花を奉る
石牟礼道子
春風萌すといえども われら人類の劫塵いまや累なりて
三界いわん方なく昏し
まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶに なにに誘わるるにや 虚空はるかに 一連の花 まさに咲かんとするを聴く ひとひらの花弁 彼方に身じろぐを まぼろしの如くに視れば 常世なる仄明かりを 花その懐に抱けり
常世の仄明かりとは あかつきの蓮沼にゆるる蕾のごとくして 世々の悲願をあらわせり かの一輪を拝受して 寄る辺なき今日の魂に奉らんとす
花や何 ひとそれぞれの 涙のしずくに洗われて咲きいずるなり
花やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに 声に出せぬ胸底の想いあり そをとりて花となし み灯りにせんとや願う
灯らんとして消ゆる言の葉といえども いずれ冥途の風の中にて おのおのひとりゆくときの 花あかりなるを この世のえにしといい 無縁ともいう
その境界にありて ただ夢のごとくなるも 花
かえりみれば まなうらにあるものたちの御形 かりそめの姿なれども おろそかならず
ゆえにわれら この空しきを礼拝す
然して空しとは云わず 現世はいよいよ地獄とやいわん
虚無とやいわん
ただ滅亡の世せまるを待つのみか ここにおいて われらなお 地上にひらく 一輪の花の力を念じて合掌す
祖さまの草の邑
by 石牟礼 道子
http://www.shichosha.co.jp/newrelease/item_1222.html
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花を奉る
さびしがりやの怨霊たち
by 石牟礼 道子
さびしがりやの怨霊を
悶え神たちの間においてきた
そこがいちばん安心と思ったのだが
うろうろと集まりすぎて
どれがわたしやら わからない
ちがいます ちがいます
ということを呪符にして
わたしは逃れたいのだが
そのわたしが うろうろのなかの
どれだかわからない
むかし 火をつけて 燃やしてしまった
草の邑の共同体から
ゆくえ不明になった怨霊たちよ
夕べの暗い岬が わたしをよぎる
邑というからには川があった
河口があって 当然海があった
命たちはそこから陸に上がっていた
命には花が咲くのだった