井上靖

崑崙の玉

  • 桑と李という二人の若者が、于闐国が玉の産地であると聞き、その地に渡って良質の玉を手に入れて一攫千金を手にしようとした。二人は首尾よく于闐国に侵入し玉を手に入れたが、漢土の入り口である玉門関が閉ざされたことによって、遂に帰国できなくなってしまった。ロブ湖の水が伏流して黄河につながっているという説を信じる李は、ロブ湖に身を投じた。友を失い悲しむ桑とともに二人の消息は不明である。
  • 盧という玉の商人は30人の胡族の土民を雇い、三人の若者と共に黄河の源に神仙郷を求め旅に出た。旅の途中に発見した大湖の畔で玉を捜そうとする三人の若者たちを諫め、盧は黄河の上流へ上流へと旅を続けた。ついに一行は黄河の源流の最奥部に立った。しかし、ここが神仙郷でもなく、玉の産地でもないと知った一行は、都へ帰るしかなかった。季節は冬を迎えようとしていた。一行が北京に戻ったと言う記録は残っていない。
  • 世紀885年。ロシアの軍人の調査によって、ロブ湖の水が地下に伏流して黄河の水になるという、中国で二千年の間信じ続けられてきた説は否定された。

3 thoughts on “井上靖

  1. shinichi Post author

    和田玉

    ウィキペディア

    https://ja.wikipedia.org/wiki/和田玉

    和田玉(ほーたんぎょく)とは、中国新疆ウィグル自治区のホータン地区(和田地区)で、採取されるヒスイ。武帝 (漢)の使者である張騫が発見し献上したとされている。

    軟玉(ネフライト)であるが、軟玉の中では比較的硬い。「中国四大玉石」の中でも最高の玉とされ、中国の「国石」とされている。中国四大宝石とは和田玉のほかに、独山玉(河南省)、岫岩玉(遼寧省)、緑松石(湖北省)である。

    2008年の北京オリンピックにおいて、オリンピックメダルに金と和田玉が採用されたといわれていたが、実際には埋蔵量の豊富な崑崙玉が採用された。

    和田玉の硬度は6.25、屈折率は1.610、比重は2.95である。

    和田玉の代表的なものは、乳白色の羊脂玉があるが、ほかに白玉、黄玉、碧玉、墨玉など様々な種類がある。

    ホータン地区は、玉の産地として古くから有名で、玄奘三蔵は「大唐西域記」の中で、帰途、ここへ立ち寄ったとされる。「毛織を算出し、糸を紡ぐ。白玉や墨玉を産出する。音楽を尊び、歌劇を愛す。礼節あり、規律ある。文字はインドに似て非なる。王は、毘沙門天の後裔という」と記されている。

    現在和田玉は枯渇状態にあり、取引価格が急上昇している。

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  2. shinichi Post author

    崑崙

    ウィキペディア

    https://ja.wikipedia.org/wiki/崑崙

    崑崙(こんろん、クンルン)とは、中国古代の伝説上の山岳。崑崙山(こんろんさん、クンルンシャン)・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。

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