小石輝

kiminonaha私の考えでは、この作品が人々の心をわしづかみにした最大の理由は、「誰かにとって心から必要とされたい」「社会にとって役立つ存在になりたい」という根源的な二つの欲求を、「あり得ない設定」によって同時に満たす過程を描いたことにある。
現実社会でこれらを満たすことが日本人、特に三十歳代以下の「若者」層の多くにとって、実現できるとは思えないほどの彼方にあるからこそ、「決してあり得ない自己実現の物語」が共感を呼ぶのだ。この作品の超ヒットは、実は日本の社会が重度の機能不全に陥っている表れではないか。

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1 Response to 小石輝

  1. shinichi says:

    「君の名は。」「逃げ恥」が高齢童貞・処女を救う

    by 小石輝

    http://shukan.bunshun.jp/articles/-/6938

    「もののけ姫」や「ハウルの動く城」を抜き、邦画では興行収入歴代二位に躍り出た映画「君の名は。」。一方、「ムズキュン」のキーワードで高視聴率を叩き出したドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系)。今年を振り返る上で不可欠なこの二大ヒットには、現代の若者のメンタリティを映し出す共通の物語があった。人呼んで“サブカルの狙撃手”、覆面コラムニスト・小石輝が徹底分析する!

    「あり得ない設定」で満たされる

     練り込まれたストーリー、美しい風景描写、高レベルの作画……。「君の名は。」ヒットの原因については様々な指摘がされている。だが、「もっと本質的な理由があるのでは」と思う人も少なくないだろう。

     私の考えでは、この作品が人々の心をわしづかみにした最大の理由は、「誰かにとって心から必要とされたい」「社会にとって役立つ存在になりたい」という根源的な二つの欲求を、「あり得ない設定」によって同時に満たす過程を描いたことにある。

     現実社会でこれらを満たすことが日本人、特に三十歳代以下の「若者」層の多くにとって、実現できるとは思えないほどの彼方にあるからこそ、「決してあり得ない自己実現の物語」が共感を呼ぶのだ。この作品の超ヒットは、実は日本の社会が重度の機能不全に陥っている表れではないか。

    「君の名は。」の主人公は、山深い町に住む女子高校生・三葉(みつは)と、東京に住むちょっと冴えない男子高校生・瀧(たき)。この二人が「眠っている間に人格が入れ替わる」という超常現象により、いきなり出会ってしまうところから、物語は始まる。

     恋愛関係に至るまでに必要な「友達関係から踏み出すためのきっかけ作り」「お互いの距離を近づけるための繊細なやりとり」「一気に距離を詰めるための大胆な振る舞い」……。二人は「入れ替わり」により、これらの面倒な手続きをすっ飛ばして、お互いのプライバシーや性格を隅々まで知り、支え合う。その結果、彼らは自然に相思相愛の仲になっていく。

     なぜ、このようなご都合主義的で幼稚とさえ思える展開が、多くの人々に支持されるのか。謎を解く鍵となるのが「恋愛下手な男女の一般化」という現象だ。

    強制的なカップリング

     十八~三十四歳の未婚男女を対象とする国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、昨年の時点で約九割の男女が結婚を望んでいるが、男性の七割、女性の六割には恋人がいない。しかも四二%の男性、四四%の女性には性体験自体がない。三十~三十四歳に限っても、未婚男性の二六%は童貞、未婚女性の三一%は処女だ。これらの数値は二〇〇五年以降、上昇し続けている。

     〇五年頃と言えば、「ミクシィ」などソーシャルメディアの普及が進み、コミュニケーションのネット化が一気に加速した時期だ。現代の若者は、ネット上では活発に交流をしていても「実際に出会い、語り合い、触れあう」という濃密なコミュニケーションが求められる恋愛は、大の苦手となってしまったのだ。

     そして、二十五~三十四歳の男女ともに「結婚できない理由」として挙げるダントツのトップは、「適当な相手にめぐり合わない=出会いがない」。そんな臆病で恋愛下手の男女にとって「君の名は。」で描かれる「男女の入れ替わりによる運命的、かつ強制的なカップリング」は、まさに理想的な「出会い」に映るのではないか。

    御膳立てに乗っかる物語

     さらに物語の後半では、「入れ替わり」という外的・神秘的なきっかけで結びついた恋愛関係が、今度は自らの暮らす町の人々を、巨大な災厄から救うための大きな力にもなっていく。

