西成活裕

私が最もすごいと思う研究者は、自然の声を聴いている人です。自分のフィルターを通して環境を見るのではなく、フィルターを外して声を聴いて理論をつくる。それが一番自然で、そうでない理論をむりやり立てたとしても違和感があるのです。むりやりの理論はすぐに駆逐されてしまう。地味であっても自然にできた理論のほうが長続きします。
「けもの道」ってありますよね。ここにも人が踏み固めてできたけもの道らしきものがたくさんあるのですが、それらは人が自然にここに道があったらいいと思ってつくっている。私はそれこそが道路ではないかと思うのです。芝生に入れないように、それを迂回する舗装道路をつくったとしても、見ていれば人は芝生の上を歩いてけもの道をつくっている。
皆それがよいと思ったら、その部分は計画から隔離して考えるべきだと思います。ある程度、計画による統治された美しさも認めますが、そうではない、じわじわと生成してできた凄さが好きです。自然林と人工林の違いもそうですよね。人工林は手をかけないとすぐに枯れてしまうけれど、自然の森は手をかけなくてもすべてが絶妙なバランスでできあがっています。メインテナンスフリーで、それこそが自然の姿だと思います。

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2 Responses to 西成活裕

  1. shinichi says:

    対談:万物は流れ、渋滞する
    創発的ASEPアーバニズムにむけて

    西成活裕×塚本由晴+貝島桃代

    http://10plus1.jp/monthly/2009/11/asep.php

    小さな振る舞いからできた街、新陳代謝する都市

    塚本由晴──西成活裕さんの著書『渋滞学』(新潮選書、2006)や『無駄学』(同、2008)などを拝読して、われわれの活動にも共通するいくつもの興味深い思索をされていることを知りました。ぜひお話をうかがいたいと思っていましたので、本日はよろしくお願いいたします。

    西成活裕──こちらこそよろしくお願いいたします。『空間の響き/響きの空間』(INAX出版、2009)を楽しく拝読しました。私もこういう視点から建築をしている人がいるんだと、興味深く今日を迎えました。
    まずはアトリエ・ワンにほかの建築家と違うところがあるとすれば、それはどういうところだと分析していますか?

    塚本──ふだん考えていることを交えてお話します。東京で建築を設計するということは、ヨーロッパで建築を設計するのとは異なって、都市と建築の対話関係がはっきりと規定できない面があります。ぐずぐずの状態でいつの間にか密度だけが高まってしまった街のなかに建築をつくるというのはどのようなことなのか、都市をどう捉えたらよいかということが非常に重要です。先行する世代の建築家の多くは、都市は悪い環境であって、完全に失敗したものと捉え、都市から建築をはっきりと閉ざすことによって建築家としてのアイデンティティを確立してきました。しかしそれをやっているかぎり、都市は良くなるどころか疎外されつづけて悪くなるばかりです。実際、都市がそんなに悪いかというと、東京の街にも面白いところがたくさんありますよね。パリやニューヨークとは違い、住宅がたくさんあることも面白さのひとつだと思うのです。
    東京の住宅は30年でだいたい建て替わるという、世界的にもおそろしく早いペースで新陳代謝をしています。街の全体から見れば小さな粒のような建物でできた街が今度は人間個々人のイニシアティヴによって新陳代謝していく。そのダイナミズムを捉えながら、どのように自分たちの建築を位置づけていくか。これは非常に大きなテーマなのです。大げさな言い方をすると、このような視点から建築を考えた人は人類史上いない。今の日本ではエジプトのピラミッドはつくれませんが、彼らにつくれなかった別のものがつくれるはずだと。非常に簡単に整理するとそういう違いだと思います。
    東京で100年というタイムスパンを想定すると、建物はおよそ3世代遷移します。こう考えると、都市は流れのような様態として捉えられる。変化する都市と変化しない都市、アジアのなかでも特に東京とヨーロッパの都市、この対比において東京は非常に意味を持ちはじめているのです。なぜなら現在、世界中の開発途上国で起こっている人口爆発を見れば、一般に都市はどんどん粒状の集合体になり、その粒が入れ替わることによって、都市が変化していくことになるのはほぼ必然だからです。その先行的な実験が戦後の東京で起こったと考えるのが歴史的にわかりやすいと思います。ここでいう「変化」とは計画主義的なトップダウンの決定によるものではなく、より自発的な「流れ」のようなものであって、部分は部分としての独自の限定された振る舞いを持っていると考えます。
    しかし、現状では、個々の粒の振る舞いは建築基準法でコントロールできても、振る舞いの集合による創発がなかなか都市空間の質に結びついていかない。部分と集合、建築と都市をつなぐ回路を「振る舞い」という概念を通して理論化できないかいう思いを強く持っています。ここで言う「振る舞い」には、人間の振る舞いもあれば、風や光、熱などの自然要素の振る舞いもあるし、都市における反復の中での建物そのものの振る舞いもあると思います。20世紀の建築家にもこういう認識はあったかもしれませんが、それは観察までで、21世紀になってようやくその創作の可能性が現われてきたという思いです。

