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鎌倉時代には、4代将軍藤原から5代執権北条時、6代将軍尊親王から8代執権北条時(時頼の嫡男)への偏諱など、下の字につく場合もままあったが、時代が下るにつれて主君へのはばかりから偏諱は受ける側の上の字となる場合がほとんどとなった。
室町時代には重臣の嫡子などの元服に際して烏帽子親となった主君が、特別な恩恵として自身の偏諱を与えることが広く見られるようになった(一字拝領ともいう)。特に足利将軍の一字を拝領することはよく見られ、畠山満家細川勝元などの守護大名から赤松満政のような近臣にも与えられた。従って、武家において偏諱を授けるということは直接的な主従関係の証となるものであり、主君が自分の家臣に仕えている陪臣偏諱を授けることが出来なかった。実際に、有馬晴純(義純)少弐氏との被官関係を残したまま、将軍足利義晴から偏諱を授与されたことが後日問題となった例がある。しかし、これも戦国時代以降では陪臣の立場でも(主君を介する形で)将軍等から間接的にその偏諱を受ける現象が生じている。一方で公家でも近衛家九条家二条家のように将軍から偏諱を受ける家も現れた。

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