太宰治

 節子は、誰よりも先きに、まず釈放せられた。検事は、おわかれに際して、しんみりした口調で言った。
「それではお大事に。悪い兄さんでも、あんな死にかたをしたとなると、やっぱり肉親の情だ、君も悲しいだろうが、元気を出して。」
 少女は眼を挙げて答えた。その言葉は、エホバをさえ沈思させたにちがいない。もちろん世界の文学にも、未だかつて出現したことがなかった程の新しい言葉であった。
「いいえ、」少女は眼を挙げて答えた。「兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました。」

2 thoughts on “太宰治

  1. shinichi Post author

    嵐山光三郎「又吉直樹と太宰治」

    週刊朝日 2015年9月25日号

    http://dot.asahi.com/wa/2015091600137.html

     芥川賞受賞でベストセラーとなっている『火花』。発表直後から「傑作」だと感じていた作家でエッセイストの嵐山光三郎氏が、著者の又吉直樹氏にエールを送る。

    *  *  *
     べつに自慢しているわけではありませんが(じつは自慢している)又吉直樹『火花』が単行本化されたときにすぐ買い求め、会う人ごとに「これは傑作小説だ」と吹聴してきた。それがミルミル売れて、芥川賞を受賞するとあっというまに200万部をこえたときはたまげた。テレビCMで又吉氏が宣伝しているのを見て、300万部売るつもりか、と溜息が出た。

     文藝春秋に掲載された芥川賞受賞者インタビューで又吉氏は太宰治の影響を受けたと語っている。中学2年のとき『人間失格』を読み、自意識過剰な主人公と自分が重なって衝撃を受けた。これは70代の旧世代と同じで、中学生時代に太宰にとりこまれて、太宰病にかかる。さらに3年ほど太宰の作品にとりつかれて、熱病がさめる。

    「人間失格」といわれるとぎくりとするが、「人間合格」なんてのはいないわけで、合格はむしろ病気だ。太宰は小説のタイトルと語り口がうまい。又吉氏が私の世代と同じような読書体験だと知って「古風な人」という印象を持った。

     太宰が芥川龍之介の自殺を知って衝撃を受けたのは18歳(昭和2年)である。2カ月前に芥川の講演を聴いた直後だけに、芥川自殺の影は生涯、太宰の生き方につきまとった。旧制弘前高校の弘高新聞に小菅銀吉の筆名で「花火」を書いたのは20歳。

    「道化の華」「逆行」が第一回芥川賞最終候補にあがったのは26歳で、選考の結果、受賞作は石川達三の「蒼氓(そうぼう)」に決まって、太宰を落胆させた。

     芥川賞選評で川端康成が「私見によれば、作者目下の生活に厭(いや)な雲ありて、才能の素直に発せざる憾(うら)みあった」と書いて、太宰を激怒させた。

     昭和11年6月、檀一雄の奔走によって『晩年』(砂子屋書房)が刊行された。限定500部印税なしであったが、本は売れ残った。『晩年』が芥川賞候補にあがり、今度こそは受賞できると確信した。選考委員の川端へ「芥川賞を与へて下さい」と長文の手紙を書いたのはこのときである。「早く、早く、私を見殺しにしないで下さい」とすがる手紙であったが、受賞しなかった。

     ということで、50年ぶりに太宰治を読みなおしたところ、どれもこれも傑作ぞろいで、芥川賞をとれる作品は30作以上あった。中学、高校時代に読んで、卒業したと思っている小説を読みなおすと、気がつかなかった発見がある。

    「人間失格」は昭和23年5月に完成し、奇しくも39歳の誕生日にあたる6月19日に、玉川上水から入水自殺した遺体があがった。『人間失格』の主人公・大庭葉蔵は「道化の華」と同名の主人公で、太宰が仮託されている。人間の営みがわからない葉蔵は、頭の悪い少年に「道化」を見破られ、将来きっと女に惚れられると予言される。

    『お伽草紙』も又吉氏お気に入りの四つのお伽噺で、「瘤取り」「浦島さん」(亀が辛辣な批評家)、「カチカチ山」(兎は性格の悪い美少女。狸は兎に恋する中年の醜男(ぶおとこ)。狸は兎にいたぶられ、最後は泥舟で沈められる。曰(いわ)く惚れたが悪いか。女性にはすべて無慈悲な兎が一匹すんでいるし、男性には善良な狸があがいている)、「舌切雀」(無学なおばあさんに頭があがらないおじいさんが、最後は「女房のおかげです」ともらすお話)からなる。

     又吉氏は小学校5年生のときに芸人を志して、6年生のときにはネタ帳はぎっしりと埋まっていた、というから、『お伽草紙』はネタの宝庫である。小学校1年のときに学童保育でやる「赤ずきんちゃん」の劇の台本を関西弁に書きかえて、赤ずきんちゃんとオオカミが歩く場面で人気のCM音楽を歌わせて、ネタも入れて評判となった。すでにここで天才少年ではないですか。

    『グリム童話』に入っている「赤ずきん」は、赤ずきんのおばあさんを食べたオオカミが、訪ねてきた赤ずきんをだましてペロリと食べてしまう。オオカミを井戸に突きおとす場面はあとから作りかえた勧善懲悪の教育的発想。本来は残酷で狡猾(こうかつ)な話だから、これを関西弁でやったらいかがでしょうか。

    『走れメロス』は教科書にも掲載される友情話で、これは熱海の旅館に泊まって金がなくなった太宰(メロス)が、檀一雄(セリヌンティウス)を人質として置いて逃げてしまった事件をもとにしていると檀一雄が書いている。

     檀一雄の担当編集者だった私は、その話を檀さんから直接聞いた。熱海にお金を届けると、太宰はトンズラして、いくら待っても帰ってこない。業を煮やした檀さんは、井伏鱒二の家に逃げこんだ太宰を見つけて、抗議をした。将棋を指していた太宰は「待つ身がつらいか、待たせる身がつらいか」といって、檀さんへの意趣返しとして『走れメロス』を書いた。

     太宰治が作家仲間と飲んでいる席へ行った三島由紀夫が「私はあなたが嫌いだ」といった話はよく知られている。三島が席をたったあと、太宰は「好きなくせに」とつぶやいたという。

    『晩年』所収の「魚服記」や「思ひ出」「ロマネスク」はすべていい。なぜ芥川賞を与えなかったのか。三島が太宰を嫌ったのは、三島の師の川端康成と敵対したためでもあろう。作品よりも作家の人間関係の評価が優先される。

     又吉氏は木訥(ぼくとつ)で人柄が愛される。吉本の雑誌で10年間ノーギャラで本についての文章を書いてきた。それで腕をみがいた。ぽっと出の人ではない。小学生のころから書きつけてきたネタ帳がある。それは又吉氏の俳句を見てもわかる。

     芸人になりたくて、ライブでじりじりと力をつけ、時間をかけて又吉ファンがついてきた。ライブあっての又吉文学は、まだはじまったばかりだ。

     命の通った言葉がある。私小説の条件は貧乏、病気、女である。貧の意地、狂気、悲しい恋が『火花』に入っている。静かにふるまいつつ人なつっこい又吉直樹は、出版不況をふきとばす起爆装置である。さらなる活躍を祈るばかりだ。

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