渡部昇一

稲田朋美後援会『ともみ組』会長
統一教会の広告塔
幸福の科学の大川隆法による霊言に
「守護霊の意見は8割ぐらい同じ」

慰安婦問題は捏造」
南京事件で虐殺行為は無かった」
盧溝橋事件は中国共産党の陰謀」
戦前の歴史の見方が正しかった」
「ヒトラーやムッソリーニ、二・二六事件の青年将校は共産主義者
ロッキード裁判を裁判記録さえ読むことなく自らの妄想を元に批判
アパグループが主催した懸賞論文の審査委員長
田母神俊雄の論文「日本は侵略国家であったのか」を選考)
「沖縄戦における集団自決問題は、歴史で騒げば金が出ると考えた人たちの作り話」
「適度の放射能は毎時20ミリシーベルトと毎時50ミリシーベルトの間にある」

3 thoughts on “渡部昇一

  1. shinichi Post author

    渡部昇一

    ウィキペディア

    https://ja.wikipedia.org/wiki/渡部昇一

    近現代史論

    • 盧溝橋事件中国共産党の陰謀である、戦前の学校で習った歴史の見方の方が正しかったと主張している。
    • 南京事件に関しては、「ゲリラの捕虜などを残虐に殺してしまったことがあったのではないか、こういうゲリラに対する報復は世界史的に見て非常に残虐になりがちだ」と殺害の事実は認めているものの、「ゲリラは一般市民を装った便衣兵であり、捕虜は正式なリーダーのもとに降伏しなければ捕虜とは認められない。虐殺といえるのは被害者が一般市民となった場合であり、その被害者は約40から50名。ゆえに組織的な虐殺とはいえない」と虐殺行為は無かったと主張している。WiLL2007年4月号では、松井日記の南京についての記述を根拠に、「南京大虐殺は無かった」と主張している。
    • ヒトラームッソリーニ二・二六事件の青年将校らは共産主義者である」と主張している。
    • 慰安婦問題に関しては、朝日新聞の吉田清治吉見義明に関連しての報道や日本の弁護士の日本政府への訴訟、日本政府の安易な謝罪などが重なったことが原因で騒動になったもので、国家による強制や強制連行はなく、捏造であることが証明されているとしている。2007年、日本文化チャンネル桜社長(当時)の水島総が代表を務める「慰安婦問題の歴史的真実を求める会」がアメリカ合衆国下院による対日非難決議案(アメリカ合衆国下院121号決議)に対して作成した抗議書に賛同者の一人として署名した。抗議書が駐日アメリカ合衆国大使館へ手渡された同年7月13日、渡部は記者会見で「(対日非難決議案にあるように)朝鮮半島で20万人もの女性をかき集め、トラックで運べば暴動が起きる」と述べ、決議を非難した。
    • 沖縄戦における集団自決問題について、「実際には積極的に日本軍に協力した沖縄の人々が復帰後、左翼メディアに煽動され、歴史で騒げば金が出ると考え、堕落した結果である。」と述べた。また戦時中「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓をもっとも強く鼓吹したのは朝日新聞であったことは看過できないとしている。
    • 戦後の“反日的左翼”の起源を、公職追放など占領政策によって利益を得た「敗戦利得者」および「コリア系」の出自を持つ人々に求め、彼らが東京大学京都大学などの主要大学、朝日新聞などにポストを占めることで戦後の教育界、言論界は歪められたとしている。
    • 満州にアメリカを関わらせなかったことは失敗であったとして、現在の対中外交にもアメリカを関わらせるべきであるとしている。

    論争

    • 南京事件についての主張は、現代史家の秦郁彦から批判されている。さらに秦は、渡部が『ドイツ参謀本部』において内容のみならず写真までも洋書から盗用していると主張している。
    • 1980年『週刊文春』誌上で、小説家の大西巨人に対し、息子2人が血友病であり高額な医療費助成がなされていることから、「第一子が遺伝病であれば第二子を控えるのが社会に対する神聖な義務ではないか」と問題提起し、大きな論争を巻き起こした。
    • 教科書誤報事件への批判などで朝日新聞毎日新聞と激しく対立。
    • 皇位継承問題に関しては男系主義者の立場を採っており、この点では小林よしのりと思想的に対立する。
    • WiLL2008年7月号の日下公人との対談において、「…ですが美智子様が皇室に入られたために、宮中に仕えていた女性がみんな辞めてしまったそうです」と発言したことについて宮内庁より説明を求める抗議を受けている。宮内庁によれば、そのような事実はなく「その根拠,理由などを承知したく」渡部に要求している。また、同誌において渡部は「ですから、皇太子殿下が一番大切な時期にイギリスに4年も留学なさったというのは、長すぎます」と発言している点についても宮内庁は「当時の徳仁親王殿下が英国に留学なさったのは、昭和58年6月から昭和60年10月までの約2年間です」とその発言が正確性を欠いたものであることを指摘している。
    • 自著にて「適度の放射能とは、実際にどのくらいか。著者はおそらく毎時20ミリシーベルトと毎時50ミリシーベルトの間にあるのではないかと推定している。」としているが、50ミリシーベルトは原発作業員の年間被曝限度であり、浴び続けると約6分で嘔吐などの急性症状が出る程の線量である。
    • 『諸君!』誌で1984年新年号から始まったロッキード裁判批判キャンペーンの中で、冒頭陳述の意味や、「証拠能力」と「証拠の証明力」の区別を知らず、裁判記録さえ読むことなく自らの妄想を元に批判したと立花隆に批判された。なお、渡部は立花との公開論争の後、この件に関して沈黙を続けていたが、2012年2月に、渡部が1985年9月から『致知』において毎月連載している「歴史の教訓」において、立花の批判に再反論し、要望があればいつでも立花との議論に応じる構えを見せている。なお癌を患い執筆を制限している立花は、『巨悪 vs 言論』のなかで渡部らの批判に対してまとめて、ロッキード事件から時間が経ち皆が忘れていることをいいことに論点ずらしをしている点、ロッキード裁判は丸紅による収賄に対する裁判でありロッキード社については周辺事項にすぎない点、ロッキード裁判は榎本敏夫が完全自供した時点で決着している点を指摘している。また最高裁判決も渡部らが主張する無罪ではなく、立花らが主張した有罪が確定している。