    貝島桃代──建築以外のサイエンスの分野でも「振る舞い」とおっしゃっている方が結構いらして、西成さんも著書で「振る舞い」と書かれていますね。西成さんがあるテレビ番組で「運転の仕方次第で渋滞はなくせる」というお話をされていて、いままでの交通計画学とは発想がまったく異なると気づかされました。個々の車の粒の振る舞いを考えていらっしゃる。まさにわれわれが考える「振る舞い学」「ビヘイビオロロジー」だと思いました。最近、JR高崎線の北本駅西口の交通計画を建築的な視点でやってほしいと依頼を受けていて、ますますお話を聞きたくなっているところです。

    塚本──北本駅の西口は現在は交通が中心なのですが、5年後には都心に働きに出る人口が20%減り、さらに高齢化も進むので、歩行者のためにも、人が集うためにも駅前広場を整備していったほうがよいという判断でこの計画が行なわれています。そこでわれわれは、駐車機能は損なわないようにしつつも、駐車場のかわりに広場をつくって、雑木林を育てていこうとしています。計画にあたっては、新しい道路線形で問題がないか交通社会実験をして、駅前ロータリーで送り迎えの一般車がひしめいていても、バスがスムースに走行できるか検証もしています。あえてかなり行儀の悪い交通状態の検証をするわけですが、それでも車は走行できるという保証が実験によって得られましたから、あとは広場をどのように使うかという問題になっていきます。

    建築的交通社会実験

    貝島──交通計画は、普通であれば土木的に交通量から道路幅などを設計してしまうでしょう。しかし今回は行政から大学の研究として委託され、その場所の使い方を個別のケースを実験しながら検証していくというプロセスをとっています。というのも、行政、住民と合意形成していくのに、議論するより、実際にどうなるか、一つひとつを検証していくほうがゴールが近いことがわかってきました。それで実際に実物大の駅前広場のロータリーを駐車場を借りて、描いてみました。そこ、バス会社の方にも協力していただき、走ったのです。すると、バスの運転で、半径1mの差しかないカーブでも走行のスムースさが変わることなどがすぐわかって、その場で修正を加えて線形を決めました。また、運転手さんが初めての走行で、線形に慣れていないこともあるのですが、衝突の危機を感じてストレスがかかるカーブや、リラックスして回れるカーブがあることもわかりました。
    実験では、バスは北本を走るバス会社の運転手さんに、乗用車は市役所の方と研究室の学生、市民の方に参加いただきました。この計画に不安を感じている方にも車に乗っていただきました。

    塚本──駅前は現在も渋滞しています。特に雨の日の夕方や夜は、送り迎えのために待っている車があるのでどうしても渋滞が起きてしまう。でもよく見てみると、渋滞は「現示」と呼ばれる信号パターンのバランスもありそうだと思いました。というのも、脇道から入っている車があり、それらが中央通りから出て行こうとするので、中央通りからロータリーに入ってくる車よりも、最終的に出て行く車のほうが多くなり、かつそれらの量は信号の1回の現示で決まってしまうので、混雑するのです。そういえば、西成さんの本に、信号を連動させることで渋滞をコントロールできるということが書いてありましたよね。

    西成──グリーン・ウェーブというシステムです。

    貝島──駅前の信号はだいたい45秒で切り替わるのですが、現示の変更に警察が協力してくれれば、場所に応じて切り替え時間が変更できるとのことですから、それだけでも状況は変わるはずですし、そうすることによって、もっと大きな車の流れも考えてかなくてはいけない。だから渋滞は広場だけの問題ではなくて、周辺を含む包括的な取り組みが必要なんですよね。

