東陽一 4 Replies 人の思うことを次々に言いあて、思うことがなくなると、とって喰う。その妖怪「サトリ」が孤独な水族館受付嬢の前に現れる…。 民間伝承に材をとり現代を描写した東陽一監督の意欲作。緑魔子がしなやかな感性で特異なヒロインを好演している。また、管理社会からはみだして生きる“ものぐさ太郎”には河原崎次郎、そして太古の昔より甦える妖怪“サトリ”には、特異なマスクと不思議な存在感を有する山谷初男が紛している。
shinichi Post author07/05/2019 at 11:11 am 『日本妖怪伝サトリ』 1973年・青林舎作品 カラー、スタンダードサイズ、102分 監督:東陽一 製作:高木隆太郎、重松良周 脚本:東陽一、前田勝弘 撮影:田村正毅 美術:下河原香雄、手塚研一 編集:東陽一、市原啓子 助監督:青池憲司、栗原剛志 主題歌:丸山圭子 出演:緑魔子、河原崎次郎、山谷初男、佐藤慶、吉行和子 渡辺文雄、織本順吉、伊藤惣一、金井大、坂本長利 下川辰平、石橋蓮司、蟹江敬三、外波山文明 内田栄一、岡村春彦、小川紳介 Reply ↓
shinichi Post author07/05/2019 at 11:19 am 東陽一 https://ja.wikipedia.org/wiki/東陽一 早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社し、助監督として多く黒木和雄作品についたが、1962年、助監督のまま退社してフリーランスとなり、短編映画『A FACE』(1963年)で監督デビューした。 長編第一作はさまざまな論議を呼んだドキュメンタリー作品『沖縄列島』(1969年)。つづく初の劇映画『やさしいにっぽん人』(1971年)で日本映画監督協会新人賞を受賞、劇映画三作目の『サード』(1978年)では第52回キネマ旬報ベストワン、第21回ブルーリボン賞作品賞、芸術選奨文部大臣新人賞などを受賞し、映画監督としての地歩を固めた。 1963年 A FACE (英語版・ジェトロ・24分) 1964年 東村山市 (新芸映画・30分) 1969年 沖縄列島 (東プロ・105分) 1971年 やさしいにっぽん人 (東プロ・118分) 1973年 日本妖怪伝・サトリ (青林舎・100分) 1978年 サード (幻燈社+ATG・102分) 1979年 もう頰づえはつかない (あんぐる+ATG・113分) 1980年 四季・奈津子 (幻燈社+東映・120分) 1981年 ラブレター (幻燈社+にっかつ・80分) 1981年 マノン (幻燈社・108分) 1982年 ザ・レイプ (幻燈社+東映・100分) 1982年 ジェラシー・ゲーム (幻燈社+にっかつ・84分) 1983年 セカンド・ラブ (幻燈社+東映・103分) 1985年 湾岸道路 (幻燈社+東北新社・104分) 1986年 化身 (東映・105分) 1988年 うれしはずかし物語 (にっかつ・90分) 1992年 橋のない川 (ガレリア+西友・139分) 1996年 絵の中のぼくの村 Village of Dreams (シグロ・112分) 2000年 ボクの、おじさん THE CROSSING (シグロ・116分) 2003年 わたしのグランパ (製作委員会・113分) 2004年 風音 (シグロ・106分) 2010年 酔いがさめたら、うちに帰ろう。 (シグロ+バップ+ビターズエンド・118分) 2016年 だれかの木琴 (製作委員会・112分) Reply ↓
shinichi Post author07/05/2019 at 11:37 am 高木隆太郎 映画プロデューサー 死亡: 2017年6月21日 1969年 沖縄列島 1971年 やさしいにっぽん人 1971年 水俣 患者さんとその世界 1973年 水俣一揆 一生を問う人々 1973年 日本妖怪伝・サトリ 1975年 不知火海 1975年 医学としての水俣病 1980年 薬に病む クロロキン網膜症 1981年 水俣の図・物語 1987年 水俣病・その30年 ** [ 2017/6/22 ] 訃報 (株)青林舎前代表取締役社長 高木隆太郎さん逝去 http://www.s1000313.hosting-srv.net/news/1498119136470.html 東プロダクションの創設者で、映画製作者の(株)青林舎前代表取締役社長、高木隆太郎さんが、昨夜(6月21日)逝去されました。85歳です。 Reply ↓
