣市の月ノ浦(つきのうら)という漁村で発生したことがわかっています。(もう少しくわしい説明)

    Q1-2-2 水俣病はいつごろ発生して、どのように広がったのですか?

    A1-2-2 昭和16年・17年ころに水俣湾の近くで発生して、昭和28年ころから被害が大きくなっていました。昭和33年にチッソが有機水銀を含んだ排水を直接不知火海に流すようになったので、そのころから水俣の北にある津奈木町や南にある鹿児島県出水市にもかん者が出るようになりました。(もう少し詳しい説明)

    Q1-2-3 水俣病が一番最初に確認されたのはいつ、どこでですか?

    A1-2-3 1956(昭和31)年5月1日が公式確認日とされています。そのとき確認されたかん者は水俣市月ノ浦(つきのうら)に住んでいました。

    Q1-2-4 どのようにして水俣病が発生したのですか?

    Q1-2-4 水俣病発生のしくみが知りたい。

    A1-2-4 チッソという会社から流れ出た有機水銀が食物連鎖(しょくもつれんさ)によって、魚や貝が汚染(おせん)され、それらを食べた人や動物が水俣病になりました。

    Q1-2-5 水俣病はなぜ発生したのですか?

    A1-2-5 チッソという会社が直接の原因です。しかし、そのころの日本が貧しく、人々は「経済的に豊かになりたい」という気持ちが強く、国は「高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)」という政策で支えていました。そのことも大きな原因です。

    Q1-2-6 水俣病が発生したときの様子を教えてください。

    A1-2-6 はじめ、伝染病(でんせんびょう)ではないかとうたがわれました。そのため、かん者やかん者の家族は近所の人からもいやがられました。すぐに伝染病ではなく、うつらないことはわかったのですが、そのことを知らない人もいて、今でもまちがった意識を持っている人がいます。

    Q1-2-7 他の工場も当時は海に工場排水を流していたんですか?

    A1-2-7 水俣湾に工場排水を流していた工場はチッソ水俣工場だけです。ほかの地域でもほとんどの工場から出た排水は川を通じて海に流れ出ていました。

    Q1-2-8 水俣病を発見した人はだれですか?

    A1-2-8 昭和31年5月1日に、チッソ付属病院の細川一院長が「今までなかった新しい病気が出ている」と水俣保健所に申し出ました。だから、水俣病の発生を公式に確認したのは細川一院長です。

    Q1-2-9 かん者が一番多く出たのはいつですか。

    A1-2-9 昭和30年代前半(1956~60年)と言われています。ある研究によれば、昭和20年代の終わり(1953年)ころから昭和51(1976)年ころまで発生がつづいたいうことです。全体的な調査がされなかったので、正確なことはだれにもわかりません。私たちがかん者から直接聞いたはんいでも、昭和25年くらいから昭和50年ころまで発病はつづいていたようです。特に昭和30年代に発病した(しびれが始まったという人が多い)人が多かったです。

    Q1-2-10 いつごろ有機水銀が原因と解ったんですか?

    Q1-2-10 水俣病の原因が有機水銀だとわかったのはいつですか、発生から何年目のことですか?

    Q1-2-10 水俣病の原因が特定されるまでどれぐらいの年月がかかりましたか?

    A1-2-10 熊本大学は1959(昭和34)年に有機水銀が原因らしいと報告しました。水俣病が公式に確認されてから4年目のことでした。しかし、チッソは有機水銀説に反対し、原因が広く認められるまでにはその後も長い年月がかかりました。政府(国)が水俣病の原因をチッソから出る有機水銀と認めたのは1968(昭和43)年でした。公式に水俣病の発生が確認されてから12年がたっていました。

    Q1-2-11 水俣病の原因を解明したのはだれですか?

    A1-2-11 たくさんの人が原因を見つける努力をしていました。有機水銀が水俣病の原因だということをつきとめたのは熊本大学の研究者たちでした。

    Q1-2-12 水俣病で一番最初に死んだ人はだれですか?

    A1-2-12 水俣市出月で昭和23年々に生まれた女の子が昭和28年12月に発病し、昭和31年3月15日に亡くなっています。この女の子が公式には最初の水俣病患者と言われています。水俣病の公式確認のきっかけとなった水俣市月ノ浦に住んでいた女の子は、1956(昭和31)年4月28日、5歳のときに発病し、5月23日に亡くなりました。でも、それより15年くらい前の昭和16年や17年に狂い死にした人が何人かいます。その人たちが最初の死亡者かもしれません。

    Q1-2-13 国はチッソが有機水銀を排出(はいしゅつ)しているのをわからなかったんですか?

    A1-2-13 遅くとも1959(昭和34)年はわかっていました。

    Q1-2-14 排水が原因とわかったとき、すぐに海に流すのをやめたのですか?

    A1-2-14 チッソは水銀の入った廃水を流し続けましたし、国や熊本県もとめませんでした。

    Q1-2-15 排水の中に有毒な物質が含まれていないか、なぜ検査しなかったのですか?

    A1-2-15 検査というか、調査・実験はしていました。有毒であることがわかったあとも、そのことを隠して流し続けたのです。

    Q1-2-16 水俣病の原因がわかったとき、水俣市民はどう思ったんですか?

    A1-2-16 水俣病の原因がチッソであることは昭和32年頃にはチッソ工場の人だけではなく、水俣市民も気がついていたようです。チッソ工場は水俣で一番大きく重要な工場です。チッソがあったから水俣は村から町、そして市への大きくなっていきました。チッソがあやしいとわかったときからチッソ工場の人たちだけではなく、市役所の人もそれ以外の市民も水俣病のことを言わなくなっていきました。市民の多くはチッソを守りたいと思っていました。水俣にはチッソ工場で働いている人やその家族も多かったからです。だから、チッソ工場に漁民が押しかけたときも、かん者が座り込んだときも、漁民やかん者を応援する人はほとんどいませんでした。

    Q1-2-17 水俣病が起こってしまった時、水俣市民の人達はどんな環境対策を行ったのですか?

    A1-2-17 その当時は公害という言葉もありませんでしたし、環境が大切だという考え方もありませんでした。ですから、何もしませんでした。

    Q1-2-18 水俣市にはいくつぐらい工場があったんですか?

    A1-2-18 大きな工場はチッソという会社とそれに関係する会社だけでした。

    Q1-2-19 工場は原因がわかったあとでも、なぜ有機水銀を流しつづけたんですか?

    A1-2-19 有機水銀を出す元になったアセトアルデヒドは国にとって重要なものでしたし、チッソにとっては作れば売れる・もうかるものでした。それで国はチッソに中止させませんでしたし、チッソもアセトアルデヒドを作り続け、その結果有機水銀は流れ続けました。

    Q1-2-20 工場から出る水銀汚染(おせん)された排水はどうやって処理しているんですか?

    A1-2-20 廃水の処理はされませんでした。

    Q1-2-21 水俣湾の水銀汚染(おせん)のようすを教えてください。

    A1-2-21 チッソから流れ出た有機水銀は百間(ひゃっけん)排水口から水俣湾に流れ出ました。排水口の近くには有機水銀をふくむヘドロが4メートルもつもっていました。排水口の付近は汚れて、ひどいにおいもしていました。それ以外のところは見た目にはそんなに汚れてはいませんでしたが、貝はぜんめつし、魚も弱ったり死んだりして海に浮きました。

    Q1-2-22 水銀汚染(おせん)によって自然への影響は?

    A1-2-22 まず、海草に影響が出ました。魚や貝が弱ったり、死んだりしました。魚や貝を食べた鳥やネコが死にました。汚染(おせん)のひどいときには水俣湾やその近くの貝(アサリ・ビナ・カキなど)はすべて死んでしまいましたし、漁村のネコも全滅しました。生き物たちが元に戻るまでには何年もかかりました。

    Q1-2-23 水俣病で苦情などはでたんですか?

    A1-2-23 まず、海が汚れて魚がとれなくなったので、昭和32年の1月に漁師さんたちがチッソに「海をよごさないように」と申し入れました。8月にはかん者の人たちが集まって会を作りました。昭和34年7月に熊本大学の調査でチッソの責任がうたがわれるようになったので、漁師さんたちはチッソに押しかけて、海をきれいにすること、補償金を支払うことなどを申し入れました。その年の11月になって、かん者の人たちもチッソに補償を申し入れました。

    Q1-2-24 熊本県と新潟県だけに発生していますが、特別な工場でもあるんですか?

    A1-2-24 熊本にはチッソという会社があり、新潟には昭和電工という会社がありました。その会社から有機水銀が流れ出し、水俣病を引きおこしました。

    Q1-2-25 どうして、1953年頃から水俣病は増えたんですか?

    A1-2-25 水俣病の原因である有機水銀の流れ出す元になったアセトアルデヒドという物質の生産量がそのころから増えてきたからです。

    Q1-2-26 どうして、水俣病が発生したときすぐに原因が解らなかったんですか?

    A1-2-26 人類にとってはじめての病気だったので、原因をつきとめることは簡単ではなかったのです。

    Q1-2-27 どうして20年もたってから工場はメチル水銀を流したことを認めたんですか?

    A1-2-27 チッソは自分から原因を認めたわけではありません。1968(昭和43)年に政府(国)が水俣病の原因を有機水銀と認めたのです。そして、1973(昭和48)年に裁判の判決があり、チッソも責任を認めなければならなくなりました。

    Q1-2-28 一番最初に水俣病が確認されたのはネコだそうですか、なぜですか。

    A1-2-28 ネコは体の大きさのわりにたくさんの魚を食べるからです。人間が発病する前に、海が汚れ、海草が死に、魚が弱り、魚を食べた鳥やネコが発病しました。それらが水俣病の前ぶれでした。そのときに対策(たいさく)を立てていれば大きな被害にはならなかったでしょう。

    Q1-2-29 どれぐらいの猫が死んだのですか?

    A1-2-29 死んだネコの数はわかりません。でも、不知火海(しらぬいかい・八代海ともいう)沿岸のネコはほとんど死んでしまいました。また、実験に使われたネコもたくさん死にました。相思社にはそれらのネコをまつった「猫の墓」があります。

    Q1-2-30 なぜ、会社や工場は隠したんですか?

    A1-2-30 わかるとアセトアルデヒドの製造をやめないといけなかったでしょうし、責任をとらなければならなかったでしょう。悪いことをしているといううしろめたさもあったかもしれません。

    Q1-2-31 なぜ、熊本県なのですか?

    A1-2-31 水俣病の原因となったチッソという会社があるからです。

    Q1-2-32 水俣病が公害病と認定されるまで、なぜ16年もかかったんですか?

    A1-2-32 水俣病が世界ではじめてだったことと、公害病と認めると経済的にマイナスになると考えたからだと思います。

    Q1-2-33 水俣病の原因の工場排水はどのくらい流されたのですか?

    A1-2-33 チッソから流れ出た排水の量はわかりません。排水の中にふくまれていた水銀は70トンとも150トンとも、それ以上とも言われています。

    Q1-2-34 昔はなぜ、公害が少なかったんですか?

    A1-2-34 公害は産業の発達と関係しています。大きな工場などがなかったときは公害はありませんでした。明治時代になって、鉱工業が発達し、公害が発生しました。最初は鉱山で被害が発生したので、「鉱害」と呼ばれていました。

    Q1-2-35 水俣病の動物への影響について

    A1-2-35 水俣病は有機水銀に汚染された魚介類をたくさん食べることでおこる食中毒ですから、人間以外にも魚をたくさん食べる動物なら水俣病にかかる可能性はあります。よく知られているのはネコです。昭和30年代の初めには水俣や南不知火海沿岸地域の漁村に住んでいたネコは全滅したと言われています。カラスなどの鳥が急に落ちてきたという話もたくさんあります。漁村では犬やブタもたくさん死にました。

    1-3 被害の広がりについて

    Q1-3-1 水銀汚染(おせん)は他の地域にも広がったんですか?

    A1-3-1 チッソ工場の排水が水俣湾に流れ込んでいるときは、水俣湾の周辺だけに被害が出ていました。1958(昭和33)年に排水が直接不知火海(八代海)に流れ出るようになってから、北や南の町にもかん者が出るようになりました。

    Q1-3-2 水俣市の近辺の町でも水俣病かん者はでたんですか?

    A1-3-2 不知火海(八代海)の南がわ三分の二の沿岸地域にかん者は出ています。でも、最初水俣病が水俣で発見されて水俣の漁師さんたちがとっても困ったようすを知っていましたから、ほかの地域ではかん者が出たことをかくすことが多かったのです。

    Q1-3-3 被害を受けた地域はどんな所?

    Q1-3-3 水俣病の発生分布図は?

    A1-3-3 「認定患者分布図」を見てください。この地図で広がりはわかると思いますが、水俣市以外は未認定かん者の方がずっと多いので、認定かん者数の数がかん者数と同じではありませんし、比例しているわけでもありませんので、注意してください。

    Q1-3-4 どのようにして広がっていったのか?

    A1-3-4 水俣湾には水俣市以外の漁師さんたちも魚をとりに来ていました。その人たちも水銀に汚染(おせん)されているとは知らずに魚をとったり、食べたりしていました。1958(昭和33)年から1959年まで、チッソの排水は直接不知火海(八代海)に流れ出ていましたから、そのときは水俣市の北や南の地域も有機水銀に直接汚染(おせん)されていました。

    Q1-3-5 なぜ、他の県には影響がないの?

    A1-3-5 水俣病はチッソ工場から不知火海(八代海)に流れ出た有機水銀が原因ですから、不知火海に面した地域だけに被害が出ました。だから、熊本県と鹿児島県にだけ被害が出たのです。

    1-4 水俣病の病名について

    Q1-4-1 なぜ、「水俣病」という名前になったんですか?

    A1-4-1 水俣病は水俣市で見つかったのが世界で最初だからです。

    Q1-4-2 「水俣病」以外に呼び方はあるの?

    A1-4-2 広い意味では「有機水銀中毒」といっても間違いではありません。でも、水俣病は工場から流れ出た有機水銀が魚や貝にたまって、その魚や貝をたくさん食べたためにおきる病気だというとくちょうがあります。有機水銀中毒は農薬を作っていた工場などでもおきていますが、症状もちがったところがありますし、その影響は全然ちがうので、やはり「水俣病」と呼ぶしかないのです。

    Q1-4-3 どうして「チッソ病」とはしなかったのですか?

    A1-4-3 水俣病が発見された当時はチッソが原因であることがはっきりしなかったからです。1956年に水俣病が発見されたときから、多くの人はチッソを疑っていました。しかし、チッソの流したメチル水銀が水俣病の原因だと政府が発表したのは1968年のことでした。

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  2. shinichi Post author

    2 水俣病かん者について

    2-1 水俣病のかん者数について

    Q2-1-1 水俣病のかん者さんの数と亡くなった人の数を教えてください。

    A2-1-1 水俣病と認定されたかん者は2,268人で、そのうち1,653人が亡くなっています(平成20年5月31日現在)。認定されていない人を含めるとかん者数は10万人以上、すでに亡くなっている人は4万人以上と思われます。(もう少し詳しい説明) (別の説明) (熊本県申請処理状況・PDFファイル)

    Q2-1-2 認定かん者以外にも水俣病のかん者はいるんですか?

    A2-1-2 認定されているかん者は水俣病かん者のごく一部です。認定されていないかん者を含めると50倍以上になると思われます。

    Q2-1-3 水俣病認定されてない人の数を教えて。

    A2-1-3 だれにもわかりません。たぶんすでに死んだ人も含めると10万人以上いると思います。

    Q2-1-4 水俣病かん者数のうつりかわりを教えてください。

    A2-1-4 かん者数がわかりませんので、そのうつりかわりもわかりません。ただし、昭和50年ころには新しく発病する人はいなくなりました。水俣病は治りませんので、そのころまではかん者は増え続けました。その後は死んだ人の分だけかん者数もへっています。

    (参考:熊本県認定審査状況の変遷)

    Q2-1-5 水俣病のかん者は増えていくんですか?

    Q2-1-5 水俣病は今でも増えつづけているんですか?

    A2-1-5 新しく病気になる人はいません。だから、増えることはありません。ただし、最近になって症状をうったえ始めた人はたくさんいます。この人たちは最近水俣病になったのではなく、今までだまっていた人たちです。

    Q2-1-6 水俣病かん者のうち、どのくらいの人が治るんですか?

    A2-1-6 水俣病完全に治ることはありません。訓練(リハビリ)などによって症状が軽くなる人はいます。

    Q2-1-7 昭和32年以前に水俣病にかかった人は何人ですか?

    A2-1-7 公式に確認(認定)されているのは64人です。実際はもっとたくさんの人が水俣病にかかっていたと思われますが、人数は不明です。

    Q2-1-8 去年、水俣病に認定された人は何人ですか?

    A2-1-8 2000(平成12)年は2人のかん者が水俣病と認定されました。二人とも鹿児島県に住んでいる胎児性(たいじせい)水俣病かん者で40才をこえています。だから、発病は40年以上前ということになります。今までわからなかったのか、かくしていたのだと思います。

    Q2-1-9 1年間で何人ぐらいの水俣病かん者がでるんですか?

    A2-1-9 今新しく水俣病になる人はいません。

    Q2-1-10 1年間で何人ぐらいの水俣病かん者が亡くなるんですか?

    A2-1-10 今では水俣病が直接の原因で亡くなる人はいません。かん者はだんだん年をとってきますので、認定かん者で数十人、未認定かん者も含めるとその数十倍の人が亡くなっています。

    Q2-1-11 水俣病で亡くなった人の数は?

    A2-1-11 水俣病のかん者数がわかりませんので、亡くなった人の数もわかりません。ただし、水俣病に認定されたかん者だけだと1,653人です(平成20年5月31日現在)。このほかに新潟水俣病で認定された人も459人亡くなっています。

    Q2-1-12 水俣病で亡くなったかん者さんは増えているんですか?

    Q2-1-12 水俣病の死亡者数は年々減っていますか?

    A2-1-12 水俣病が直接の原因でなくなった人は初期のころ(昭和30年代)には多くいました。そのあとはガンなどほかの病気がかさなって亡くなる人がほとんどです。

    Q2-1-13 急性水俣病で、今でも生きている人は何人ぐらいですか?

    A2-1-13 急性劇症(げきしょう)型のかん者は水俣病が発見されたころの人がほとんどで、人数はそれほど多くはありません。急性劇症型のかん者で今も生きている人は数人だと思います。

    Q2-1-14 水俣病が発生した年からかん者さんは減っているんですか?

    A2-1-14 水俣病が発生してからかん者は増え続けました。やっと昭和50年ころに、発症は止まりました。水俣病は治りませんので、その後は亡くなったかん者の分だけかん者数は減っています。

    Q2-1-15 現在のかん者さんの数を教えてください。

    A2-1-15 かん者の数がわからないので、現在のかん者数もわかりません。ただし、水俣病と認定された人で現在(平成20年5月31日)生きている人は615人です(チッソ水俣病)。これとは別に新潟にも233人の認定かん者がいます。認定されていないかん者の数はわかりませんが、今生きている人だけでも5万人以上はいると思われます。

    Q2-1-16 水俣病の被害の大きさはどのくらいですか?

