後閑愛実

見舞いに来た家族が穏やかな会話をしている中で、息を引き取った瞬間が分からないくらい自然に眠るように亡くなった九十歳くらいの男性がいました。一週間ほど前まで普通にご飯を食べていましたが、だんだん眠る時間が長くなって。意識はないけれど、家族が来ると穏やかな顔になる。死の間際によくある張り詰めた空気でなく、毎日家族が見舞いに来てベッドわきで話を交わしている日常の中で亡くなったのは、自然でいいなと思いました。

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  1. shinichi Post author

    あの人に迫る
    後閑愛実 看取りコミュニケーション講師

    by 五十住和樹

    https://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2019030802000282.html

    ◆旅立つ人の思い 家族で共有して

     看護師の後閑愛実(ごかんめぐみ)さん(38)は病院で働きながら、「看取(みと)りコミュニケーション講師」として、後悔しないみとりの在り方を全国での講演や会員制交流サイト(SNS)などで語り続けている。高齢多死社会の現代。「いい人生だった」「あんな最期いいよね」と皆が思えるような、「死とうまく付き合う時代にすることが自分に与えられたミッション」と話す。

     -慢性期の患者が入院する、ある医療療養病床で延命治療の現実を見て看護師としての考え方が変わったそうですね。

     私の母が看護師で、命を救う仕事をしたいと看護師になりました。急性期の病院を経て群馬県内の医療施設に勤めたのですが、たくさんの管につながれベッドの上でぼおっと天井を見つめている患者さんが多かった。「命を救いたい」と思って仕事をしてきた行き着く先がここなのか。これで本当に命を救ったと言えるのか。生きてるって何だろうと思いました。

     そんな時、友人の介護ヘルパーが「リストカットをしていると、生きてるって気がする」と言った。自分でもやってみようと、自宅で左腕を切ったんです。痛かった。流れる血が温かいと感じた。深く切りすぎて勤め先の病院へ行ったら、当直の先生に「何やってんだ」としかられましたが。丁寧に縫ってもらって人の優しさに触れました。

     痛い。温かい。優しい気持ち。生きるとは感じることだ。意思疎通ができず意識レベルの低い患者さんでも、注射など痛いことをすれば痛い顔をするし、お風呂など気持ちのいいことではそんな顔になる。温かく心地よい、穏やかな感情で最期まで生きてほしい。そういう看護をやっていきたいと思ったのです。

     -延命治療の現実とはどんな状態だったのですか。

     過度の栄養補給で体が水風船のようにむくみ、痰(たん)が上がって気道に詰まる。吸引しないと窒息するような状態ですが、その吸引も苦しい。免疫機能が落ちて出血しやすくなった口の中は感染を起こし血だらけ。目の端も切れて出血するとまるで血の涙を流しているよう。患者さんは苦しんで亡くなっていく。延命措置も医療も「患者さんがどう過ごしたいか」を支える手段であるはずなのに。

     だから、元気なうちに自分の最期はどう生きたいのか、何を大事にして過ごしたいかを家族で話し合ってほしいなと思って。病院に来てからでは遅いんです。いろんな勉強会に行ったあと、病院側と患者側で一緒に医療を変えようと、みとりの現実や知識などをブログで発信し、依頼を受けて講演を始めました。

     -これまでに千人のみとりケアをしたそうですね。こんな最期はいいな、と思った例はありますか。

     見舞いに来た家族が穏やかな会話をしている中で、息を引き取った瞬間が分からないくらい自然に眠るように亡くなった九十歳くらいの男性がいました。一週間ほど前まで普通にご飯を食べていましたが、だんだん眠る時間が長くなって。意識はないけれど、家族が来ると穏やかな顔になる。死の間際によくある張り詰めた空気でなく、毎日家族が見舞いに来てベッドわきで話を交わしている日常の中で亡くなったのは、自然でいいなと思いました。

     -死ぬ直前に一時的に元気を取り戻したように見えるなど意識レベルが改善することがあるそうですね。

     一番多いのは、それまで話すことがなかった患者さんが唐突に「ありがとう」と言って亡くなることです。看護師仲間では「仲直りの時間」とか「仲良しタイム」とか言ってます。奇跡のようです。

     末期の肝臓がんの六十代男性が衰弱し、しゃべれなくなるのも時間の問題と思われた時、私が「ありがとうってたまには奥さんに言った方がいいですよ」と話したんです。男性は「分かっているけどまだ早い」と答えたのですが、翌日に意識がなくなり数日後に亡くなった。言えなかったのかなと思っていたら、奥さんが「実は、意識がなくなる前にありがとうと言ってくれた。それが最期の言葉です。この人と一緒になってよかった」と教えてくれたのです。お茶の先生だった大腸がんの九十代女性が、亡くなった当日の昼間にベッドの上で抹茶をたてて、看護師や介護士に振る舞ったこともありました。

