伊藤義行

話が盛り上がっているところ申し訳ありませんが、ひとこと言わせてください。あの石は墓石とされていますが、三人(大杉栄・野枝・橘宗一)の御霊はきちんと弔われていません。ただただ、そこをお参りしてくださる方々の集合的な念が集まっているだけです。そんなに墓を公開し、多くの方が出入りするようになるのが、本当にいいことなのでしょうか。70年間、野枝の墓を掃除し、花を手向け、守ってきた者としてはどうかと思います。
また、山林の土地の管理者に対してどう考えるのか。見ず知らずの人が線香をあげることもあるだろうけれども、それをどうやって管理していくのか。自由意志について話が盛り上がっているようだけれども、そこに自己責任がつきまとうことを忘れないでいただきたい。それは野枝の生き方を汲み取っていけば、おのずと見えてくるはずです。もっと深く考えてほしいと思います。

2 thoughts on “伊藤義行

  1. shinichi Post author

    野枝と今宿の新しい時代へエールを込めて

    ひょうたんず1号

    http://blog.livedoor.jp/hyoutanz/archives/33286231.html

    伊藤野枝没後90年を記念する講演会「伊藤野枝の影と光」が2013年9月22日、生誕地・福岡市西区今宿にほど近い九大学研都市駅前「さんとぴあ」で開かれたので、東京から戻ったその足で向かうことにした。地元福岡ですら、野枝に関する催事はこれまで皆無に近かったので、何をおしても参加したかったのだ。午前中は『ルイズ-その旅立ち』の上映があったけれども、その時間帯は空の上ゆえ諦めた。

    午後の部の会場はみるみるうちに満席に。この小さな町に300人近くの人が駆けつけるとは、主催者側も予想しておらず、ずいぶん慌てた様子だ。まさか伊藤野枝でこんなに…という事態だったようだ。主催者は動揺を隠しきれないまま、壇上で挨拶。

    「ここしばらく野枝さんのことを勉強しはじめています。こんなに輝かしくも劇的な生き方をした女性が今宿で生まれ育ったことを、それまで知らずにいました」「今日はこんなにもたくさんの方にお集りいただくなんて…会場に野枝さんがいる気がします」とも仰っていた。(以後は敬意を込めて、野枝さんと呼ばせていただく)。

    それもそのはず、長い間、今宿界隈では野枝さんのことを語ることはタブーだったからだ。今宿の山林に移されていた墓石も「拝むな、触れるな、近づくな」と戒められてきたという。冒頭に主催者が話したところによると、この講演を企画した際、数人のご高齢の方から説教されたのだそうだ。まだ当時の風潮のかけらは残っている。大杉栄を中心とした四角関係のスキャンダルで世間を騒がせ、関東大震災のどさくさで“主義者”の妻として惨殺されたその衝撃は、地元にとってはあまりにもショッキングで不名誉なことだったのだ。

    ただ、ゴシップ情報ばかりが先に立ち、たとえば平塚らいてうから『青鞜』の編集長を引き継ぎ、多くの著作や講演活動を通じて女性解放の旗手となった野枝さんの功績や能力については、斜め45度からしか見られてこなかった。一旦そのようなフィルターをかけられると、どんなことをしても色付きのフィルターを通してしか見られないもの。しかし野枝さんは世間に蔓延した色付きのフィルターを「今に見ておれ」という気概で突き破るごとく生き抜いた女性なのだ。

    まずは『伊藤野枝と代準介』の著者・矢野寛治さんのソロトーク。講演では遺族が所蔵している写真とともに、野枝さんの面影を共有した。ちなみに矢野夫人は野枝さんを物心両面から支え続けた代準介氏のお孫さん。そのご縁により、瀬戸内晴美の小説や映画『エロス+虐殺』等で誤って伝えられた辻潤(野枝の元夫)と代千代子(代準介の娘)との関係を正すことを一つの使命として書き上げたようである。

    その後、矢野さんと地元の史家大内士郎さんの対談が開かれた。今宿では知らない人はいないという大内さんの気さくなトークに笑いが起こる。「5日前に矢野さんと打ち合わせをしたけれど、飲み会3時間、カラオケ2時間(笑)」というノリでスタート(これは場を和ませるための大内さんなりの気遣いなのだろう…)。

    その中で今宿の山林にあった墓石の話になる。「よく野枝さんのことを知りたいと訪ねてくる人がいるので、もっとちゃんと案内できるように準備しないといけない。墓も案内するけれども、地図で示しにくい場所にある。場所を移し替えたり、もっと整備してもいいのではないか」というようなことを話された。会場も奔放に時代を駆け抜けた女性がわが町に生まれ育ったことを、もっと知らせるべきだし、もっと誇りに思うべきだ、墓も整備したほうがいい…そんな空気の中で多くの人が頷いていたようだ。

