3 thoughts on “高橋雅人

  1. shinichi Post author

    恋する
    神戸女学院大学文学部総合文化学科 監修
    河西 秀哉 編
    世界思想社
    日常を拓く知シリーズ

    Ⅱ〈恋する〉を考える

    1 哲学から:恋する自我、恋人たちの自由(高橋雅人)

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  2. shinichi Post author

    プラトンが言うように「恋→触れ合う」というのが正しいとしても、その逆(「触れ合う→恋」)もその裏(「恋していない→触れ合わない」)も導かれない。触れ合うからといって恋があるとは限らず、恋がなくても触れ合うことはあるでしょう。ということは、恋に性が分かちがたく結びついているとしても、恋と性とは完全に同じではないことになります。つまり、恋をしている人が求めているのはその他にもなにかあるはずです。それはいったい何でしょうか。

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    木が根を張り、高くなり、枝を伸ばし、葉を茂らせるには、それだけの土地の余裕が必要です。人が成長するにも、ある種の広がりが必要だと考えられます。けれどもそれは、ある意味でおたがいのあいだに距離をおくことではないでしょうか。もしかしたらそれは、人はひとりの個人として生きていることを認めることに通じるのかもしれません。

    成長とは変化することです。恋はずっと続くことを求めるでしょうが、しかし人間は変わります。変化します。人が変わりうる存在だということは場合によっては恋をしている人の不安をかき立てます。なぜなら相手の気持ちが変わらないことを願っているのに、相手は変わりうるのですから。

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  3. shinichi Post author

    メッセージ

    高橋雅人

    https://www.senshu-u.ac.jp/education/faculty/letters/philosophy/teacher/takahashi.html

     私の専門は、古代ギリシア哲学です。特にソクラテスやプラトンの倫理的な事柄への《眼差し》に興味があります。講義では、「魂」「徳」「正義」「善」などの単語を多く使うことになるでしょう。
     この頃は、時空に生きる人間の《立ち位置》についても考えるようになってきました。これがどう展開するかは、まだまだ不明です。

     「高い立場にある者こそ始める者でなければならない。新しい現実を作り出すために」とかなんとかいう言葉がお気に入りです。
     自分が高い立場にあるからではありません。高い立場にあると勘違いする醜さに陥りたくないからです。
     新しい現実を作り出すのは大変です。無理解や抵抗がありますから。
     でもそういったもののおかげで、《眼差し》がシャープになり、《立ち位置》をわきまえるようになるのでしょう。

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