    8割のボトムアップ、2割のトップダウン

    西成──そうなんですよね、現示は警察が決めることなのでなかなか変更できない。ただ、最近は感応式信号も多いので、現示が現時点の交通量に応じて自動的に、動的に変わるのです。ここだけを取り出せば、それこそ街は生きているように感じられます。これまでは完全にトップダウン方式で、東京では愛宕にある管制室が現示をコントロールしていました。しかし管制室がどんなに力を尽くしても、すべてのやりとりを通じて5分は遅れてしまう。朝の5分間の変化は大きいですから、せっかくの管制もあまり意味がない。組織や構造はトップダウンではなく、個に任せてバランスをとっていったほうがうまくいくのですけれど、人間はこれまでそのようなことに不得意で慣れてきませんでしたから、「個に任せる」というのは残念ながらまだマイナーなアイディアということになるでしょう。
    動的なシステムの導入範囲については、最近はネットワーク理論を使った研究を行なっていて、信号の合理的な連動というインフラ問題と道路の混み具合の偏りという渋滞問題をトータルに解こうとシミュレーションを重ねています。創発的最適化をどのように生み出すか、と言い換えることも可能でしょう。その意味で、信号を操作するのではなく、道路に任せるというシステムも考えられます。実際、例えば東名高速の日本坂トンネルの下り線は左ルートと右ルートのどちらのトンネルに入っても同じ場所に出ます。各ルートを走る車の平均速度や道の混雑度を示す情報を出して運転者に選択をしてもらうわけですが、当然どの車も空いているほうを選択します。すると一方の道は混み、一方が空きます。このぶれが起きずに均一になれば最もよいのですが、個と全体のバランスが非常に難しい。私は8割が個によるボトムアップ、2割くらいが気の効いたトップダウンというバランスができると、全体が最適化に向かうのではないかと考えています。

    塚本──基本的には個が持っている資質を引き出してあげる。そこに加え、植木の剪定ではないですが、伸びていく先だけ調整してあげるという関わり方も大事なのだと思います。

    西成──夜警国家的に、トップダウンの力の役割が小さいほうがよいという考えもありますよね。個が活き活きとしつつ、個だけではどうしようもないという場面でトップダウンの力が入ってくる。
    最近生物を研究しているのですが、生物社会のコロニー=都市づくりは、基本的にボトムアップ方式でできています。「命令」というシステムがないにもかかわらず、アリは10万匹を収めるコロニーを淡々とつくっています。最近ではボトムアップ方式で成功した企業が現われて注目を集めることもありますが、ただ、どうやって設計していくかがなかなか見えてこない。創発をどうやって生み出していくのか、その方向性がはっきり見えないのが現状です。

    いまこそ「オレオレ」を超えた知性を

    塚本──創発というのは、システムを構成する個別要素からは現象しないようなことが生まれること、情報論で扱う集合知というのも一種の創発的知性ですよね。知性というのは何かの拍子で生まれる。ふと皆が気づく。『空間の響き/響きの空間』にも書きましたが、2002年の日韓共催サッカー・ワールド・カップのときに六本木交差点で起きたことには驚きました。いつのまにか皆が集団でハイファイヴを始めた。誰かが、誰ともなしに気づいて、徐々に意味をつかんでいくということがあるのだなと思ってとても面白かった。

    西成──われわれも創発についていろいろな実験をやっています。2カ月に1回くらい、40〜50人を集めては何か創発が生まれるのではないかと実験しているのです。最初は皆が他人同士なのですが、そのなかに擬似的な知人関係が生まれてくると、そこでの振る舞いが変わってくるのです。六本木交差点の例も、日本の勝利を喜ぶというひとつの共通する目的のもとに見ると、集まった人々は仲間なのです。けれど、そういう目的がないとばらばらのままです。擬似的でもよいので、仲間や知人のようなものができはじめると全体が意思を持ち始めます。それまでは皆「オレがオレが」と自分の欲望を主張していたのに、徐々に集団を優先するようになる。この転換点がどこかにあるのです。それは強制するものではなく、そのほうがメリットがあると計算が働く人もいる。皆が全体というレヴェルにベクトルを合わせようと思うと、自然に合ってくるのです。

    貝島──先日、街づくりのファシリテーターの方に話を聞く機会がありました。最近は街づくりをしたいという人が多くいますから、各自のやりたいことを引き出すにあたって練習をするそうなのです。まず名前を書いた紙を首から下げ、背中側には居住する街の名前を書く。それをお互いに見せ合って、互いの関係図、地図をつくり、その後、自分たちが街づくりでやりたいことについて同じように、首からかけた紙に書いて、グループをつくっていくそうです。紙に書くと、同じようなテーブルにのって会話することができる。これは、もともと日本人のように自己表現が不得意な人間でもうまく会話を始められる仕組みだとおもいました。でもこういうものがないと、うまく創発が生まれない。西成さんは、創発の実験に関して工夫をされたりしているのですか?

