赤羽学

「しをり」

  1. 〔「しをり」と「姿」〕『去来抄』修行によれば、「しほりは句の姿にあり」と言われている。芭蕉の「しほり」を解するには「句の姿」についての検討が必要である。去来は芭蕉の説を受けて、旬に「憐なるすぢ」が出るように表現すれば「しをり」が現われると説明した。これは「一句の言葉・趣向を憐に」することとは違っていた。
  2. 〔「しをり」と「しをれ」〕「しをり」は、四段活用の「しをる」から出た言葉であり、「しをれ」は下二段活用の「しをる」をもととする。前者は他動詞、後者は自動詞という一応の区別はあるが、一面混同した言い方も少なくない。しかし「しをり」には、物を萎ってゆく動的な意味が篭り、芭蕉はこれを受けて「しをり」といったのではないかと思われる。
  3. 〔連歌論・能楽論における「しをれ」、茶の「しをらし」〕連歌論・能楽論においては、「花」の情調化された状態として「しをれ」が重んぜられた。二条良基は「詞しほれて、しかも心おほく」と言い、世阿弥は「花を極めたらん人は、萎れたる所をも知る」と述べている。一方茶道には「しをらし」が現われるが、これはみずからを控え目に表現する庶民的態度によるものであった。
  4. 〔芭蕉における「しをれ」「しをらし」と「しをり」〕俳諮においても「しをれ」が多用され、それらは主として、卑近なもの、か弱いものへの情愛として表現された。芭蕉の場合もその例に洩れず、また「あはれ」と契合した面もある。小さい物、不完全なものへの情愛の表現として「しをらし」も多く用いられる。これらに対し、俳論に「しをり」が用いられたのは、みずからの心を責めて、その情感を旬の姿に表わす主体の作用を動的に示すためでなかったかと思われる。
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5 Responses to 赤羽学

  1. shinichi says:

    芭蕉俳諧の精神

    by 赤羽学

    http://hdl.handle.net/10097/14254
    https://tohoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=75579&file_id=18&file_no=1

    第三章 芭蕉俳譜の美的様相

    第二節 「しをり」

    〔一「しをり」と「姿」〕『去来抄』修行によれば、・「しほりは句の姿にあり。」と言われている。芭蕉の「しほり」を解するには「句の姿」についての検討が必要である。去来は芭蕉の説を受けて、旬に「憐なるすぢ」(元禄8年正月29日付許六宛去来書簡)が出るように表現すれば「しをり」が現われると説明した。これは「一句の言葉・趣向を憐に」することとは違っていた。

    〔二「しをり」と「しをれ」〕「しをり」は、四段活用の「しをる」から出た言葉であり、「しをれ」は下二段活用の「しをる」をもととする。前者は他動詞、後者は自動詞という一応の区別はあるが、一面混同した言い方も少なくない。しかし「しをり」には、物を萎ってゆく動的な意味が篭り、芭蕉はこれを受けて「しをり」といったのではないかと思われる。

    〔三連歌論・能楽論における「しをれ」、茶の「しをらし」〕連歌論・能楽論においては、「花」の情調化された状態として「しをれ」が重んぜられた。二条良基は「詞しほれて、しかも心おほく」(撃蒙抄)と言い、世阿弥は「花を極めたらん人は、萎れたる所をも知る」(風姿花伝第三問答条々)と述べている。一方茶道には「しをらし」が現われるが、これはみずからを控え目に表現する庶民的態度によるものであった。

    〔四芭蕉における「しをれ」「しをらし」と「しをり」〕俳諮においても「しをれ」が多用され、それらは主として、卑近なもの、か弱いものへの情愛として表現された。芭蕉の場合もその例に洩れず、また「あはれ」と契合した面もある。小さい物、不完全なものへの情愛の表現として「しをらし」も多く用いられる。これらに対し、俳論に「しをり」が用いられたのは、みずからの心を責めて、その情感を旬の姿に表わす主体の作用を動的に示すためでなかったかと思われる。

  2. shinichi says:

    学研 全訳古語辞典

    しをり
    「さび」「細み」とともに、蕉風俳諧(しようふうはいかい)の美的理念の一つ。自然・人事に対する作者の思いやりの心が句の余情として自然に表れ出た、しみじみとした情趣。『去来抄』によると、芭蕉(ばしよう)は、許六(きよりく)の「十団子(とをだご)も小粒になりぬ秋の風」(『韻塞』)〈秋風が吹き、街道も人影まばらな時節になった。この宇津(うつ)の山の名物の十団子も心なしか小粒になったように見える。〉の句に「しをり」があるとしている。「しほり」とも。

    しをり 【枝折り・栞】
    山道などで木の枝を折って道しるべとすること。また、そのもの。道しるべ。

  3. shinichi says:

    小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

    しをり
    しおり / 撓
    芭蕉(ばしょう)俳諧(はいかい)の美的理念。「さび」の類縁美の一つ。芭蕉、および芭蕉の弟子たちは、「しほり」と表記した。「あはれ」が、「あはれ」などの感情表現語を用いずに「姿」として一句に具象され、そこに余情として「あはれ」を感得できるような句が、「しほり」のある句といえる。去来が、許六(きょりく)の「御命講(おめいこ)やあたまの青き新比丘尼(びくに)」の句に対して、「中の七字かはり候はば、あはれなる方も出来(いでく)べき御句也(なり)。(中略)一句の言葉、趣向を憐(あはれ)に被成(なされ)候へと申にては無之(これなく)候。其(その)一句のしほりの出来るやうにと、申たるにて候」(元禄(げんろく)8年正月29日付許六宛書簡)と述べていることによっても、そのことがうかがえる。芭蕉は、許六の「十団子(とをだご)も小粒になりぬ秋の風」の句を、「此(この)句しほりあり」(『去来抄』)と評したという。

  4. shinichi says:

    平凡社 世界大百科事典 第2版

    しおり【しをり】
    〈萎(しを)る〉の連用形というのが通説であるが,近年〈湿(しほ)る〉の意に解すべきだという説がある。蕉門俳論では〈しほり〉と表記するのが一般的。去来は〈しほり〉は〈一句の句がら〉〈一句の姿〉〈一句の余情〉にあるという。また《俳諧問答》では〈しほりと憐れなる句は別なり。ただ内に根ざして外にあらはるゝものなり〉とも言っている。これらによれば〈しほり〉ある句は,憐れなる句と句がら,姿,余情において近似したところがあるとみられる。

  5. shinichi says:

    ブリタニカ 国際大百科事典 小項目事典

    しをり
    俳諧用語。蕉風の俳諧でその本質,風趣についていう語。趣向,題材が哀憐であるのをいうのでなく,哀憐の情をもって人間なり自然なりを眺める心から流露するもの,いわば愛が「しをり」である。森川許六の「十団子も小粒になりぬ秋の風」について芭蕉は「この句しをりあり」と言ったという。

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