武田隆

私が集合知の可能性と限界を同時に感じたのは、東日本大震災のときでした。地震が起こった当日から暫くは、ツイッターが大活躍しました。安否確認もそうでしたが、「日比谷線の恵比寿駅が動いたぞ!」とか「東横線はすごい混雑だ…」とか、それぞれがそれぞれの視点から知った状況を逐一報告することで、リアルタイムにみんなが状況全体の把握ができたんです。
多様な地点から、それぞれが見たこと、聞いたことを伝え合うことでひとつの集合知が形成されました。ところが、状況が少し落ち着いてきてからは、ツイッター上でも原子力発電所の是非ついての議論などが始まりました。それは、集合知と呼ぶにはあまりにもお粗末な、お互いが理解を深めることもなく、前向きな提案が出てまとまることもなく、それぞれの感想や思い込みをぶつけ合うだけの状況でした。

This entry was posted in knowledge. Bookmark the permalink.

One Response to 武田隆

  1. shinichi says:

    一般人の知恵を集めた「集合知」はどこまで信頼できるか

    【西垣通氏×武田隆氏対談1】

    http://diamond.jp/articles/-/77429

    情報社会になり、ビッグデータがトピックスになっています。そこには人々の知識や知恵など多くの情報が集まり、「集合知」という言葉が用いられるようになりました。我々はこの新しい「知の集合体」をどのように理解して、扱っていけばよいのでしょうか。今回は東京経済大学教授、情報学者の西垣通氏をお迎えして、情報学的な視点から、集合知の理論、可能性、限界をわかりやすく解説していただきます。

    **

    専門家が知識を駆使するより、
    一般人の多数決のほうが正解に近づく

    武田 私は、1997年に出版された『思想としてのパソコン』を読んで衝撃を受けました。ITやソーシャルメディアのルーツを教えて頂いたと思っています。今回は、念願が叶って対談をさせていただくことになりました。よろしくお願いします。

    西垣 ありがとうございます。あの本には、パーソナルコンピューターの誕生にまつわる主要な論文をできるだけ集めたつもりです。実業家の武田さんにそう言って頂けると、あの本が本来の役割を果たしているようで嬉しくなります。私も武田さんが最近、マーケティングジャーナル(日本マーケティング学会の学会誌)に寄稿された消費者コミュニティについての論文「消費者コミュニティとコ・クリエーション」を読んで非常におもしろいと感じました。メモもたくさんしましたので(笑)、今回の対談では、そのお話も伺いたいと思っています。

    武田 ありがたいお言葉です。ではさっそく、本題に入りましょう。最近、先生がいくつも著作を書かれている「集合知」の話からお聞きしていきたいと思います。「集合知」とはそもそもなんのことなのでしょうか。

    西垣 広義には「生命体の群れのなかに宿る知」のことですね。これは人間にかぎらず、アリやハチが集団で生きていくために駆使している知恵のようなものも含まれます。ただ、私が研究しているのはもっと狭義の、人々の「衆知」、見ず知らずの他人同士が知恵を出し合って構築する知のことを意味しています。

    武田 集合知は「みんなで作る知恵」なのですね。先生の著作では集合知の例として、教室に集まった56人の大学生に、大きな瓶のなかに入ったジェリービーンズの数を推定させるという実験結果を紹介されていましたね。

    西垣 はい。正解は850個だったのですが、56人の学生全体による平均推定値は871個でした。これより正確な推測をした学生は1人だったといいます。何回実験をおこなっても、集団の推測のほうが、個々のほとんどの推測より正確だったのです。

    武田 「みんなの意見を集めると正解に近づく」というのは、興味深い現象です。もう一つ紹介されていたアメリカのテレビ番組「百万長者になりたい人は?」(日本版は「クイズ$ミリオネア」)の例も面白いですね。

    西垣 これはまさに、専門知と集合知のどちらが正しいのか、という比較になっていますね。

    武田 この番組の回答者は、四択問題に答え続け、15問連続で正解すると、100万ドルがもらえる。回答者が答えに詰まったときは、スタジオの観覧者にアンケートをとりその結果を見て答える、または、その問題に詳しそうな人に電話で助言を求めることなどができます。10年に及ぶ番組の記録から、正答率を比較してみると、なんと観覧者のアンケート結果を参考にして答えた正答率は91%を超えていたんだそうですね。

    西垣 驚きますよね。普通は、専門家にアドバイスしてもらったほうがいいと思うでしょう? 観覧者の中にはもしかしたら、クイズにすごく詳しい人もいるかもしれませんけど、全体的にみればタレントを観に来ただけの一般人です(笑)。だけど、その人たちの多数決の結果のほうが当たるんです。

    武田 一方、専門家の助言に従った時の正答率は、65%。これはまた低いというか…

    西垣 四択問題なので、まったくランダムに答えると正答率は25%になるんです。だから、65%はそんなに悪くないんですよ。ただ、一般視聴者の91%と比較すると低く見えてしまいますね。

    武田 いったい、これは何が起こっているのでしょうか…?

