Marie-Nicolas-Antoine Daveluy

Les persécutions contre les chrétiens étaient fréquentes en Corée à cette époque. Monseigneur Berneux subit le martyre, il fut remplacé par Antoine Daveluy en tant que vicaire apostolique. Vingt-trois jours plus tard, le 11 mars 1866, il fut arrêté, dénoncé par Yi Soni, un ancien séminariste, interrogé et torturé par les autorités coréennes. De Séoul, il fut emmené à 100 km de la capitale pour y être exécuté, afin de ne pas perturber les cérémonies de mariage du roi.
Il fut martyrisé le Vendredi Saint, 30 mars 1866, avec ses compagnons les prêtres Pierre Aumaître et Martin Luc Huin à Galmaemot près de Boryeong (province de Chungcheong), avec les 103 Martyrs de Corée.

This entry was posted in belief. Bookmark the permalink.

2 Responses to Marie-Nicolas-Antoine Daveluy

  1. shinichi says:

    La vie de Monseigneur Antoine Daveluy

    par Antoine Daveluy

    **

    朝鮮事情

    by マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ

    **

    朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢である。

    **

    朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとく振る舞っている。大両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金をだせば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物もあたえられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。両班のなかでもっとも正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつてないからである。彼らが農民から田畑や家を買う時は、ほとんどの場合、支払無しで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない。

    **

    両班が首尾よくなんらかの官職に就くことができると、彼はすべての親戚縁者、もっとも遠縁の者にさえ扶養義務を負う。彼が守令になったというだけで、この国の普遍的な風俗習慣によって、彼は一族全体を扶養する義務を負う。もし、これに十分な誠意を示さなければ、貪欲な者たちは、自ら金銭を得るために様々な手段を使う。ほとんどの場合、守令の留守のあいだに、彼の部下である徴税官にいくばくかの金を要求する。もちろん、徴税官は、金庫には金が無いと主張する。

    **

    すると、彼を脅迫し、手足を縛り手首を天井に吊り下げて厳しい拷問にかけ、ついには要求の金額をもぎとる。のちに守令がこの事件を知っても、掠奪行為に目をつむるだけである。官職に就く前は、彼自身もおそらく同様のことをしたであろうし、また、その地位を失えば、自分もそのようにするはずだからである。

Leave a Reply

Your email address will not be published.