Simon Kuper

クライフはどんなレベルのフットボールにも当てはまることを言った。横パスは出すな。もし相手にカットされたら、パスを出した選手と受けるはずだった選手のふたりが置き去りにされる。パスはチームメイトの足元ではなく、前に出せ。パスを受けるために走らなくてはならないから、ゲームのスピードが上がる。プレーがうまくいかなかったら、シンプルなプレーをしろ。たとえば、いちばん近くにいるチームメイトに何度かパスを出せ。そうすれば、しっかりプレーしているという感触が得られ、自信を取り戻せる……。
アヤックスの監督として、クライフはクラブの育成組織をクライフ的な選手をつくり上げる生産ラインに替えた。子どもたちは「5対2」のパス練習に明け暮れた。フットボールのすべては、このシンプルな練習に詰まっていると、クライフは言った。

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4 Responses to Simon Kuper

  1. shinichi says:

    【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】
    ヨハン・クライフの時代(前編)
    クライフは言った。「5対2の練習にサッカーのすべてが詰まっている」

    by Simon Kuper

    translated by 森田浩之

    https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/wfootball/2016/04/01/post_982/

     1981年、ヨハン・クライフがアヤックスでプレーするためにアムステルダムに帰ってきたとき、僕は12歳でオランダに住んでいた。僕の10代の日々は、クライフがフットボールについて語ることを吸収するのに費やされた。それはちょうど、アインシュタインの言葉を数日おきに新聞で読むようなものだった。

     クライフはどんなレベルのフットボールにも当てはまることを言った。横パスは出すな。もし相手にカットされたら、パスを出した選手と受けるはずだった選手のふたりが置き去りにされる。パスはチームメイトの足元ではなく、前に出せ。パスを受けるために走らなくてはならないから、ゲームのスピードが上がる。プレーがうまくいかなかったら、シンプルなプレーをしろ。たとえば、いちばん近くにいるチームメイトに何度かパスを出せ。そうすれば、しっかりプレーしているという感触が得られ、自信を取り戻せる……。

     デニス・ベルカンプからルイス・ファン・ハールまで(ファン・ハールは絶対に認めないだろうが)、1970年代から80年代のオランダの選手とコーチはひとり残らずクライフのフットボールを学んでいた。クライフはオランダ・フットボールの父だ。彼はすべてをつくり上げたが、そこにはいいものも悪いものもあった。

     クライフはアヤックスのスタジアムから目と鼻の先で育った。子どものころは、たいていロッカールームのあたりで遊んでいた。

     1964年、17歳のクライフがアヤックスのトップチームにデビューしたとき(GVAVというクラブに1-3で敗れた)、まだオランダにはフットボールの伝統がなかった。ワールドカップに出場したのは1934年と1938年の大会だけで、いずれも早々に敗退していた。当時のオランダ・フットボールに特徴があったとすれば、プレーが遅いということだけだった。クライフはイングランドのフットボールにあこがれて育った。

     だがクライフのデビューから2カ月後、アヤックスの新監督となったリヌス・ミケルスがスタジアムに中古のシュコダ(当時のチェコスロバキアの国民車)で乗りつけた。ふたりのフットボールの思想家は、お互いを見出した。ジョン・レノンとポール・マッカートニーがそうだったように、ふたりは衝突することも多かったが、オランダと世界のフットボールに革命をもたらした。

     オランダ国外でクライフの代名詞のようになっているのが、1974年のワールドカップでスウェーデンのディフェンダーをかわした「クライフ・ターン」だというのは奇妙な話だ。というのも、クライフが理想としていたのはワンタッチのフットボールだったからだ。クライフに言わせれば、ボールに1度触るだけのフットボールをするために、ボールを扱う技術を完璧なものにしなくてはならない点が逆説的だという。

     クライフがいたアヤックスとオランダ代表は、どのチームよりも速いパスを出した。彼らにとってフットボールは、「スペースをめざすダンス」だった。ディフェンダーはオーバーラップをして、ゴールキーパーはスイーパーの役割を担い、どの選手も予測もつかない場所に顔を出しつづける。外国人はこのスタイルを「トータル・フットボール」と呼んだが、オランダ人はたいてい「オランダ派」という言い方をする。