    西垣 種明かしをしましょう。この正答率はマジックでもなんでもなく、統計的な根拠があるんです。

    武田 よろしくお願いします。

    集合知が成り立つカギは「多様性」

    西垣 まず、世の中にはいろいろな意見を持った人がいます。だから、あるクイズについて正解をまったく知らない人が集まっていたら、四択クイズの回答数は25%ずつに分かれるはずです。

    武田 はい。正解の当たりが付いていないのであれば、解答は四択それぞれに均等に分かれるというわけですね。

    西垣 そうです。でもそのなかで、ほんの数人でも正解を知っている人がいたとする。すると、その分だけその選択肢の回答率が突出します。

    武田 会場に集まった観覧者は4つのグループに分けられますよね。正解を知っている人たち。2つのうちのどちらかが正解だと知っている人たち。3つのうちどれかが正解だと知っている人(間違っているひとつを知っている人)たち、そして、正解がまったくわからない人たち。

    西垣 そう。正解を知らない第二、第三、第四のグループの人たちは、それぞれ2つ、3つ、4つの選択肢からランダムに選んで答える。答える人が多くなればなるほど、間違った選択肢が選ばれる数は均等になっていくんです。

    武田 すると、間違った回答は相互に打ち消しあって、あとは、正解を知っている人たちの解答だけが際立って現れてくる。

    西垣 それがこの「集合知」の謎解きです。回答者の数が100人くらいだと完全にランダム(等確率)とは言えないかもしれませんが、1万人、10万人と数が増えていけば、大数の法則が成り立つわけです。

    武田 たくさんの人が参加すれば、偏りがなくなって理論的確率に近づいていくんですね。

    西垣 一見すると不思議なんですが、統計的には自明の結果です。ところが、ここで気をつけなければいけないことがあります。世の中のことがすべてこの事象に当てはまるとは限らないということです。例えば、一般人の大多数が偏見を持っていたとします。マスコミの言説に影響されるなどしてね。すると、観覧者の認識は、そっちにずれてしまう。この高い正答率が成り立つのは、あくまでも、フラットな状況。つまり、先入見がなくて、すべてをランダムに選ぶという、統計的な前提が成り立つ場合なんです。

    武田 声の大きな人がいて、「絶対に1だ!」とか「絶対に3は違うんだ!」と言っていると、せっかくの集合知も濁ってしまうのですね。

    西垣 大切なポイントは「多様性」です。つまり、それぞれの回答が分散していたほうがいいのです。先ほどの例に戻りますが、瓶の中のジェリービーンズの数を推定するとしましょう。それぞれの推定した数はぴったり正解と一致しない限り、誤差がある。数学的には、個人の推定値の誤差の平均から、推測値のバラつき(分散値)を引いたものが、集団誤差(集合知による推測の誤差)になります。

    武田 集団誤差が、小さければ小さいほど正解に近づくわけですね。

    西垣 そうです。ここから、集団における個々人の推測の誤差が大きくても、大きな分散値、つまりみんながバラバラの数値を推測する多様性があれば、相殺されて集団誤差は小さくなる。さまざまな推測モデルを持つ多様な集団なら、集団全体として正しい推測が可能になるんです。

    武田 「それぞれがみんな違う視点を持っている」ということが集合知の精度を上げる。改めて、多様性というのは大切なものなのですね。

    西垣 専門家というのは、みな同じような推定の仕方をするものです。そういうふうにトレーニングされているから、専門家なわけです。でもそうすると、そもそもの推定モデルが間違っていたら、専門家が何人集まっても正しい答えにはならない。

    武田 むしろ何も知らずに、いろいろな考え方をする人が集まっている方が、正解に近づける。

    西垣 そう、ここがおもしろいところです。世の中の人は、どうしても専門家の知識が正しいと思ってしまう。だからこそ、私としてはこの事実を広く発信したいという気持ちがあり、集合知についての本を書き始めました。

