モーリー・ロバートソン

放射能、TPP、子宮頸がんワクチン、大麻など、ひとたび「○○が怖い」「○○は穢(けが)れている」という流れになったとき、日本では多くの人々が目の前にある重い課題をゼロベースで考え抜くことを放棄し、「信じたいことを信じる」傾向が強くなる。みんな同じことを考えるはずだ、そうでないヤツはけしからん…。
この脆弱な言論空間に、スマートで巧妙な情報操作を行なう集団が現れたらどうなるか? たとえ「極右政権誕生」という形はとらなくとも、様々な形で“排外的な空気”が社会全体に染み渡っていく可能性は極めて高いでしょう。
マスメディアが没落してあらゆる情報が水平化した現在、情報の信頼性や真贋、そして「奥行き」は受け手側が判断しなければいけなくなりました。具体的な見分け方はケースバイケースですが、ひとつだけ言えることがあります。
自分や自分の属する集団を無批判に持ち上げる(「今のままが一番」「日本人で良かった」など)ばかりの報道や政治運動は、よく考えてみれば、別の誰かにとっては極めて排他的なものです。そんな言説が力を持つ世の中では、いつしかその排他性が自分にも向かってくる。これからの時代、そのことは誰もが肝に銘じておく必要があるでしょう。

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1 Response to モーリー・ロバートソン

  1. shinichi says:

    「デマニュース」の真実--無批判に持ち上げる報道や政治運動は別の誰かにとって排他的なもの

    by モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)

    週プレNEWS

    http://news.ameba.jp/20170109-72/

    『週刊プレイボーイ』本誌で「モーリー・ロバートソンの挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンがインターネットの普及により広がる「デマニュース」から日本と自分を守るための心構えを語る。

    * * *

    ひと昔前の時代は、良くも悪くもマスメディアが言論を支配していました。過激で偏った言説は、大新聞のデスクやTV局のディレクターの「倫理感」によって検閲され、報道するに値しないとして葬られるか、少なくとも“注釈付き”でしか世に出ることはありませんでした。

    ところが、インターネットが普及し、有象無象のネットメディアやSNS上の“ネット世論”が力を持つにつれ、状況は一変。相対的に力の落ちたマスメディアはその責任を放棄し、引きずられるように「客が喜ぶ派手なネタ」をなりふり構わず提供するようになりました。

    その結果、今年の米大統領選では、国家や政党からカルト系団体まで、マスメディアから個人まで、あらゆるプレーヤーが“情報戦”に参加。果ては、まったく関係のない欧州の小国マケドニアに住む青年たちまでも、小遣い稼ぎのために大統領選関連のデマニュースを配信していたのです。こうしてウェポナイズ(兵器化)されたニセ情報は、アメリカという国をあっという間にのみ込んでいきました。

    その象徴ともいえるのが、ドナルド・トランプ新政権の主席戦略官・上級顧問に就任するスティーブ・バノン氏。彼は保守系ニュースサイト『ブライトバート・ニュース』の元会長ですが、ニュースといっても相当に偏った主張や、デマ交じりの言説でトランプを強力にプッシュしてきた媒体です。

    ひと昔前ならマスメディアに“黙殺”されていたような人間がホワイトハウスの住人になることで、今後アメリカではネオナチまがいの言説も「普通の右派」くらいの位置づけになり、ノーマライズ(常態化)されてしまうことは避けられないでしょう。

    同じことは近い将来、日本でも十分に起こりえます。なぜなら、日本社会のベースには排外主義の“種”ーー「潔癖」という体質が潜んでいるからです。

    もう少し具体的に言いましょう。放射能、TPP、子宮頸(けい)がんワクチン、大麻など、ひとたび「○○が怖い」「○○は穢(けが)れている」という流れになったとき、日本では多くの人々が目の前にある重い課題をゼロベースで考え抜くことを放棄し、「信じたいことを信じる」傾向が強くなる。みんな同じことを考えるはずだ、そうでないヤツはけしからん…。

    この脆弱な言論空間に、スマートで巧妙な情報操作を行なう集団が現れたらどうなるか? たとえ「極右政権誕生」という形はとらなくとも、様々な形で“排外的な空気”が社会全体に染み渡っていく可能性は極めて高いでしょう。

    マスメディアが没落してあらゆる情報が水平化した現在、情報の信頼性や真贋(しんがん)、そして「奥行き」は受け手側が判断しなければいけなくなりました。具体的な見分け方はケースバイケースですが、ひとつだけ言えることがあります。

    自分や自分の属する集団を無批判に持ち上げる(「今のままが一番」「日本人で良かった」など)ばかりの報道や政治運動は、よく考えてみれば、別の誰かにとっては極めて排他的なものです。そんな言説が力を持つ世の中では、いつしかその排他性が自分にも向かってくる。これからの時代、そのことは誰もが肝に銘じておく必要があるでしょう。

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