     もっと正確にいえば、これは「クライフ派」だった。アーセン・ベンゲルがかつて僕に、驚いた口調でこう語ったことがある。クライフはときどき中盤に下がり、ふたりのチームメイトにポジションを入れ替えろと言う。その15分後に、クライフは元に戻れと言ったりする。クライフ以後、これだけピッチの中で指揮をとれる選手はほとんど現れていないから、誰かがクライフ派のフットボールをまねることは不可能に近いとベンゲルは言った。

     しかしオランダ代表は、かなり近いことを成し遂げた。クライフ世代の偉大なオランダ人指導者(たとえばファン・ハールやフース・ヒディンク)は「オランダ派」のフットボールをやってみせた。

     ファン・ハールとクライフは、個人的にはウマが合わなかった。クライフがアヤックスを世界一のチームにしようとしていたころ、ファン・ハールはアヤックスの2軍選手で、知的だが動きの遅いプレーメーカーだった。いわば彼は「クライフになりたい派」だった。

     何年か後、ふたりはバルセロナにあるクライフの邸宅で正面衝突した。オランダのシント・ニコラス祭(12月5日)を祝うパーティーでのことだったようだ。しかし互いのあら探しをしながらも、ふたりは相手が自分とよく似たフットボール観を持っていると考えていた。

     クライフの2度の引退(1978年と1984年)の後、オランダ代表は主要大会の出場をたびたび逃すようになった。代表はクライフが教えたスタイルを忘れていた。80年代前半にオランダ代表監督を務めたケース・ライフェルスでさえも、オランダは「ヨーロッパのブラジル」をめざすべきだと語ったことがある。

     しかしクライフが1985年にアヤックスの監督になり、代表ではミケルスが指揮をとった時代に、オランダは再びオランダらしいプレーをするようになった。これまでオランダが優勝を果たした唯一の主要大会である1988年の欧州選手権では、マルコ・ファン・バステン、フランク・ライカールト、ロナルド・クーマン、ルート・フリットといった偉大な選手たちが、みんなクライフの言うとおりにプレーした。監督はミケルスだった。クライフは代表を批判しつづけたので彼らはいら立った(クライフはしゃべりだすと止まらなかった)が、この選手たちはクライフの精神を受け継いだ「息子」だった。

     アヤックスの監督として、クライフはクラブの育成組織をクライフ的な選手をつくり上げる生産ラインに替えた。子どもたちは「5対2」のパス練習に明け暮れた。フットボールのすべては、このシンプルな練習に詰まっていると、クライフは言った。そこから育ったのが、ベルカンプやデ・ブール兄弟、パトリック・クライファートといった90年代の世代だ。

     1998年のワールドカップでクライフはオランダのテレビ局の解説を務めていたが、オランダのほとんどの試合はピッチを見下ろすステージのようなところに立って見ていた。下から見上げると、クライフの姿はシルエットでしか見えない。長い鼻と細身の体のシルエット。スタンドを埋め尽くしたオレンジ色のファンの目には、オランダ・フットボールの父がみずからの創造物を天上から眺めているようにも映った。

  2. shinichi says:

    【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】
    ヨハン・クライフの時代(後編)
    クライフはオランダサッカーの時計を止めてしまった

    by Simon Kuper

    translated by 森田浩之

    https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/wfootball/2016/04/02/post_983/

     ヨハン・クライフはオランダ・フットボールに大きな影響を及ぼしたが、いい面ばかりではなかった。クライフは人とぶつかることが好きだった。チーム内の対立はいいことだ、誰もが自分の正しさを証明しなくてはいけないから──という理論まで打ち立てた。彼は「対立モデル」と呼んでいた。

    「対立モデル」はオランダ・フットボールの基本にさえなった。当のクライフまでが、「オランダの選手は口を開けば『それはそうだけど……』と反論する」と語ったことがある。1990年のワールドカップと1996年の欧州選手権では、「対立モデル」がオランダ代表を分裂させた。

     クライフがPKを軽蔑していたことも、オランダに悪影響をもたらした。PKはあまりに単純で野蛮な行為だから、面白くないとクライフは考えていた。よく知られる話だが、クライフは1982年にイェスパー・オルセンとふたりでPKを蹴った(クライフがPKスポットから左にボールを蹴り出し、オルセンがこれを受けてゴールキーパーを引きつけた後、リターンパスを受けたクライフが無人のゴールにシュートを決めた)。

     つねにフットボールを改革しつづけたクライフだが、PKについてはむしろゴールを直接狙うことをほとんど考えていなかった。クライフのキックはとくに強烈なわけではなく、自分からPKを蹴ることはほとんどなかった。PKに対するオランダの「クライフ的」な苦手意識は、主要大会の出場を逃す大きな理由にもなった。

