山梨知彦

Nikken1コンピュテーショナルデザインを実務で実践したいと思ったときに、いかにもといった「奇天烈な形状」を生み出すことに抵抗を感じていた。それでコンピュテーショナルな手法でナチュラルなランドスケープをデザインすることを思いついた。「NBF大崎ビル(ソニーシティ大崎)」のランドスケープがそれだ。
簡単に言えば、コンピューターのバーチャルな地形の中に、まず人為的にデザインされた植栽計画をする。それをコンピューターの中で、植物相互の近接性や、日照条件、通風条件などを反映して淘汰された状況をシミュレーションする。園路は、植物を愛し、植物の根元を避け、人間に歩きやすいルートを探す仮想の獣を配して、Webそれが踏み固めたルートを採用する。コンピューターの中で40年ほど育ててみて、具合のいい風景が生じたスキームがあったら、その40年後のナチュラルに見える状態を、実際の敷地に張り付けるというデザイン手法である。


One thought on “山梨知彦

  1. shinichi Post author

    「AI=人工知能」から「BI=植物的知性」へ

    by 山梨知彦

    http://www.archifuture-web.jp/magazine/91.html

    ■植物に学ぶ

    コンピュテーショナルデザインを実務で実践したいと思ったときに、いかにもといった「奇天烈な形状」を生み出すことに抵抗を感じていた。それでコンピュテーショナルな手法でナチュラルなランドスケープをデザインすることを思いついた。日本建築学会賞作品賞をいただいた「NBF大崎ビル(ソニーシティ大崎)」のランドスケープがそれだ。

    簡単に言えば、コンピューターのバーチャルな地形の中に、まず人為的にデザインされた植栽計画をする。それをコンピューターの中で、植物相互の近接性や、日照条件、通風条件などを反映して淘汰された状況をシミュレーションする。園路は、植物を愛し、植物の根元を避け、人間に歩きやすいルートを探す仮想の獣を配して、それが踏み固めたルートを採用する。コンピューターの中で40年ほど育ててみて、具合のいい風景が生じたスキームがあったら、その40年後のナチュラルに見える状態を、実際の敷地に張り付けるというデザイン手法である。

    実際には、上記のアイデアのすべてがアルゴリズムに反映できたわけではないのだが、コンピューターが描きだしたランドスケープは、敷地の持つ諸条件を細やかに反映して予想以上にナチュラルに見えたため、クライアントにプレゼンテーションを行い、実際に採用いただいた。

    竣工直前の2月末に植栽工事が終え、わずか数か月後の夏には、ナチュラルな里山的風景が現れた。ランドスケープが完成後ナチュラルに見えるか否かは、実は畑での樹木選びや現場での詳細なレイアウトによるところが大きいので、写真のような風景がわずか数か月で生まれたのは、実際には植栽を選んでくれた日建設計のランドスケープデザイナーと植栽施工業者の腕前によるところが大きいと思われる。しかしこの経験を通して、僕はコンピュテーショナルなものと、植物とはきわめて相性が良いのではなかろうかと感じるようになった。

    ■動物型の脳+神経系の集中システムのAI

    IoTやAIの時代となり、建築もインターネットに組み込まれ、AIによってデザインされ、そして運用されていく時代が近づきつつある。

    これまでのAIの主流は、動物、特に人間の頭脳を模した、まさに知性を持った頭脳となることを目指してきた。そして、その一つの理想形は「ヒューマノイド」=人間型ロボットであるのだろう。これまでのAIは動物の脳の模倣、つまり中央集権型が主流なのだ。インターネットは脳に情報を運ぶ神経系にしか過ぎない。ディープラーニングといえども、学習するのは脳としてのコンピューターだ。少なくとも、素人の僕にはそのように見える。

    ■植物型の分散システムとしてのAI

    一方で、インターネットのネットワークや、そこに接続されたモノのネットワークが築くIoTの実際の世界観は、個々のモノがモジュールとなりインターネットにより相互接続された、緩やかで分散的なシステムである。緩やかなつながりだけに、システムは部分的な破損に対して強靭であり、知性は人工知能に集約的に保持されているというよりも、インターネットの末端にぶら下がった人間も含めて、インターネット全体に離散的に存在するように感じられる。

    知性の有無はひとまず置くとして、インターネットは動物よりも、立ち木のような植物にイメージが近いとは言えやしないか。枝の一本や二本が枯れてもへこたれない植物のデュラブルさは、インターネットが持つ分散システムに近いのではなかろうか?とすると、AIとインターネットの関係も、集約的な脳とそれにつながる神経系としての動物をモデルとした「ヒューマノイド」型のシステムではなく、インターネットそのものに分散的に知性を持つ植物をモデルとした「プラントイド」型のシステムの構築を目指すべきとも思えてくる。

    しかし問題は「知能」だ。脳をもたない植物が「知性」を持っているのであろうか?という問題に行きつく。植物はAIのモデルになり得るのだろうか。

    ■植物は「知性」をもっている

    こんなことを考えているときに、一冊の本に出合った。その名もずばり「植物は<知性>をもっている」だ。

    同書によれば、植物は感覚を備え、個体を超えたコミュニケーションネットワークシステムを持ち、相互にコミュニケーションしているというではないか。感知できる感覚は人間を超え、20種類にも及ぶという。植物自体が、優秀なセンシングディバイスでもあるのだ。さらに植物の特徴として、動物のように脳や心臓といった機能特化されたシステムではなく、機能は分散され、動物とは異なる知性のシステムを植物全体で、また外部とのネットワークにより、個体を超えた知性すら備えているという。太古の昔から、植物はインターネットとそっくりなシステムを築き上げ、繁栄しているのだという。さらにその知性は、人間をも既に取り込んでいるという。人間が農作物を育てる行為を、植物から見れば最適な繁栄システムとして利用していて、その人間の健気な働きに対して報奨としての果実を人間に授けているのではなかろうかと、ユーモラスに問うている。

    日々の知的生産活動において、我々はインターネットの恩恵を受けていることは疑いのないところだが、実は我々の気が付かないところで、インターネット上には植物的で分散的な知性が育まれ始めている、と考えると三流のSFの筋書きのようでもある。

    「AI=Artificial Intelligence」から「BI=Botanical Intelligence」へのパラダイムシフトが我々の知らないところで、既に静かに始まっているのかもしれない(笑)。

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