志村昌也

弊社のアニメ絵本は、アニメ絵本の先駆者である平田昭吾さんが手がけたもの。平田さんは手塚治虫さんのお弟子さんだった方で、ポプラ社さんなどでも絵本を書かれています。彼のポリシーは“誰も殺さない”ということ。
昔話には子どもに社会のモラルを伝える役割がありますが、“悪いことをしてはいけない”というメッセージのために、残酷的な描写を読み聞かせる必要があるでしょうか?


口伝である民話は、時代によって変化していくものです。『ありとキリギリス』『うさぎとかめ』などで知られるイソップ寓話は、もともと為政者が民衆を治めるために語られたといわれています。


弊社のアニメ絵本は現在、世界各国で翻訳され親しまれています。昔話が変わることへの議論はありますが、時代の流れのひとつとして、アニメ絵本のような再話の形もあると考えていただきたいです

2 thoughts on “志村昌也

  1. shinichi Post author

    本当は壮絶な「昔話」――なぜ最近の絵本はマイルドに描かれているのか?

    by 中澤 夕美恵

    非業の死を遂げた『かちかち山』のおばあさんに、血みどろの女の戦いが繰り広げられる『シンデレラ』。昔話は本来残酷なのに、今どきの絵本ではやさしく描かれている。その理由をアニメ絵本の版元に直撃した。

    http://ure.pia.co.jp/articles/-/18593

    おばあさんが婆汁に……『かちかち山』はR18指定!?

     突然ですが、『かちかち山』の話を知っていますか? 

    「おばあさんがたぬきに殺されたんだっけ?」「いやいや、ラストはたぬきが反省しておばあさんに謝っていたはず」「違うよ、たぬきは死ぬんだよ」

    周囲の人に聞いてみると、「悪さをしたたぬきを、おじいさんに変わってうさぎが成敗する」といったあらすじは一致しているものの、物語のデティールは人によって異なる。本当のところはどうなのだろう?

    民話として伝えられている本来の『かちかち山』はR指定でもおかしくないくらい残酷であった。ざっくり説明すると、「畑で悪さをしたたぬきがおじいさんに捕えられる。たぬきは、おじいさんの留守中におばあさんをだまし、縄を外してもらう。

    そしてすぐさまたぬきはおばあさんを撲殺。おばあさんの皮を剥いでかぶり、おばあさんそっくりに化け、死んだおばあさんで『婆汁』を作る。家に戻ったおじいさんは、何も知らずに『婆汁』を三杯もたいらげてしまう」となっている。で、うさぎによる復讐劇へと続くのだが、成敗されたたぬきはたぬき汁にされてしまうのだ。まさかの汁オチである。

    *アニメ絵本の登場人物が「殺されない」理由

    じつは洋の東西を問わず、昔話の原典は想像以上に過激だ。たとえば『三匹の子ブタ』では、兄ブタたちはオオカミに食べられてしまう。そして報復として弟ブタがオオカミを鍋で煮て食らうのだが、最近の絵本では、オオカミとブタ兄弟が種の垣根を越えて和解するストーリーが少なくない。

    前出の『かちかち山』も、おばあさんは重傷で済んでいるケースが一般的。なぜ、絵本の再話はマイルドに変容したのか?
    数多くのアニメ絵本を出版している、ブティック社の相談役・志村昌也氏に話を聞いた。

    「弊社のアニメ絵本は、アニメ絵本の先駆者である平田昭吾さんが手がけたもの。平田さんは手塚治虫さんのお弟子さんだった方で、ポプラ社さんなどでも絵本を書かれています。彼のポリシーは“誰も殺さない”ということ。
    昔話には子どもに社会のモラルを伝える役割がありますが、“悪いことをしてはいけない”というメッセージのために、残酷的な描写を読み聞かせる必要があるでしょうか?

    口伝である民話は、時代によって変化していくものです。『ありとキリギリス』『うさぎとかめ』などで知られるイソップ寓話は、もともと為政者が民衆を治めるために語られたといわれています。
    弊社のアニメ絵本は現在、世界各国で翻訳され親しまれています。昔話が変わることへの議論はありますが、時代の流れのひとつとして、アニメ絵本のような再話の形もあると考えていただきたいです」

    *10倍返しが基本の原典の魅力は?

    今どきの再話が平和的解決を望むのに対し、原作では徹底的に悪を駆逐するのが大きな違いだ。半沢直樹のびっくりの10倍返しで、悪役は壮絶な死を遂げ、ときに鍋の具にされたりする。

    「シンデレラ」の場合、毛皮の靴(ガラスの靴ではない)を無理やり履こうとする義姉たちが、みずから足を切り落とすシーンがある。靴のサイズがあっていたことで、使いの者はそれぞれの姉を城に連れて帰ろうとするのだが、靴からポタポタと血がしたたり落ちてインチキがバレるといった具合。

    さらにラスト、シンデレラの幸福のおこぼれにあずかろうと結婚式に向かった義姉たちは、道中、鳩に目をくりぬかれるのである。終盤、もう読んでいてあちこちが痛い。「白雪姫」の妃も、原作では白雪姫の結婚式で熱く焼かれた鉄の靴を履き、死ぬまで踊らされる仕打ちに合う。小さな子どもだったら夜トイレに行けないかもしれない。

    しかし原作の魅力は、その残虐性にあるといえよう。『進撃の巨人』が『進撃のプチ巨人』だったら、ここまで読者を夢中にはさせなかったように、主人公がめった打ちにされればされるほど読者は物語に引き込まれる。そしてついにラスト、悪者が叩きのめされることで、消化不良を起こすことなくきっちりと物語に幕を下ろすことができるのだ。 

    人生の辛苦が味わえるのも原典の大きな効用である。親兄弟を殺されたり食われたり、ついには自分が食われてしまったり。現実にはあり得ない絶体絶命のピンチを疑似体験することで、読み手は精神的なタフさを身に着けられるかもしれない。

    さて大人が子どもに読み聞かせをする場合、マイルドなアニメ絵本かスリリングな原典か、どちらを選べばいいのだろう? 子どもの年齢にもよるが、ぜひ両方を読んであげたい。何を気に入るかは本人次第。子どもにとっての良書は子どもが決めるもの。さまざまなストーリーに出会うことで、物語の奥深さに触れる手掛かりをつかめるはずだ。

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