    西成──いろいろな仕掛けが必要だと感じています。アメリカでは火災などの避難の際に、前の人の肩を持ちます。そうすればはぐれもせず、適度な距離感と安心感が保てる。けれど、日本では人に触るというところで躓いてしまう。特に男女が混ざるときは強い抵抗感を示します。ほかにも飲み屋で聞いた話によれば、あるクラブではお客さんと女性がコミュニケーションをするために、名札の下に出身地と趣味を必ず書くのだそうです。そうするとお客さんも話しやすい。そのような話を思い出しました(笑)。

    塚本──関心や出身地というのは現前化したきっかけ、情報ですよね。それに対して、情報になりきれていない状態のものがあります。例えば、六本木交差点のハイファイヴは、なんとなくこうすると面白いのではないかと皆が思った。その気づきは情報ではないと思うのです。歩道にぎゅうぎゅう詰めに押し込められ、信号が変わる度に定期的に解放される。そのような状況が人間の何かを呼び覚ますことがあって、こうすればこの拘束と解放の律動を利用できると気づいたときに、それが全体としてかたちをなしていったと思うのです。そのような情報以前のものの取り扱いに気づくことが、大事なインテリジェンスだと思うのです。

    西成──われわれはまた、狭い道や出口、2人同時には脱出することができない場所で、同時に逃げろと指示すると、どのようなことが起こるかという実験をしています。誰も避難する状況だと、われ先に逃げたいと思うのですが、そのとき、わっと出口まで来た2人がなんとなく見合って躊躇します。そのときにどちらが先に逃げるのか、1/1,000のハイスピードカメラで、一つひとつの振る舞いにいたるまで観察します。1秒を1,000倍に拡大して見たとき、人間は互いに何かメッセージを投げ合っている。ちょっとした揺らぎとでも言うものでしょうか。
    もし私が普通に歩いていて、向かってくる相手の前で少し速度を緩めると、それは見えないメッセージになっているのです。人間にはそのような情報になりきれていないものを処理する能力がある。何らかの揺らぎというか、暗に送り合っているメッセージを集団のなかに感じるのです。これは認知心理学でいう「ターンテイク」という現象で、人間は揺らぐ情報を発信・受信する社会的認知能力を持っているのです。
    脱出のケースでいえば、皆が自己主張しはじめると、皆が損をする。個が協力し合うということは、自分の欲望を抑えて譲るということです。実は、ちょっと譲ったほうがトータルは良くなるのです。私が「創発」を説明するときに用いるのは、個を1とすると4人では4ですが、皆が自己主張するとトータルが3くらいになってしまう。けれど、0.1ずつ譲って0.9になっても、足すと10くらいになる。ちょっと譲ることで譲った以上の利益を得る。逃げるときに女性や子ども、高齢者を先に通すという暗黙知がありますが、それに基づいて行動したほうがはるかに効率がよい。

    計画・統治から生成へ──けもの道と自然林

    西成──その一方で、なにもないときに創発がどのように生まれるかということを研究しています。結果がうまくでるときもでないときもあるのでまだ結論はありませんが、つねづねこういうときこそ建築の出番かもしれないと考えています。つまりインセンティヴを環境に与えるのです。色を変えたり、何か気づきのヒントを配置する。障害物がインセンティヴになって協力のコードが生まれたり、環境をコントロールして利益を上げる。これは建築が備えているひとつの力だと思います。

    塚本──知性は、もちろん人間が気づいていくものなのですが、そのとき、人間の個々の意識は身体の境界の外側まで拡張されたような状態になっていると思うのです。その状態は近代的自我の発現とは異なる様相を持っているのではないか。建築の表現の世界というのは、我(が)や主体性の強い人が設計をやっている傾向が強いところです。われわれは設計をはじめて15年くらい経ちますが、そういう「オレがオレが」というやり方が限界に来ているとはなから感じていて、ずっとそうではないやり方がないかと考えてきました。そのためには、自分たちの外側、環境のほうにも知性があって、われわれはそれに気づいていくということでいいのではないかと。建築はそのような気づきをつくりだしていくデヴァイス、あるいは触媒として位置づけることもできるのではないかと思うようになりました。

