この「知識創造のための知識経営」では、知識とは、基本的には「個人の信念」だと考えます。私たちの頭の中の単なる情報や普遍的な真理ではなくて、「私はこう考える、これが正しいと思う」という自分の思いが、知識の基礎にあると考えます。そしてそれだけではなく、その「個人の思い」をこういう場所で言葉にして他の人と対話して、コミュニケーションを通じてそれを正当なもの、広くいろいろな人々に理解・納得されるものにしていく「プロセス」を、知識と呼びます。これは、「学校で知識を習得する」といった言い方で私たちが馴染んできた、今までの知識のイメージとは、大変異なる捉え方です。知識の基礎は「自分の思い」で、その思いを言葉にして他人に伝えられなければ、それは知識にはならない。他人に伝えて、「そうじゃないと思う」と言われて、「いや、こういう理由で、私はそう思う」ときちんと議論、対話をした結果、共通の思いができあがっていく。そういうプロセスのことを知識と呼びます。それは、私たちが今、自分の身の回りで起こっていること、状況を理解し行動するための秩序とも言えます。また日本語では「こつ」、「勘」、「ノウハウ」などと言われる、なかなか言葉にし難い知恵も含まれています。それは、私たちが、個人なり集団が何をしたいのか、どういう社会をつくりたいのか、何が本当だと思うのか、つまり自分たちの目的、生きる目的や行為と切り離せないものですし、それと同時に、言葉で語られる性質と、言葉で表現しにくい性質の両方を持っています。
グローバリゼーション時代の知識経営
-実践コミュニティづくりのコミュニケーション-
by 川村尚也
http://www.group-dynamics.org/pdf/journal/27/27-11kicho.pdf
(sk)
「知識とは、基本的には『個人の信念』」
「知識の基礎は『自分の思い』」
「『個人の思い』を人々に理解・納得されるものにしていく『プロセス』を、知識と呼ぶ」
と言う。
だとしたら、
知識の創造は、個人の信念を作り出すこと、
知識の共有は、自分の思いを人と分かち合うこと、
知識の管理は、個人の思いを人々に理解・納得されるものにしていくプロセスを管理すること。
「ギデンズによれば」「ギデンズは」という言い方で、すべてが正当化されてしまう。
Anthony Giddens が言ったか言わないかは問題ではない。「ギデンズ」を持ち出して権威づけすることが重要なのだ。
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これは、宗教そのものだ。
知識が宗教になったとき、すべてがまやかしになる。