    そのときである。楽しげに進む対談を、たまたま私の(通路挟んで)隣に座っていた来賓席のおじいさんが「ちょっといいですか」と遮った。なんと伊藤義行さんである。野枝さんの甥にあたる方で、70年間、野枝さんの墓石をひたすら守り続けてきた方だ。

    おおよそこのような内容だった(記憶があいまいな部分もあるので、勝手な要約や言葉づかいをしておりますことをご容赦ください)。

    〜話が盛り上がっているところ申し訳ありませんが、ひとこと言わせてください。あの石は墓石とされていますが、三人(大杉栄・野枝・橘宗一)の御霊はきちんと弔われていません。ただただ、そこをお参りしてくださる方々の集合的な念が集まっているだけです。そんなに墓を公開し、多くの方が出入りするようになるのが、本当にいいことなのでしょうか。70年間、野枝の墓を掃除し、花を手向け、守ってきた者としてはどうかと思います。

    また、山林の土地の管理者に対してどう考えるのか。見ず知らずの人が線香をあげることもあるだろうけれども、それをどうやって管理していくのか(おそらく火事の危険性)。自由意志について話が盛り上がっているようだけれども、そこに自己責任がつきまとうことを忘れないでいただきたい。それは野枝の生き方を汲み取っていけば、おのずと見えてくるはずです。もっと深く考えてほしいと思います。〜

    来場者は地元の方が大半である。なかにはそれまでタブー視してきた人もいたはずだ。そんな中での義行さんの訴えは勇気のいることだけれど、時代は変わったのだろう、義行さんに対して大きな拍手が起こった。

    胸に熱いものがこみあげてきた。ご多分に漏れず、私も一度は野枝さんのお墓まいりをしたいと思っていた一人だったのだけれど、安易な自分を戒めた。この方は野枝さんの生き方と真っ向から向き合い、苦悩し、受け入れ、守り続けてきた方なのだ。おそらく長い間、地元に根づいていた偏見とも闘い続けてきたのだ。そして、いまの意見は野枝さんの声でもあるのだと。

    私は野枝さんの生き方に共感し、感銘を受けてきた一人だ。たしかに気が強くて、不器用で、猪突猛進型ではあるかもしれないが、ひっくりかえせば好奇心、行動力、生命力が抜きん出てたくましいともいえるはず。5人もの子を育てながら、大杉栄への愛に自分のあるがままを貫いた、その健気さに憧れる。残念なことに28歳で惨殺されてしまったけれども、それまでの自身のふるまいや思想を後悔などしていないはずだ。ただ、残された子供たちのことを思うとやりきれなくなるけれど。

    帰り際、どうしてもひと言お声をかけたくて、お隣で帰り支度をしている義行さんに、ご挨拶させていただいた。見ず知らずのオンナが涙ぽろぽろ流しながら握手を求めてくるもんだから驚いていたけれども、「また、どこかでお会いできたらいいですね」と笑顔で応えてくださった。 義行さんとの出会いによって、野枝さんの気配がぐっと近くなった気がした(また本当にお会いして、いろんなお話を伺いたいですーー)。

    折しもその日は誕生日。野枝さんに対して一人の人間としてどう向き合うか、お前はどうあるのか。その問いかけこそが自分自身への贈り物となった。

    お決まりの講演会にはない刺激と興奮に満ちた時間でした。荒削りだけれども、なにかを切り拓こうとする場に立ち会えたこと自体が嬉しく、ここに記します。これからの野枝研究の躍進に期待しています。

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  2. shinichi Post author

    伊藤野枝の墓

    映画と旅と

    http://perestro.cocolog-nifty.com/

    JR今宿駅に集合。まずは歩いて野枝の生家跡を訪ねた。現在は個人が経営するお店になっており、野枝がいたことを感じさせるものは残っていない。しかし、ちょっと歩くとすぐに今宿の海が見えてくる。子どもの頃、泳ぎの得意な野枝が対岸の能古島まで渡ったという逸話が残っている海だ。海から唐津街道の方へ歩くと、もう一つ、野枝ゆかりのものを見ることができる。交番だ。野枝が東京から今宿に帰省した際に監視できるよう、わざわざ建てられたものだという。今も同じ場所に残っている。



    一方で野枝の墓の場所は度々変わっている。最初は地域の墓地に建てられたが、墓石を倒されるなどの嫌がらせがあり、現在は人気のない山の中にひっそりと建っている。一旦今宿駅まで戻り、車で移動。山のふもと近くに車を止め、そこからは歩いていった。15~20分程度でたどり着けるゆるやかな坂道だが、途中からは木々をかきわけて進むような感じになる。大きな岩が置かれており、野枝の名前は刻まれていない。知らなければそれが野枝の墓だとはわからないだろう。当初は眼前に海が臨めていたようだが、今は木にはばまれて見ることができない。

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