    西成──なるほど、よくわかります。私が最もすごいと思う研究者は、自然の声を聴いている人です。自分のフィルターを通して環境を見るのではなく、フィルターを外して声を聴いて理論をつくる。それが一番自然で、そうでない理論をむりやり立てたとしても違和感があるのです。むりやりの理論は『Nature』に載ったとしてもすぐに駆逐されてしまう。地味であっても自然にできた理論のほうが長続きします。それが科学者の本来の姿だと思う。
    「けもの道」ってありますよね。東大にも人が踏み固めてできたけもの道らしきものがたくさんあるのですが、それらは人が自然にここに道があったらいいと思ってつくっている。私はそれこそが道路ではないかと思うのです。芝生に入れないように、それを迂回する舗装道路をつくったとしても、見ていれば人は芝生の上を歩いてけもの道をつくっている。

    塚本──自転車置き場もそのようにつくればよいですね。違法駐輪であっても、結構きれいに並べている。

    西成──まだマイナーな考えだと思いますが、私も基本的に皆それがよいと思ったら、その部分は計画から隔離して考えるべきだと思います。ある程度、計画による統治された美しさも認めますが、そうではない、じわじわと生成してできた凄さが好きです。自然林と人工林の違いもそうですよね。人工林は手をかけないとすぐに枯れてしまうけれど、自然の森は手をかけなくてもすべてが絶妙なバランスでできあがっています。メインテナンスフリーで、それこそが自然の姿だと思います。そういう街はできるのでしょうか?

    塚本──東京もなるようになっているという意味では近いところがあるかもしれませんし、ある定常状態に落ち着いていくかもしれない。

    西成──けれど、いま次々とマンション・ディヴェロッパーがマンションを建てていますよね。もうこれ以上建てないでほしい。いまどの路線も電車がものすごく混んでいますが、沿線に総戸数3,000戸というようなマンションが建てられている。これでは電車の混雑がますます案じられるし、渋滞の観点からは東京がどんどんひどくなる。

    ASEP(非対称単純排除過程)モデル──万物は渋滞する

    塚本──西成さんは異なるいろいろな分野に関心を開いていかれますよね。そのこともお訊きしたいのですが、ASEP(Asymmetical Simple Exclusion Process、非対称単純排除過程)という確率過程モデルを使ってさまざまな事象を解いていきます。ASEPモデルの発想の根源を教えていただけますか?

    西成──ASEP(エイセップ)はいろいろなものの本質をとらえたミニマムモデルです。誰にも否定しようがない、一番単純なモデルで、連続する升目の前が空いていたら進めるし、空いていなかったら進めないというシンプルなルールでできています。ですから、このモデルで切れるようなものを探して解いていけば、これまで縦割りであった分野も横串で刺せますし、新しい視点が発見できるのではないかと思ったのです。
    渋滞現象は最初、車や人にしかあてはめて考えていなかったのですが、徐々に渋滞とは世の中のあらゆる現象に見られることだと気づくようになりました。私の母が患った腸閉塞も渋滞現象であって、バイパス手術をすればよいと(笑)。私はもともと数学専攻の人間なのですが、数学はものすごく抽象的なことばかりやります。私はそれについていけない面があって、途中から具体化の方向に進もうと考えるようになりました。ASEPはその両方を備えていますし、抽象化して本質をえぐり出し、異なって見えるものも同じだと証明する数学者の視点からもこのモデルは優れていると考えたのです。指導教官には反対されましたが、生物学を2年間、経済学も2年間勉強しました。実は建築系も2年間勉強しました。2001年に新宿歌舞伎町ビル火災や明石花火大会歩道橋事故が相次いで、避難安全検証が厳しくなりましたよね。そのときに避難安全検証の赤本シリーズを建築士の方と2年間勉強したんですね(笑)。それで現在は避難安全検証も行なっているのです。

    貝島──ASEPモデルを使って、あらゆる物の流れを見ていけますね。

    西成──ええ。紀元前5世紀を生きたヘラクレイトスは「万物は流れる」と言いましたが、私は「万物は渋滞する」と言いたい(笑)。生きているものは流れるのです。流れていないものは死んでいる。時間のスケールや空間のスケール次第で、すべてが流れなのです。

