河原節子

どのような手法をとろうとも、争いの前の状況に戻ることはできず、双方が完全に満足する解決策はない。では、何のために困難な和解の努力をするのであろうか。それは、より良い関係を築くためであり、それには双方にとって利益になるとの確信が不可欠である。和解が双方向のコミュニケーションのプロセスである以上、また、両者に一定の妥協を必要とする以上、両者がこうした確信を持つことが全体のプロセスを通じて最も重要な基盤であると考えられる。また、ある和解の方策が合意されても、それが繊細なバランスの上に成り立っているため、その合意を守ること自体にも、多大な努力が必要となることを認め合うことも必要であろう。
特に、記憶や歴史の分野においては、当事者間で統一的な立場や見解を得ることは極めて困難である。相容れない記憶を相互に否定しあうのではなく、それぞれの負った痛みや苦難を包括的にとらえようと努力をすること、そして、過去の苦難に関する記憶を次世代に引き継ぐのは、次世代に対立の種を手渡すためではなく、より良い未来のためであることを明確に意識することが求められているのではないか。

和解 ―そのかたちとプロセス― (PDF file)

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1 Response to 河原節子

  1. shinichi says:

    和解 ―そのかたちとプロセス―

    by 河原節子

    外務省調査月報 2014/No.1

    http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000064691.pdf

    おわりに

    和解をめぐる世界の状況を俯瞰すると、紛争当事者の性質や関係によって、どのような手法やプロセスを経るのかについて一定のかたちが看取できるが、謝罪、賠償、記憶といった特定の手法が必ず和解に結びつくとはいい難い。また、争いの原因や紛争当事者が全く異なっていても、和解をめぐる様々な運動が国境をまたいで影響を与え合っている。

    遠い昔に和解の1つのかたちであった「恩赦と忘却」は過去のものとなり、80年代以降世界的に活発になった記憶をめぐる競争によって、和解は更に難しくなったようにさえ見える。和解をめぐる動きが今後どのように進展するのかは不明であるが、今後も国際的な人権意識の高まりは、犠牲者の地位を向上させ、情報や人の移動のグローバル化は、賠償、謝罪や記憶をめぐる様々な運動の横の連携を加速すると考えられる。こうした運動は、単に過去に生じた出来事の処理を求めているのみならず、集団としてのアイデンティティーや誇り、現在の社会・経済面での制度的不満に結びついていることも多く、対応は容易でない。しかも、各々の当事者内部には、様々な利害や思いを抱えた集団があり、いかなる解決策といえどもコンセンサスを得ることは難しい。こうした、極めて複雑な方程式の中で、和解へどのように取り組むべきであろうか。

    最も重要な前提条件は、和解に対するコミットメントではなかろうか。どのような手法をとろうとも、争いの前の状況に戻ることはできず、双方が完全に満足する解決策はない。では、何のために困難な和解の努力をするのであろうか。それは、より良い関係を築くためであり、それには双方にとって利益になるとの確信が不可欠である。和解が双方向のコミュニケーションのプロセスである以上、また、両者に一定の妥協を必要とする以上、両者がこうした確信を持つことが全体のプロセスを通じて最も重要な基盤であると考えられる。また、ある和解の方策が合意されても、それが繊細なバランスの上に成り立っているため、その合意を守ること自体にも、多大な努力が必要となることを認め合うことも必要であろう。

    特に、記憶や歴史の分野においては、当事者間で統一的な立場や見解を得ることは極めて困難である。相容れない記憶を相互に否定しあうのではなく、それぞれの負った痛みや苦難を包括的にとらえようと努力をすること、そして、過去の苦難に関する記憶を次世代に引き継ぐのは、次世代に対立の種を手渡すためではなく、より良い未来のためであることを明確に意識することが求められているのではないか。

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