     -「死ぬ時間を本人が選んでいる」と感じる時がある、とも。

     七十代くらいの女性が下顎呼吸(臨終間際のあえぐような呼吸)し始めたので未明に家族を呼びました。息はそんなに続かないと思ったのですが、その日の午後九時ごろまで頑張ったのです。家族の中で、孫の二十代女性は毎日お見舞いに来てました。その孫が「おばあちゃん、もう頑張らなくていいよ」って言ったのです。亡くなったのはその数分後。おばあちゃんっ子だった孫の言葉に安心したかのようでした。

     -六年前から始めた講演の他に、少人数で本音を語り合う「看取りを語らナイト」を既に三十回近く続けています。

     最初に私が話題提供をして、後は参加者と話し合います。これから親をみとる人が「どうなるのかと不安だったけど心の準備ができた」とか、「母親が亡くなる時何もできず、後悔しかない」と言った女性が「あれはいいみとりだったと思えるようになった」と話したり。気持ちを皆でシェアできて心が楽になったという人もいます。

     -家族が後悔しないみとりをするためには何が重要なんでしょう。

     愛する人を亡くすのですから絶対に後悔します。でも「あの時ああしておけば」というのは呪いの言葉。医療の結果が分からない中で、最善策を皆で探したはず。医療が悪い、誰が悪いということでなく、病気や老化の方が一枚も二枚も上手だっただけなのです。

     死ぬとは、死ぬまで生きること。家族で対話を重ねて旅立つ人の思いを共有してほしい。最期は体に触れて「ぬくもり」を感じ、「思い出」を語り、「ありがとう」と見送る。三つの言葉の頭文字で、キーワードは「NOA(ノア)の箱舟」です。

     -穏やかなみとりには看護師など医療者の役割も重要です。

     最期の時、ベッドの柵を外していすを置くだけでも触れ合う環境が整う。本人が「いろいろあったけど、こんな人生だった」と自分で自分の人生を完結させて旅立ってもらうため、看護師や家族が物語を聞くのも大切です。「お母さんはとてもおしゃれな人だった」と話を聞いていたので、亡くなった直後、私は「皆でメークしてあげませんか」とベッドの脇の家族に提案しました。それまで泣いていた家族が「ぜひ、やらせて」と、お孫さんが口紅を塗るなど娘さんら家族で化粧をしたのです。「母さんきれいだ」「おばあちゃん、きれい」と思い出の花が咲き、「人生の最後に家族皆にきれいと言われるって、なんてすてきな人生なんだろう」と思いました。

     -看護師をしていてよかったと思うことは。

     家族が最後に「お世話になりました」って、ちゃんと穏やかに着地できたことを確認できた時です。母親を見送った男性に「三十年後にまた来ます」と言われたことがあります。「自分もここでみとってほしいと思った」って。そんな頼れる存在でありたいと思っています。

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     <ごかん・めぐみ> 1980年、埼玉県上尾市生まれ。群馬パース看護短大卒。2003年から看護師として病院で働き始め、療養病床に移ってからは終末期の患者や家族に接し、さまざまなみとりを経験する。「これでよかった」と思えるような命の終わりへの向き合い方とコミュニケーション術を、講演やブログ、会員制交流サイト(SNS)などで発信。「最期まで自分らしく生きる」を支える知識や技術を伝え、みとりを語るトークイベントを開いている。医療従事者を対象にした救命処置のインストラクターも。現在は非常勤の看護師として働きながら、講演や研修などの活動をしている。近著に「後悔しない死の迎え方」(ダイヤモンド社)。

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    ◆あなたに伝えたい

     最期は体に触れて「ぬくもり」を感じ、「思い出」を語り、「ありがとう」と見送る。三つの言葉の頭文字で、キーワードは「NOA(ノア)の箱舟」です。

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    ◆インタビューを終えて
     みとりについて本音を語り合う「看取りを語らナイト」に参加した。患者の家族や愛する人をみとった家族、終末期医療にかかわる看護師など少人数の参加者で、お互いの話にじっと耳を傾ける。会話が深刻な内容であっても、後閑さんはずっと笑顔を絶やさない。「大切な人の最期を穏やかに看取れますように。あなたが最期まで笑って楽しく生きられますように」。ブログにも笑顔という言葉がたくさん出てくる。死の現場で笑顔という言葉は違和感があるかもしれない。でも、できれば笑ってこの世に別れを告げたいから、後閑さんが目指す「穏やかな最期を笑顔でみとれる社会」には強く共感できる。

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