山本周五郎

「この養生所にこそ、もっとも医者らしい医者が必要だ、――初めに先生はそう云われました」と登はねばり強く云った、「私もまたここの生活で、医が仁術であるということを」
「なにを云うか」と去定がいきなり、烈しい声で遮った、「医が仁術だと」そうひらき直ったが、自分の激昂していることに気づいたのだろう、大きく呼吸をして声をしずめた、「――医が仁術だなどというのは、金儲けめあての藪医者、門戸を飾って薬礼稼ぎを専門にする、似而非医者どものたわ言だ、かれらが不当に儲けることを隠蔽するために使うたわ言だ」
 登は沈黙した。
「仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない、病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ、しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしない似而非医者が大部分なんだ」

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1 Response to 山本周五郎

  1. shinichi says:

    赤ひげ診療譚

    氷の下の芽

    by 山本周五郎

    **

    「津川をお呼びになる必要はありません、私はここにとどまるつもりですから」
     去定は眼を細めた、「――誰が許した」
    「先生です」
    「おれが、おれがそれを許したか」
    「お許しになりました」
    「だめだ、おれは許さぬ」去定は首を振った、「保本登は目見医にあがる、それはもうきまっていることだ」
    「この養生所にこそ、もっとも医者らしい医者が必要だ、――初めに先生はそう云われました」と登はねばり強く云った、「私もまたここの生活で、医が仁術であるということを」
    「なにを云うか」と去定がいきなり、烈しい声で遮った、「医が仁術だと」そうひらき直ったが、自分の激昂していることに気づいたのだろう、大きく呼吸をして声をしずめた、「――医が仁術だなどというのは、金儲けめあての藪医者、門戸を飾って薬礼稼ぎを専門にする、似而非医者どものたわ言だ、かれらが不当に儲けることを隠蔽するために使うたわ言だ」
     登は沈黙した。
    「仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない、病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ、しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしない似而非医者が大部分なんだ」
    「それでもなお」と登が云った、「私を出して津川を戻そうと仰しゃるのですか」
    「それとこれとは話が違う」
    「違わないことは先生御自身が知っておいでです」と登は云った、「はっきり申上げますが、私は力ずくでもここにいます、先生の腕力の強いことは拝見しましたが、私だってそうやすやすと負けはしません、お望みなら力ずくで私を放り出して下さい」
    「おまえはばかなやつだ」
    「先生のおかげです」
    「ばかなやつだ」と去定は立ちあがった、「若気でそんなことを云っているが、いまに後悔するぞ」
    「お許しが出たのですね」
    「きっといまに後悔するぞ」
    「ためしてみましょう」登は頭をさげて云った、「有難うございました」
     去定はゆっくりと出ていった。

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