谷崎潤一郎

そして洋服箪笥の蔭い行て、帯ほどいて、髪ばらばらにして、きれいに梳いて、はだかの上いそのシーツをちょうど観音さんのように頭からゆるやかにまといました。「ちょっと見てごらん、こないしてみたら、あんたの絵エと大分違うやろ。」そういうて光子さんは、箪笥の扉に附いている姿見の前い立って、自分で自分の美しさにぼうっとしておられるのんでした。「まあ、あんた、綺麗な体しててんなあ。」――わたしはなんや、こんな見事な宝持ちながら今までそれ何で隠してなさったのんかと、批難するような気持でいいました。わたしの絵エは顔こそ似せてありますけど、体はY子というモデル女うつしたのんですから、似ていないのはあたりまえです。それに日本画の方のモデル女は体よりも顔のきれいなのんが多いのんで、そのY子という人も、体はそんなに立派ではのうて、肌なんかも荒れてまして、黒く濁ったような感じでしたから、それ見馴れた眼エには、ほんまに雪と墨ほどの違いのように思われました。「あんた、こんな綺麗な体やのんに、なんで今まで隠してたん?」と、わたしはとうとう口に出して恨みごというてしまいました。そして「あんまりやわ、あんまりやわ」いうてるうちに、どういう訳や涙が一杯たまって来まして、うしろから光子さんに抱きついて、涙の顔を白衣の肩の上に載せて、二人して姿見のなかを覗き込んでいました。「まあ、あんた、どうかしてるなあ」と光子さんは鏡に映ってる涙見ながら呆れたようにいわれるのんです。「うち、あんまり綺麗なもん見たりしたら、感激して涙が出て来るねん。」私はそういうたなり、とめどのう涙流れるのん拭こうともせんと、いつまでもじっと抱きついてました。

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