澁澤龍彦

 さて私のことを書くとすれば、私自身はもう二十年来、あじさい寺として近年とみに名の高い明月院のある、北鎌倉の明月谷という谷に住みついているので、いわばアジサイの本場に住んでいるようなものだ。山かげで湿気が多いから、ここはアジサイの生育にはもっとも好適な土地であるらしく、げんに私の家の庭でも、挿木をすればどんどんふえる。斜面になった岩盤の上の土地で、かならずしも地味がいいとはいえないのに、アジサイだけは勢いさかんに育つのだから不思議である。
 六月の雨季に咲くアジサイの花は、降りつづく雨にけむって、その紫や青や紅が空気の中にしっとり薄く溶け出すような、なんとなく泉鏡花的な幻想に私たちを誘い込む。かつては庭木として珍重されず、せいぜい貧乏寺の境内とか、あるいは背戸(なつかしい言葉だ)なんかに植えられていて、だれからも顧みられなかった。明月院で脚光を浴びているアジサイを見ると、私はタレントに出世した少女を見るような、へんな違和感をおぼえる。
 アジサイの花は、萎れてもそのまま放っておくと、いっかな地上に落ちず、かさかさに乾いて自然にドライフラワーになる。萼が緑色をおびて、アジサイの幽霊みたいな感じになる。私はそれが好きで、この天然ドライフラワーを鋏で切って、広口の瓶に投げこんでおくことがある。

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