     おまけにクライフは、勝つことにも強い執着がなかった。監督としてベンチに座って試合を見ていると、ときどきスコアを忘れると彼は言った。ゲームの内容のほうに関心があったのだ。

     クライフはいつも、1974年のワールドカップの「真の」王者はオランダだと語っていた。なぜか。西ドイツが優勝したことなど誰も覚えていないが、サッカーファンは今でもあの大会の偉大なオランダ代表の話をするではないか……。

     それがクライフにとっての「勝利」だった。1998年のワールドカップでオランダは敗退したが、自分たちは最高のチームだったと胸を張った。この姿勢のために、オランダは多くの優勝カップを逃したことだろう。

     偉大な思想家が生涯を通じて偉大な思想家であることは、ほとんどない。1996年にバルセロナの監督を解任された後、クライフはフットボールについて深く考えることをやめた。クライフが母国に対して持っていた膨大な影響力(それを広めたのは、彼の代弁者となった取り巻きのジャーナリストたちだった)は、オランダにとって悪い方向に働きはじめる。

     クライフはオランダにとって時間をフリーズさせることにひと役買い、70年代のフットボールこそ完璧だったと主張した。右ウイングは右利きの選手が、左ウイングは左利きの選手がやるべきだなどと、最近の主流の考え方とは逆のことも言った。

     もうひとつ重要なのは、クライフが考えることを重視したために、体力を過小評価するようになったことだ。最近の選手は1試合に12キロ走る。クライフが現役だったころの3倍だ。「正しい方向に走っているのか」と、クライフは言った。オランダのサッカー解説者レネ・ファン・デル・ハイプは、もしオランダが勝ちたいなら、他国にそんなに走ってはいけないと言うべきではないのかと、ジョークで切り返した。

     最近の世界のフットボールに革命をもたらしたフィジカル面のトレーニングも、クライフは軽蔑していた。残念ながら、オランダ人は彼の意見にしっかり耳を傾けた。その結果、オランダのチームが外国勢と戦うと、『テレタビーズ』(幼児向けの人気テレビ番組)のおなかの突き出たキャラクターたちがボディビルダーと対決しているようにみえることがある。

     クライフはオランダ・フットボールを発明したが、現在の低迷を招く要因もつくったのだ。オランダ代表は今年の欧州選手権の予選で敗れ、オランダのクラブは考える価値もないほどみじめな状況にある。

    「オランダ病」のもうひとつの兆候は、ルイス・ファン・ハールがマンチェスター・ユナイテッドで苦戦していることだ。ファン・ハールの頭の中にあったフットボールはもう通用しないが、彼は代替案をまだ模索している。

     クライフ的なフットボールにはつねに「アップデート」が必要だと理解していたのは、クライフを信奉していたスペイン人のジョゼップ・グアルディオラだった。グアルディオラのつくったバルセロナと、今率いているバイエルンは、オランダ人にはできないことを成し遂げた。クライフのフットボールを21世紀仕様に替えることだ。

     オランダが落ちるところまで落ちた今こそ、クライフの魂を本当の意味で受け継ぐことを期待したい。それはあらゆる伝統を捨て去り、フットボールを一からつくり直すこと。アムステルダムのおしゃべりな若者が50年前にやったように。

  3. shinichi says:

    Opinion Johan Cruyff

    The inventor of modern football

    ‘Cruyff built the cathedral,’ Guardiola said. ‘Our job is to maintain and renovate it’

    by Simon Kuper

    https://www.ft.com/content/9eb4d622-0a31-11e5-a6a8-00144feabdc0

    In 1981, the retired Dutch footballer Johan Cruyff suddenly began playing again, for Ajax Amsterdam. I was a football-mad 12-year-old living in a small Dutch town, and Cruyff became my hero. It wasn’t just that he was a brilliant footballer, who could hit such surprising passes with the outside of his boot that the TV cameras of the day sometimes lost track of the ball. More than that, Cruyff was a brilliant thinker on football.

    The most important thing in football, he taught, was the pass. Cruyff could — and often did — spend hours deconstructing the pass, in twisted, ungrammatical sentences, in a 1950s working-class Amsterdam accent, usually while chain-smoking. In 1988, he became manager of Barcelona (where he had previously played) and taught the locals how to pass. Today, Cruyff is 68 years old, non-smoking, uninspired and semi-retired. But when Barça meet Juventus in this evening’s Champions League final in Berlin, he can reflect with satisfaction that he invented the way they play. In fact, Cruyff invented modern football.