    塚本・貝島──同感です。

    塚本──振る舞いも流れもそうですが、止まっているように見えても時間軸を変えてあげると違うのですよね。いまここにあるいろいろなもののなかに違う時間スケールが走っていると捉える面白さが好きで、これを建築や空間の問題に持ち込みたい。20世紀の特に前半は時間と空間を分けてしまって、空間を純粋に空間として取り出そうとしました。例えば、コンポジションという概念を使って空間を捉えようとした。はたしてそれは正しいことだったのか、検証するのがわれわれを含む現代の建築家の責任のようにも思います。われわれは経験からものの存在を考えていくので、どうしても時間の問題は外せない。空間の意味やあり方と向き合う場合、そこに時間の問題が入ってこないとどうやっても空間が人間と響き合ってこないのです。建築をつくるうえで時間を持ち込むやり方は、これまでは歴史主義が最も規範的でした保存や修景の考え方も基本的にはそこに含まれる。そうした意味で、歴史主義のもつ正統性しか時間を持ち込む概念がなかったのです。それに対して反復や持続の中で再生される物事のなかにある時間というのが、最近見えてきたように思います。

    西成──以前、通産省から社会インフラについて提案型の公募がありました。結果的には落ちましたが、ある建築会社の人と動く道路の提案したのです。渋滞になったら道もストレスを感じているはずだから、ストレスを感じるセンサーを道に仕込んで道が膨らんだり、大きくなったりと、未来型の社会インフラを考える提案でした(笑)。これまで固定化してきたものを動かすという発想は、時間スケールを縮めているようなものです。

    塚本──なるほど。それでは、都市に建築を建てたり、壊したりというこの新陳代謝する状態を具体的にASEPモデルで読んでいくことは可能でしょうか? 東京の街は秩序がないと言われていますが、端的に言えば、冒頭で触れたように、世代の異なる建物──戦前の建物もあれば、1970年代、90年代の建物もある──が同時に見えているだけのことなのです。同時に建てられた街には当然統一感があるし、昔からある街にも統一感がある。対して、東京は建築の技術も、家族のあり方も、材料や建築基準法、都市計画もすべてがガラガラと変わっていくので、それぞれの建物が異なる背景を持って建っているのです。つまり、世の中の変化を脈略を欠いて同時に見せられているということが、一番混乱して見える理由なのではないかと思います。そこに時間軸を入れて、ジェネレーション理解のなかで読み解いていくと、もう少し都市が流れとして見えてくるのではないかと思っています。

    西成──それは面白いですね。とりわけ東京の土地は細かく分割して住宅用に売却したり、逆に大型開発では複数の土地をまとめて大きな建物を建てますから、集合と離散のような概念も入れて考えると面白いと思います。私も体のなか、つまり細胞の数が増減する環境におけるASEPモデルの研究を進めています。それに近いですね。

    東京のFlux Scape

    塚本──六本木交差点の例もそのひとつですが、われわれは都市空間やパブリックスペースの状態に関心を持っています。人口の多い東京では都市空間は粒としての住宅で面的に覆われ、新陳代謝していく。同時に広範囲に広がっていますから鉄道や高速道路といったインフラストラクチャーが巨大になります。関東大震災と第二次大戦によって歴史的建造物が壊されてきた街のなかでは、代わりにこうしたインフラがモニュメント化して見えてしまう。そういう土木的なものがモニュメント化するしくみを「Flux Scape」として研究しています。例えば、都市のFluxとして選んだのが水や火、熱、人、自動車、鉄道、飛行機、電波、金、ごみなどです。これらの流れに関してさまざまな複合的ハザード・マップや渋滞地図をつくり、都市形態を示す試みを行ないました。この研究による発見のなかで特徴的なのが、火災の延焼を防ぐ骨格防災軸であったり、パリのオベリスクかと見紛う窓のない換気塔などの都市的オブジェ、工作物なのですが、それぞれは火や空気というFluxの取り扱い方法のなかでいつのまにか生産されている。そこに市民を巻き込んだ議論が成立しないのは、これらは人間がつくりだした半自然現象を相手に、環境の改善や危険の回避といった非常に明確な理由をもっているからなんですね。それゆえそれほど市民の意見を求める必要もなく、行政は実行しやすいわけです。そういうFluxを前提にしたオブジェや工作物が街のなかにたくさんできているのが東京の特徴です。
    そもそもこうした人間の活動自体が流れですよね。結局、人間活動がある方法によって途中まではうまくいくけれど、量的に追いつかなくなり、別の問題が生じる。それに重なるように別の解答をして、それがまた別の問題を生む。自分で問題をつくってはその解決策を講じていく。この積み重ねが都市を変化させていると考えていますので、西成さんの動的システムの研究とも接点を感じたのです。