    A2-1-16 被害の大きさといってもいろんな意味があるので簡単には答えられません。かん者の数や症状などについてはほかの質問を見てください。

    Q2-1-17 水俣病の被害はどのくらい出たんですか?

    A2-1-17 水俣病の被害にはいろいろあります。健康被害にかぎって言っても10万人以上と思われます。それ以外の被害もありますので、地域住民すべてが被害者とも言えます。

    Q2-1-18 現在水俣市で水俣病かん者の割合は?

    A2-1-18 かん者数がわからないので、かん者の割合もわかりません。水俣市の認定かん者数は1,055人で、水俣市の人口は31,655人(2001年1月15日現在)ですから、その割合は約3%となります。また、認定申請(しんせい)者数は4,754名(2001年2月28日現在)ですので、約15%となります。被害を受けても認定申請(しんせい)をしない人も多いので、実際はそれ以上だと思われます。

    (追加)2004年10月以降に新しく、水俣病ではないか、と名乗りを上げた人が3万人くらいいます(2009年6月現在)。水俣市には水俣病に対する偏見・差別がきびしいので、まだ名乗りを上げていない人もたくさんいます。水俣市の場合、何らかの症状のある人は人口の半分以上になると思われます。

    2-2 水俣病の症状について

    Q2-2-1 水俣病ってどんな病気ですか?

    Q2-2-1 水俣病の症状を教えてください。

    Q2-2-1 水俣病の被害は?

    A2-2-1 手足がしびれる、思うように動けなくなる、目の見えるはんいがせまくなる、耳が聞こえにくくなる、うまくしゃべれなくなる、などの症状が代表的ですが、そのほかに、ものわすれをする、力が入りにくくなる、手足がふるえる、ねむれない、からだが痛い、手足のひきつけ、よだれが出る、などいろんな症状があります。(別の説明)

    Q2-2-2 水俣病はなぜ、脳神経のはかいや、手足のしびれが起こるんですか?

    A2-2-2 水俣病は有機水銀によっておこります。からだの中に入った有機水銀は脳や神経のきまった場所に入りこむ性質があります。脳の中でも手足の感覚に関係する場所に入りやすく、その細胞(さいぼう)をこわすので手足のしびれがおきやすいのです。

    Q2-2-3 手がしびれるということは、どういうことなんですか?

    A2-2-3 感覚がにぶくなったりなくなったりするということです。長く正座していると足がしびれて感覚がなくなった経験があると思います。そういった状態がいつもあるという事です。

    Q2-2-4 水俣病はどうして、手や足がしびれたりするのですか?

    A2-2-4 有機水銀が手や足の感覚に関係する脳(のう)の細胞(さいぼう)をこわしてしまうからです。

    Q2-2-5 水俣病になったら刺激を感じないって本当ですか?

    A2-2-5 手足の感覚が弱くなったり、ほとんどなくなる人もいます。そうなると、手先や足先を針で突いてもほとんど感じないという事にもなります。

    Q2-2-6 水俣病はなぜ手足が不自由になるんですか?

    A2-2-6 からだの中に入った有機水銀が手足の運動に関係している脳の細胞(さいぼう)をこわすことが多いからです。

    Q2-2-7 なぜ、水俣病になったら口や、目・耳が不自由になってしまうんですか?

    A2-2-7 水俣病の原因は有機水銀です。有機水銀が脳(のう)や神経(しんけい)の細胞(さいぼう)をこわすので様々な症状がでます。特に手足の感覚、目や耳のはたらき、手足や口を動かすはたらきをしている細胞(さいぼう)をこわすことがおおいので、そのような症状が出やすいのです。

    Q2-2-8 目や耳が不自由ということは、聞こえなくなったり、見えなくなるということですか?

    A2-2-8 完全に見えなくなったり聞こえなくなったりすることはめったにありません。ぼやけて見えにくくなったり、見えるはんいがせまくなったり、人の話す声が聞こえにくくなったりすることが多いようです。

    Q2-2-9 なぜ、水俣病になると、いろいろな症状がでるんですか?

    A2-2-9 水俣病はからだの中に入った有機水銀によっておこる病気です。有機水銀は脳(のう)や神経だけではなく内臓もおかします。脳や神経がおかされると目や耳が悪くなったり、手足がしびれたり、からだが思うように動かなくなったりします。内臓がおかされると疲れやすくなったり、ガンなどほかの病気になりやすくなったりします。

    Q2-2-10 水俣病は急に発病するんですか?

    A2-2-10 初期の急性劇症型の場合は急に発病することが多かったようです。慢性(まんせい)水俣病の場合は手足のしびれや肩腰の痛み、あるいは頭痛などからはじまって、だんだんほかの症状が出てくることが多いようです。

    Q2-2-11 水俣病にかかると、すぐに体に影響がではじめるの?

    A2-2-11 初期の急性劇症型の場合は、ある日突然症状が出ることが多かったようです。慢性(まんせい)型水俣病の場合、じょじょに様々な症状が出てくることが多いようです。中には、水銀に汚染(おせん)された魚を食べるのをやめてから何年もして発病する人もいます。これを遅発性水俣病(ちはつせいみなまたびょう)と呼んでいます。

    Q2-2-12 水俣病はすぐに悪化するんですか?

    A2-2-12 初期の急性劇症型の場合は発病してからどんどん悪くなる人が多かったようです。慢性(まんせい)水俣病の場合は年をとってだんだんと悪くなっていく人が多いようです。ただ、原因はよくわかりせんが、ある日突然に重症(じゅうしょう)になる人もいます。

    Q2-2-13 水俣病で、一番苦しい症状とは?

    A2-2-13 人それぞれです。歩けないことや、手足が自由にならないことが苦しいのはだれでも想像がつくと思います。中には、いつも頭痛がしてこまる、耳の中でセミが鳴いているような耳鳴りがするのがつらい、という人たちもいます。こういった症状は他の人からはわかりません。

    Q2-2-14 水俣病になるとどのくらい苦しいんですか?

    A2-2-14 苦しさははかれるものではありません。死んでしまいたいと思う人も多いですし、実際に自殺した人もいます。逆に苦しみをバネに強く生きる人、がんばる人もいます。

    Q2-2-15 水俣病はかかると、どこが一番痛いの?

    A2-2-15 多くのかん者がいて、いろんな症状があるので、人様々です。手や足が痛い、頭痛がする、肩や腰が痛いなどということはよく聞きます。

    Q2-2-16 水俣病になるとなぜ、成長が遅いんですか?

    A2-2-16 成長が遅くなるわけではありません。脳(のう)の細胞(さいぼう)が水銀にこわされるので、胎児性(たいじせい)かん者の場合、脳が部分的にはたらかないという事はあります。

    Q2-2-17 水俣病かん者は絵や字が書けなくなるんですか?

    A2-2-17 有機水銀は運動に関係する脳(のう)の部分をこわすことがあります。そうなると、手や足が思うように動かなくなります。絵や字を書こうとしても思うように手が動かないとうまくかけなくなることもあります。

    Q2-2-18 水俣病かん者と、そうではない人では、脳(のう)がどのようにちがうんですか?

    A2-2-18 水俣病の原因である有機水銀は脳や神経の細胞(さいぼう)をこわします。こわれた脳の細胞(さいぼう)はなくなりますので、アナがあいたようになります。ひどい場合にはいっぱいアナがあいた状態になることもあります。

    Q2-2-18 水俣病になると脳(のう)の神経がどうなるんですか?

    A2-2-18 からだにはいった有機水銀が脳や神経の細胞(さいぼう)の一部をこわします。こわされた細胞(さいぼう)が関係していた部分、たとえば感覚とか運動とか、がうまくはたらかなくなります。

    Q2-2-19 どんな人が水俣病にかかりやすいんですか?

    Q2-2-19 水俣病のかん者はどういう人たちが多いか

    A2-2-19 水俣病は水銀に汚染(おせん)された魚を食べておこる食中毒ですから、水銀に汚染(おせん)された魚をたくさん食べた人が病気になりやすいのです。一番魚をたくさん食べるのは漁師さんたちですから、漁師さんや海の近くに住んでいて魚や貝をたくさん食べた人たちが水俣病になりました。

    Q2-2-20 水俣病は体質的にひどくなったりするんですか?

    A2-2-20 同じ魚を同じように食べてもすぐに発病する人とおくれて発病する人、重症(じゅうしょう)な人と比較的(ひかくてき)かるい人とがいます。子供やお年寄りのようにからだのあまり強くない人が発病しやすかったり、重くなったりするようですが、わかい大人の人でも病気に敏感(びんかん)な人はいるようです。

    Q2-2-21 水俣病のかん者さんと、そうではない人の体はどこが違うの?

    A2-2-21 どこも違いはありません。有機水銀中毒、食中毒にかかっているというだけのことです。

    Q2-2-22 子供と大人ではどちらが水俣病になりやすいんですか?

    Q2-2-22 大人と子供はどちらがひどくなるんですか?

    Q2-2-22 水俣病にかかりやすい年齢は?

    Q2-2-22 水俣病は大人でもなってしまうんですか?

    A2-2-22 一般に子供の方が病気になりやすいですよね。それはからだが病気に対して強くなっていないからです。水俣病の場合も同じように汚染(おせん)された魚を食べたとしたら、子供の方が水俣病になりやすいと思います。

    Q2-2-23 慢性(まんせい)水俣病とはどういうことですか?

    A2-2-23 初期に見つかったかん者は急性劇症型の人が多く、この人たちは有機水銀を大量にふくんだ魚を大量に食べ続けた人たちで、しかも子供や老人のように病気に敏感(びんかん)な人たちでした。慢性(まんせい)水俣病というのは比較的(ひかくてき)有機水銀が少ない魚を食べたり、食べる量が少なかったり、じょうぶで病気になりにくい人だったり、様々です。症状も手足のしびれ、頭痛、耳鳴り、不眠、疲れやすいなど様々です。

    Q2-2-24 年月がたつにつれかん者さんの症状はどうなるの?

    A2-2-24 水俣病は治らない病気ですが、訓練(リハビリ)なんかで少しは良くなる人もいます。でも、たいていはだんだん年をとって症状が重くなる人が多いです。

    Q2-2-25 今でも、水俣病になる人はいるんですか?

    A2-2-25 1975(昭和50)年ころには水俣病の発生は止まっています。ただし、年をとって症状が重くなる人はいます。

    Q2-2-26 今でも水俣病で苦しんでいる人はいるんですか?

    A2-2-26 水俣病は治らない病気ですから、かん者は今も苦しんでいます。からだの病気だけではなく、水俣病かん者に対する差別や偏見(へんけん)もあります。差別や偏見はかん者にたいしてだけではありません。広い意味ではまだまだ多くの人が苦しんでいると言えます。

    Q2-2-27 水俣病になると早く死んでしまうんですか?

    Q2-2-27 水俣病のかん者さんは長生きできるんですか?

    A2-2-27 水俣病かん者が早くなくなるとは限りません。80才、90才まで生きている人もいます。ただ、ガンなどほかの病気にかかりやすく、また、病気が重くなることも多いので、平均寿命は少し短いかもしれません。

    Q2-2-28 水俣病で亡くなってしまうまでの様子を教えてください。

    A2-2-28 水俣病になったからといって、死んでしまうわけではありません。初期の急性劇症型のかん者の場合はくるったようになって死ぬ人もいました。今では、ガンなどの病気を併発して、それが直接の原因でなくなる人が多くいます。

    Q2-2-29 水俣病になると、どのくらいの割合で死亡するんですか?

    A2-2-29 1970(昭和35)年までに確認されたかん者は121人で、そのうち46人が亡くなっていました。この人たちは重症(じゅうしょう)かん者ばかりですので、症状が軽い人たちの死亡率はわかりません。

    Q2-2-30 水俣病になるとどのくらいの期間で亡くなってしまうんですか?

    A2-2-30 水俣病になったら必ず死ぬわけではありません。最初のころに見つかったもっとも重いかん者の場合は亡くなる人が多くいました。発症から死亡まで一番短い人では25日でした。

    Q2-2-31 水俣病かん者の年齢は?

    Q2-2-31 かん者さんのの年齢の平均は?

    Q2-2-31 水俣病かん者で一番多いのは何才ぐらいの人ですか?

    A2-2-31 水俣病が公式に確認されてからでも40年以上たっています。すでにかん者の半分以上の人は亡くなっているでしょう。今生きているかん者は40才以上で、平均でも70才以上でしょう。

    2-3 水俣病の治療について

    Q2-3-1 水俣病は治りますか?

    Q2-3-1 治す方法はありますか?

    Q2-3-1 水俣病を治す薬はあるんですか?

    A2-3-1 治りません。治す方法も薬もありません。水俣病は有機水銀が脳(のう)の細胞(さいぼう)(さいぼう)をこわしておこります。脳の細胞(さいぼう)は一度こわされると再生しないので、水俣病が完全に治ることはありません。

    Q2-3-2 水俣病はどのくらいの期間で治りますか?

    A2-3-2 水俣病は治らない病気です。

    Q2-3-3 水俣病が治った人はいるんですか?

    Q2-3-3 水俣病が治る確立は何パーセントぐらいですか?

    Q2-3-3 水俣病は早期に処置すれば治る?

    Q2-3-3 水俣病はリハビリで完全に治るの?

    A2-3-3 水俣病は治らない病気です。でも、リハビリ(訓練)などで、病気がかるくなったりする人はいます。

    Q2-3-4 水俣病の治療方法は? 病院では水俣病のかん者さんに対してどんな治療をしているんですか?

    A2-3-4 水俣病は治らない病気です。ですから、少しでもからだが動きやすくなるように、あるいは今以上に症状が重くならないために訓練(リハビリ)をしたり、頭痛やからだの痛みをやわらげるための薬をのんだりしています。

    Q2-3-5 水俣病の治療法が見つからないのはなぜですか?

    A2-3-5 水俣病は有機水銀によって脳や神経の細胞(さいぼう)がこわされておこる病気です。脳や神経の細胞(さいぼう)は一度こわされると元にもどらないので、完全に治す方法はありません。ただ、痛みをやわらげる薬をのんだり、訓練(リハビリ)をするくらいです。

    Q2-3-6 水俣病を治す研究はされているんですか?

    A2-3-6 研究はされていますが、水俣病は治らない病気なので、「今以上に悪くならないように」する研究が中心です。

    Q2-3-7 水俣病を治すリハビリはないんですか?

    A2-3-7 水俣病は治らない病気です。リハビリも「今以上に悪くならないように」するためのものです。

    Q2-3-8 水俣病かん者のくふうや努力があったら教えてください。

    A2-3-8 薬をのんだり、リハビリを受けたりします。足がしびれてサンダルだとぬげても気がつかないので、いつもクツをはいている人もいます。からだがそれ以上弱らないように散歩をかかさない人もいます。気持ちを強く持つために仕事に打ち込む人もいます。水俣病やかん者の苦しみを伝えるために語り部となる人もいます。

    Q2-3-9 水俣病のかん者さんはどのようなリハビリを受けているの?

    A2-3-9 症状によってちがいます。歩きにくい人は歩行訓練をしますし、手先がうまく動かない人が人形や造花を作ったりすることもあります。

    Q2-3-10 水俣病を治すのに私たちが出来ることはありませんか?

    A2-3-10 水俣病そのものは治りません。だけど、気持ちを明るくすることはできます。水俣病のことを正しく知って、差別や偏見がなくなれば、かん者は喜ぶでしょう。

    2-4 胎児性(たいじせい)水俣病について

    Q2-4-1 お母さんは水俣病ではないのに、赤ちゃんが水俣病になるのはなぜ?

    A2-4-1 お母さんのからだが、有機水銀を栄養とまちがえてどんどんおなかの赤ちゃんにおくり続けました。それで、おなかの赤ちゃんが水俣病になりました(胎児性(たいじせい)水俣病:たいじせいみなまたびょう)。そのぶんお母さんのからだに入る有機水銀が少なくなったので、症状がすぐに出なかったり、出てもかるかったりしたのです。

    Q2-4-2 胎児性(たいじせい)水俣病かん者と、水俣病かん者との違いは?

    A2-4-2 水俣病は水銀に汚染(おせん)された魚を食べて発病する病気です。ですから水銀に汚染(おせん)された魚を食べない限り水俣病にはなりません。ただ例外があって、自分では魚を食べていないのに、お母さんのおなかにいるときに、お母さんが水銀に汚染(おせん)された魚を食べたために、おなかの赤ちゃんが水俣病になることがあります。それが胎児性(たいじせい)水俣病です。

    Q2-4-3 胎児性(たいじせい)水俣病の症状とは?

    A2-4-3 水俣病は有機水銀が脳や神経の細胞(さいぼう)をこわしておこる病気ですが、赤ちゃんがお母さんのおなかの中で水俣病になった場合(胎児性(たいじせい)水俣病)や小さな子供のときになった場合(幼児性水俣病といいます)と大人になってからなる場合とでは、こわされる細胞(さいぼう)がちがっています。胎児や子供のときに水俣病になった場合には、より広い範囲の細胞(さいぼう)がこわされたりしますし、脳がまだ発達する前なので、大人の水俣病では見られない症状もあります。

    Q2-4-4 胎児性(たいじせい)水俣病は障害以外にどのような影響が出るの?

    A2-4-4 重症(じゅうしょう)の胎児性(たいじせい)水俣病かん者の場合、見た目には重度の脳性マヒのかん者とかわりません。でも、世界で最初の病気ですからわからないことがいっぱいあります。胎児性(たいじせい)水俣病かん者もみんな40才をこえました。年をとるにしたがって症状が重くなってきている人が多いようです。軽症の場合も疲れやすいとかからだに無理がきかないとか、様々なへいがいがあります。

    Q2-4-5 なぜ、胎児性(たいじせい)(たいじせい)水俣病のかん者は「水俣病」と診断されなかったんですか?

    A2-4-5 水俣病は水俣ではじめて発見された病気でした。最初は魚を食べた人だけが水俣病になると思われていました。魚を食べていないおなかの中の赤ちゃんが水俣病になるとは思わなかったからです。

    Q2-4-6 胎児性(たいじせい)水俣病は生まれる前に水俣病にかかっていることがわからないんですか?