    その他

    • 幼少時代は、貧しいながらも父が本に関しては制限しなかったために、少年倶楽部を好んで読んでいた。
    • 蔵書家であり、現在その数は14万冊を優に超える(井上ひさしや阪神大震災前の谷沢永一は20万冊、立花隆は10万冊、丸山眞男は3万冊ともいわれる)。そのため本の置き場に困り妻からは「うちには人権ではなくて本権がある」といわれたことがあった。意を決して70歳を過ぎて借金をしてその蔵書全てが収まる書庫を建設したが、すでにスペースが埋まってきているとのこと。
    • 近年は幸福の科学との交流が深く、大川隆法と対談を行ったこともあり、ザ・リバティに有識者として意見を述べている。大川隆法による霊言「渡部昇一流潜在意識成功法」が出版されていることに対し、「読んでみた所、守護霊の意見は8割ぐらい同じだった」と述べている。
    • 堺屋太一竹村健一と交流が深く、3人で講演会を催したり共著を出したりしている。
    • 著作はすべて初版で読んできたというほどの松本清張のファンであるが、『昭和史 松本清張と私』では松本の歴史観に対し違和感も表明している。
    • シナ学にも造詣が深く、十八史略孫子の評釈などを行っている。
    • 史論家として頼山陽徳富蘇峰樋口清之を高く評価しており、頼山陽の『日本楽府』を現代語訳している。
    • 河合栄治郎を尊敬していると述べている。
    • 百人斬り訴訟の代理人を務めた弁護士で、自民党の衆議院議員稲田朋美の全国後援会『ともみ組』会長を務める。
    • 映画「南京の真実」の賛同者。
    • 若い頃から音楽にはほとんど興味がなかったが、夫人が桐朋学園音楽科の1期生でピアニストであることもあり、3人の子供が全員音楽家(長女:ピアニスト、長男:チェリスト、次男:ヴァイオリニスト)となっている。
    • 古くから世界基督教統一神霊協会(統一教会)と関係を持つ。1985年6月のカウサ(CAUSA。アメリカ社会統一協会連合)第三回日本会議に出席、さらに、1985年8月5日の東京勝共講師団結成集会では基調講演を行っている。また、統一教会系の新聞である世界日報を「この四分の一世紀の間、日本のクオリティ・ペーパーであった」と2001年1月の世界日報25周年記念メッセージにおいて6行で、他の4人とともに述べている。また一時「世界日報をおすすめします」と題する世界日報の広告にも登場し、同様の内容のコメントが他の3氏の物と共に掲載されていた。
    • アパグループが主催した第1回『「「真の近現代史観」懸賞論文』懸賞論文の審査委員長を務めた。2008年10月31日に最優秀藤誠志賞に航空自衛隊幕僚長・田母神俊雄の論文「日本は侵略国家であったのか」を選考した。論文内容は「侵略国家ではなかった」とし、日中戦争の原因を蒋介石に巻き込まれた濡れ衣であると主張するなど、渡部の近現代史論に近いものであった。その後、この論文は田母神が「政府見解と異なる主張をしたうえ、上層部の許可を得ずに外部に論文を提出した」などとして防衛大臣浜田靖一に即日更迭処分を受ける一因となった。
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  2. shinichi Post author

    (sk)

    Lily が死に、Claude が死に、Noriko さんが死んで、なんとも言えない気分になり、また、死が急に身近に感じられるようになった。

    みんな若くして死んでしまったのに、86歳までのうのうと生き続けた人がいる。腹は立たないが、「なぜだろう」ぐらいは考える。

    そう言えば、Janis Joplin も Brian Jones も Jimi Hendrix も Jim Morrison も、そして Kurt Cobain も Amy Winehouse も、みんな27歳で死んだのだ。

    それを考えれば、Lily も Claude も Noriko さんも、十分に生きたのだと思える。

    なにも、のうのうと生きることはない。私も十分に生きて、死のう。

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