    武田 気の合う同質性の高い人たちでいたほうが安心だし、間違わないと思ってしまいますが、じつはそれは怖いことでもあるんですね。

    西垣 そうです。自分と違う意見の人と議論を戦わせるのは、面倒くさいと思いがちです。でも、自分と違う意見の人に耳を傾けてみることはとても大事だし、“ある条件”のもとでは、より正解に近づけるんです。

    東日本大震災で見えた
    集合知の有用性と限界

    武田 “ある条件”ということは、集合知が活きる条件というのがあるのでしょうか?

    西垣 そうです。単純に多様な意見を集めるという方法には限界があります。ジェリービーンズの数や四択クイズの解答はシンプルです。でも、チェスなどのゲームでは、一手指した後また一から考えるのではなく、系列的にその先を読んで指していくことが必要になりますよね?

    武田 たしかに。意思決定が連鎖してきますね。

    西垣 社会で実際におこなわれている決定は、非常に選択肢が多く、系列的に考えていかなければならないことばかりです。例えば、スーパーマーケットで品物をどれだけ棚に並べておけば、売上が一番上がるのか。そういう実際のマーケティングの現場で起こるような問題は非常に複雑な構造を持っています。

    武田 多数決でマーケティング課題が解決できたら、みなさんの仕事がどんなに楽になることか……(笑)。

    西垣 複雑な問題は、単純にみんなの意見を集めればいいというものではありません。しかし、その意見の集め方によっては、集合知が有効な場合もあるんですよ。

    武田 先生の本では、チェスの世界王者アナトリー・カルポフおよびガルリ・カスパロフと、ネットで集めた人々の衆知「ワールドチーム」が対戦したときの結果を紹介されていましたね。1996年の対戦時、ワールドチームは単に最大票を集めた指し手を選び、あっさりカルポフが勝った。しかし1999年の対戦時は、カスパロフは非常に苦戦することになった。

    西垣 前者のケースではワールドチームの参加者同士が相談することはなかったけれど、後者のケースでは、参加者同士が長い時間をかけて熟議することが許されました。この違いの結果です。

    武田 適切なリーダーのもとでアイデアを比較検討し、まとめていくプロセスが奏功したということですね。

    西垣 そうです。解答が単純ではない複雑なテーマの場合は、リーダーのもとでの熟議が必要なのです。

    武田 私が集合知の可能性と限界を同時に感じたのは、東日本大震災のときでした。地震が起こった当日から暫くは、ツイッターが大活躍しました。安否確認もそうでしたが、「日比谷線の恵比寿駅が動いたぞ!」とか「東横線はすごい混雑だ…」とか、それぞれがそれぞれの視点から知った状況を逐一報告することで、リアルタイムにみんなが状況全体の把握ができたんです。

    西垣 まさに集合知の一形態を成していましたね。

    武田 多様な地点から、それぞれが見たこと、聞いたことを伝え合うことでひとつの集合知が形成されました。ところが、状況が少し落ち着いてきてからは、ツイッター上でも原子力発電所の是非ついての議論などが始まりました。それは、集合知と呼ぶにはあまりにもお粗末な、お互いが理解を深めることもなく、前向きな提案が出てまとまることもなく、それぞれの感想や思い込みをぶつけ合うだけの状況でした。

    西垣 チェスの指し手や最適な仕入れ量については、ある程度明確な評価基準があるんです。ほぼ正解が決まっているとも言えます。でも、原発の是非とか、成人年齢を何歳にするかとか、裁判員制度の得失とかいったような問題には、明確な評価基準がありません。

    武田 答えがないということですね。経営やマーケティングの現場で起こる問題にも答えが単純でないものが多いです。

    西垣 そのような問題は、個人の価値観の差が強調されて、お互いに反対意見を持っている相手を決して認めないという事態になりがちです。

    武田 原発賛成派は反対派の人々を、経済音痴だと思っているかもしれませんし、反対派は賛成派の人々のことを、生命の安全に無頓着だと思っているかもしれません。ぶつかれば感情的な罵り合いになっていきます。

    西垣 なかなか生産的な議論にはならないのです。だから私は、このような複雑な問題に対して、どのようにすれば集合知を応用できるのか、ということを情報学的に考察してきました。

Leave a Reply

Your email address will not be published.