    A2-4-6 水俣病は水俣で発生したのが世界で最初です。胎児性(たいじせい)水俣病がおこるなんてだれも考えていませんでした。二つ目の水俣病である新潟水俣病の場合は胎児性(たいじせい)水俣病が生まれる危険性がわかっていたので、妊娠規制などをしました。新潟水俣病の場合胎児性(たいじせい)水俣病かん者は一人だけだといわれています。

    Q2-4-7 胎児性(たいじせい)水俣病のかん者さんの現在のようすを教えてください。

    A2-4-7 もちろんそれぞれのかん者によってちがっています。明水園という施設(しせつ)に入園しているかん者もいます。出歩くことができなくて、家の中と近所しか出られないかん者もいます。できるだけいろんな人と出会いたくて、いろんなところに出かけるかん者もいます。病気の治療やリハビリのために病院や施設(しせつ)に通うかん者もいます。でも、重症(じゅうしょう)かん者が多いのでふつうに働いたり結婚したりするのはむずかしいようです。

    Q2-4-8 胎児性(たいじせい)水俣病のかん者さんは長生きできるんですか?

    A2-4-8 重症(じゅうしょう)かん者の場合、子供のときや若いときになくなる人もいます。胎児性(たいじせい)かん者は昭和30年代はじめに生まれていますから、今は40歳代です。水俣病は今までにない病気ですから、彼らがこれからもずっと長生きできるかどうかはだれにもわかりません。長生きしてほしいとは思いますが。

    2-5 伝染(でんせん)・遺伝(いでん)について

    Q2-5-1 水俣病はうつりますか?

    A2-5-1 うつりません。水俣病は有機水銀中毒です。有機水銀をふくんだ魚を食べて発病する食中毒ですから、魚を食べた人だけが水俣病になります。

    Q2-5-2 水俣病はどこから感染(かんせん)したんですか?

    A2-5-2 水俣病は伝染(でんせん)病ではありません。水銀に汚染(おせん)された魚を食べておこる食中毒です。

    Q2-5-3 水俣病かん者の子供はなんともないんですか?

    Q2-5-3 水俣病のかん者さんの子供は水俣病なんですか?

    A2-5-3 水俣病は遺伝(いでん)しません。水俣病は水銀に汚染(おせん)された魚を食べた人がなる食中毒ですから、汚染(おせん)された魚を食べない限りかん者の子供であっても水俣病になることはありません。

    Q2-5-4 胎児性(たいじせい)水俣病かん者の子供や孫も水俣病にかかっているの?

    A2-5-4 水俣病は遺伝(いでん)しませんから、胎児性(たいじせい)かん者の子供や孫が水俣病になることはありません。

    2-6 かん者の気持ちについて

    Q2-6-1 奇病と呼ばれた当時の水俣病かん者の家族の思いは?

    A2-6-1 水俣病の原因がわからないころは差別もひどく、いじめられたかん者もたくさんいました。苦しく、つらい思いをしていました。死んでしまいたい思う人もたくさんいました。

    Q2-6-2 水俣病の苦しみはどんなものですか?

    A2-6-2 病気の苦しみや経済的な苦しみだけではなく、様々な差別を受けたりしました。病気で苦しくても、お医者さんにもかかれない、水俣病とわかるのがこわくて人に話せないというようなこともあります。

    Q2-6-3 水俣病の原因がわかったとき、水俣病かん者はどう思ったんですか?

    A2-6-3 うつらない、伝染(でんせん)しないことがわかってほっとしたこともあるでしょうし、今までの苦しみを、原因企業のチッソにいくらかでもつぐなってほしいと思った人もあるでしょう。

    Q2-6-4 水俣病をひきおこしてしまった株式会社チッソからの賠償金(ばいしょうきん)で 亡くなった人の遺族(いぞく)の方や障害が残る結果となってしまったかん者の方々は満足しているのですか?

    A2-6-4 亡くなった人の命はもどってきません。そこなわれた健康ももどりません。賠償(ばいしょう)とは、お金によってつぐなうというだけのことです。それしかできないからです。なっとくできなくてもがまんするしかないのです。大事なことは補償(ほしょう)する、賠償(ばいしょう)することではなく、公害をおこさないことです。

    2-7 水俣病の差別について

    Q2-7-1 水俣病のかん者さんはどんな差別をうけたのですか?

    A2-7-1 はじめのころは伝染(でんせん)病ではないかとうたがわれて、家の前を通るときにハンカチで口をふさいで走りぬけるとか買い物に行ってもお金を手で受け取ってくれないとか、ひどいときは突きとばされたり、石を投げられたりすることもありました。

    Q2-7-2 水俣病のかん者がいる家族はなぜ差別を受けたんですか?

    A2-7-2 はじめのころはうつる、伝染(でんせん)すると思われていたので、近所の人たちはかん者やその家族とはつきあわないようにしました。伝染(でんせん)病ではないことがわかったあとも、そのことを知らないでうつると思っていた人もいますし、水俣病がこわい病気、きたない病気、びんぼう人がなる病気といったイメージが強くあったので、きらったりさけたりする人が多くいました。今でも多くのかん者や家族は水俣病であることをかくしています。

    Q2-7-3 水俣病の原因がわかってなかったころ、「奇病」として差別を受けたのはどうして?

    A2-7-3 うつる病気、伝染(でんせん)病と思っていた人も多く、かん者やその家族の人に近づかないようにしていた人も多くいました。うつる病気、こわい病気というイメージが人々の心を水俣病から遠ざけていたのでしょう。

    Q2-7-4 差別を受けたことでどんな気持ちになりましたか?

    A2-7-4 差別はときには病気以上に苦しいものです。差別した人をうらむ人もありましたし、死んでしまいたいと思う人もいました。

    Q2-7-5 水俣病の差別に対して対策(たいさく)はあるんですか?

    A2-7-5 差別をなくすことはとってもむずかしいことです。それは人間の生き方に関わる問題だからです。差別がまちがった知識や人伝えによっておきる場合もあります。まずは、水俣病について正しい知識を持ってもらうこと、それから人の気持ちになって考えられる人になってもらうこと、そういった小さなことの積み重ねしか方法はないでしょう。そのために私たちも努力しています。

    Q2-7-6 水俣病患者が受けた偏見の一つに、「貧乏人がなる病気」というのがあったのですが、どうしてそのような偏見が生まれたのでしょうか。

    A2-7-6 初期の患者の多くは漁師でした。漁師は少数派です(2001年の総務省の統計によると、漁業人口は31万人)。少数者の漁師に対する偏見は各地に見られますが、水俣でもあったようです。水俣やその近くの漁師は明治の中期以降に天草地方から渡ってきた人が多く、そういった「よそ者」に対する偏見もありました(「天草流れ」と呼んでいました)。水俣病患者=漁師=よそ者=貧乏人といったイメージがあったと思われます。そういう意味では水俣病によって差別が生まれたというより、もともとあった偏見差別に水俣病の差別が重なったと考えるべきでしょう。

    Q2-7-7 水俣市に住んでいて病気のことをしっている人にもかん者に対する差別はあるのですか。

    A2-7-7 どの程度「病気のことを知っている」のかによってちがいます。漁村以外の場所に住んでいる人たちは家族にかん者がいない人が多いので、水俣病のことをくわしく知っている人は少いのです。だから人のうわさ話を信じたり、かん者の苦しみをよく知らないので、知らず知らずのうちに偏見(へんけん)を持ったり、差別をしたりすることがあります。

    2-8 かん者の生活について

    Q2-8-1 水俣病かん者の生活を知りたい。

    A2-8-1 水俣病のかん者だからといって特別な生活をしているわけではありません。病気ですから、ふつうの人に比べてお医者さんにかかる回数は多いです。散歩などかるい運動を心がけている人もいます。人数は少ないですが、水俣病の経験を伝えようと語り部などの活動をしている人もいます。

    Q2-8-2 水俣病のかん者さんは家庭でふつうに生活を送ることができるんですか?

    A2-8-2 特に重症(じゅうしょう)でない場合には、見かけ上はふつうに生活しています。ただ、病気ですからふつうの人よりお医者さんにかかる回数は多いです。病気とつきあうためにそれぞれにくふうをしています。重症(じゅうしょう)のかん者や年をとって動けなくなったかん者の場合は家族の世話になったり、病院や施設(しせつ)に入院する人もいます。

    Q2-8-3 水俣病かん者の家族の生活は?

    Q2-8-3 水俣病のかん者さんはどんな生活をしているんですか?

    A2-8-3 特別に他の人と変わっているわけではありません。ただ、重症(じゅうしょう)かん者や年をとって動けなくなったかん者をかかえている家族ではかん者の看病(かんびょう)や世話に多くの時間をとられている人もいます。

    Q2-8-4 水俣病のかん者さんは日常生活でどのような不便があるのか、教えて下さい。

    A2-8-4 水俣病の症状(しょうじょう)にはいろいろありますので、不便さもそれぞれです。一番多く見られる症状は手足のしびれ(感覚障害:かんかくしょうがい)ですが、例えば足の感覚がなくなるとサンダルがぬげても気がつかないとか、つまずきやすいとか、手の感覚がにぶくなるとはしがうまく使えないとかボタンがうまくかけられないとか、様々です。(参考)

    Q2-8-5 水俣病でどんなことに苦労しましたか?

    A2-8-5 かん者も多く、症状も様々なので、それぞれちがいます。病気そのものだけではなく、病気で働けなくなってお金に苦労した人も多くいます。働く場所がなく、都会に出ていっても水俣病ということで仕事がなかなか見つからなかった人もいます。かん者というだけで、ときには水俣出身だというだけで結婚ができなかった人もたくさんいます。

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  3. shinichi Post author

    3 水俣病の原因について

    3-1 水俣病の原因について

    Q3-1-1 水俣病の原因はなに?

    A3-1-1 チッソ水俣工場から流れ出た有機水銀(ゆうきすいぎん)が魚や貝にたまって、その魚や貝を食べた人や動物が水俣病になりました。

    Q3-1-2 これを川や海に捨てたら水俣病が発生する、という物はあるんですか?

    A3-1-2 水俣病の原因は有機水銀(ゆうきすいぎん)です。有機水銀を海に(新潟水俣病の場合は川に)流したから水俣病がおきたのです。

    Q3-1-3 なぜ有機水銀が体の中に入ると水俣病になるんですか?

    Q3-1-3 なぜ、有機水銀で水俣病になってしまうの?

    Q3-1-3 有機水銀はどのように身体に害を与えるんですか?

    A3-1-3 有機水銀(ゆうきすいぎん)がからだの中にはいると脳(のう)に行きます。脳の細胞(さいぼう)に有機水銀が入りこんで、細胞(さいぼう)をこわしてしまいます。特に手足の感覚や目や耳の神経、運動にかかわる部分の細胞(さいぼう)に入りやすかったので、そういう部分に障害が現れます。それが水俣病です。

    Q3-1-4 水銀は体内のどこにたまるんですか?

    A3-1-4 肝臓(かんぞう)などの内臓にもたまりますが、脳の中に入っていくことが有機水銀のとくちょうです。内臓とちがって脳に入りこんだ有機水銀はなかなか出ていかないといわれています。

    Q3-1-5 水銀が体内に入っても、外に出ることはないんですか?

    A3-1-5 尿(おしっこ)や汗といっしょに少しずつ出ていきます。でも、脳の中に入りこんだ有機水銀はなかなか出ていかないといわれています。

    Q3-1-6 メチル水銀が頭までいくとどうなるの?

    Q3-1-6 有機水銀はどうして脳の神経をおかすんですか?

    A3-1-6 メチル水銀(=有機水銀)が脳(のう)に入ると、脳の細胞(さいぼう)にくっつき、中に入りこみます。そして脳の細胞をこわしてしまいます。そして、こわれた細胞が関係していた体の部分がうまく動かなくなります。メチル水銀(有機水銀)は脳のきまった場所にくっつきやすい性質があります。くっつきやすい場所は手足の感覚、目や耳や運動にかかわる部分です。だから、手足の感覚がにぶくなったり、目や耳や身体の運動に障害をおこすのです。

    Q3-1-7 水銀が体内に入ってどれぐらいで症状がでてくるのか?

    Q3-1-7 水銀汚染(おせん)された魚を食べてからどのくらいで水俣病の症状が出るんですか?

    A3-1-7 よくわかりません。有機水銀が体の中に入って、だんだんたまってある量になると発症(はっしょう:症状が出ること)すると言われています。発症する有機水銀の量は25ミリグラムとも言われています。この量は、水俣湾がひどく汚染(おせん)されていた昭和31年ころだと、大きめの魚を1匹か2匹食べればこえてしまう量です。でも、人によって出方は様々なようです。同じ家族で、同じ魚を、同じように食べても早く発症する人とずっとおくれて発症する人、重症になる人とわりと軽症ですむ人がいます。

    Q3-1-8 有機水銀を出した工場の名前は?

    Q3-1-8 水俣病の原因を作った会社の名前は?

    A3-1-8 チッソ株式会社水俣工場です。新潟水俣病の場合は昭和電工鹿瀬(かのせ)工場です。

    Q3-1-9 なぜ、工場が出す排水にふくまれるメチル水銀が原因だと解ったの?

    A3-1-9 熊本大学で水俣病の原因を研究していました。そして、有機水銀が原因らしいと気がつきました。水俣湾の近くで水銀を使っている工場はチッソ水俣工場だけでした。

    Q3-1-10 なぜ、工場排水にメチル水銀が混ざってしまったんですか?

    A3-1-10 アセトアルデヒドという物質を作っているときに水銀(無機水銀)を触媒(しょくばい)として使っていました。そのとき、一部が有機水銀(メチル水銀)に変化して、そのまま排水に混じって海に流れ出てしまったのです。

    Q3-1-11 水銀汚染(おせん)された魚を食べたら全員水俣病になるの?

    A3-1-11 ひどく汚染された魚を大量に食べたときに水俣病になります。少ない量だと害はありません。魚に限らずすべての生き物(人間も)にはわずかですが水銀があります。でも、健康には影響はありません。

    Q3-1-12 有機水銀以外で、水俣病の原因はあるんですか?

    Q3-1-12 メチル水銀以外に、水俣病の原因はあるの?

    A3-1-12 水俣病の原因物質は有機水銀(=メチル水銀)です。それ以外の物質では水俣病にはなりません。

    Q3-1-13 工場排水以外の原因で水俣病にかかった人はいますか?

    A3-1-13 水俣病の原因は有機水銀です。有機水銀をふくんだ魚や貝を大量に食べておこる中毒です。工場排水でなくても、有機水銀が魚や貝の中にたまるようなところであれば水俣病はおこるかもしれません。アマゾン川(ブラジル)などでは金をとるときに使った水銀が有機水銀となって魚にたまり、その魚を食べた人が水俣病になったと考えられています。

    Q3-1-14 海の水を飲んだら水俣病になりますか?

    A3-1-14 海の水にもわずかですが水銀はふくまれています。でも、ほとんどが無機水銀ですし、量もわずかですから、海の水を飲んでも水俣病になることはありません。

    Q3-1-15 どんな動物でも水俣病になってしまうんですか?

    A3-1-15 有機水銀をふくんだ魚を大量に食べれば水俣病になる可能性はあります。水俣湾や不知火海の周辺では、ネコやカラスなどの鳥が水俣病になりました。ほかにも犬や豚(ぶた)が死んだという話も聞きます。

    Q3-1-16 今でも水銀を海に流している工場はありますか?

    A3-1-16 チッソ水俣病工場も今は水銀を使っていません。日本では水俣病が発生してから水銀に対する規制(きせい)がきびしくなったので、国内では水銀を流している工場はないと思います。でも、規制のゆるい外国では今もあると思われます。

    3-2 水銀・有機水銀について

    Q3-2-1 水銀にはどんな種類があるんですか?

    A3-2-1 金属水銀(きんぞくすいぎん)と水銀化合物(すいぎんかごうぶつ)に分けられます。水銀化合物は無機水銀化合物(むきすいぎんかごうぶつ)と有機水銀化合物(ゆうきすいぎんかごうぶつ)に分けることができます。有機水銀化合物にはメチル水銀化合物やエチル水銀化合物などがあります。水俣病の原因となったのは、有機水銀でそのほとんどがメチル水銀だと言われています。

    Q3-2-2 水銀はどのような物に含まれているのですか?

    A3-2-2 海水の中にもわずかですが水銀はふくまれています。動物(人間も)にも水銀はふくまれています。量が少なければ害はありません。みなさんが見ることができるのは体温計に入っている金属水銀くらいでしょう。

    Q3-2-3 温度計などに入っている水銀は、水俣病とは関係ないんですか?

    A3-2-3 体温計などに入っている水銀は金属水銀です。水俣病の原因となったのは有機水銀(メチル水銀)ですから、直接の関係はありません。

    Q3-2-4 水銀は何から出来るんですか?

    A3-2-4 水銀はむかしからある物質(ぶっしつ)で何かが変化してできるものではありません。通常は無機水銀化合物(むきすいぎんんかごうぶつ)の形で岩石の中にふくまれていたりします。それに熱を加えたり化学変化をさせたりして金属の水銀を取り出します。

    Q3-2-5 海や川にも水銀はあるんですか?

    A3-2-5 海や川の水にもわずかですが水銀がふくまれています。でも、人間やほかの動物に害になる量ではありません。

    Q3-2-6 有機水銀ってなんですか?

    A3-2-6 水銀化合物の一つです。水銀が炭素や水素とくっついてできます。A3-2-1も参考に見てください。

    Q3-2-7 メチル水銀ってなに?

    A3-2-7 有機水銀化合物の一つで、水銀と炭素や水素がくっついてできたものです。メチル水銀やエチル水銀をまとめてアルキル水銀とも言います。A3-2-1も参考に見てください。

    Q3-2-8 有機水銀ってどんな形なんですか?

    A3-2-8 見た目には白い粉のようで、砂糖や塩とあまり違いがありません。

    Q3-2-9 有機水銀に汚染(おせん)された水は見分けがつかないんですか?

    A3-2-9 海の水にはわずかですが水銀がふくまれています。水銀は量が少ないと害はありません。水銀の量が増えても見た目には変わりませんので、見分けはつきません。

    Q3-2-10 メチル水銀は何を混ぜたら出来るんですか?

    Q3-2-10 有機水銀の原料は?

    A3-2-10 有機水銀(メチル水銀)は無機水銀が変化してできます。でき方は様々で、工場の中でできる場合もありますし、海の中で自然にできる場合もありますし、生き物の体の中でできる場合もあります。水俣病の原因となったメチル水銀はチッソ水俣病工場で無機水銀が化学変化をおこしてできたものです。

    Q3-2-11 有機水銀ってどんな所でつかっているんですか?

    Q3-2-11 メチル水銀は家庭のどこに使われていますか?

    A3-2-11 メチル水銀は猛毒(もうどく=非常に強い毒)なので、家庭でもその他でも使われることはありません。昔は毒の強さを利用して農薬として使われていたこともあります。

    Q3-2-12 メチル水銀はどのような工場から出るんですか?

    A3-2-12 チッソ水俣工場や昭和電工鹿瀬(かのせ)工場ではアセトアルデヒドという物質を作っているときにメチル水銀ができて、海や川に流れ出ました。ほかにもセメントを作っている工場から流れ出たこともあったようです。

    Q3-2-13 原因のメチル水銀は何に使われていたんですか?