     誰かにとって必要な存在になることと、社会から求められる存在になること。二つの願いを同時に成就させる道筋が「君の名は。」では、自らの意志を超えた超常現象によって都合良くお膳立てされる。主人公たちに求められるのは、このお膳立てに乗っかり、全力で突っ走ることだけだ。

     だが、現実世界ではそこに至るまでの「お膳立て」は、自分自身の力で作り上げるより他ない。実はそれこそが、最も困難で地道な努力が必要な過程なのだ。

     物語のポジティブな役割の一つは、そうした現実的な努力へと踏み出す勇気を受け手に与えることのはずだ。だが「君の名は。」はその過程をすべて外部の超常的な力に委ねたことで、「努力なしにたどり着ける甘美な物語世界」に受け手を閉じ込め、現実から逃避させる効果を持ってしまったように見える。そんな物語を求めてしまうこと自体が、若者たちの抱える閉塞感・絶望感の根深さの証しではないか。

     このような若者心理を、別の面から扱うのが、大ヒット中の漫画・テレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ(通称・逃げ恥)」だ。

    「逃げ恥」の主人公・森山みくり(新垣結衣)は、大学院卒の二十五歳だが、求職中で恋人もいない。漫画の冒頭、みくりはため息をつく。「ああ 誰にも必要とされないって つらーい」。

    結婚と就職を同時にゲット

     そんなみくりは父親から、知人のコンピュータープログラマー・津崎平匡(ひらまさ)(星野源)の自宅で家事代行の仕事をするよう勧められる。数カ月たち、仕事に慣れてきた所で、同居していたみくりの両親が田舎に移住することに。みくりは「契約結婚をして、住み込みで家事代行の仕事を続けさせて欲しい」と平匡に懇願。平匡も同意し、奇妙な同居生活が始まる――。

     家事代行の仕事を続けるだけのために、好きでもない相手と契約結婚をし、両親や友人を欺き続けるなど、現実にはあり得ない。だが、こうしたむちゃな設定を導入することで、主人公のみくりは、結婚相手と就職先という「二つの居場所」を同時にゲットする。

     つまり「君の名は。」と「逃げ恥」は、「異性から求められること」と「社会から求められること」の両方が「ありえない設定により同時に実現する」という点で、極めてよく似た物語構造を持っているのだ。

     ただし、「逃げ恥」は契約結婚という初期設定を除けば、二人の関係の進展自体はリアルで自然だ。

     漫画での平匡は三十六歳で童貞。みくりも男性経験は一人だけ。恋愛下手な男女が一つ屋根の下で暮らすことで次第に理解し合い、恋愛感情が芽生えていく。これは現代的な「お見合い結婚」とも言えるだろう。

     そう、現代の恋愛下手な若者たちが憧れるのは、かつてのトレンディードラマのような、自由で洗練された恋愛などではない。あらかじめ枠組みを設定された上での「ぎこちなくも初々しい純愛」なのだ。

    「結婚すれば、私をたたで使えるから合理的」

     これを「若者たちの甘え」と切り捨てるべきではないだろう。日本に急激な少子化をもたらした主因は、結婚できない男女が急増したことにある。冗談抜きで、若者たちの恋愛下手を放置すれば、日本の存亡にも関わりかねない。

    「社会にとって必要とされたい」というもう一つの根源的な欲求についても、若者たちの前には大きな壁が立ちはだかる。非正規雇用の割合は今や四割を超え、みくりのように「大学院を出ても就職できない」若者は珍しくもない。

     ドラマ版「逃げ恥」の終盤、ようやく相思相愛の仲になった直後に、平匡は「契約結婚ではなく本当に結婚すれば、今までみくりに払っていた給与分を生活費や貯蓄に回せて合理的」とプロポーズ。だが、みくりは「結婚すれば、私をただで使えるから合理的。そういうことですよね。それは愛情の搾取です!」と反発する。みくりの本音は「結婚は永久就職」「愛さえあれば」というナイーブな楽観主義でなく、「私には愛も仕事も必要」というまっすぐなリアリズムだ。

     こうした真っ当な欲求を自力でかなえるための、現実的な道筋が極めて見えづらくなっている。それは若者たちの自己責任ではなく、社会全体の課題として捉えるべきだろう。「君の名は。」「逃げ恥」のヒットは、若い世代からの切実なSOSでもあるのだ。

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