中島盛夫

東京都内の銭湯は、昭和43年の2,687軒をピークに平成23年4月時点では約700軒に減少。銭湯は、赤ちゃんからお年寄りまで様々な人と人のふれあいの場や教育の場です。銭湯には日本人の忘れてしまった親切心や思いやりの心が今もあると考えています。
銭湯といえば壁一面に描かれた富士山の絵。銭湯の減少とともに、富士山の絵を描く銭湯絵師も、二人しかいないといわれています。

中島盛夫
1945年福島県相馬郡飯舘村出身。1964年に上京して間もなく、背景画師の故・丸山喜久男氏に師事。初めてローラー使いを考案し、背景画制作の時間短縮に貢献。銭湯の減少にともない背景画師が減る中、日本を代表する背景画師の一人として幅広いフィールドで活躍中。

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