    Q3-2-13 チッソ工場では有機水銀を何に使っていたんですか?

    A3-2-13 チッソや昭和電工でメチル水銀を使っていたわけではありません。アセトアルデヒドを作るときに無機水銀を触媒(しょくばい=反応を早めるための物質)として使っていたのが、化学変化をおこして有機水銀(メチル水銀)に変化してしまったのです。

    Q3-2-14 チッソから出された有機水銀の量はどのくらいですか?

    Q3-2-14 八代海に流された有機水銀の量は?

    A3-2-14 わかりません。数100キログラムとの説もありますが、それ以上だったかもしれません。今のところだれにもわかっていません。無機水銀の形で流れ出た量は数10トンとも数100トンとも言われていますが、これもよくわかりません。

    Q3-2-15 チッソ工場から出された水銀はどうなってしまうんですか?

    A3-2-15 工場から流れ出た水銀は水俣湾にヘドロとなってたまりました。一部は潮(しお=海の水の流れ)によって、不知火海に運ばれ、さらに東シナ海に流れ出ていったと思われます。水俣湾の底にたまった水銀ヘドロは浚渫(しゅんせつ=海の底をさらうこと)して、水俣湾の埋立地(うめたてち)に閉じこめてあります。

    Q3-2-16 なぜ、メチル水銀は体に悪いんですか?

    Q3-2-16 有機水銀とはどのような害があるんですか?

    Q3-2-16 有機水銀がどのように水俣病を引き起こしたんですか?

    Q3-2-16 有機水銀は身体のどこにたまるんですか?

    Q3-2-16 メチル水銀は体内でどうなるの?

    Q3-2-16 有機水銀は体の中でどうなるの?

    Q3-2-16 有機水銀は脳にどのような影響を及ぼすの?

    Q3-2-16 メチル水銀は脳のどこに影響を及ぼすんですか?

    A3-2-16 無機水銀や金属水銀は体の中に入っても、脳(のう)にまでは行きませんが、有機水銀(メチル水銀)は体の中にはいると脳に入っていきます。そして、脳の細胞(さいぼう)をこわしてしまうので、様々な障害(しょうがい)をおこすのです。特に手や足、目や耳の感覚、体の運動にかかわる部分に障害が出ます。Q2-2「水俣病の症状」も参考に見てください。

    Q3-2-17 有機水銀で一番最初に被害を受けたのは何ですか?

    Q3-2-17 メチル水銀が人間と自然に与える影響は?

    Q3-2-17 有機水銀は自然にも影響があるのか?

    Q3-2-17 有機水銀はどんな影響を与えるんですか?

    Q3-2-17 有機水銀を植物にやったらどうなってしまうんですか?

    A3-2-17 何を被害というのかによってちがうでしょう。水俣病の場合は海が汚染さ(おせん)れ、海藻(かいそう=海の植物)に異変(いへん=おかしくなること)がおこり、魚や貝が弱って浮いたり死んだりしました。汚染された魚や貝を食べたネコや鳥や犬や豚がおかしくなったり、死んだりしました。そして、人間にも被害が出るようになったのです。

    Q3-2-18 メチル水銀をどのくらい飲むと水俣病になるんですか?

    A3-2-18 25ミリグラム(1グラムの40分の1)で水俣病になるかもしれない、200ミリグラム(1グラムの5分の1)で死ぬかもしれないと言われています。でも、たいていは、一度に大量の有機水銀(メチル水銀)が体に入るのではなく、長い時間(時には何年にもわたって)をかけて、少しずつ体にはいるので、少しずつ体がおかしくなってくることが多いようです。これを長期微量汚染(ちょうきびりょうおせん)と言います。

    Q3-2-19 メチル水銀が脳(のう)の神経(しんけい)をおかすだけで死んでしまうんですか?

    A3-2-19 脳は人間だけではなくすべての動物にとって一番大切な場所です。脳がひどくおかされると食べることも呼吸することもできなくなります。だから、死んでしまうこともあるわけです。でも、そこまでひどくならない場合には(この方がずっと多いのですが)手足がしびれたり、目が見えにくくなったり、耳が聞こえにくくなったり、思うように体が動かせないとか、様々な症状(しょうじょう)がでるのです。

    Q3-2-20 有機水銀はなぜ、体外に出て行かないんですか?

    A3-2-20 有機水銀(メチル水銀)も尿(おしっこ)や汗(あせ)といっしょに少しずつは出ていきます。髪(かみ)の毛に入って出ていく場合もあります。でも、脳(のう)の細胞に入った有機水銀はなかなか出ていかないと言われています。

    Q3-2-21 有機水銀が含まれている海水の処理はどのようにしたのか?

    A3-2-21 海水に含まれていた水銀は海の流れとともに水俣湾の外に出ていきました。特に処理をしたわけではありません。問題があるのは水銀をふくむヘドロの処理です。

    3-3 水銀ヘドロについて

    Q3-3-1 土の汚染(おせん)について知りたい。

    A3-3-1 チッソ水俣工場から流れ出た水銀は水俣湾の底にヘドロとなってたまっていました。このヘドロは深いところでは4メートルにもなり、500ppmをこえるものもあり、とても危険でした。熊本県は水俣湾の一部を埋め立てて、その中に水銀ヘドロを閉じこめました。この工事には485億円というお金と14年もの年月をかけて行われました。水俣湾には58ヘクタールの埋立地が出現しましたが、その底には今も水銀ヘドロが沈んでいます。この水銀ヘドロがふたたび海へ流れ出るのではないかと心配する人も多くいます。

    Q3-3-2 水俣湾のどのへんが一番、水銀汚染(おせん)されたんですか?

    A3-3-2 チッソ水俣病工場から流れ出た水銀はヘドロとなって水俣湾につもりました。チッソの排水が水俣湾に流れ出た場所を百間(ひゃっけん)と言います。このあたりには4メートル以上のヘドロがたまっていました。ヘドロは水俣湾全体に広がりましたが、海の底がへこんだ場所ほど水銀ヘドロは多くたまっていました。

    Q3-3-3 まだ、海底には有機水銀を含んだヘドロがたまっているんじゃないんですか?

    Q3-3-3 水俣湾の土の処分は終わったんですか?

    A3-3-3 海底のヘドロに含まれていたのは有機水銀ではなく、ほとんど無機水銀ばかりでした。熊本県が水俣湾の一部を埋め立て、その中に25ppm以上の水銀ヘドロを閉じこめる工事をしました。水俣湾に残っていた25ppm未満の水銀ヘドロもじょじょに流れ出て今では10ppmをこえるような水銀ヘドロはなくなりました。(参考)

    Q3-3-4 ヘドロを処分すれば汚染(おせん)はなくなるんですか?

    A3-3-4 危険性の高かった水銀ヘドロは水俣湾の埋立地に閉じこめましたから、危険性はずいぶんと低くはなりました。水俣湾には10ppmをこえるような水銀ヘドロはありませんが、それでもほかの海と比べると数十倍もの水銀が今も水俣湾の底にはたまっています。これはすぐに水俣病がおきるようなものではありませんが、汚染が完全になくなったとは言いにくいですね。

    Q3-3-5 水俣湾の汚染(おせん)された土の処分はどうやって進められたんですか?

    A3-3-5 まず、鉄の板を組み合わせて円筒形にしました。これをセルと言います。このセルを並べて水俣湾に打ち込み、水俣湾の一部を仕切りました。次に、巨大な掃除機みたいなもので水俣湾の底に沈んでいた水銀ヘドロを吸い取って、この仕切ったところに流し込みました。そして、その上に土をかぶせて埋立地にしたのです。

    3-4 汚染(おせん)魚について

    Q3-4-1 魚や貝が水銀汚染(おせん)されてても見分けがつかないんですか?

    Q3-4-1 水銀汚染(おせん)された魚の見分け方はあるんですか?

    Q3-4-1 水銀汚染(おせん)された魚は味が変わりますか?

    A3-4-1 魚や貝に入った有機水銀の量が少ないときには、まったく見分けはつきません。水銀の量が多くなると魚は弱って海に浮かんできます。弱った魚はアミですくうこともできます。でも、魚としては新鮮なので(漁師さんたちは魚のエラを見ます。新鮮な魚はエラがきれいなのです)、食べた人も多くいました。味も変わりません。死んだ魚はだれも食べません。貝も水銀の量が多くなると口を開けたりします。

    Q3-4-2 水銀汚染(おせん)された魚にはどんな影響力があったんですか?

    A3-4-2 有機水銀に汚染された魚をたくさん食べて水俣病になったのです。たくさん水銀をふくんだ魚は弱ったり、死んだりしましたが、そういった魚を食べたネコや鳥がたくさん死にました。

    Q3-4-3 水銀汚染(おせん)された魚を主にどんな人が食べたんですか?

    A3-4-3 汚染された魚をえらんで食べる人はいません。汚染された魚をたくさん食べたのは、いつも魚をたくさん食べる人だったからです。一番魚をたくさん食べるのは漁師さんたちです。漁師さんたちの中には1日に1キログラム以上食べる人もいます。漁師さんたち以外にも魚が好きな人は、汚染されているとは知らずに魚を食べていました。

    Q3-4-4 水銀汚染(おせん)された魚をなぜとったのですか?

    Q3-4-4 かん者が出ても、魚をとっていたのか?

    Q3-4-4 水銀汚染(おせん)されていると解った後も魚をとり続けたんですか?

    Q3-4-4 水俣病の原因が魚だと解ってからも魚をとり続けたのはどうして?

    A3-4-4 水銀に汚染されているとは知らずにとっていたのです。水俣病が発見されたので1957(昭和32)年から水俣湾では魚をとることをやめていましたが、1960(昭和35)年には「水俣病はもう終わった」と言われたので、漁師さんたちはふたたび水俣湾で魚を取り始めました。また、国も県も漁獲禁止(魚をとってはいけないという命令)をしませんでしたので、漁師さんたちは魚をとり続けていました。でも、ほんとうは魚は水銀に汚染されていたので、かん者が増えたのです。

    Q3-4-5 水銀汚染(おせん)された魚は他県などに売られたんですか?

    A3-4-5 漁師さんたちも魚を売る人も、魚が水銀に汚染されていることを知りませんでした。だから魚は地域の外にも売られていきました。でも、汚染された魚が水俣病の原因らしいとわかってからは買う人もいませんので、ほとんど売られることはありませんでした。ある魚屋さんは自分の売っていた魚が水俣病の原因になるとわかって、魚を買っていた人たちに「水俣病になっているかもしれないから調べてもらってください」といって回りました。

    Q3-4-6 水銀に汚染(おせん)された魚はなぜ死なないんですか?

    A3-4-6 体の中に入った水銀の量が少ないときは影響(えいきょう)はありません。水銀の量が少し多くなってくると弱ってきます。水銀の量がすごく多くなると魚も死んでしまいます。

    Q3-4-7 魚以外にメチル水銀がたまる生物はいますか?

    A3-4-7 メチル水銀(有機水銀)は食物連鎖(しょくもつれんさ:生き物どうしの食う・食われるの関係)によって、濃縮(のうしゅく:だんだんとたまってこくなっていくこと)されると考えられています。最初、有機水銀は植物プランクトン(小さな小さな生き物)に入りこみ、それを食べた動物プランクトン(小さな生き物)に水銀がたまります。それを小さな魚が食べて、それを大きな魚が食べて、それを人間やネコが食べて、だんだんと水銀が多くなるわけです。ですから、それぞれの小さな生き物にも水銀がたまっていくわけです。

    Q3-4-8 仕切り網は効果あるんですか?

    A3-4-8 まったく効果がなかったとは言えないでしょうが、あまり有効だったとは思えません。小さな魚は網の目をすり抜けますし、船が通るために仕切り網がないところもありましたので、そこから出入りする魚もいたでしょう。一番大きな意味は「仕切り網があるから安全だ」という気持ちにさせたことでしょう。

    3-5 チッソについて

    Q3-5-1 チッソ水俣工場はいつできたんですか?

    A3-5-1 チッソはもともと水力発電の会社でした。この会社は1906(明治39)年に作られました。この電力を使ってカーバイド(アセチレンガスの材料で、電気の代わりにアセチレンはガスを燃やして明るくしたり、化学肥料の原料になったりします)を作る会社としてチッソ工場が水俣へやってきたのは1908(明治41)年のことでした。

    Q3-5-2 チッソという工場は何を作ってる工場なのですか?

    A3-5-2 最初は水力発電の会社でした。水俣に工場ができたころはカーバイドを作り、化学肥料を作っていました。そのあと総合電気化学会社となり、化学繊維、化学調味料、火薬なんかも作っていました。水俣病の原因となった水銀はアセトアルデヒドを作るときに使われました。アセトアルデヒドはプラスチックを作るときに使われました。

    Q3-5-3 水俣病が出はじめたのは、チッソ工場ができてからどれぐらいたってからですか?

    A3-5-3 水俣にチッソ工場ができたのは1908(明治41)年で、アセトアルデヒドを作り始めた(このときから水銀を使い始めた)のが1932(昭和7)年です。1942(昭和17)年には水俣病(そのときは水俣病という名前はついていません)が出ていますから、チッソ工場ができてから34年、水銀を使い始めてから10年ということになります。

    Q3-5-4 チッソ工場はなぜ、海にメチル水銀を流したんですか?

    Q3-5-4 チッソ水俣工場はどうして有機水銀を海に流したんですか?

    A3-5-4 アセトアルデヒドを作るときに触媒として使っていた水銀がメチル水銀(有機水銀)に変化して海に流れ出たのです。だから、最初はメチル水銀(有機水銀)を流すつもりはなかったし、気がついていなかったのだと思います。でも、少なくとも1959(昭和34)年にはアセトアルデヒドを作るときに流れ出た排水が水俣病の原因ということを知っていたのに、1968(昭和43)年まで流し続けていました。想像ですが、「大した被害にはならないだろう」と考えていたのではないでしょうか。

    Q3-5-5 チッソ工場の従業員は有機水銀を排出(はいしゅつ)していることを知っていたのですか?

    A3-5-5 一般の従業員はたぶん知らなかったでしょう。でも、社長や幹部の人たちは知っていたと思います。

    Q3-5-6 チッソ工場はメチル水銀が人体に悪影響だ、と知っていたのですか?

    A3-5-6 水銀が体に悪いことは昔から知られていますし、メチル水銀(有機水銀)が猛毒であることも知っていたはずです。

    Q3-5-7 チッソには有機水銀を出さないようにする設備はなかったんですか?

    A3-5-7 最初のころはまったくありませんでした。1959(昭和34)年にサイクレーターという設備を作りましたが、これは水銀を取りのぞく力はありませんでした。1966(昭和41)年に完全循環型(かんぜんじゅんかんがた)といって、りくつの上では水銀が流れでないようになりました。でも、よく事故がおこり、そのたびに水銀は流れ出たといわれれています。水銀が出なくなったのは1968(昭和43)年にアセトアルデヒドを作るのをやめたときです。

    Q3-5-8 水俣病に対して、工場の対応は?

    A3-5-8 最初は水俣病をおこしたことも、責任があることも認めませんでした。チッソ工場で使っている水銀があやしいといわれたときには、いろんな説を出して反対しました。1959(昭和34)年にはアセトアルデヒドを作るときに流れ出た排水が原因だと知っていながら、そのことをかくして「見舞金契約」(みまいきんけいやく)を結びました。そのことは1973(昭和48)年の裁判の判決で強く批判されました。

    Q3-5-9 チッソが「いろんな説を出して反対」とありますが、具体的に教えてください。

    A3-5-9 1959年7月、熊本大学は「水俣病の原因は有機水銀と思われる」と発表しました。そしてチッソ水俣工場が水銀を流したのではないかとうたがわれました。チッソは有機水銀説は間違っていると反論し、「水俣湾に沈められた爆弾が原因ではないか」と主張しました。10月にはネコ実験によって工場排水が原因であることがわかっていましたが、そのことをかくしたまま、11月には「水銀に汚染された魚は他の地方にもいるのに病気は出ていない。工場で使っているのは無機水銀なのに、魚が有機水銀に汚染されることの説明がない」などと主張しました。翌1960年には東京の大学の教授を使って「アミン中毒説」を出したこともあります。

    Q3-5-10 チッソ水俣工場の社長の名前を知りたい。

    A3-5-10 水俣工場には工場長はいますが、社長はいません。チッソは東京に本社があり、今の社長は後藤舜吉といいます。

    Q3-5-11 チッソ社員の中で水俣病になった人はどれくらいいましたか?

    A3-5-11 水俣病患者の数そのものがはっきりしないので、チッソの社員の中でどのくらいの人が水俣病にかかったのかはわかりません。チッソの社員も水俣に住み有機水銀に汚染された魚を食べた人もたくさんいたと思われます。私が知っている患者の中にもチッソに勤めていた人は何人もいます。

    Q3-5-12 また、チッソはその社員にどのような対応をしましたか?

    A3-5-12 特に対応はしていません。認定されたかん者に対しては社員であってもなかっても補償は同じです。

    Q3-5-13 社員は訴えたりしなっかたのですか?

    A3-5-13 チッソの社員だから会社を訴えたという話は聞いたことはありません。しかし、原告はたくさんいましたから、その中にチッソの社員や元社員がいたことも事実です。水俣では自分がチッソの社員だったから、あるいは家族が社員だったから認定申請をしなかったという話はたくさん聞いています。

    Q3-5-14 当時の水俣市にとってチッソは大きな影響(えいきょう)や依存(いぞん)があったようですが水俣病が認められたときの水俣市のチッソや住民への対応はどのようなものでしたか?

    A3-5-14 水俣病の原因がチッソのたれ流した有機水銀(ゆうきすいぎん)だと認められたとき(これを「公害認定」といいます)、かん者の人たちは「これでチッソにものが言える」と考えました。しかし、水俣市や一般の住民は喜びませんでした。かん者たちがチッソを相手に裁判をおこしたとき、水俣市(役所の一部の人)は「裁判をしてもムダだからやめなさい」というような働きかけをしました。そういった動きによって裁判に参加しなかったり、取りやめたかん者もいました。

    Q3-5-15 チッソは有害なメチル水銀を海にそのまま流していたそうですが、会社側は、水俣湾がヘドロでいっぱいになっても、水俣病が認定されるまでそんな悪影響がでるとは予想できなかったのですか?

    A3-5-15 水俣病が公害病と認定されたのは1968(昭和43)年ですが、少なくとも1959(昭和34)年までにチッソは水俣病の原因が工場にあることを知っていました。知っていながら1968年まで水銀を流し続けたのです。たぶん、「そんなに大きな問題にはならないだろう」と考えていたのだと思います。チッソだけではなく国も知っていたのですが、同じように考えていたのだと思います。被害者のことより、チッソが作る製品(プラスチックスを作る材料)の方を大事だと考えていたのです。

    3-6 水俣病の責任について

    Q3-6-1 だれが一番悪いんですか?