『日本妖怪伝サトリ』
1973年・青林舎作品
カラー、スタンダードサイズ、102分
監督:東陽一
製作:高木隆太郎、重松良周
脚本:東陽一、前田勝弘
撮影:田村正毅
美術:下河原香雄、手塚研一
編集:東陽一、市原啓子
助監督:青池憲司、栗原剛志
主題歌:丸山圭子
出演:緑魔子、河原崎次郎、山谷初男、佐藤慶、吉行和子
渡辺文雄、織本順吉、伊藤惣一、金井大、坂本長利
下川辰平、石橋蓮司、蟹江敬三、外波山文明
内田栄一、岡村春彦、小川紳介
ものぐさ太郎(河原崎次郎)のモデルは、美術を担当した手塚研一だと言われている。
東陽一
https://ja.wikipedia.org/wiki/東陽一
早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社し、助監督として多く黒木和雄作品についたが、1962年、助監督のまま退社してフリーランスとなり、短編映画『A FACE』(1963年)で監督デビューした。 長編第一作はさまざまな論議を呼んだドキュメンタリー作品『沖縄列島』(1969年)。つづく初の劇映画『やさしいにっぽん人』(1971年)で日本映画監督協会新人賞を受賞、劇映画三作目の『サード』(1978年)では第52回キネマ旬報ベストワン、第21回ブルーリボン賞作品賞、芸術選奨文部大臣新人賞などを受賞し、映画監督としての地歩を固めた。
1963年 A FACE (英語版・ジェトロ・24分)
1964年 東村山市 (新芸映画・30分)
1969年 沖縄列島 (東プロ・105分)
1971年 やさしいにっぽん人 (東プロ・118分)
1973年 日本妖怪伝・サトリ (青林舎・100分)
1978年 サード (幻燈社+ATG・102分)
1979年 もう頰づえはつかない (あんぐる+ATG・113分)
1980年 四季・奈津子 (幻燈社+東映・120分)
1981年 ラブレター (幻燈社+にっかつ・80分)
1981年 マノン (幻燈社・108分)
1982年 ザ・レイプ (幻燈社+東映・100分)
1982年 ジェラシー・ゲーム (幻燈社+にっかつ・84分)
1983年 セカンド・ラブ (幻燈社+東映・103分)
1985年 湾岸道路 (幻燈社+東北新社・104分)
1986年 化身 (東映・105分)
1988年 うれしはずかし物語 (にっかつ・90分)
1992年 橋のない川 (ガレリア+西友・139分)
1996年 絵の中のぼくの村 Village of Dreams (シグロ・112分)
2000年 ボクの、おじさん THE CROSSING (シグロ・116分)
2003年 わたしのグランパ (製作委員会・113分)
2004年 風音 (シグロ・106分)
2010年 酔いがさめたら、うちに帰ろう。 (シグロ+バップ+ビターズエンド・118分)
2016年 だれかの木琴 (製作委員会・112分)
高木隆太郎
映画プロデューサー
死亡: 2017年6月21日
1969年 沖縄列島
1971年 やさしいにっぽん人
1971年 水俣 患者さんとその世界
1973年 水俣一揆 一生を問う人々
1973年 日本妖怪伝・サトリ
1975年 不知火海
1975年 医学としての水俣病
1980年 薬に病む クロロキン網膜症
1981年 水俣の図・物語
1987年 水俣病・その30年
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[ 2017/6/22 ] 訃報 (株)青林舎前代表取締役社長 高木隆太郎さん逝去
http://www.s1000313.hosting-srv.net/news/1498119136470.html
東プロダクションの創設者で、映画製作者の(株)青林舎前代表取締役社長、高木隆太郎さんが、昨夜(6月21日)逝去されました。85歳です。