    西成──都市には水や空気、物流などいろいろな動脈が走り、おそらくいろいろなところが絡みあっています。私は迷ったときには生物に学ぼうと思っています。すべての生物はボトムアップの組織をつくるし、生物の体内はときに昔は分かれていた器官を統合させるなどして、栄養の流れを絡ませないようなオペレーションがされています。人間が地球上に誕生したのが200万年前と言われていますが、生物には40億年の歴史がある。生物は知恵を出し合い、欠点を補って進化してきました。その知恵はすごいです。その意味でも都市はうまくいかなければ絶滅した種のようにもなりうるのです。

    貝島──日本は固定されたものの扱いよりも、流れるものの扱いをつうじて基本的な知性や社会規範をつくる社会なのでしょう。昔は稲作と民家の茅葺の関係ように、生産と空間の運営が記憶され、生活に組み込まれていたと思うのです。民家研究の専門家の話では、民家は生き物であって、農産物が変わると、屋根も変えてしまうくらい流れるものだったそうです。飛騨地方の民家など、養蚕が盛んなときに、もっと多くの蚕を飼うスペースを確保するために屋根を高くしたともいわれています。それぞれの社会背景に応じて民家も変わったのです。畑などもはやり廃りがあり、最近私もわかってきたのですが、これまでわれわれが伝統だと思っていたものも、意外と流動的なのです。

    塚本──例えばヨーロッパだと建築の取り扱いこそが社会規範の根幹をなすという考えがあって、それを守ることが社会への参加条件なのだと思います。アメリカは新しい国だからやや建築が弱く、酒やタバコの扱いに強烈な規範意識を持ち込んで社会規範をつくろうとする傾向がある。そうしたことと比べても、われわれの規範はたしかに流れるものの扱いにあるのかもしれません。
    東京は戦後60年、幸いに人災や天災によって破壊されることなく過ごすことができ、そのために徐々に都市や建築についての知性が芽生えてきたと思います。われわれが学生の頃は20世紀の終わりで、近代的な計画からみればだいたいの建物が建てられてしまっていました。建築家はこれから大変だなと思っていましたが、最近は考えが変わってきました。以前は野生、野蛮な状態に対して近代の規範がコントロールを効かせて建物ができていたのですが、やっと知性を伴って、動的な全体のなかで動的な部分も考えられるようになった。また、部分がボトムアップ的に全体に貢献するということも考えられるようになってきました。現代はそのようなレイヤーを繋ぐ創発的知性が出てきた時代だと思います。

    自己駆動粒子系がみている世界を経験する

    西成──そうですね。個がビヘイビアを少し変えるだけで全体が変わるんです。私も高速道路で自分独りで渋滞を取り除こうとしたことがあります(笑)。これを「渋滞吸収運転」といい、渋滞が見つかったらその手前からゆっくり走ります。そうすると渋滞が成長しない。しばらくゆっくり走ることで、渋滞ポイントへの到着をわざと遅らせ、渋滞を解消させます。中央道小仏トンネルの2kmの渋滞をなくしたこともあります。コンピュータで、相模湖インターの手前5kmから時速70kmで走ると500mの渋滞が3分以内になくなるというようなシミュレーションをしたうえで実行しました。実際にやってだめだったら理論に問題があるので、理論にとってもよいフィードバックができる。
    以前、ラジオに出演したことをきっかけに、局が車に貼れるワッペンシールをつくってくれたんです。目の前に渋滞があったらゆっくり走ろうというメッセージ・サインです。頼んでいないのに、こういうものができたということも創発ですよね(笑)。このシールを貼っている車はゆっくり走っているけれど、邪魔しないようにしようという文化が育つとよい。
    エスカレーターで右側を空ける習慣も、20年前はありませんでした。いつのまにか創発的に、急ぎたい人がつくってきた文化です。考えようによっては、ストレスを解消する人間の知恵です。そのようなことも20年あればできるということです。

    塚本──そうですね。いまようやくわれわれは「振る舞い」や「Flux」、先生の言葉でいえば「ASEPモデル」「自己駆動粒子系」などによって、歴史主義でない時間を空間の問題として捉えることができるのではないかと思い始めています。

    西成──私は自己駆動粒子系という概念で物事を捉えていますが、要は自分で動いている感覚と動かされている感覚、自己駆動と他駆動のうちの前者のことです。われわれがある満足をするのは自分で動いているときですよね。例えばデパートの閉店間際に「あと10分で閉めるからそろそろ帰ってください」と言われるとお客さんはあまりよい気がしないので、代わりに「蛍の光」を流します。コマンドではなく、ワン・クッションおいてサインを流す。間接的なメッセージが自己駆動を促すのです。