    A3-6-1 「悪い人がいた」というふうには考えない方がいいと思います。水俣病の直接の原因はチッソ工場ですから、チッソ工場が一番悪いと言うことはできるでしょう。でも、水俣病が発生しているとわかりながら政府(国)はそれを止めませんでした。チッソという会社が日本にとってとても大事な会社だったからです。かん者が増えた一番の責任は国にあると言ってもよいでしょう。でも、その国の政策(せいさく)のおかげで、日本中が経済的に豊かになったのです。国民がお金持ちになることを望み、そういう政策を実行した政府が水俣病を広げたのですから、すべての国民に責任があるとも言えます。

    Q3-6-2 チッソは水俣病の原因をつくったことを認めているの?

    A3-6-2 最初は認めませんでしたが、裁判の判決できびしく批判され、認めないといけなくなりました。

    Q3-6-3 チッソや国が責任を認めるまでどのくらいの期間がかかったんですか?

    A3-6-3 裁判の判決でチッソの責任が決まったのは1973(昭和43)年です。最初に水俣病が発生したのは1942(昭和17)年と言われていますから、それだと31年ということになります。また、公式に水俣病の発生が確認されたのは1956(昭和31)年ですから、それからだと17年ということになります。国は水俣病の責任を正式に認めたことはありません。

    Q3-6-4 工場はなぜ、水俣病の責任を認めなかったんですか?

    A3-6-4 一番はお金のためだと思います。責任を認めると賠償金(ばいしょうきん:そんがいをおぎなうために支払うお金のこと)を支払わないといけないし、アセトアルデヒドを作るのを止めるともうからなくなりますから。

    Q3-6-5 最初はどうして工場や国は責任を認めなかったんですか?

    A3-6-5 チッソ工場については上の答えを見てください。国は今も責任を認めてはいません。国が責任を認めないのは、水俣病の責任を認めると水俣病以外のことにも責任を認めないといけなくなるからだと言われています。

    Q3-6-6 チッソ工場はどのように責任をとったんですか?

    A3-6-6 まず、裁判で負けて賠償金(ばいしょうきん:そんがいをおぎなうために支払うお金のこと)を支払いました。かん者たちはそれだけでは納得しませんでした。かん者たちはチッソ本社(東京にあります)に押しかけて、会社と交渉をして補償協定(ほしょうきょうてい:補償の細かい内容を決めたもの)を結ばせました。ですから、責任をとったと言うより、とらされたと言うべきでしょう。

    Q3-6-7 裁判で勝訴(しょうそ)し、賠償金(ばいしょうきん)が入ったことで、水俣病をゆるしてしまうんですか?

    A3-6-7 賠償金が入ったことで、水俣病やチッソをゆるす人はいないでしょう。いくらお金をもらっても、死んだ人の命も、健康ももどってはきませんから。かん者たちのうらみは消えませんでした。今も「チッソがにくい」と言っているかん者もいます。でも、うらんでいるだけでは生きてはいけません。「チッソに責任をちゃんととらせるべきだ、だから倒産させないんだ」という意見もあります。「チッソがちゃんと反省をして、水俣病の教訓(きょうくん)を生かして、二度と公害を出さない、環境にやさしい会社になることこそ、水俣病で死んだ人や苦しんでいる人に対する供養やなぐさめになる」という意見を持っている人もいます。

    Q3-6-8 水俣病の原因をつくったチッソ工場に対して罰はないんですか?

    A3-6-8 製造禁止とか工場閉鎖とかはされていません。かん者に対して賠償金を支払ったり、汚染した海から水銀を取りのぞく費用は負担させられています。賠償金(ばいしょうきん)を支払わせることは、ある意味では罰でしょう。チッソをつぶさないで賠償金の支払を続けさせることも罰と言えなくはないでしょう。

    Q3-6-9 水俣病の原因を作った工場を今でもつぶさないのはどうしてですか?

    A3-6-9 まず、チッソという会社をつぶすとかん者に対する補償金(ほしょうきん)が支払えなくなります。次に、「水俣病は国の政策によって大きくなった公害事件で、水俣地域全体も被害を受けた。チッソをつぶすと被害を受けた地域がさらに被害を受ける」ということも言われています。チッソは大きな借金をかかえていますが、「チッソをつぶさずにちゃんと借金を返させる方がチッソに対する罰になる」という言い方をする人もいます。「チッソはつぶしてしまえ」という意見もありますが、つぶさない一番の理由は「かん者に対する補償ができなくなるから」ということでしょう。

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  4. shinichi Post author

    4 水俣病かん者の補償・救済について

    4-1 水俣病かん者の補償について

    Q4-1-1 見舞金契約(みまいきんけいやく)とはどのように結ばれたんですか?

    A4-1-1 1959(昭和34)年12月30日、チッソとかん者との間で結ばれた補償契約が見舞金契約です。死亡者に30万円、生存者には年間で10万円という少ない金額だったこと、「今は水俣病の原因がよくわからない。将来、水俣病の原因がチッソということがわかっても、それ以上の要求はしない」と書かれていたことなどが問題でした。当時、多くのかん者はまずしくて正月をむかえる金がないという状態だったので、しかたなく契約を結んだのでした。

    Q4-1-2 水俣病かん者への補償(ほしょう)は?

    Q4-1-2 1993年の賠償金はいくらですか?

    A4-1-2 かん者への補償はひとつではありません。熊本県や鹿児島県に水俣病と認定された患者はチッソと補償協定(ほしょうきょうてい)を結びます。補償協定を結ぶと1,600~1,800万円の慰謝料(いしゃりょう=一時金)のほかに、医療費(いりょうひ=お医者さんにかかったときに支払うお金)や年金(毎月68,000円~173,000円・2001年4月現在)などが支払われます。

    水俣病医療(いりょう)事業の対象と認められた人は一時金として260万円、ほかに医療費と療養手当(りょうようてあて=医者にかかるための交通費など=毎月17,200~23,500円)が支払われます。

    このほかにも裁判で水俣病と認められて慰謝料をもらった人もいます。(参考)

    Q4-1-3 1969年の裁判の慰謝料(いしゃりょう)はいくらですか?

    A4-1-3 1969(昭和44)年にはじまった裁判を水俣病裁判とか一次訴訟(そしょう)とかとよんでいます。この裁判は1973(昭和48)年3月に判決があり、かん者が勝ちました。裁判所が認めた慰謝料は1,600~1,800万円でした。でも、その後かん者たちはチッソと交渉して、医療費や年金も支払われるようになりました。

    Q4-1-4 他県で水俣病になった人にも賠償金(ばいしょうきん)は支払われたんですか?

    A4-1-4 水俣病の賠償金は水俣病をおこした会社が支払います。水俣病と認められているのは不知火海(しらぬいかい=八代海=熊本・鹿児島)の水俣病と阿賀野川(あがのがわ=新潟)だけです。ですから、水俣病と認められて賠償金を受け取ることができるのは熊本・鹿児島・新潟県に住んでいた人だけです。でも、そういったところからほかの県に引っ越した人の場合で水俣病と認められた場合にはチッソ(熊本・鹿児島県に住んでいた人)や昭和電工(新潟県に住んでいた人)から賠償金が支払われます。

    Q4-1-5 水俣病の補償金は何に使うんですか?

    A4-1-5 補償金と言ってもお金にはちがいはありません。「これこれに使わないといけない」というものではありません。生活費に使う人、借金を返すのに使う人、家を修理するのに使う人、船を買うのに使う人、お墓を立てるのに使う人などさまざまです。

    Q4-1-6 かん者団体はどうして1995年10月の「最終解決案」を受諾(じゅだく)したんですか?

    A4-1-6 チッソが赤字になった1977(昭和52)年ころから水俣病とは認められにくくなりました。同じところに住み、同じものを食べ、同じ病気にかかっても、申請(しんせい=水俣病だと思うから検査してほしいと申し出ること)が遅かった人は水俣病と認められませんでした。それで、チッソや熊本県と交渉したり、裁判に訴えたりした人がたくさんいました。でも、20年以上運動を続けても国も熊本県もチッソも水俣病と認めることも補償金を支払うこともしませんでした。その間にたくさんのかん者が死んだり、寝たきりになりました。国がかん者たちに示した水俣病解決策は決して満足できるものではありませんでしたが、もし、それをこばめば生きているうちに解決するとは考えられない状態だったからです。また、この解決策には「もやい直し」といって、かん者に対する差別をなくす運動に力を入れることが書かれていたのも大きな理由です。

    4-2 水俣病の裁判について

    Q4-2-1 水俣病の裁判について知りたい。

    Q4-2-1 裁判の成り行きについて知りたい。

    Q4-2-1 水俣病に関して行われた裁判等の様子が知りたい。

    Q4-2-1 何件ぐらい裁判があったんですか?

    Q4-2-1 水俣病関連で何件ぐらい裁判が行われたんですか?

    A4-2-1 水俣病の裁判は20以上あります。かん者が勝った裁判もありますし、負けた裁判もあります。和解をして裁判をやめたものもありますし、今も続いている裁判もあります。(水俣病主な争訟)

    Q4-2-2 水俣病の裁判で被告(ひこく)はどこ?

    A4-2-2 熊本水俣病の場合はチッソや国や熊本県などです。新潟水俣病の場合は昭和電工や国が被告です。くわしくは裁判の一らん表(水俣病主な争訟)を見てください。

    Q4-2-3 水俣病裁判ではどのようなことが争点(そうてん)になったんですか?

    A4-2-3 最初の裁判(第一次訴訟)ではチッソの責任が問題になりました。その後の裁判では患者が水俣病なのかどうか、国や熊本県に責任があるのかどうか、損害賠償金(そんがいばいしょうきん=被告が患者に支払うお金)はいくらにするか、などが争点になりました。

    Q4-2-4 水俣病裁判で原告の主張は?

    A4-2-4 たくさんの裁判があり、それぞれに原告の主張はことなります。(水俣病主な争訟)

    Q4-2-5 水俣病裁判での判決は?

    A4-2-5 たくさんの裁判があり、それぞれに判決はことなります。(水俣病主な争訟)

    Q4-2-6 水俣病裁判の賠償金はいくらですか?

    A4-2-6 たくさんの裁判があり、それぞれに判決額はことなります。(水俣病主な争訟)

    Q4-2-7 熊本の水俣病が先に発生したのに、新潟市の方が先に裁判になったのはどうして?

    A4-2-7 熊本水俣病が公式に確認されたのは1956年です。1959年にかん者たちは補償を求めてチッソと交渉を始め、座り込みもしました。しかし、応援してくれる人もなく、年末にチッソと見舞金契約(みまいきんけいやく)をむすぶしかなかったのです。こうして、補償問題(ほしょうもんだい)は決着(けっちゃく)し、その後水俣病は終わったとされ、熊本のかん者たちは沈黙(ちんもく)したのです。一方、新潟では1965年に水俣病の発生が確認され、1967年に裁判が始まりました。水俣のかん者たちも新潟のかん者たちの動きに勇気づけられて裁判をおこしましたが、それは1969年のことでした。熊本と新潟で水俣病が確認されるのに9年の開きがありますが、裁判をおこしたのは逆に新潟の方が2年早かったわけです。それはこの9年間の間にかん者を取りまく状況、社会の状況が大きく変化したからです。裁判は被害者・かん者の思いだけでできるものではないのです。

    Q4-2-8 裁判になる前に、チッソに排水停止を訴えた人はいるんですか?

    A4-2-8 1959年に不知火海沿岸の漁民たちがチッソに排水停止を求めました。チッソが排水を停止しないので、漁民たちはチッソに押しかけて排水を停止させようとして大さわぎになりました。しかし、チッソは排水を止めなかったのです。そして漁民だけが暴力(ぼうりょく)をふるったとして、たくさんの人が警察(けいさつ)につかまりました。熊本県議会の中には「排水を停止すべきだ」という意見もありましたが、多くの議員はその意見に反対でした。この年にはチッソの排水が水俣病の原因であることは知られていましたが、国も排水を止めるようには命令しませんでした。そのために被害者は何倍にもふくれあがりました。

    Q4-2-9 裁判に持ち込むまでにはどんな苦労があったんですか?

    A4-2-9 裁判は被害者・かん者の気持ちだけではおこせませんし、勝てません。水俣はチッソによって大きくなった町ですから、チッソに対して裁判をおこすことはとなり近所の人たちを敵にまわすことでもあるのです。ですから、かん者たちが裁判をおこすまでにずいぶんとなやみましたし、苦しみました。最後まで「裁判はいやだ」というかん者の方が多く、裁判をおこしたのは少数派のかん者でした。じっさい、裁判をおこしたとたんに近所の人があいさつもしてくれなくなったということもありました。

    Q4-2-10 水俣病の裁判が終わってからはどうなったんですか?

    A4-2-10 たくさんの裁判がありますから、その影響は違っています。裁判の種類については「水俣病主な争訟」を見てください。

    一番有名なのは水俣病第一次訴訟(みなまたびょうだいいちじそしょう)で、この裁判はかん者側が勝ちました。判決のあと原告かん者はチッソと自主交渉をしていたかん者といっしょになって水俣病東京交渉団をつくって、チッソと補償交渉(ほしょうこうしょう)をしました。そしてチッソと補償協定(ほしょうきょうてい)を結びました。この補償協定には一時金だけではなく、年金や医療手当などかん者が生きている間の補償などについて取り決められました。

    Q4-2-11 裁判はどうして20年もかかったんですか?

    A4-2-11 水俣病の裁判はたくさんあります。4年くらいで終わった裁判もあるし、20年近くかかっている裁判もあります。裁判が長くかかるのは日本の裁判制度のためです。三審制(さんしんせい)といって、一審(地方裁判所)、二審(高等裁判所)、三審(最高裁判所)で争わなければならないということや原告ひとりひとりについてくわしく調べるために原告が多いと時間がたくさんかかるということなどがあります。

    Q4-2-12 水俣病裁判が起こされたことで、被害は減ったんですか?

    A4-2-12 水俣病の裁判で原告が勝ったことによって、企業(きぎょう:会社のこと)が公害に気をつけるようになったということはあると思います。そのことによって少しは公害の被害者が増えにくくはなったとは思います。

    Q4-2-13 今でも裁判は続いているの?

    A4-2-13 「水俣病主な争訟」を見てもらうとわかると思いますが、今(2002年1月)も関西訴訟は続いています。

    4-3 水俣病の認定制度について

    Q4-3-1 水俣病認定制度はいつから始まったのですか?

    A4-3-1 1959年12月25日に厚生省(こうせいしょう:今は厚生労働省)に水俣病患者診査協議会(みなまたびょうかんじゃしんさきょうぎかい)が作られてからです。これはチッソからの要請で見舞金契約(みまいきんけいやく:1959年12月30日)によってお金を支払うべきかん者を決めるためのものでした。水俣病の認定制度は「かん者かどうか」を決めるためではなく、「お金を払うべきかどうか」を決めるためのものです。

    Q4-3-2 何を基準に水俣病かん者と認定しているんですか?

    A4-3-2 認定制度は「かん者かどうか」を調べるのではなく、「お金を払うかどうか」を決めるためのものですから、チッソの経営状態やチッソやかん者を取り巻く社会状況によって変化します。社会がかん者の味方をすれば基準がゆるくなります。チッソが赤字で苦しくなったり、政府がチッソの味方をすれば基準がきびしくなったりします。今は1977年に作られた「判断条件」をもとに認定することになっていますが、実際にはそれ以上にきびしい条件となっています。

    Q4-3-3 水俣病のかん者さんはなぜ、水俣病に認定してもらいたいんですか?

    A4-3-3 水俣病になるとお医者さんにかかるお金がいるようになります。ひどくなると働けなくなったり、寝たっきりになったりします。働けなくなると生活できませんから、水俣病の原因を作ったチッソにお金を出してもらうしかありません。お医者さんにかかるお金もチッソに出してもらうのがあたりまえでしょう。水俣病に認定されるとチッソからお医者さんのお金や生活費を出してもらえるからです。

    Q4-3-4 「水俣病」と認定されないのはどうして?

    A4-3-4 水俣病に認定するということはチッソがお金を支払うということです。かん者をたくさん認定するとチッソが支払うお金がたくさんいるようになります。チッソが支払えるお金には限りがありますから、認定患者が多くなりすぎるとチッソが倒産してしまいます。チッソが倒産すると認定かん者にお金が払えなくなり、社会問題になります。それで政府は認定の基準をきびしくして、チッソが支払うお金が増えないように、チッソが倒産しないようにしたために、認定されないかん者が増えました。

    Q4-3-5 1968年以前に未処分者がいるのはなぜか?

    Q4-3-5 公害認定(1968年)以前に「認定」という言葉が使われているのはなぜ?

    A4-3-5 1969年に「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(旧法や救済法と呼ぶ)」が公布されましたが、水俣病の認定制度はこの法律のできる前に、1959年の見舞金契約の時に始まっているからです。

    Q4-3-6 1973年から申請者が増加し、棄却者も増加しているのはなぜ?

    A4-3-6 1973年に水俣病第一次訴訟の判決が出され、補償協定書が結ばれました。このことによって認定されると補償金(一時金)や生活費(年金)、医療費がチッソから支払われることになりました。それで、それまで申請をためらっていた人たちが申請をするようになってきたからです。棄却される人が増えてきたのは1978年ころからですが、これは判断条件が出されて認定の基準がきびしくなったためです。

    Q4-3-7 認定審査会のメンバーは誰が決めるの?

    A4-3-7 認定審査会は県の諮問機関ですから県(知事)が決めます。

    4-4 水俣病の責任と補償について

    Q4-4-1 水俣病のかん者さんに対してチッソは何をしているんですか?

    Q4-4-1 工場や県はかん者に対して何をしているのか?

    A4-4-1 認定かん者に対しては補償協定書にしたがって、一時金、年金、医療費などを支払っています。医療事業の対象者に対しては一時金を支払いました。それ以外のかん者には名にもしていません。

    Q4-4-2 国・県・工場はかん者に対してどのように賠償しているのか?

    A4-4-2 チッソは上に書いたとおりですが、国や県は医療事業の対象者に対して医療費や療養手当を支給しています。

    Q4-4-3 工場が原因で公害が起きているのに、市や県が賠償金を出すんですか?

    A4-4-3 水俣病の原因となったメチル水銀を出したのはチッソ工場ですが、そのことを知りながら国も県もチッソ工場を止めませんでしたし、水銀に汚染された魚を食べることも止めませんでした。そのためにかん者はどんどんと増え続けました。ですから国や県にも責任があるのです。しかし、国も県もその責任を正式には認めていません。ですから国や県はかん者に賠償金を払ってはいません。医療費と医療手当を支払っているだけです。ただし、医療事業対象者にチッソが支払ったお金の大部分は結局国の負担となりましたから、実際には国からかん者に一時金が支払われたことになります。市は賠償金などは支払っていません。

    Q4-4-4 工場は賠償金をどのくらい出したんですか?