    Born in Amsterdam-East in 1947, he began hanging around the local Ajax stadium as a toddler. He was 17 and in the first team when Ajax’s new coach Rinus Michels parked his second-hand Skoda beside the stadium. Together — while frequently squabbling — Cruyff and Michels revolutionised football. Watching their training sessions from the touchline was another neighbourhood kid, Louis van Gaal. He too joined Ajax but, because he could hardly run, he never got beyond the reserves. The rejection still rankles. Van Gaal, now manager of Manchester United, loathes Cruyff. However, their visions are almost identical: football as an overlapping, one-touch, top-paced collective whirl.

    Cruyff best explained this in a 1980s TV programme that compared football to ballet. Initially, he had had no desire to debate the gay ballet choreographer Rudi van Dantzig but he rapidly got into it. While he was lecturing Van Dantzig on how when the first man was passing to the second man, the third man already had to be running to receive the second man’s pass, Van Dantzig interrupted: “So it’s choreography?” “Exactly!” said Cruyff. Cruyffian football is a dance for space. The British tended to think football was about willpower, Brazilians bet on the dribble and the Germans on fitness but they were wrong and Cruyff was right.

    A note: I can say this dispassionately, because Cruyff is no longer my hero. In 2000, a British newspaper paid his charity for me to interview him in his Barcelona mansion. I wrote up the interview. Several months later I wrote a second article, for a Dutch literary journal, for a meagre fee, about the experience of meeting my childhood idol. Cruyff was livid: he felt I should have paid his charity twice. Cruyffian media in the Netherlands assassinated my reputation. If anyone has had a worse experience with their childhood hero, I can’t bear to hear it.

    No matter: at Barcelona Cruyff transformed the club’s academy, La Masia, into a university of the pass. To pass, or to stop the other team from passing, you needed to know exactly where to be. The average player only had the ball for a minute per game so his main job was to position himself correctly for the other 89 minutes. “Football,” taught Cruyff, “is a game you play with your head.” Barcelona’s Lionel Messi is a born genius but, like several of his teammates tonight, he was shaped by countless mornings playing piggy-in-the-middle-style positional games in the Cruyffian Masia.

    So was Josep Guardiola, the skinny boy whom Cruyff plucked out of La Masia and put in the first team. Guardiola later became Barcelona’s second great coach, then implanted the Cruyffian vision at Bayern Munich. “Cruyff built the cathedral,” Guardiola said. “Our job is to maintain and renovate it.”

    Also in the Cruyffian tradition is Barcelona’s current coach Luis Enrique. He joined the club as a player in 1996, lured by Cruyff just before the Dutchman was sacked following his umpteenth quarrel with Barça’s president. (After being sacked, Cruyff sacked his own office.) A more surprising Cruyffian is José Mourinho, Van Gaal’s assistant at Barcelona in the late 1990s. Mourinho absorbed the Cruyffian view of football as a dance for space. It’s just that whereas Cruyff obsessed about creating space, Mourinho’s speciality is shutting down the opposition’s space.

    Even the German team that won last year’s World Cup had deep Cruyffian (and Van Gaalian) influences. Germany’s keeper Manuel Neuer, who completed more passes at the tournament than Messi did, incarnates the goalkeeper whom Cruyff dreamt up in the 1960s: a footballer in gloves.

    Cruyff will probably watch tonight’s final at home on TV, with the sound off so that he can give the commentary himself. He no longer has a role at Barcelona. Some of his sidekicks now run his other old club, Ajax, with limited success. He hasn’t worked full-time since 1996 and, like many retirees, has stopped thinking hard. He is forgiven. The most interesting man in postwar football has an unmatched legacy.

  4. shinichi says:

    Old scores: the message in Johan Cruyff’s memoir

    He had few equals as a footballer — but the Dutch master’s posthumous autobiography displays all of his flaws

    by Simon Kuper

    https://www.ft.com/content/916566c4-898a-11e6-8cb7-e7ada1d123b1

    Johan Cruyff was both a great footballer and a great thinker on football. As his Dutch biographer Nico Scheepmaker wrote, “Even when he talked nonsense, it was always interesting nonsense.” The fast-passing game played by teams such as Barcelona and Germany today was arguably invented by Cruyff and his coach Rinus Michels in the late 1960s at Ajax Amsterdam, then a small semi-professional club. Unfortunately, this posthumous autobiography contains none of Cruyff’s virtues but all of his flaws. In that sense at least, it is an authentically Cruyffian document.

