東京新聞

安倍首相が衆院本会議の所信表明演説で、芦田元首相の言葉を引用したのは開始から約十八分後の最後のくだりだった。
「芦田元首相は戦後の焼け野原の中で若者たちに『どうなるだろうかと他人に問い掛けるのではなく、われわれ自身の手によって運命を開拓するほかに道はない』と言った」
淡々とした口調でこう述べた後に「自らへの誇りと自信を取り戻そうではありませんか」と声を張り上げると、議席の三分の二を占める自民、公明両党の議員から大きな拍手が巻き起こる。「少数野党第一党」に転落した民主党席は静まり返っていた。
芦田の言葉は安倍首相自身の判断で演説に入れた。
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注目すべきは、この(芦田の)講演が国民を広く対象にしたものではなく、当時、国をリードする立場にあった中央官僚や東大生を相手に行った講演であること。芦田講演の「われわれ」とは国民ではなく、政治家、官僚や将来のその「候補生」であり、彼らに向かって奮起を求める内容であって、国民の責務を意識させるような内容ではない。
首相が意図的にやや捻じ曲げたわけではないだろうが、引用がやや変なのだ。

One thought on “東京新聞

  1. shinichi Post author

    安倍首相 所信表明のココロは?

    佐藤圭・小坂井文彦記者

    東京新聞

    2013/01/29

    http://heiwabokenosanbutsu.blog.fc2.com/?m&no=3123

     安倍晋三首相が28日に行った所信表明演説はさほどインパクトはなかったが、気になったのはなぜ、芦田均元首相の言葉を引用したか。祖父の岸信介でもなく、政権復帰の先輩格の吉田茂でもなく、戦後史でもあまりパッとせず、リベラルな芦田なのか。安倍首相の考えを探った。(佐藤圭・小坂井文彦記者)

     安倍首相が衆院本会議の所信表明演説で、芦田元首相の言葉を引用したのは開始から約十八分後の最後のくだりだった。

     「芦田元首相は戦後の焼け野原の中で若者たちに『どうなるだろうかと他人に問い掛けるのではなく、われわれ自身の手によって運命を開拓するほかに道はない』と言った」

     淡々とした口調でこう述べた後に「自らへの誇りと自信を取り戻そうではありませんか」と声を張り上げると、議席の三分の二を占める自民、公明両党の議員から大きな拍手が巻き起こる。「少数野党第一党」に転落した民主党席は静まり返っていた。

     芦田の言葉は安倍首相自身の判断で演説に入れた。故ケネディ大統領が一九六一年の就任演説で若者への奉仕を呼びかけた「国家があなた方にしてくれることを問うのではなく、国家のために何ができるかを問おう」を彷彿とさせる内容。しかも、そのケネディ演説より十四年も前の一九四七(昭和二十二)年、日本人による発言だ。終戦から二年後の状況と、現在の経済状況は同じくらい深刻だと言いたかったようだ。

     だが、ケネディ演説が「あなた方に求めているのと同じレベルを国家にも要求して欲しい」と、国家の責任にも言及しているのに対し、安倍首相の演説はそれとは趣が異なる。

     政府は二十七日、生活保護のうち食費など生活費に充てる生活扶助費を三年間で約八百五十億円(約8・3%)削減することを決めた。安倍首相が芦田の言葉に託して言いたかったのは、社会保障分野で、国や他の誰かの世話になるのではなく、「自助」の大切さを訴えているように聞こえる。

     NPO法人自立生活サポートセンター・もやい(東京)の稲葉剛代表代理は「貧困を拡大させたのは、非正規雇用を政策的に増やした小泉政権や第一次安倍政権だ。貧困対策の一番の要である生活保護費を削減するとは、自らの責任を放棄している」と批判する。

     シングルマザーらによるNPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ(東京)の赤石千衣子理事長は「自助ばかりが叫ばれると、福祉を利用することが悪いかのような風潮がますます強くなる」と危ぶむ。

     ひとり親家庭の貧困率(二〇〇七年)は、経済協力開発機構(OECD)加盟三十カ国の中では最悪の54・3%だが、生活保護を受給しているひとり親世帯は約一割に過ぎない。

     赤石氏は「多くのひとり親世帯は生活保護を受けないで頑張っている。これ以上どうしろというのか」と憤る。

     NPO法人ホームレス資料センター(東京)の安江鈴子理事長は「野宿者や生活保護受給者を切り捨てていけば社会は崩れていく。支え合いの仕組みをつくり出すのが政治の役目だ」と訴える。