    Q4-4-4 工場からかん者さんへ払われた賠償金はいくらぐらいですか?

    A4-4-4 チッソが認定かん者に支払った金額(一時金、年金、医療費など)の合計は1,200億円くらいです。

    Q4-4-5 なぜ国は、チッソ工場が有機水銀を流さないように止めることができなかったんですか?

    A4-4-5 水俣病が広がった時期は日本が敗戦後の経済復興(けいざいふっこう)や高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)の時代でした。国は住民より大工場・大企業を大事にしていましたから、チッソの味方をしていたので止めなかったのです。

    Q4-4-6 なぜ、国は水銀汚染(おせん)された魚をとるのを禁止しなかったんですか?

    A4-4-6 魚をとることを禁止すると、魚がとれなくなった漁師たちにお金(漁業補償:ぎょぎょうほしょう)を支払わなければならなかったからです。

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  5. shinichi Post author

    5 公害について、水俣病以外の公害について

    5-1 公害について

    Q5-1-1 公害について教えて

    A5-1-1 企業(きぎょう:会社のこと)の活動によって地域住民のこうむる人為的災害(じんいてきさいがい)のこと。

    Q5-1-2 どんな公害があるんですか?

    A5-1-2 工場や自動車から出るけむり(煤煙:ばいえん)や毒のあるガスによる空気のよごれ(大気汚染:たいきおせん)、工場からでてくる水(廃水:はいすい)によって川や地下水、海のよごれ(水質汚染:すいしつおせん)、地下水を使いすぎることによって地面が下がってしまうこと(地盤沈下:じばんちんか)、工場の機械や自動車、新幹線、飛行機などがだす大きな音(騒音:そうおん)、ゆれ(振動:しんどう)、いやなにおい(悪臭:あくしゅう)などがあります。水俣病は水質汚染による公害です。

    Q5-1-3 公害病と水俣病は違うの?

    A5-1-3 水俣病は公害病のひとつですが、水俣病が公害病のすべてではありません。公害病には水俣病以外にイタイイタイ病や四日市ゼンソクなどがあります。

    Q5-1-4 公害の原因は何ですか?

    A5-1-4 会社や工場が出した煙(けむり)や廃水(はいすい)の中にふくまれている有害物質(ゆうがいぶっしつ)が公害病の原因です。自動車の排気ガスの中にある有害物質によっても公害はおこります。

    Q5-1-5 水俣病以外の公害病はどんなものがあるんですか?

    A5-1-5 四大公害病(よんだいこうがいびょう)は「水俣病」、「新潟水俣病」、「イタイイタイ病」、「四日市ぜんそく」ですが、それ以外にも宮崎県の土呂久(とろく)でおきた砒素中毒(ひそちゅどく)や工場の煙や自動車の排気ガスによって空気が汚されて起きた公害、飛行機や新幹線による騒音公害(そうおんこうがい)、産業廃棄物処分場(さんぎょうはいきぶつしょぶんじょう)による水汚染(みずおせん)、土壌汚染(どじょうおせん)、悪臭公害(あくしゅうこうがい)、などもあります。

    Q5-1-6 公害はどんな所でどのように発生しているんですか?

    A5-1-6 水俣病は水俣市にあるチッソという大きな工場の廃水(はいすい)が原因でした。新潟水俣病は昭和電工(しょうわでんこう)鹿瀬工場(かのせこうじょう)から流れ出た廃水が原因でした。イタイイタイ病は三井金属工業神岡事業所から流れ出たカドミウムが原因でした。四日市ぜんそくは四日市市にある石油コンビナートから出る煙が原因でした。つまり、大きな工場があるところやたくさんの工場が集まっているところで大きな公害が発生する事が多いのです。

    Q5-1-7 河川の汚染(おせん)について知りたい

    A5-1-7 河川が汚染される原因は工場廃水(こうじょうはいすい)だけではありません。家庭からでる廃水(洗濯廃水や台所排水)のほうが河川を汚染するといわれています。ダムをつくったために川が汚れてしまったという話もよく聞きます。

    Q5-1-8 農薬で公害はおきないんですか?

    A5-1-8 農業によって川や湖や海が汚れてしまうこともあります。昔は毒性の強い農薬を使っていたために農業をしている人が病気になったり、川が汚れて魚などが死んでしまうことがよくありました。

    Q5-1-9 今、公害によってどんなことがおきているんですか?

    A5-1-9 水俣病などのひどい公害の場合にはくるって死ぬ人もいました。死なないまでもいろいろな病気で苦しんでいる人はたくさんいます。病気とまではいえないかもしれませんが、新幹線の音がうるさくて眠れないというのもくるしいものです。川や海が汚されて小さな生き物や魚が死んでしまうこともあります。魚がいなくなると漁業をしている人たちにとっては生活がおびやかされることにもなります。

    Q5-1-10 公害のことで困っていることはありますか?

    A5-1-10 被害者は時には死にいたることもあります。死なないまでも毎日苦しい思いをすることもあります。川や海が汚れると泳げなくなったり、魚釣りができなくなるということもあります。漁師さんのように仕事に困る人も出てきます。

    Q5-1-11公害問題が出始めた時、困った事ってなんですか?

    A5-1-11 たくさんの種類の公害がありますから、それぞれ被害はちがっています。水俣病の場合は苦しみながら死んでいったり、体が不自由になったりしました。かん者の人たちは病気より差別が苦しいという人も多いのです。

    Q5-1-12 水俣市で水俣病以外に公害病はあるんですか?

    A5-1-12 水俣市の場合、水俣病以外には公害病はありません。しかし、水俣の近くに住んでいた人の多くが今も水俣病の被害に苦しんでいます。

    Q5-1-13 新しい公害がでる可能性はありますか?

    Q5-1-13 今後、起こりうる新しい公害は?

    A5-1-13 新しい公害は今も起こっています。くるって死ぬようなひどい症状はでないかもしれませんが、川や海、そして空気が汚れると、病気にかかりやすくなったり、生活に困ることもあります。今世界中で問題になっている地球温暖化(ちきゅうおんだんか)も、工場や自動車や家庭からでる二酸化炭素が原因だといわれています。広い意味では地球温暖化も公害といえるでしょう。

    Q5-1-14 水俣病はこれからもおきるんですか?

    A5-1-14 水俣病は有機水銀中毒(ゆうきすいぎんちゅうどく)ですので、水銀を使っていればおきる可能性はあります。世界中には水銀を使って金をとる人もいますし、クジラやマグロには水銀が含まれています。水俣病ほどひどい症状はおこらないかもしれませんが、頭痛やシビレ、疲れやすいなどの症状は出てくる可能性はあります。

    ただし、水俣の魚は安全になったので今の水俣の魚を食べても水俣病になることはありません。

    5-2 公害病について

    Q5-2-1 公害病って何ですか?

    A5-2-1 公害病とは公害によっておきる病気です。公害とは会社や工場、それに自動車や家庭から出る廃水、煙、騒音(そうおん)、振動(しんどう)などによって起こされる災害(さいがい)です。

    Q5-2-2 なぜ、たくさんの公害病があるのか教えて下さい

    A5-2-1 地球上にはたくさんの人が住み、それぞれが便利で豊かなくらしを望んでいます。そのために飛行機や自動車や電化製品を使ったりします。そういった製品を作ったり使ったりするときに環境を破壊したり、人が病気になったりします。だれでも便利さや豊かさを求めるでしょうが、そのことで環境や人(ときには自分自身も)が被害をうけることに気をつけないといけません。

    Q5-2-3 1番多い公害病は何ですか?

    Q5-2-3 公害病の中で1番多い病気はなんですか?

    A5-2-3 一番被害者の多い公害は水俣病だと思います。軽い症状の人までふくめると被害者は10万人以上を思われます。他の公害の場合も重症の人しか被害者とは認めていませんので、例えば四日市ぜんそくなどでも軽い症状の人はたくさんいると思われます。

    Q5-2-4 公害病の原因を教えて

    A5-2-4 直接的(ちょくせつてき)には工場や自動車から排出(はいしゅつ)された廃水(はいすい)、煤煙(ばいえん)、排気(はいき)ガスなどにふくまれる有害物質(ゆうがいぶっしつ)です。間接的(かんせつてき)には工場で作られる便利な製品や自動車をほしいと思う人、使っている人が環境やまわりの人や動物のことに配慮しないことが原因ともいえます。

    Q5-2-5 公害病のかん者数を教えて下さい

    A5-2-5 わかりません。被害者と認められて補償を受けている人の数なら調べればわかるでしょうが、実際には被害者と認められていない人もたくさんいますので、本当の患者数はだれもわからないのです。水俣病の場合、認定患者と呼ばれる人は2268人ですが、他にも被害を認められて医療手帳をもらった人が9438人、保健手帳をもらった人が2万人以上、自分が水俣病ではないかとうったえている人が6千人以上います。被害がありながらまだ申請をしていない人も数万人あると思われます。ですから、水俣病ひとつをとってみても患者数は2268人という人もいますし、20万人だという人もいるのです(2008年10月現在)。

    Q5-2-6 メチル水銀以外で公害病になる原因物質は何があるんですか?

    A5-2-6 メチル水銀は水俣病の原因物質です。新潟水俣病もメチル水銀が原因です。イタイイタイ病はカドミウムが原因です。四日市ぜんそくは煤煙が原因です。宮崎県土呂久公害はヒ素が原因です。それぞれの病気によって原因はちがっています。

    Q5-2-7 公害病になったら、意識はあるんですか?

    A5-2-7 公害の種類によってちがっています。水俣病の場合、重症者は自分が水俣病であることを知っています。しかし、中症者・軽症者の場合自分の病気・苦しみの原因を知らない人もたくさんいます。「私は生まれつき体が弱いんだ」とか、「年のせいで病気になったんだ」と思っている人がたくさんいるのです。

    Q5-2-8 公害病を治す薬はあるんですか?

    A5-2-8 それぞれの公害病によって治療法はちがいます。水俣病の場合、病気を完全に治す薬はありません。痛みをやわらげたり、一時的に痛みを感じなくするくらいしかできません。

    Q5-2-9 公害病の治療方法を教えて下さい

    A5-2-9 それぞれの公害病によって治療法はちがいます。水俣病の場合、頭痛薬などで一時的に痛みを感じなくすることはできますが、薬が切れるとまた痛みは続きます。重症の人の場合歩行訓練などのリハビリをすることもあります。体の力がなくなると病気がひどくなる人が多いので、毎日散歩をしたり、軽い運動を続けている人もたくさんいます。

    Q5-2-10 公害病は治りますか?

    Q5-2-10 公害病になると治るんですか?

    A5-2-10 公害の種類によってちがうと思いますが、治らないものが多いと思います。水俣病の場合だと完全に治ることはありません。病気に負けない気力としっかりと体力をつけた人は病気が軽くなったり、それ以上悪くならない人もいます。でも、残念ながら、年をとっていくとだんだんと悪くなっていくかん者が多いのです。

    5-3 公害防止について

    Q5-3-1 公害を防ぐ為にはどんなことをすればいいですか?

    Q5-3-1 公害を防ぐ方法は?

    Q5-3-1 どうやったら水俣病を予防できるんですか?

    A5-3-1 自分が公害病にならないためには他人も公害病にならないようにするしかありません。自動車が便利だからといって乗り回していると排気ガスによってぜんそくになったり、地球温暖化につながったりします。洗濯の廃水を川や海に流すと川や海が汚れ、魚が汚染され、それを食べた人がアレルギーなどの病気になることもあるでしょう。むやみに電化製品を買い換えると電化製品を作るときにでる廃水や廃棄物によって公害が起きることもあります。人間は自分一人では生きられません。同じ地球上に多くの人間や生き物が住んでいることをわすれないで、いつも他人のこと、環境のことを考えていくしかありません。

    Q5-3-2 これから、どうやって水俣病をなくしていくんですか?

    A5-3-2 水俣病はおきてしまったことですから、なくすことはできません。私たちにできることは、おなじような失敗をくり返さないために水俣病の経験(なぜ失敗したのか、どのようにして失敗したのかなど)をできるだけ多くの人に伝えていくことが一番大事だと考えています。

    Q5-3-3 公害を防ぐため、どのようなことをしているんですか?

    A5-3-3 私たちにできることは、おなじような失敗をくり返さないために水俣病の経験(なぜ失敗したのか、どのようにして失敗したのかなど)をできるだけ多くの人に伝えています。私たちは「水俣病歴史考証館」という小さな資料館をつくりました。毎年3000人くらいの人が水俣病歴史考証館を訪れます。水俣に来た人に水俣病のお話をします。私たちの話を聞いてくれる人は年間3000人くらいいます。学校などに出かけて水俣病の話しをすることもあります。水俣病を伝えるために「ごんずい」という機関誌を発行しています。その他に本を作ったりもしています。

    Q5-3-4 水俣病をを防ぐ為にどんなことをして、どれぐらい減ったんですか?

    A5-3-4 水俣病は50年以上前におきたことなので、今は防ぐことはできません。私たちにできることはおなじような間違いをくり返さないことだけです。上に書いたこと以外にもいろいろなことをしています。どんなことをしているかは相思社のホームページにいくつか紹介していますので、そちらを見てください。それ以外にもいろいろな取り組みがありますので、リンクされているホームページをたんねんに見てください。

    Q5-3-5 公害をなくすため、国・県・市がやっていることは?

    A5-3-5 国は法律を作ったり、環境を護るための基準を作ったりしています。県も条例を作ったり、海や川、空気が汚れたりするのを監視しています。もし、公害が発生したときには公害を出さないように指導したりしています。水俣市はチッソと公害防止協定(こうがいぼうしきょうてい)を結んでいます。水俣市は「水俣病資料館」を作って、水俣病の恐ろしさを多くの人に知ってもらう努力をしています。水俣病のことを知らせる本も作っています。ダイオキシンが発生しないようなゴミ焼却場を作っています。国・県・市は公害をなくす努力をしていますが、すべての公害をなくすことは非常に難しいことです。

    Q5-3-6 工場では、公害を防ぐために何をしているんですか?

    A5-3-6 チッソは水俣市と公害防止協定(こうがいぼうしきょうてい)を結んでいます。この協定によって、チッソから出される廃水(はいすい)が規制(きせい)されています。チッソは廃液(はいえき)を浄化槽(じょうかそう)できれいにして、協定で決められた値以下になるようにしています。

    Q5-3-7 公害を防ぐため、工場ではどのような設備を備えているんですか?

    Q5-3-7 公害を防ぐためにどんな設備を取り入れたか?

    A5-3-7 チッソは廃水を処理するためにサイクレーターや微生物を使って浄化する設備を作っています。工場から流れ出る廃水のpHなどを測る設備も作っています。廃水から小さな固形物を取りのぞくための沈殿プールも作っています。

    Q5-3-8 工場排水の汚染(おせん)基準は工場によって違うんですか?

    A5-3-8 重金属などについては国が定めた基準があります。チッソ工場の場合は工場と水俣市が取り決めをしています。

    Q5-3-9 公害を出さないようにする設備をつける工場がなぜ少ないか?

    A5-3-9 今は、大きな工場はみんな公害防止の設備をつくっています。水俣病がおきた当時はそのような設備を作っている工場は少なかったのです。それで日本中に公害が広がったのです。その当時(1950~1970年代)は、日本は高度経済成長といって、「ヨーロッパやアメリカに追いつけ、追い越せ」といっていた時代です。おなじ値段なら頼便利なものを、同じものならよりやすく、つくろうとしていたのです。公害防止設備をつくるとその分、製品の値段が上がって競争に負けてしまうと考えたのです。まわりの人のことや環境のことを考えないで、「便利で豊かなくらしがしたい」、「ちょっとでも安くて良いものがほしい」といった人が多くいたのが原因ともいえます。

    Q5-3-10 水俣病にならないようにするにはどうしたらいいの?

    A5-3-10 水俣病は昔におきた事件です。今は水俣の魚をどんなにたくさん食べても水俣病になることはありません。しかし、クジラやマグロには今も水銀がたくさん含まれていますから、クジラやマグロはたくさん食べ過ぎない方がよいでしょう。

    Q5-3-11 水俣病を繰り返さない為に、私たちに出来ることはないんですか?

    A5-3-11 まずは水俣病のこと、失敗の歴史を学んでください。そうすれば水俣病の問題が地球温暖化の問題にもつながっていること、環境破壊にも、人権侵害にも、そして日々の暮らしにもつながっていることがわかるでしょう。ひとりの人間がすべてのことができるわけではありません。大人にしかできないこともありますが、子どもにもできること、子どもだからできることもあります。環境のことに気をつけること、まわりの人のことを自分のことと同じように考えること、そういう身近で小さな事の積み重ねが大事なのです。

    5-4 工業と公害について

    Q5-4-1 産業の発達と公害について教えてください。

    Q5-4-1 公害と工業はどんなつながりがあるの?

    Q5-4-1 工業地帯と、公害は関係あるんですか?

    Q5-4-1 工業地帯はどうして公害が多いんですか?

    Q5-4-1 工場と公害はどんな関係ですか?

    Q5-4-1 公害病になる地域は決まっていますか?

    Q5-4-1 公害病はどんなところに多いんですか?

    Q5-4-1 公害が多いところは、工場が多いのか?

    A5-4-1 産業が発達してくると工場が増えたり、自動車が増えたりします。工場が増えて活動が活発になると工場から煙(けむり)や廃水(はいすい)がたくさん出るようになりますし、自動車の数が増えると排気ガスも増えます。もし、工場の煙や廃水、自動車の排気ガスに悪い物質(ぶっしつ)が含まれていると、川や海の水を汚したり、空気を汚したりします。汚れた空気を吸ったり、汚れた水を飲んだり、汚れた水の中で生活している魚を食べると公害病になることがあります。産業(工業)の発達と公害は深い関係があるのです。産業(工業)の発達した地域、工業地帯とか大きな工場があるところなどには公害が発生しやすいのです。

    Q5-4-2 なぜ、水俣市なんですか?

    A5-4-2 水俣市にはチッソ水俣工場という大きな化学工場があります。水俣病の発生した昭和30年頃には日本で有数の大化学工場でした。このチッソ水俣工場で作られた製品は日本の経済を支えていました。チッソ水俣工場がとても大きな工場だったので、日本で最大の公害といわれる水俣病が発生したのです。

    Q5-4-3 公害の種類と地域は関係あるんですか?

    A5-4-3 公害には大きく分けて二つの種類があります。空気を汚す大気汚染(たいきおせん)と、水を汚す水質汚染(すいしつおせん)です。工場がたくさん集まって、煙をたくさん出す工場が多いところとか、自動車がたくさん通るところでは大気汚染による公害(四日市ぜんそくや大阪の西淀川など)が発生します。水をたくさん使う工場があるところでは水質汚染による公害(水俣病や新潟水俣病、イタイイタイ病など)が発生することがあります。

    Q5-4-4 なぜ近畿地方に公害は多いんですか?