    塚本──私も自己駆動粒子系には非常に関心があります。建築は固定したかたちをとらざるをえないのですが、どうすれば建築自身が自然の摂理などを伴って動きはじめられるか、ビヘイビオロロジーで考えるのです。自己駆動粒子は時に人間に悪さをすることもあります。例えば湿気が結露というかたちで現われる。うまくコントロールしないと人間に悪さをしますが、コントロールできれば快適になる。結局、自然の摂理そのものは変えられず、摂理に合わせた振る舞いを導いてあげることしかできない。建築のかたちが、そういうものに寄り添ったものになっていると、世界に対する感覚が開かれていくと思います。空気の流れや熱、風の動き、光の乱反射やにじみなどをより繊細に感覚することができます。だんだん詩的になっていきますが、人間は自分のなかだけで考えていると、皮膚の感覚や視覚的情報、音でしか感知することができない。ほこりや光になったつもりで、人間でないものが空間の住人になれば、人間と空間の関係はもっと軽やかに、豊かになっていくと思うのです。
    一方、人間も自己駆動粒子ですが、熱や光、湿気などのような自然の摂理ほどの厳密な原理には従っていない。従っているように見えるときもあれば気まぐれになってしまうときもある。そこがまた面白いですね。

    西成──経済が思い通りにいかないのは、そういう理由からですよね。需要供給曲線で価格が決まるとはいっても、俺は値下げしないと100円で売る人もいれば、10円で売るという人もいる。人間の考えていることは理屈と違って合理的でない可能性があるわけですからね。経済学でも限定合理性という考え方がありますが、限定合理性のなかで動いていると、完全合理性を前提としたビヘイビアは説明できない。私はその辺については確率論を使って、ルールが守られる分布を仮定しています。

    ASEPアーバニズム──風景を確率論で解析する

    塚本──私の研究室では、住宅の街に対する振る舞いを、実際に建っている建物の図面や写真を用いてタイポロジーにしています。そこに配列はなく、タイプの出現確率だけが風景になっているのが東京の現状です。だいたいどこにも同じようなタイプの建物があるのですが、東京に住んでいる人は、ある地域ではAタイプが80%、Bタイプが10%、ほかの地域ではAタイプが30%でBタイプが50%というように風景を建物タイプの出現確立から捉え、配列された連続性のなかでは見ていないでしょう。ですから、都内に住んでいる人と、都下から電車で通っている人は風景の捉え方が異なると思います。毎日郊外の風景を見ながら都心に入ってくる人は、異なる建物タイプの出現確率を心理的にもつくりあげているはずです。現在の建築の世界で、都市空間を確率で話しても眉唾ではありますが、風景を確率論で解析する、位置づけるということはできるのではないかと思います。

    西成──道路の区画線の発展を古地図などから辿ると、街の発展のルールが見えてきますよね。そこにASEPモデルを絡めて考えられる可能性はあります。経済学者とバブル崩壊の原因を調べ、先月、土地利用に関する論文を土地取引に関する論文を経済学の専門誌に投稿しました。バブル崩壊は取引の渋滞です。取引の停滞が全体に伝染して取引率が一気に落ちたということがデータで確認できます。バブルのときに不動産業者は大きなホールをつくりたい人に土地をまとめて売却したり、大型マンションにしたり、逆に一戸建のニーズが増えてくると大きな土地を持っていても仕方がないので分割します。このように土地が売れるようにさまざまな方法でいじくっているのです。最初われわれは、売りに出ている土地の数を調べました。すると土地の数がものすごく変化している。ニーズに応じて土地を統合分割していたからです。これらは、土地利用における2次元のASEPモデルといえます。例えば、私が住んでいるマンションは、正面にあった建物を横にずらしてできた土地と、隣の土地を結合させた土地に建てられました。これはASEPでいう移動です。ルールと連動して見ると、土地と建物が時間とともにどう動くかということをきれいに説明できるのではないかと思います。

    貝島──「ASEPアーバニズム」ですね(笑)。これはいけるんじゃないかな。

    西成──とてもいい宿題をいただきました。今日はありがとうございました。

    塚本──なにか共同研究ができるといいですね。今後ともお話をさせていただければと思います。どうもありがとうございました。

  2. shinichi says:


     渋滞学 (2006)     無駄学 (2008)     誤解学 (2014)
     by 西成活裕      by 西成活裕      by 西成活裕

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