クリストフ・ギュリー

「ポピュリズム」を強調することがエリートの間で一般化しているのは、それによって「下から」の診断の信用をなくして「上から」の診断を押しつけることができるからである。だが、ひろく信じられているのとは逆に、合理的で客観的な診断は庶民階級のものである。なぜなら彼らこそ、この30年来、グローバリゼーションの効果(給与の停滞や低下、不安定化、失業、社会的昇進の終り)と移民に関係するグローバリゼーションの帰結(共存による不測の事態、難しい地区、住宅問題、学校の劣化、人口問題の不安定……)を日々生きているのである。至るところで書かれたり言われたりしているのとは反対に「下からの」診断は、思慮分別のない逆上によるもの、非合理的な過激化あるいは表面的な抗議ではない。明確な経済的社会活動的選択の影響の客観的な分析なのである。

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  1. shinichi Post author

    EU騒乱2周縁のフランス(La France périphérique)

    by クリストフ・ギュリー(Christophe Guilluy)

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    EU騒乱: テロと右傾化の次に来るもの (新潮選書)

    by 広岡裕児

     1950年代、フランスではジャン=マリー・ルペンも参加していたプジャード運動が出現した。総合的な政策の展望もなく、唯一、大資本を敵とし、税金を安くすることだけを訴えて躍進した。だが、国会進出してから僅か二年、次の選挙で消滅した。典型的な「ポピュリズム」だった。この運動が、おもに中小企業の経営者や職人など「資本家」でもなければ「労働者」でもない隙間の層に訴えたのは、象徴的である。当時の世界は「資本主義」と「共産主義」に二分化され、人々も資本家と労働者に二極化されていた。

     だが、「栄光の30年」と称された戦後復興と高度成長から中間層が増大し、価値観も多様化し、さらに冷戦が終わって「自由主義」と「共産主義」という対立軸もなくなった。政治家はコアの支持層を失い、メディア受けする言動で大衆を動員することに腐心している。サルコジ前大統領もオランド大統領も民衆を利用するだけのポピュリストなのではないだろうか。ところが彼らはそう呼ばれず、既成の政治エリート以外が、庶民にわかるように訴えかけようとすると「ポピュリスト」と軽蔑される。

     私は1984年、当時のFN党首ジャン=マリー・ルペンをインタビューした。その時、彼はこんなことを言っていた。

     「私はよく、テクノクラートの話し方をしないと批判を受けます。しかし、テクノクラートが権力を握るということは国民と断絶するということなのです。経済学者、政治学者、政治家は仲間内だけで政治学の言語を喋る。しかし、政治とはまったく別物です。政治とはむずかしい問題を簡単な言葉で説明することです。民衆のインスピレーション、衝動、感動、欲望、希望を表現することです」(略)

    大衆は煽動に踊らされるだけなのだろうか。ジャン=マリー・ルペンは確信を持ってこう言った。

     「国民大衆は、深い合意がない限り何かを行うことはありません。彼らはまず人の言うことを理解し、そして、もしそれが自分たちの望むことならば支持します」

     先に紹介したグローバリゼーションを享受する「メトロポール」と取り残された「周縁」で二分されているフランスの現状と、FNへの投票との関係を調べた地理学者のクリストフ・ギュリーは何でも「ポピュリズム」として片付けてしまうことに異議を唱える。

    《1992年のマーストリヒトの国民投票から2005年の欧州憲法の拒否までの間に庶民階層のゆったりした解放のプロセスがおきている。棄権やFNの得票の増加はアノミー(社会解体期の無規律状態)を示すものでも「ポピュリズム」の非合理的な進展の兆候でもなく住民の大多数による下からの解放なのである。》(『周縁のフランス』)

     さらに、ギュリーはいう。

    《「ポピュリズム」を強調することがエリートの間で一般化しているのは、それによって「下から」の診断の信用をなくして「上から」の診断を押しつけることができるからである。だが、ひろく信じられているのとは逆に、合理的で客観的な診断は庶民階級のものである。なぜなら彼らこそ、この30年来、グローバリゼーションの効果(給与の停滞や低下、不安定化、失業、社会的昇進の終り)と移民に関係するグローバリゼーションの帰結(共存による不測の事態、難しい地区、住宅問題、学校の劣化、人口問題の不安定……)を日々生きているのである。至るところで書かれたり言われたりしているのとは反対に「下からの」診断は、思慮分別のない逆上によるもの、非合理的な過激化あるいは表面的な抗議ではない。明確な経済的社会活動的選択の影響の客観的な分析なのである》

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