    A5-4-4 近畿地方が特に多いというわけではありませんが、近畿地方には阪神工業地帯がありますので、工場が多く、自動車もたくさん走っていますので、空気や水が汚れることが多いので公害も発生しやすいのです。

    Q5-4-5 北海道でも水俣病は発生してる?

    Q5-4-5 なぜ、北海道も海に近いのに病気にならないのか?

    Q5-4-5 北海道や四国ではなぜ、公害病がないんですか?

    A5-4-5 水俣病の原因は有機水銀(ゆうきすいぎん)です。どの魚にも少しは水銀が含まれていますが、たいていの場合は水俣病の原因となるほど多くはありません。北海道には水銀の鉱山がたくさんありますが、メチル水銀を発生させる工場がないので、魚が有機水銀で汚染されていないのです。四国にも有機水銀を発生させる工場はありません。だから、北海道や四国では水俣病は発生しないのです。

    Q5-4-6 公害というのは、自分たちを楽にさせる為に環境を壊している、というのは本当ですか?

    A5-4-6 公害はおもに産業活動によって発生します。産業活動は便利で豊かな生活を目的としています。その結果、環境を破壊し、公害を発生させることもあるのです。でも、産業活動のすべてが環境を破壊したり、公害を発生させたりするわけではありません。環境に配慮しながらよりよい生活を作っていくこともできるはずです。

    5-5 新潟水俣病について

    Q5-5-1 熊本県以外にも水俣病はあるんですか?

    A5-5-1 新潟県の阿賀野川流域にも水俣病とよく似た症状の患者が発見されています。原因は水俣病と同じ工場廃水に含まれていた有機水銀で、それが魚介類を通じて人間に害を及ぼしたのです。それで、この公害病を「第二水俣病」とか「新潟水俣病」と呼んでいます。

    Q5-5-2 新潟水俣病ってどんな病気ですか?

    A5-5-2 新潟県の阿賀野川流域に発生した有機水銀中毒症のことです。有機水銀中毒であること、魚介類を経由して発症することなど、水俣病の特徴を持っていますので、第二水俣病とか新潟水俣病とか呼ばれるようになりました。症状は熊本の水俣病と同じです。

    Q5-5-3 新潟水俣病の原因は?

    A5-5-3 熊本の水俣病と同じ有機水銀です。この有機水銀は新潟県にある昭和電工・鹿瀬工場から流れ出たものです。

    Q5-5-4 いつごろから、新潟水俣病は発生したんですか?

    A5-5-4 新潟水俣病の発生が公式に確認されたのは昭和40年5月31日日ですが、昭和39年に発病した患者が最初といわれています。

    Q5-5-5 熊本の水俣病と新潟水俣病との違いは?

    Q5-5-5 水俣病と新潟水俣病と原因は同じなんですか?

    A5-5-5 熊本の水俣病も新潟水俣病も有機水銀中毒です。有機水銀に汚染された魚介類を大量に食べて発症することも同じです。ただし、熊本水俣病は海の魚介類、新潟水俣病は阿賀野川の魚介類です。有機水銀を垂れ流した工場が熊本水俣病はチッソ水俣工場、新潟水俣病は昭和電工鹿瀬工場です。両工場ともアセトアルデヒドを作っていたことも同じです。

    Q5-5-6 新潟水俣病と水俣病の死亡者数

    A5-5-6 水俣病が直接の原因でなくなった方はそれほど多くはありません。水俣病の認定患者で亡くなる人は毎年増えています。熊本県の患者数・死亡者数は水俣病認定審査関連統計資料を見てください。

    Q5-5-7 大人と子供はどちらが新潟水俣病になりやすいんですか?

    A5-5-7 水俣病の原因は有機水銀ですが、同じ漁の有機水銀が体内に入った場合、弱い人ほど早く、そして重症になります。大人と子どもでは子どもの方が病気になりやすく、同じ大人でも体力の衰えた老人の方が病気になりやすいのです。お母さんのおなかの中にいる赤ちゃんは子ども以上に弱いので、もっとも病気になりやすく、重症の患者も多いのです。お母さんのおなかの中で水俣病になった患者を胎児性水俣病患者と呼んでいます。

    5-6 そのほかの公害について

    Q5-6-1 水俣病に似た病気はありますか?

    A5-6-1 公害病という意味では、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病という四大公害病があります。その他には足尾鉱毒事件とか土呂久ヒ素中毒公害事件とかがあります。「水俣病」=「有機水銀中毒」という意味では、熊本水俣病と新潟水俣病以外には有明海の第三水俣病やブラジル・アマゾン川の有機水銀中毒などがあります。

    Q5-6-2 イタイイタイ病のことを教えて下さい。

    Q5-6-2 カドミウムはどこから出てくるんですか?

    Q5-6-2 どんな人がイタイイタイ病になりやすいんですか?

    Q5-6-2 イタイイタイ病が治るまでにはどれぐらいの期間がかかるんですか?

    Q5-6-2 イタイイタイ病って痛いんですか?

    Q5-6-2 イタイイタイ病とはどんな病気ですか?

    Q5-6-2 イタイイタイ病のかん者の数は?

    Q5-6-2 イタイイタイ病のかん者は何人ぐらいですか?

    Q5-6-2 イタイイタイ病のかん者はどこの地域の人が多いんですか?

    Q5-6-2 イタイイタイ病の原因は?

    Q5-6-2 イタイイタイ病の裁判の結果を知りたい。

    Q5-6-2 イタイイタイ病の治療法は?

    A5-6-2 イタイイタイ病についてはホームページにいろいろ出ているので自分で調べてください。 いくつかリンクしておきますので、それを参考にしてください。

    イタイイタイ病(イタイイタイ病の発見)

    カドミウム汚染地域と地域住民の健康被害

    Q5-6-3 水俣病とイタイイタイ病はどこが違うんですか?

    A5-6-3 公害病という意味では共通部分もありますが、おきた場所も、原因も症状もちがっています。

    Q5-6-4 四日市ぜんそくとはどんな病気ですか?

    A5-6-4 四日市市のホームページに説明がありますので、それを見てください。また、四日市再生「公害市民塾」 のホームページにも説明があります。

    Q5-6-5 熊本と新潟以外で水俣病はありますか?

    Q5-6-5 新潟と水俣以外で水俣病はあるんですか?

    A5-6-5 水俣病を「有機水銀に汚染された魚や貝をたくさん食べておこる病気」というふうに考えると、日本では有明海でおこった第三水俣病がありますし、カナダや中国などでもありました。今も、ブラジルのアマゾン川で有機水銀中毒が発生し、拡大しつつあるようです。

    Q5-6-6 4大公害病の他にどんな公害病がありますか?

    A5-6-6 古くは足尾鉱毒事件や土呂久ヒ素中毒など鉱山・精錬に関連するもの(昔は「鉱害」と言っていた)や、尼崎、西淀川、川崎など各地に大気汚染公害病などが知られています。

    Q5-6-7 海・川・水・大気・土の汚れ、騒音・振動以外にどんな公害がありますか?

    A5-6-7 「公害健康被害の補償等に関する法律」というのがあって、そこでは「大気汚染」と「水質汚濁」の二つを対象としています。この他では、騒音・振動や悪臭、低周波公害、地下水を大量に取水する事による地盤沈下などが考えられるでしょう。。

    Q5-6-8 ほかの公害病の特徴は?

    A5-6-8 公害病に共通していることは、被害者の側には責任がないこと、被害が深刻であること、被害者の数や地域に広がりがあること、加害者が強者であること、解決までに長い時間がかかっていることなでしょうか。

    Q5-6-9 慢性(まんせい)砒素中毒について教えて

    A5-6-9 宮崎県の土呂久鉱山のヒ素中毒が有名です。土呂久は江戸時代から銀鉱山として採掘され、のちに亜砒酸を製造する亜砒焼きを行っていました。亜砒焼きによる毒煙や焼き殻によって、大気、水、土が汚染されました。そして様々な生物、農作物、そして人間も被害を受けました。慢性ヒ素中毒の症状としては、脱力、食思不振、嘔吐、上気道粘膜の刺激、鼻中隔穿孔、メラニン沈着、皮膚角化、末梢性ニュウロパチーなどが見られるそうです。土呂久公害に取り組んでいる人たちがアジア砒素ネットワークというものを作り、今、バンクラディッシュの地下水のヒ素汚染問題に取り組んでいます。

    5-7 外国の公害について

    Q5-7-1 外国で水俣病と似た公害はあるんですか?

    Q5-7-1 外国にも水俣病はあるんですか?

    A5-7-1 参考になるホームページを紹介します。

    ・熊本日日新聞新聞・水銀汚染MAP(リンク切れ)

    ・熊本日日新聞新聞・アマゾンの有機水銀中毒(リンク切れ)

    ・熊本日日新聞新聞・世界各地で被害 多様な暴露形態(リンク切れ)

    ・熊本日日新聞新聞・世界の主なメチル水銀中毒の報告例

    5-8 四大公害事件について

    Q5-8-1 4大公害病の原因はどのように違うんですか?

    A5-8-1 (熊本)水俣病と新潟水俣病は有機水銀、イタイイタイ病はカドミウム、四日市ぜん息は大気汚染が原因です。

    Q5-8-2 4大公害病のなかで、1番恐ろしいのは?

    A5-8-2 原因、症状、被害地域の広がり、被害者の数などに違いはありますが、どれも深刻なもので、被害者にとっては一生に関わるものです。どの公害が一番恐ろしいとかは言えません。

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  6. shinichi Post author

    6 現在のようすについて

    6-1 かん者のようすについて

    Q6-1-1 水俣病の現状はどうなっていますか?

    A6-1-1 水俣病は治らない病気です。ですから、毎月数回はお医者さんに通っています。中には毎日のように医者通いをしている人もいます。胎児性患者(たいじせいかんじゃ=お母さんのおなかの中で水俣病になった人)も40歳を越えました。胎児性患者は重症(じゅうしょう)の人が多いのですが、年をとって症状がますます重くなっている人が多いのです。数年前までは歩いていた人が車いす生活になったりする人もいます。

    Q6-1-2 今も水俣病のかん者さんはいるんですか?

    A6-1-2 水俣病が発見されてから40年以上が立ちました。その間に半数以上の患者がなくなりました。それでも、数千人のかん者が今も生きています。水俣病は治らない病気なので、すべてのかん者が死にたえない限り、水俣病かん者がいなくなることはありません。

    Q6-1-3 水俣病かん者の生活を今と昔はどう違うんですか?

    A6-1-3 かん者だからといって特に変わるということはありません。そのときそのときの社会の変化で生活が変わっていくのは、かん者でない人と同じことです。ただ、年をとると病気が重くなる人が多いので、以前より医者にかかったり、入院したりする人は多くなっています。

    Q6-1-4 水俣病かん者と、周りの人の様子は

    A6-1-4 水俣では「もやい直し」といって、水俣病かん者とかん者以外の人が仲良くなろうとする運動が行われています。水俣病のことをちゃんと知ろうという人も少しずつ増えてきています。でも、まだまだ水俣病や水俣病かん者をきらう人も多く、多くのかん者は自分が水俣病かん者であることをかくしています。

    Q6-1-5 水俣病のかん者さんたちは現在どうしているですか?

    Q6-1-5 現在の患者さんの生活を教えてください。

    A6-1-5 水俣病のかん者であっても、特別にほかの人と変わりはありません。ちがいはみんな病人ですから、自分の病気とつきあっていることぐらいでしょうか。少ない人でも月に数回、多い人は毎週何回かお医者さんにかかっています。

    Q6-1-6 水俣病が治った人は今は何をしているんですか?

    A6-1-6 水俣病は治らない病気です。ですから、この質問には意味がありません。

    Q6-1-7 今でも水俣病の被害は続いているんですか?

    A6-1-7 水俣病は治らない病気ですから、その意味では被害はすべてのかん者が亡くなってしまうまで続くといってよいでしょう。水俣病の被害は病気の苦しさだけではありません。水俣病や水俣病かん者に対する偏見(へんけん)や差別もあります。偏見や差別は時には病気以上にかん者を苦しめます。そして、偏見や差別はなかなかなくならないのです。

    Q6-1-8 今でもかん者さんの生活が苦しいことはあるんですか?

    A6-1-8 ほとんどの水俣病かん者は毎月何回もお医者さんにかかったり、時には入院したりします。多くのかん者の医療費はチッソや国や県が出してくれるので、医者代の心配をしなくていい人が多いのですが、病気のために働けなくなったりする人も多く、苦しい生活をしている人もいます。

    6-2 地域のようすについて

    Q6-2-1 現在の水俣市の様子は?

    Q6-2-1 周囲の反応は今と、昔ではどんなに違うか

    A6-2-1 最近はずいぶんと変わりました。以前は水俣病のことを話す人はほとんどいなかったのですが、最近はいろんな場所で水俣病のことを話す人が増えてきました。水俣病や水俣病かん者を悪く言う人はずいぶんと少なくなりました。

    Q6-2-2 まだ、漁師をしている人はいるんですか?

    A6-2-2 海があり、魚がいる限り漁業は続きます。海岸の人、島の人にとっては漁業は中心的な産業ですから、漁業で生活している人はたくさんいます。ただ、最近は海が汚れて魚が少なくなり、漁業で生活できなくなり、漁業をやめる人も多くなっています。これは水俣病のためではなく、山の木を切ったり、ダムをつくったり、環境に悪い生活排水が海に流れ込んだためと思われます。

    Q6-2-3 水俣の特産品は?

    A6-2-3 昔は寒漬け(かんづけ)という大根をほしてつくるつけものとか、和ろうそくの原料となるハゼの実などがありました。最近は水俣病を経験した町だから健康や環境にやさしいものを作ろうということで、低農薬で栽培するみかんや甘夏みかん、無農薬栽培のお茶やお米、低農薬で作るサラダタマネギなども売られています。

    Q6-2-4 水俣の人は水俣湾で取れた魚をたべているんですか?

    A6-2-4 水俣湾の魚が安全になったので、水俣湾でとれた魚を食べても問題はありません。

    Q6-2-5 水俣の人が作っているみかんはどこで買えるんですか?

    A6-2-5 いろんなところで売っていますが、相思社でも注文があれば送っています。

    6-3 水俣湾のようすについて

    Q6-3-1 現在の水俣湾の様子は?

    A6-3-1 水銀に汚染された魚はいなくなったということで、1997年に仕切り網がとられて、水俣湾でとれた魚も市場に出回るようになりました。(参考)

    Q6-3-2 川や海は元のきれいな水に戻りましたか?

    A6-3-2 水俣の海はきれいになりました。水俣をおとずれた人はみんな、水俣の海のきれいさにおどろきます。水俣湾にはサンゴ礁(しょう)もあります。熱帯魚も住んでいます。サンゴは岸からは見えませんが、熱帯魚は岸からでも見られるときがあります。色のきれいな熱帯魚を見て感動する人も多いです。

    Q6-3-3 水俣の海ではどんな魚が捕れるんですか?

    A6-3-3 タイ、ブリ、イワシ、タチウオ、ガラカブ、アジ、チヌ、ボラ、イカ、タコなどいろんな魚がとれます。

    Q6-3-4 水俣湾では今でも漁業をしているんですか?

    A6-3-4 水俣湾の魚の安全が確認されたので、1997年に水俣湾の仕切り網が取り払われました。今では水俣湾でとれた魚も市場に出るようになりました。

    Q6-3-5 今でも水俣湾の魚は食べてはいけないんですか?

    A6-3-5 1997(平成9)年に熊本県は水俣湾の魚について安全宣言(=食べても安全です)をし、仕切り網を撤去(てっきょ)しました。それからは湾内の魚を食べることが公式に認められるようになりました。

    Q6-3-6 再開された漁業の様子が知りたい。

    A6-3-6 再開されたのは水俣湾内だけです。湾の外(仕切り網の外)はずっと漁を続けていました。湾内は汚染魚捕獲(おせんぎょほかく=水銀に汚染された魚をとってしまうこと)によって、ずいぶんと魚が少なくなっていましたので、漁場としては汚染前とはくらべものにならないくらい悪くなっていました。元のように良い漁場にもどるにはこれから何年もかかると思われます。

    Q6-3-7 現在水俣の海はどれぐらいきれいなんですか?

    A6-3-7 海水はずいぶんときれいになっています。10メートル以上の深さの海底が見えるほどです。ただし、海底には今もヘドロが残っているので海底をかき混ぜると細かいヘドロが舞い上がって回りが見えなくなります。

    Q6-3-8 水銀汚染(おせん)された水は2度と元には戻らないんですか?

    Q6-3-8 水銀汚染(おせん)された水をどのようにしてきれいにしたんですか?

    Q6-3-8 元のきれいな水に戻るまで何年かかるんですか?

    A6-3-8 海にも流れがあるので、たえず水は入れかわっています。ですから、水銀に汚染された海水は水俣湾の外に出て行き、海水そのものはずっと以前からきれいになっています。

    6-4 水銀ヘドロについて

    Q6-4-1 水銀汚染(おせん)された海をどうやってきれいにするんですか?

    Q6-4-1 もう、水俣湾には有機水銀は残ってないんですか?

    Q6-4-1 水俣湾にふくまれる有機水銀の量は減ってきているんですか?

    A6-4-1 海水は入れかわるのでチッソが水銀の垂れ流しをやめるとすぐにきれいになっています。海底には水銀を含んだヘドロがありましたが、浚渫(しゅんせつ=水底の土砂をさらうこと)したので、海底の水銀もほとんどなくなりました。浚渫された海底の水銀ヘドロは水俣湾に埋立地を作って閉じこめてあります。

    Q6-4-2 埋め立てたヘドロからは水銀はでてこないんですか?

    A6-4-2 鉄の板で埋め立てた水銀ヘドロと海水は仕切られています。ですからほとんど外には流れでないと思います。しかし、鉄の仕切りは50年しか持たないと言われていますので、鉄がさびてアナがあいたり、仕切りがこわれたりすると水銀が海に流れ出る危険性はあります。

    6-5 汚染(おせん)魚について

    Q6-5-1 今でも、水俣でとれた魚を食べると水俣病になってしまうんですか?

    Q6-5-1 今でも、水俣病にかかる危険性はあるの?

    Q6-5-1 メチル水銀が含まれた魚や貝はまだあるんですか?

    Q6-5-1 今でも水銀汚染(おせん)された魚は捕れますか?

    Q6-5-1 水俣湾で取れた魚には、まだ有機水銀が残っているんじゃないんですか?

    Q6-5-1 今も水銀汚染(おせん)された魚を食べているんですか?