     それにしても、なぜ芦田なのか。実は安倍首相は、〇七年五月の官邸メールマガジンでも、憲法改正議論に絡めて「われわれ自身の手によって運命を開拓する外に道はない」と、同じ発言を引用している。

     芦田は憲法九条第二項の「戦力を保持しない」の前に「前項の目的を達するため」を加えさせた過去がある。メールマガジンでは憲法改正の象徴的な意味を込めて芦田を引用したとみられた。

     ただ芦田と安倍首相のつながりが見えてこない。首相が尊敬するのは郷里の吉田松陰。芦田対する評価は、地元山口県の後援会長も「聞いたことがない」と語る。京都府にある福知山市芦田均記念館の堀邦夫館長は「石破茂さんは昨年来館した。安倍さんは隣町まで来たが、来館してもらえなかった」と話した。

     芦田は政治的にはリベラルで芦田政権は当時の社会党などとの連立政権。保守派の首相とは色合いが異なる。加えて、政権は四十八年三月からの七ヶ月間に過ぎない。その後は昭和電工事件に絡んで逮捕(無罪が確定)されるなど、安倍首相にとって、あまり縁起のいい先輩ではないのだ。

     しかも、首相が引用した言葉はまったく有名ではない。芦田は膨大な「芦田均日記」を残しているが、ここにも出てこない。

     いったいどこからの引用なのか。芦田日記の編纂に当たった獨協大学法学部長の福永文夫氏さえ、いつの発言かわからず「どこかの講演会の話かもしれない」。堀館長も「知らない」。

     芦田氏の孫の下川辺元春氏さえこの言葉を明確には知らなかった。「昔、関係者から(引用部分と)似た発言があったと聞いたことがある。安倍さんの祖父の岸さんと芦田は政治信条が異なるのに、安倍さんはよく引用したね」

     首相官邸などに問い合わせた結果、引用は芦田が一九四七年二月、東京大学で中央官僚、学生ら約千人に対して「新憲法の精神を早急に徹底するため」行った特別講習会での発言だった。

     この講演が収められている政界通信社発行の「新憲法講話」(一九四七年刊行)を国会図書館で発見した。ただ、これを読んでみると、所信表明演説のニュアンスとは大きく異なる。政府側は今回の引用について「(経済再生は)政治だけでできることではなく、国民にそういう思いを持っていただく」(関係者)ためと説明。自助の大切さを訴えるニュアンスを込めている。

     しかし、芦田の講演は「日本がどうなるか」との質問に対し、「日本がどうなるかということではない。日本をどうするかということです」と答え、「(国が)亡びたくないと思えば、われわれ自身の手によって運命を開拓するほかに途はない」と強調しているに過ぎない。

     注目すべきは、この講演が国民を広く対象にしたものではなく、当時、国をリードする立場にあった中央官僚や東大生を相手に行った講演であること。芦田講演の「われわれ」とは国民ではなく、政治家、官僚や将来のその「候補生」であり、彼らに向かって奮起を求める内容であって、国民の責務を意識させるような内容ではない。
     
     首相が意図的にやや捻じ曲げたわけではないだろうが、引用がやや変なのだ。

     政治評論家の浅川博忠氏はなぜ、こういう形で引用したのかはわからないとする一方で、「安倍政権は今は支持率も高いが、ずっとうまくいくとは限らない。全てを私に負わせないで、という責任分散じゃないか。国民を突き放すようなことは言えないので、かつての芦田の言葉を探してきたのだろう。

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    「芦田均が1947(昭和22)年、東大で行った特別講習会での発言」

     近頃、私は日本がどうなるかという質問を諸方面から受けますが、これに対して、「日本がどうなるかということではない、日本をどうするかということです」と答えております。

     まったくわれわれの力で日本を興すこともできれば、日本を亡ぼすこともできます。興亡の岐れる(分かれる)ところは、われわれの苦心と努力の問題であります。

     (中略)優秀な民族は栄え、優秀ならざる民族は亡びております。亡びたくないと思えば、われわれ自身の手によって運命を開拓するほかに途はない。

     われわれは今その岐路に立っておるのであります。(中略)一日も早く日本再生の方向に正道を踏んで努力すべきである。私は講演を終わるに当たりて、この一句をもって諸君に愬(うった)えんとする次第であります。(同年7月発行の「新憲法講話」所収)

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