    There are a few good bits. Cruyff describes how playing as a teenage catcher in Ajax’s kids’ baseball teams helped him understand football: “You had to know where you were going to throw the ball before you received it, which meant that you had to have an idea of all the space around you and where each player was before you made your throw . . . You’re always busy making decisions between space and risk in fractions of a second.” He later captured this need for anticipation in one of his famous dicta: “Before I make a mistake, I don’t make that mistake.”

    By the time Cruyff was 18, Michels was already consulting him on match tactics — a practice that Cruyff as coach of Barcelona continued with his own smartest pupil, Josep Guardiola, who has become a brilliant coach himself.

    Cruyff recalls that when the Dutch team went to the World Cup of 1974, they were surprised to discover how good they were. They didn’t expect to outplay sides such as Uruguay and Brazil. Almost throughout the tournament, “our opponents seemed to have not the slightest clue. They were doing things we’d given up doing five or six years ago.”

    He explains that he skipped the next World Cup, in 1978, because he didn’t want to leave his wife and children alone just months after an armed kidnapper had broken into their house in Barcelona. Around the same time he lost his fortune in a pig-breeding venture, a folly he describes frankly: “Then you honestly have to admit your mistake. That you’re really not interested in pigs.” In another rare flash of self-knowledge, he sees why his former player Marco van Basten might have kept his distance from him: Cruyff as coach of Ajax had once persuaded Van Basten to play a run-of-the-mill league game “when his ankle was in a doubtful condition.” During the game Van Basten’s injury “became so aggravated” that he was eventually forced out of football at 28.

    But most of My Turn is uninteresting nonsense. Cruyff was not a natural memoirist. “The past is not something that I think about too much,” he admits in the book’s first sentence. He was a conceptual thinker who lacked storytelling skills, humour and insight into other people. He also stopped thinking hard about football after his last club, Barcelona, sacked him as coach in 1996. His faults are augmented by those of his ghostwriter, Jaap de Groot, a Dutch journalist who was Cruyff’s longtime chief yes-man. Consequently, the book is full of tedious self-justifications for Cruyff’s squabbles with everybody from Michels to his own charitable foundation.

    Cruyff’s main enemies were club directors. In his declining years he developed the idée fixe that only former footballers were capable of running clubs. This soon devolved into a jobs-for-mates scheme, especially after he led a coup at Ajax in 2011. (In his own unfortunate phrase, he had “set off the bomb” with a newspaper column savaging Ajax’s play.) Here is Cruyff on the appointment of Michael Kinsbergen as Ajax’s chief executive: “His mother was a friend of Danny’s [Cruyff’s wife] and I’d known Michael since he was a boy, so I was glad that the new board of commissioners had chosen him, because he was clearly the best man for the job.”

    Ajax’s failures since the coup are, of course, entirely due to sabotage by Cruyff’s enemies. No matter that Cruyff told a colleague at Ajax, Edgar Davids, “You’re only here [on the supervisory board] because you are black.” Here is how Cruyff explains the ensuing uproar: “If someone deliberately tried to bring the club’s most famous son into disrepute by identifying him as a racist, under normal circumstances he would be kicked out of Ajax straight away. But not our chairman.”

    The book is packed with angry banalities along the lines of, “Money is very important in football, but it should always come second to the game.” The nadir comes when Cruyff announces, “The Christian faith has the Ten Commandments to live by; I myself have fourteen rules which I would class as fundamental wisdoms.” Rule number one is revealed as, “Team Player — ‘To accomplish things, you have to do them together’”. This seems remarkably similar to rule 13, “Play Together — ‘An essential part of any game’”. However, it would be cruel to continue. De Groot should have stopped him.

    The book doesn’t resolve the question of whether Cruyff knew he was dying while he wrote it. His preface is dated March 2016, the month of his death from lung cancer, but there are hints that he flirted with denial till the end.

    My Turn is a missed opportunity to leave a written monument. Cruyff deserved so much better.

    **

    My Turn: The Autobiography, by Johan Cruyff, Macmillan, RRP£20, 320 pages. Published in the US next month by Nation Books as ‘My Turn: A Life of Total Football’

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