shinichi Post author18/01/2017 at 9:07 am 喫茶養生記 by 栄西 早稲田大学図書館 古典籍データベース http://1gen.jp/kosyo/017/002.jpg 喫茶養生記 巻上 栄西録 入唐前権僧正法印大和尚位 茶養生之仙薬也 延齢之妙術也 山谷生之其地神霊也 人倫採之其人長命 天竺唐土同貴重之 我國日本 曽嗜愛矣 古今奇特仙藥也 不可不摘乎 ** 茶は養生の仙薬だ 茶は人の寿命を延ばす妙術だ 茶が山や谷に生える其の地は神聖で霊験あらたかだ 人がこれを採って飲めばその人は長命だ 天竺でも唐土でも同じくこれを貴重とする 我が国日本でもまた、嗜み愛する 古今奇特の仙薬だ 摘まずんばある可からずだ ** 喫茶養生記は上下2巻からなり、上巻では茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする茶の効用が説かれ、下巻では飲水(現在の糖尿病)、中風、不食、瘡、脚気の五病に対する桑の効用と用法が説かれている。このことから、茶桑経という別称もある。書かれた年代ははっきりせず、一般には建保2年(1214年)に源実朝に献上したという「茶徳を誉むる所の書」を完本の成立とするが、定説はない。 Reply ↓
shinichi Post author18/01/2017 at 9:07 am 明菴栄西 https://ja.wikipedia.org/wiki/明菴栄西 明菴栄西(1141年―1215年)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧。臨済宗の開祖、建仁寺の開山。天台密教葉上流の流祖。字が明菴、諱が栄西。また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られる。 ** 建久2年(1191年) 虚庵懐敞より臨済宗黄龍派の嗣法の印可を受ける。同年、帰国。九州の福慧光寺、千光寺などで布教を開始。また、帰国の際に宋で入手した茶の種を持ち帰って栽培を始め、日本の貴族だけでなく武士や庶民にも茶を飲む習慣が広まるきっかけを作ったと伝えられる。 ** 日本曹洞宗の開祖である道元は、入宋前に建仁寺で修行しており、師の明全を通じて栄西とは孫弟子の関係になるが、栄西を非常に尊敬し、説法を集めた『正法眼蔵随聞記』では、「なくなられた僧正様は…」と、彼に関するエピソードを数回も披露している。なお、栄西と道元は直接会っていたかという問題は、最新の研究では会っていたとされる。 Reply ↓
喫茶養生記
by 栄西
早稲田大学図書館 古典籍データベース
http://1gen.jp/kosyo/017/002.jpg
喫茶養生記 巻上 栄西録
入唐前権僧正法印大和尚位
茶養生之仙薬也 延齢之妙術也 山谷生之其地神霊也 人倫採之其人長命 天竺唐土同貴重之 我國日本 曽嗜愛矣 古今奇特仙藥也 不可不摘乎
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茶は養生の仙薬だ 茶は人の寿命を延ばす妙術だ 茶が山や谷に生える其の地は神聖で霊験あらたかだ 人がこれを採って飲めばその人は長命だ 天竺でも唐土でも同じくこれを貴重とする 我が国日本でもまた、嗜み愛する 古今奇特の仙薬だ 摘まずんばある可からずだ
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喫茶養生記は上下2巻からなり、上巻では茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする茶の効用が説かれ、下巻では飲水(現在の糖尿病)、中風、不食、瘡、脚気の五病に対する桑の効用と用法が説かれている。このことから、茶桑経という別称もある。書かれた年代ははっきりせず、一般には建保2年(1214年)に源実朝に献上したという「茶徳を誉むる所の書」を完本の成立とするが、定説はない。
明菴栄西
https://ja.wikipedia.org/wiki/明菴栄西
明菴栄西(1141年―1215年)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧。臨済宗の開祖、建仁寺の開山。天台密教葉上流の流祖。字が明菴、諱が栄西。また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られる。
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建久2年(1191年) 虚庵懐敞より臨済宗黄龍派の嗣法の印可を受ける。同年、帰国。九州の福慧光寺、千光寺などで布教を開始。また、帰国の際に宋で入手した茶の種を持ち帰って栽培を始め、日本の貴族だけでなく武士や庶民にも茶を飲む習慣が広まるきっかけを作ったと伝えられる。
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日本曹洞宗の開祖である道元は、入宋前に建仁寺で修行しており、師の明全を通じて栄西とは孫弟子の関係になるが、栄西を非常に尊敬し、説法を集めた『正法眼蔵随聞記』では、「なくなられた僧正様は…」と、彼に関するエピソードを数回も披露している。なお、栄西と道元は直接会っていたかという問題は、最新の研究では会っていたとされる。