    A6-5-1 基準値以上に水銀をふくんだ魚はもういません。ですから、水俣湾の魚を食べても水俣病になることはありません。ただし、水俣湾の魚に限らず、すべての魚にはわずかですが水銀がふくまれています。わずかの水銀でも長い間食べ続けるとなんらかの障害がでてくるのではないかと心配する人もあります。これを長期微量汚染(ちょうきびりょうおせん)と言いますが、影響については現在研究中でまだくわしくはわかっていません。

    Q6-5-2 今も水俣湾で魚をとっているのはなぜですか?

    A6-5-2 1997(平成9)年に基準以上の水銀をふくむ魚がいなくなったことが確認されて、水俣湾の魚をとったり、食べたりしても良いことになりました。

    Q6-5-3 水俣湾のヘドロは埋めたが、魚などはどうなったんですか?

    A6-5-3 水銀の汚染された魚はミンチにしてドラム缶にコンクリートづめにして、埋立地の底に埋めこみました。

    6-6 チッソについて

    Q6-6-1 チッソ水俣工場は今でもあるんですか?

    A6-6-2 あります。ただし、前とくらべれば働いている人の数は少なくなっています。それでも、水俣では一番大きな工場です。

    Q6-6-2 現在のチッソ水俣工場はどんなことをしているんですか?

    Q6-6-2 現在のチッソの工業活動を教えてください。

    A6-6-2 アセトアルデヒドを作るのは1968年にやめましたが、今もさまざまな製品を作っています。中心になっているのはファインケミカルズといって、パソコンや電卓に使われている液晶(えきしょう)などの高い技術力が必要な製品です。液晶は世界中の半分以上をチッソ水俣工場で作っています。

    Q6-6-3 今でも、チッソ工場は工場排水を川や海に流していますか?

    A6-6-3 流しています。ただし、水俣市と公害防止協定(こうがいぼうしきょうてい=汚れた水は流さないという取り決め)を結んでいますので、工場からは危険な水は流れ出ていないことになっています。

    Q6-6-4 今でも、チッソは水銀汚染(おせん)された排水を流しているんですか?

    Q6-6-4 工場の有機水銀を含んだ排水は今はどうなっているのですか?

    Q6-6-4 以前と比べて、工場排水は?

    A6-6-4 1968(昭和43)年からチッソ水俣工場は水銀を使わなくなりました。ですから、それから後は水銀は流れ出ていないことになっています。

    Q6-6-5 以前と比べて、川(=排水路:はいすいろ)のようすは?

    A6-6-5 1968(昭和43)年にチッソは水銀を使わなくなりましたが、水俣湾だけではなく排水路にも水銀ヘドロはたまっていました。1988(昭和63)年に排水路の水銀ヘドロの浚渫(しゅんせつ=水底の土砂をさらうこと)されました。

    Q6-6-6 水俣病の原因を作ったような工場を、なぜ水俣の人は必要としているんですか?

    A6-6-6 チッソ工場が水俣にできて、水俣の町は大きくなりました。明治時代から公害が社会問題になるころ(1970年代)までは、日本中の人たちのほとんどが大きな会社、大きな工場があることは良いことだと思っていたのです。だれも公害について考えていなかったし、公害という言葉自体使われていませんでした。自動車は便利なものですが、排気ガスをまきちらしました。公害が問題になるまでは大きな工場はほとんど煙をもくもくと出していました。そして大気汚染を引きおこしましたが、ほとんどの人々はそのことを問題だとは思っていませんでした。水俣の人たちも同じです。チッソ工場が大きかったために大きな公害がおきたのです。水俣の人たちの問題ではなく、世界中の人々の共通の問題です。

    Q6-6-7 現在、工場では、環境汚染(おせん)しないような設備になっているんですか?

    Q6-6-7 チッソ工場は二度と公害を起こさないようにどんな努力をしているんですか?

    Q6-6-7 工場は水俣病に対し、どのような対策(たいさく)・工夫・責任をとっているの?

    A6-6-7 チッソ工場は1968(昭和43)年に水銀を使うのをやめています。今では水俣市と公害防止協定を結んで、基準以上の汚れた水は流さないようになっています。責任については「水俣病かん者の補償・救済について」を見てください。

    Q6-6-8 現在チッソ水俣工場に勤めている人は水俣病のことをどう思っているんですか?

    A6-6-8 「自分の会社の責任だから二度と公害を出してはいけない、かん者の補償はちゃんとしなければいけない」と考えている人もいますが、水俣病のことをよく知らない人も多いようです。

    Q6-6-9 チッソに対して言いたいことは何ですか?

    A6-6-9 チッソに限らず会社とか組織というものは人によって作られているのです。チッソの責任者は水俣病の責任をちゃんと考えなければなりません。水俣病のことを社員にきちんと伝え、それぞれの社員が会社のことだけではなく、地域のこと、社会のことを考えるようにしてほしいと思います。チッソの社員だけではなくみんなに水俣病のことをよく知ってもらい、自分の生き方、暮らし方を考えてほしいと思います。これは大人だけではなく、みなさんのような子供にとっても同じことです。

    6-7 かん者の願いについて

    Q6-7-1 水俣病かん者の気持ちは?

    Q6-7-1 水俣病かん者の願いとは?

    Q6-7-1 水俣病のかん者さんの一番の願いとは?

    Q6-7-1 私たちに伝えたいこと、解ってもらいたいことは何ですか?

    A6-7-1 かん者はたくさんいますし、それぞれに思いはちがっています。かん者の浜元二徳さんたちは水俣病の語り部として水俣病のことを多くの人に伝えています。「二度と同じあやまりをくりかえさないようにしてほしい」という気持ちを強く持っています。(もっと詳しい説明)

    Q6-7-2 かん者さんにとって、水俣病とはどのような病気ですか?

    A6-7-2 複雑な思いがあるでしょう。病気と一生つきあっていかなければなりませんから、それぞれに苦しい思いがあり、病気とのつきあい方の工夫もしています。原因企業であるチッソをうらむ気持ちもあるでしょう、かん者を差別する人たちをにくむ人もあるでしょう。チッソを止めなかった政府をにくむ人もあります。数は少ないですが、中には、水俣病になったことで深く物事を考えるようになり、世の中のことがわかるようになった、多くの人と知り合えるようになったと考える人もいます。

    Q6-7-3 水俣病かん者の家族は水俣病についてどう思っているんですか?

    A6-7-3 これも様々です。親や兄弟を亡くした人たちのうらみはなかなか消えません。子供を亡くした人の気持ちはもっとつらいでしょう。子供が病気で今も苦しんでいるのを見る親の気持ちは何とも言えません。「私が死んだらこの子はどうなるの」という言葉を聞いたことがあります。いつも不安で心配ばかりという人もいます。

    Q6-7-4 もしも、水俣病が治ったら何をしますか?

    A6-7-4 水俣病は治らない病気です。「治ったら」というのはまったく架空(かくう)の話になります。だから、かん者にそのことを聞くことじたい残酷(ざんこく)なことです。でも、人の良いかん者なら「水俣病が二度とおこらないように努力します」と答えるかもしれません。

    6-8 市民の願いについて

    Q6-8-1 水俣の人は水俣病についてどう思っているんですか?

    A6-8-1 いろんな考えの人がいます。「水俣病なんかがあるから町がダメになった」と考える人もいますし、「水俣病があったからこそ、いろいろわかったし、それをいかしていい町にしよう」という人もいます。40年以上の長い歴史とそれぞれの人がいろんな経験をしていますからひとことでは言えません。

    Q6-8-2 水俣病に対して水俣市民の関心は?

    A6-8-2 関心といってもいろんな意味があります。「水俣病なんかなかったらよかったのに」というのもありますし、「水俣病の教訓を町作りにいかそう」という人もいます。以前とくらべると水俣病に対して前向きにとり組んでいる人は多くなっています。でも、「水俣病なんかには関わりたくない」と思っている人の方が多いでしょう。それは水俣病でつらい思い、苦しい思いを経験した人が多いからです。

    Q6-8-3 水俣病に対して水俣の人たちの反応は?

    A6-8-3 「水俣病の教訓をいかして、水俣を人や環境(かんきょう)にやさしい町にしていこう」という人たちもいます。でも、水俣病の長い歴史の中で多くの人たちがつらい思いをしてきましたから、「水俣病なんかには関わりたくない」と思っている人の方が多いようです。

    Q6-8-4 水俣市民の願いは?

    A6-8-4 以前は「水俣のマチは水俣病でダメになった」「水俣病という名前があるからいけないんだ。水俣病という名前を変えてほしい」という人がとてもたくさんいました。今は「水俣病の教訓をいかして、よわい人や環境(かんきょう)や健康のことを考える町にしたい」と思う人がふえてきました。「水俣病というつらい、苦しい事件があったから水俣のマチがよくなったんだ。水俣の町に生まれ、育ったことは自分のほこりだ」と思えるようにしたいですね。

    6-9 もやい直しについて

    Q6-9-1 もやい直しとはどういうことですか?

    A6-9-1 「水俣病10の知識」や「水俣病について知っておいてほしいこと」を見てください。

    Q6-9-2 その中の「人と人との関係」の取り組みは、どのようなことをするのですか?内容を具体的に教えてください。

    A6-9-2 例えば、水俣市民が水俣病患者の話を聞く「水俣病市民考座」というのが開かれました。水俣病犠牲者の魂(たましい)をなぐさめる「火のまつり」が一般市民が中心となって開催しています。ほかにもいろんな取り組みがあります。相思社機関誌「ごんずい」にも「もやい直しの年表」や特集記事がありますので、参考にしてください。

    Q6-9-3 「もやい直しのもやいとは、もともと船と船をつなぐことや共同でことを行う意味です」と書いてあったのですがどのように船と船をつなぐのですか?

    A6-9-3 「水俣病10の知識」にある写真を見てください。2艘(そう)の船が綱(つな)で結ばれています。「もやい船」と呼ばれています。

    Q6-9-4 「共同でことを行ったりする」というのは、どういうことをするのですか?

    A6-9-4 少し前までは大都会以外ではごく普通に「結い(ゆい)」とか「もやい」あるいは、「講(こう)」といったものが行われていました。地域の共有林をみんないっしょになって手入れするとか、お金を出し合って共同で水道を作ったり、神社の修理をしたりしていました。また、みんなでお金を出し合って必要な人に貸し出すというようなこともしていました。言葉は違っても「相互扶助(そうごふじょ=おたがいに助け合う)」という意味で共通していますし、いろんな地域で行われていたことです。

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  7. shinichi Post author

    7 水俣病の研究調査・相思社・水俣病の教訓について

    7-1 水俣病の研究調査について

    Q7-1-1 水俣病を研究している所は何ヶ所ぐらいあるの?

    A7-1-1 大学の先生が個人的に研究しているところもあるので数はわかりません。ふえたり、へったりしていると思います。

    Q7-1-2 水俣病研究センターは全国で何ヶ所ぐらいあるんですか?

    Q7-1-2 水俣病の研究・調査はどこがやっているんですか?

    A7-1-2 にたような名前の施設としては、「水俣病センター相思社」、「国立水俣病総合研究センター・水俣病情報センター」、「水俣市立水俣病資料館」、「(熊本学園大学)水俣学研究センター」、「新潟水俣病資料館」くらいでしょうか。

    Q7-1-3 水俣病についてのホームページがあれば教えて下さい

    A7-1-3 相思社ホームページのリンク集を見てください。

    Q7-1-4 研究者は水俣病の何を研究しているのですか?

    A7-1-4 自分たちのきょうみのあることです。例えば、国立水俣病総合研究センターだと「水銀の分析(ぶんせき)のしかた」だとか、「どうすれば土の中にふくまれている水銀をとりのぞくことができるか」だとか、ひとりひとりの研究者によって研究の目的はちがいます。

    Q7-1-5 水俣病について調べている研究者はどのくらいいるんですか?

    A7-1-5 ふえたりへったりしますので、人数はわかりません。でも、それほど多くはないことはたしかだと思います。

    Q7-1-6 水俣市役所はどんなことを調べているの?

    A7-1-6 水俣市役所は研究所ではないので、水俣病のことを調べてはいません。

    Q7-1-7 最近、水俣病について解ってきたことはありますか?

    Q7-1-7 現在、研究で、どのようなことがわかってきたの?

    Q7-1-7 水俣病の研究でわかったことは?

    A7-1-7 水俣病の研究している人がいますので、それぞれ新しい発見はあると思います。相思社でもいつも新しい発見があります。小さな発見も多いのですが、大きなものでは被害者(ひがいしゃ=かん者)の数が今まで思っていたより多いという事です。2004年くらいまでは2万人あまりだと思っていましたが、今では少なくとも10万人以上の被害者がいることがわかってきました。

    Q7-1-8 水俣病関連のパネルなどはどこで借りられるんですか?

    A7-1-8 相思社で貸し出ししています。他には水俣市立水俣病資料館や国立水俣病総合研究センター・水俣病情報センターなどでも借りることができます。

    7-2 水俣病センター相思社について

    Q7-2-1 水俣病センターの役割と様子は?

    Q7-2-1 相思社ではどんなことをしているのか?

    Q7-2-1 水俣病センターではどのような仕事をしているんですか?

    Q7-2-1 研究で解明したいことは何ですか?

    Q7-2-1 水俣病の調査ってどんなことをしているんですか?

    Q7-2-1 水俣病についてどんな研究をしていますか?

    A7-2-1 水俣病センター相思社のホームページを見てください。

    Q7-2-2 何年前から調査をしているんですか?

    A7-2-2 相思社がつくられたのは1974年4月です。

    Q7-2-3 センターで働いている人は何人ぐらいですか?

    A7-2-3 年によってちがいます。今年(2009年)は5人です。

    Q7-2-4 センターで働いている人はどんな人たちですか?

    Q7-2-4 どうして、水俣病センターに勤めようと思ったんですか?

    Q7-2-4 センターで働いている人は、水俣病についてどう思いますか?

    Q7-2-4 研究しているとき、つらいことはありますか?

    A7-2-4 職員のページを見てください。

    7-3 対応・対策(たいさく)について

    Q7-3-1 有機水銀を出す、工場を増やすと日本はどうなってしまうのか?

    A7-3-1 もし有機水銀を出す工場がふえると水俣病ににた病気もふえるでしょう。でも、日本だけではなく世界中で有機水銀を出すことは禁止されていますから、今では工場廃水によって水俣病がおきることは先進国ではないと思われます。

    Q7-3-2 日本に公害対策(たいさく)の法律はあるんですか?

    A7-3-2 公害対策基本法などの法律があります。

    Q7-3-3 公害を防ぐ決まりとはどんなものですか?

    A7-3-3 公害対策基本法などの法律や都道府県・市町村の条例などに書かれています。水や空気を汚してはいけない、など、工場や国や県などが守らなければならないことが書いてあります。

    Q7-3-4 国や県、市がとった対策(たいさく)は?

    Q7-3-4 国は、水俣病が発生したときどのような対応をしていたのですか?

    Q7-3-4 水俣病発生当時の工場・県・市の対応は?

    Q7-3-4 水俣病に対して、国・県・市の対策(たいさく)は?

    Q7-3-4 水俣病に対する国の対応は?

    Q7-3-4 今までどんな水俣病対策(たいさく)をしてきましたか?

    Q7-3-4 水俣病への取り組みについて、何をしているんですか?

    Q7-3-4 水俣病の対策(たいさく)は?

    Q7-3-4 水俣病への対策(たいさく)は?

    A7-3-4 いろいろと対策をとりましたが、いつも遅すぎたり、不十分だったので、水俣病の被害者がふえてしまい、今も苦しんでいる人が多いのです。水俣病の年表を参考にして自分でよく考えてください。

    7-4 解決法について

    Q7-4-1 今後どのような対策がとられるべきなのか?

    A7-4-1 被害者救済だけでなく、水俣病の教訓が活かされる必要があります。有明海・諫早湾の問題、川辺川ダム問題、狂牛病事件などを見ると水俣病の教訓が活かされていないことが痛感されます。強者・多数派の利益のために弱者・少数者が犠牲にされる構図は水俣病事件と同じ構図です。行政の怠慢(不作為)によって大事件となった狂牛病事件も水俣病の教訓が活かされているとは言えません。一方ハンセン病裁判に対する政府の対応には水俣病の教訓が活かされたと言われています。

    水俣病事件がなぜ起きたのか、なぜ拡大し大問題となったのか、なぜ被害者が放置されてきたのか、どのように対応すべきだったのか、今後研究し、解明されなければならない多くの課題があります。容易に答えの出る問題ではありませんが、一つ言えることは弱者・少数者の立場と意見を常に重要視することが必要だと言うことでしょう。そうすれば少なくとも大きな過ちを犯すことはないでしょう。

    Q7-4-2 海・川・大気・土の汚染(おせん)、騒音・振動問題など私たちはどう解決すればいいですか?

    A7-4-2 すべての問題をいっきょに解決することは不可能です。自分にできること、小さなことから始めることでしょう。自分が加害者にならないこと、どのような問題があるのか、情報をできるだけ集めることから始めればよいでしょう。そして、そのことを身近な人(家族とか友達とか)に伝え、仲間を増やすことでしょう。そういったことの積み重ねがやがて大きな力になっていくでしょう。

    Q7-4-3 公害から身を守るにはどうしたらいいんですか?

    A7-4-3 公害から身を守ることはできません。公害をなくすことしか方法はありません。まずは公害を発生させない努力が必要でしょう。

    7-5 これからの課題について

    Q7-5-1 水俣病に関して今後の課題は?

    Q7-5-1 水俣病問題でまだ解決していない問題はなんですか?

    Q7-5-1 水俣病問題の将来の展望は?

    A7-5-1 大きく二つに分けることができます。一つは被害者の救済問題です。いまだに救済されていない被害者もいますし、救済内容も充分なものとは言えません。もう一つは水俣病の教訓化です。水俣病の病像(水俣病とはどういう病気か)も確定していませんし、被害者数も不明、被害の地域的広がりもわかっていませんし、健康被害以外の被害については調査すらされていません。「水俣病の教訓を活かす」と言葉で言っても「何が教訓か」がはっきりしていない状態では教訓の活かしようがありません。水俣病事件とはどのような事件だったのか、今後の研究が重要です。

    Q7-5-2 水俣病は終わったんですか?

    Q7-5-2 水俣病はまだ未解決なんですか?

    A7-5-2 前の回答にもあるように水俣病問題はまだまだ多くの課題を抱えています。水俣病事件とは何であるのか、水俣病の教訓とは何か、そして水俣病の教訓が活かされてこそ水俣病は解決したと言えるでしょう。それには今後少なくとも数十年という年月が必要でしょう。それまでは水俣病は終われないのです。

    Q7-5-3 水俣病はなくなる日がくる?

    A7-5-3 水俣病は治らない病気です。少なくともかん者が生きている間は水俣病はなくなることはありません。しかし、すべてのかん者が死にたえたとしても、水俣病事件が解明され、その教訓が活かされる社会が来るまでは水俣病事件はなくならないでしょう。

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